1928年の日本ハナゲ學会第3分科會において瓢箪屋蓑吉氏が発表した「傳説の白ハナゲと黑ハナゲの脱色化の判別に關する文化論的一考察 ―ルウブル美術館をくまなく回ろうとして挫折したフレデリツク勅使河原氏の手記を中心に―」を再読したり、検証したりするBLOGではないことは確かなことです。ええ!確かなことですとも!
◈Wolfgang Amadeus Mozart: Konzert für Violine und Orchester No.4 D-dur KV218
Wolfgang Schneiderhan (Vn)
Berliner Philharmoniker / Hans Rosbaud
(Rec. 14-15 May 1956, Jesus-Christe-kirche, Berlin-Dahlem)
◈Joseph Haydn: Symphonie G-dur Hob.I:92 "Oxford"Berliner Philharmoniker / Hans Rosbaud
(Rec. 18-19 May 1957, Jesus-Christe-kirche, Berlin-Dahlem)
◈Joseph Haydn: Symphonie D-dur Hob.I:104 "London"Berliner Philharmoniker / Hans Rosbaud
(Rec. 19-21 May 1956, Jesus-Christe-kirche, Berlin-Dahlem)
ハンス・ロスバウト(Hans Rosbaud, 1895-1962)は、オーストリア出身の指揮者です。母親はアンナ・アロイジア・ロスバウトといい、ヴィルヘルム・メイヤー・レミー門下のピアニストとしてフェルッチョ・ブゾーニやフェリックス・ヴァインガルトナーと机を並べた才媛でした。この母親から音楽の手ほどきを受け、フランクフルトのホーホ音楽院でベルンハルト・ゼクレスに作曲、アルフレッド・ヘーンにピアノを学んでいます。この音楽院で同じくゼクレス門下のパウル・ヒンデミットと親交を結びました。1921年にはマインツ市にできた音楽学校の校長に就任し、同市のオーケストラで指揮者デビューを飾りました。1929年にはフランクフルト放送交響楽団の首席指揮者となり、この頃から積極的に同時代の作曲家の作品を積極的に取り上げて成功を収めました。しかし、ドイツに台頭してきたナチスとは折り合いが悪く、1937年にはフランクフルトの要職を解任させられ、ミュンスター市の音楽監督に転任しています。戦時中はストラスブールに避難し、戦後の1945年にミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者として帰り咲きました。1946年にはバーデン=バーデンの南西ドイツ放送交響楽団が設立された時に創立指揮者として加わり、1950年から同オーケストラとドナウエッシンゲン音楽祭に常連的に出演しました。
ロスバウトは、同時代の作曲家の作品の初演を多く手掛け、ナチス・ドイツの時代に勢いを失ったドナウエッシンゲン音楽祭を活発化させたことで、20世紀のコンテンポラリー作品の擁護者の筆頭格に挙げられます。しかし、1948年からエクサン・プロヴァンス音楽祭に度々客演してヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart, 1756-1791)のオペラの数々を上演しているように、18世紀のドイツ・オーストリアの作品にも深い造詣を示していたことが知られています。本CDは、18世紀のドイツ・オーストリアの音楽の名解釈者としてのロスバウトの実力を端的に証明するアルバムと言えます。
演目は、モーツァルトのヴァイオリン協奏曲第4番とヨーゼフ・ハイドン(Joseph Haydn,1732-1809)の交響曲第92番と第104番で、モーツァルトの作品では、オタカール・シェフチーク門下のオーストリア人ヴァイオリニスト、ヴォルフガング・シュナイダーハン(Wolfgang Schneiderhan, 1915-2002)が独奏を務めています。
モーツァルトのヴァイオリン協奏曲第4番は、「シュトラスブルガー」とか「軍隊」とかといったニックネームをつけられていたことのある作品。1775年の9月から12月の間に、アントニオ・ブルネッティの為に第3番から第5番のヴァイオリン協奏曲を書き上げていますが、1777年の10月の父レオポルトとの手紙の中でレオポルトが「ブルネッティがシュトラスブルガー協奏曲を上手く弾いた」とモーツァルトに報告したり、モーツァルトが父に宛てて「自分もシュトラスブルガー協奏曲を弾いた」と書き送ったりしており、その「シュトラスブルガー協奏曲」がこの第4番の曲を指すのではないかというのが、「シュトラスブルガー」のニックネームの根拠です。「シュトラスブルガー」という言葉の由来については、この曲を作った時にモーツァルトがストラスブールに滞在していたことと、ストラスブールにちなんだ曲を引用しているという説があります。しかし、モーツァルトらが手紙で指している曲が第3番を指すのではないかという異論もあるため、このニックネームは一般化しませんでした。「軍隊」というニックネームは、この曲の第1楽章冒頭の印象から勝手につけられたものですが、今では滅多にお目にかかりません。
ハイドンの2曲については、それぞれ「オックスフォード」、「ロンドン」というニックネームがつけられています。
この名前の由来は、第92番のほうは、イギリスのオックスフォード大学から名誉博士号を授与されたときに、オックスフォード大学に出向き、この曲を演奏したことにより、第104番のほうは、ロンドンで作曲された交響曲であることから名づけられたものとされています。ハイドンの交響曲は第93番から第104番までロンドンのペーター・ザロモンの演奏会の為に作られた作品ですが、ハイドンの交響曲の掉尾を飾る作品になんとかニックネームをつけようとしたのかもしれません。
本CDでは、全曲ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を起用して録音されていますが、ロスバウトの妥協のない指示に全力で応えた名演奏に仕上げられています。モノラル録音であるにも関わらず、その演奏は隅々まで明晰で、曖昧さが全くありません。
