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1928年の日本ハナゲ學会第3分科會において瓢箪屋蓑吉氏が発表した「傳説の白ハナゲと黑ハナゲの脱色化の判別に關する文化論的一考察 ―ルウブル美術館をくまなく回ろうとして挫折したフレデリツク勅使河原氏の手記を中心に―」を再読したり、検証したりするBLOGではないことは確かなことです。ええ!確かなことですとも!
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◈George Gershwin: Rhapsody in Blue
Philippe Entremont (Pf)
The Philadelphia Orchestra / Eugene Ormandy
(Rec. 4 January 1967, Philadelphia Hotel, Philadelphia)
◈George Gershwin: An American in Paris
The Philadelphia Orchestra / Eugene Ormandy
(Rec. 5 January 1967, Philadelphia Hotel, Philadelphia)
◈Ferde Grofé: Grand Canyon
The Philadelphia Orchestra / Eugene Ormandy
(Rec. 12 & 20 December 1967, Town Hall, Philadelphia)



アメリカの2人の作曲家、ジョージ・ガーシュウィン(George Gershwin, 1898-1937)とファーディ・グローフェ(Ferde Grofé, 1892-1972)の代表作を収録したアルバムです。

「クラシック音楽」と私たちが呼んでいる音楽は、いわば音楽で綴るヨーロッパ史あるいはヨーロッパ文化受容史といった趣の強いものですが、ガーシュウィンの登場は、ヨーロッパの音楽文化にアメリカ音楽としてのジャズの存在感を強くアピールするものとして位置づけることが出来るでしょう。
もっとも、ガーシュウィンの成功以前に全くアメリカの音楽がヨーロッパの音楽シーンから無視されていたわけではありません。1918年には、イーゴリ・ストラヴィンスキーがジャズの前身のひとつとされるラグタイムに興味を持ち、自ら作曲を試みています。また、モーリス・ラヴェルをはじめとしたフランスの作曲家たちも、アメリカの音楽には少なからぬ興味を寄せていました。
ヨーロッパでくすぶっていたアメリカ音楽への興味の目線を一気に集めたのが、ガーシュウィンの成功だったというわけです。

ガーシュウィンは、元々ポピュラー・ソング・ライターとしてキャリアを積んでいましたが、シンフォニック・ジャズを構想していたポール・ホワイトマンから作曲の依頼を受けて、1924年に《ラプソディ・イン・ブルー》を発表しました。
この《ラプソディ・イン・ブルー》によって、ガーシュウィンはクラシック音楽とジャズに橋を架けることに成功したと見做され、ジャズ・ミュージシャンたちのレパートリーとなっただけでなく、クラシック音楽のコンサートの演目としても広く知られるようになりました。

《パリのアメリカ人》は1928年にニューヨーク・フィルハーモニック交響楽団の委嘱を受けて作曲された作品で、《ラプソディ・イン・ブルー》と並ぶ、ガーシュウィンの代表作です。
1920年代にパリに旅行に行ったガーシュウィンは、ストラヴィンスキーやラヴェルらに作曲の方法を教えてもらおうとしますが、ストラヴィンスキーからは「私のほうが、ギャラの稼ぎ方を教えて欲しい」と言われ、ラヴェルからは「一流のガーシュウィンが二流のラヴェルになることはない」と言われ、悉く師事を拒まれています。このときのパリの旅行の印象を音楽化したのが、この作品になります。
ガーシュウィンは、この曲のために、パリからタクシーのクラクションを持ち帰り、パリの雰囲気とブルースを織り交ぜた作品に仕上げました。
この作品もまた、ジャズとクラシックの融合の成功例として引き合いに出され、アメリカが生んだ標題音楽の傑作といわれています。

グローフェは、オーケストレーションの達人として知られたアメリカの作曲家です。
ガーシュウィンが《ラプソディ・イン・ブルー》を作ったとき、オーケストレーションの苦手だったガーシュウィンの代わりにオーケストレーションを施したのは、このグローフェでした。
グローフェは、ガーシュウィンのスコアをビッグ・バンド用に編曲し、ガーシュウィンがなくなった後にオーケストラ用に編曲しなおして、クラシック音楽のコンサートでも演奏できるようにし、今日ではオーケストラ用の編曲譜で広く演奏されています。
有能なアレンジャーとしての才能を発揮したグローフェでしたが、作曲家としてのグローフェの代表作は、本CDで演奏される組曲《グランド・キャニオン》です。〈日の出〉、〈赤い砂漠〉、〈山道を行く〉、〈日没〉、〈豪雨〉の5つの場面からなりますが、特に〈山道を行く〉は、中学校の音楽鑑賞教材として広く知られています。
この作品は、1920年ごろから構想が練られましたが、全曲を書き上げたのは1931年になってからのことです。グローフェの持てる限りのオーケストレーション技術を投入した作品で、〈豪雨〉などは、嵐に遭遇したグロフェ自身の経験がリアリティを持って表現されています。

演奏は、全てユージン・オーマンディ(Eugene Ormandy, 1899-1989)指揮するフィラデルフィア管弦楽団が担当しており、《ラプソディ・イン・ブルー》のピアノ独奏をフランス人のフィリップ・アントルモン(Philippe Entremont, 1934-)が弾いています。ただし、CDにはアントルモンのクレジットがなぜか割愛されています。

オーマンディは、本名をイェネー・ブラウ(Jenő Blau)といい、ハンガリーの天才少年ヴァイオリニストとして名を馳せた人でしたが、1921年に渡米したときに詐欺にあって無一文になり、ニューヨークの劇場オーケストラのヴァイオリニストとしてキャリアを再スタートさせました。
元々天才少年ヴァイオリニストとしてデビューを果たした人だっただけに、あっという間にコンサート・マスターに昇格しましたが、1924年に劇場オーケストラの指揮者の代役を買って出てから指揮者に転向し、1936年からフィラデルフィア管弦楽団の指揮台に立ち続けました。
フィラデルフィア管弦楽団の音楽監督を半世紀にわたって務め上げており、オーマンディにとって、このオーケストラは、いわば自分の手足のようなものでした。
弦楽器主体の豊満な音色は、オーディオ・ファンたちから「フィラデルフィア・サウンド」と言われており、そのゴージャスな音色を武器に数多くの録音を残しています。

《ラプソディ・イン・ブルー》も、アントルモンに独奏ピアノを担当させながら、悠然とオーケストラを鳴らし、まるで金持ちの道楽のような豪奢な音楽になっています。アントルモンのピアノは、やや真面目すぎるきらいがありますが、オーマンディの用意周到な語り口の前には、あまりそのカタさが気になりません。
《パリのアメリカ人》に至っては、パリの街を戸惑いながら歩いていくアメリカ人の姿というよりは、パリをロケーションにしたトップ・モデルの堂々とした撮影を思わせる演奏です。ブルースのムードも妖艶極まりありません。
ただ、グローフェの作品では、ゴージャスにオーケストラを鳴らしすぎて、上質な映画音楽になってしまった感があります。〈赤い砂漠〉や〈日没〉の後半部分のむせ返るような美しさは聴き所ですが、〈日の出〉のクライマックスでは、少々不完全燃焼気味になっており、〈豪雨〉にいたっては、優等生的過ぎて、野生的な味わいに不足します。

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