モーツァルトの作品は、元ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のコンサート・マスターだったシュナイダーハンの独奏が聴きもののはずですが、終始ロスバウトがイニシアチブをとっています。シュナイダーハンにしてみればなんとか自分のペースを作りたいところですが、全てのパートがロスバウト流に統御されているのでどうにもなりません。緩徐楽章においても自由なテンポの揺らしに予防線が張られており、徹底的にヴァイオリン独奏をオーケストラのパートの一つとして扱おうという指揮者の信念が感じられます。
ハイドンの交響曲のほうは、近年流行の少人数精鋭制による古楽器アプローチではないのですが、大所帯のオーケストラを一糸乱れぬくらいに統率しており、弦の刻みが一音一音明確に聴けるのは驚異的です。《オックスフォード》のほうは、一音でも外したら厳罰に処せられるのではないかと思えるような緊張感が漲っており、名門オーケストラの本気の必死さを味わうことができます。《ロンドン》のほうも理路整然とまとめられており、大オーケストラの迫力だけに終わらない完成度の高さには舌を巻くほかありません。もう少し遊び心があってもよいのではないかという意見もあろうかと思いますが、一切手抜きのない奏楽は、バスター・キートンの計算されつくした喜劇を想起させるものがあります。
ロスバウトは、同時代の作曲家の作品の初演を多く手掛け、ナチス・ドイツの時代に勢いを失ったドナウエッシンゲン音楽祭を活発化させたことで、20世紀のコンテンポラリー作品の擁護者の筆頭格に挙げられます。しかし、1948年からエクサン・プロヴァンス音楽祭に度々客演してヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart, 1756-1791)のオペラの数々を上演しているように、18世紀のドイツ・オーストリアの作品にも深い造詣を示していたことが知られています。本CDは、18世紀のドイツ・オーストリアの音楽の名解釈者としてのロスバウトの実力を端的に証明するアルバムと言えます。
演目は、モーツァルトのヴァイオリン協奏曲第4番とヨーゼフ・ハイドン(Joseph Haydn,1732-1809)の交響曲第92番と第104番で、モーツァルトの作品では、オタカール・シェフチーク門下のオーストリア人ヴァイオリニスト、ヴォルフガング・シュナイダーハン(Wolfgang Schneiderhan, 1915-2002)が独奏を務めています。
モーツァルトのヴァイオリン協奏曲第4番は、「シュトラスブルガー」とか「軍隊」とかといったニックネームをつけられていたことのある作品。1775年の9月から12月の間に、アントニオ・ブルネッティの為に第3番から第5番のヴァイオリン協奏曲を書き上げていますが、1777年の10月の父レオポルトとの手紙の中でレオポルトが「ブルネッティがシュトラスブルガー協奏曲を上手く弾いた」とモーツァルトに報告したり、モーツァルトが父に宛てて「自分もシュトラスブルガー協奏曲を弾いた」と書き送ったりしており、その「シュトラスブルガー協奏曲」がこの第4番の曲を指すのではないかというのが、「シュトラスブルガー」のニックネームの根拠です。「シュトラスブルガー」という言葉の由来については、この曲を作った時にモーツァルトがストラスブールに滞在していたことと、ストラスブールにちなんだ曲を引用しているという説があります。しかし、モーツァルトらが手紙で指している曲が第3番を指すのではないかという異論もあるため、このニックネームは一般化しませんでした。「軍隊」というニックネームは、この曲の第1楽章冒頭の印象から勝手につけられたものですが、今では滅多にお目にかかりません。
ハイドンの2曲については、それぞれ「オックスフォード」、「ロンドン」というニックネームがつけられています。
この名前の由来は、第92番のほうは、イギリスのオックスフォード大学から名誉博士号を授与されたときに、オックスフォード大学に出向き、この曲を演奏したことにより、第104番のほうは、ロンドンで作曲された交響曲であることから名づけられたものとされています。ハイドンの交響曲は第93番から第104番までロンドンのペーター・ザロモンの演奏会の為に作られた作品ですが、ハイドンの交響曲の掉尾を飾る作品になんとかニックネームをつけようとしたのかもしれません。
本CDでは、全曲ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を起用して録音されていますが、ロスバウトの妥協のない指示に全力で応えた名演奏に仕上げられています。モノラル録音であるにも関わらず、その演奏は隅々まで明晰で、曖昧さが全くありません。
モーツァルトの作品は、元ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のコンサート・マスターだったシュナイダーハンの独奏が聴きもののはずですが、終始ロスバウトがイニシアチブをとっています。シュナイダーハンにしてみればなんとか自分のペースを作りたいところですが、全てのパートがロスバウト流に統御されているのでどうにもなりません。緩徐楽章においても自由なテンポの揺らしに予防線が張られており、徹底的にヴァイオリン独奏をオーケストラのパートの一つとして扱おうという指揮者の信念が感じられます。
ハイドンの交響曲のほうは、近年流行の少人数精鋭制による古楽器アプローチではないのですが、大所帯のオーケストラを一糸乱れぬくらいに統率しており、弦の刻みが一音一音明確に聴けるのは驚異的です。《オックスフォード》のほうは、一音でも外したら厳罰に処せられるのではないかと思えるような緊張感が漲っており、名門オーケストラの本気の必死さを味わうことができます。《ロンドン》のほうも理路整然とまとめられており、大オーケストラの迫力だけに終わらない完成度の高さには舌を巻くほかありません。もう少し遊び心があってもよいのではないかという意見もあろうかと思いますが、一切手抜きのない奏楽は、バスター・キートンの計算されつくした喜劇を想起させるものがあります。
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