1928年の日本ハナゲ學会第3分科會において瓢箪屋蓑吉氏が発表した「傳説の白ハナゲと黑ハナゲの脱色化の判別に關する文化論的一考察 ―ルウブル美術館をくまなく回ろうとして挫折したフレデリツク勅使河原氏の手記を中心に―」を再読したり、検証したりするBLOGではないことは確かなことです。ええ!確かなことですとも!
[Victor] Khatchaturian "Gayne" ballet in Three acts, seven scene with prologue 【VICC-60088~9】 (2CDs)
◈Aram Khachaturian: Gayne
St.Petersburg Radio Symphony Orchestra / Stanislas Gorkovenko
(Rec. September 1997, Large Studio of St.Petersburg Radio)
アラム・ハチャトゥリアン(Aram Khachaturian, 1903-1978)は、アルメニアの作曲家です。
小さい頃から、アルメニアの民謡を聴いて育ったハチャトゥリアンでしたが、当初さほど音楽家になろうと思わなかったそうです。18歳にモスクワの大学の入学試験を受けに行く途中に、たまたまモスクワ音楽院でのコンサートでベートーヴェンとラフマニノフの曲を聴いたのがきっかけで、作曲家になる決意をし、グネーシン音楽学校に入学して音楽の勉強を始めました。
当初は楽譜も読めず、楽器も何も出来なかったハチャトゥリアンでしたが、あっという間に音楽を体得し、モスクワ音楽院でニコライ・ミャスコフスキーらの指導を受けるまでになっています。ただし、作曲家として注目を集めるようになったのは、1936年に、ピアノ協奏曲を発表してからのことです。
1942年に発表したバレエ音楽《ガヤネー》(フランス語で「ガイーヌ」とも呼ばれる)は、特に〈剣の舞〉が様々なコンサートで取り上げられ、ハチャトゥリアンの名刺代わりになっています。
作品は完成された年の12月9日にペルミという町で、キーロフ・バレエ団によって初演されましたが、1957年にボリショイ劇場で取り上げられることになった時に、話の筋書きが変更され、それに伴い、曲数を増やしたり、オーケストレーションを改変したりしています。
ボリショイ劇場版のあらすじは、大まかに以下のとおりです。
とある時代のアルメニアの山村に、狩人の集団があり、その中でも狩りの名手だったのが、アルメンとゲオルギーであった。2人は親友である。
村娘のガイーヌとアルメンはカップルで、ゲオルギーにはまだ恋人がいなかった。
ある嵐の日に、ゲオルギーは山の娘のアイシャを助け、2人は恋仲になった。
しかし、アイシャを巡る疑惑から、アルメンとゲオルギーはお互い反目するようになってしまった。
ある日、アルメンがゲオルギーと一緒に狩りに出たとき、アルメンは崖から落ちてしまった。しかし、ゲオルギーはアルメンを助けようとしなかった。
アルメンはおかげで怪我から失明し、ゲオルギーは良心の呵責にさいなまれてしまう。アルメンはガイーヌとの将来を悲観するのであった。
収穫祭がやってきて、アルメンはしぶしぶ行事に参加する。
アルメンの弟子のカレンから銃を手渡され、目の包帯を外すと、アルメンの目は治癒していた。
ゲオルギーは、村人達の前で、アルメンに、崖に落ちたときに助けなかったことを詫び、アルメンはその罪を許し、大団円となった。
スタニスラス・ゴルコヴェンコ(Stanislas Gorkovenko, 1935-)指揮するサンクトペテルブルグ放送交響楽団の演奏は、このボリショイ劇場での上演版に基づいており、このバレエの全貌を知る上では、大変重要な録音となっています。
ただ、ゴルコヴェンコの録音は、資料的に貴重なだけでなく、その演奏自体も大変聴き映えのするものです。
有名な〈剣の舞〉や〈レスギンカ〉の躍動感もさることながら、〈子守歌〉のようなしっとりとした音楽でも、濃厚なオーケストラの色合いが素晴らしく、ゴルコヴェンコの作品に寄せる共感のほどが窺えます。
ゴルコヴェンコは、ハチャトゥリアンの郷里であるアルメニアとは地理的に結構近いアゼルバイジャン出身の指揮者です。そんなわけで、ハチャトゥリアンの音楽の文化的背景に、何か近いものを感じるのかもしれません。
小さい頃から、アルメニアの民謡を聴いて育ったハチャトゥリアンでしたが、当初さほど音楽家になろうと思わなかったそうです。18歳にモスクワの大学の入学試験を受けに行く途中に、たまたまモスクワ音楽院でのコンサートでベートーヴェンとラフマニノフの曲を聴いたのがきっかけで、作曲家になる決意をし、グネーシン音楽学校に入学して音楽の勉強を始めました。
当初は楽譜も読めず、楽器も何も出来なかったハチャトゥリアンでしたが、あっという間に音楽を体得し、モスクワ音楽院でニコライ・ミャスコフスキーらの指導を受けるまでになっています。ただし、作曲家として注目を集めるようになったのは、1936年に、ピアノ協奏曲を発表してからのことです。
1942年に発表したバレエ音楽《ガヤネー》(フランス語で「ガイーヌ」とも呼ばれる)は、特に〈剣の舞〉が様々なコンサートで取り上げられ、ハチャトゥリアンの名刺代わりになっています。
作品は完成された年の12月9日にペルミという町で、キーロフ・バレエ団によって初演されましたが、1957年にボリショイ劇場で取り上げられることになった時に、話の筋書きが変更され、それに伴い、曲数を増やしたり、オーケストレーションを改変したりしています。
ボリショイ劇場版のあらすじは、大まかに以下のとおりです。
とある時代のアルメニアの山村に、狩人の集団があり、その中でも狩りの名手だったのが、アルメンとゲオルギーであった。2人は親友である。
村娘のガイーヌとアルメンはカップルで、ゲオルギーにはまだ恋人がいなかった。
ある嵐の日に、ゲオルギーは山の娘のアイシャを助け、2人は恋仲になった。
しかし、アイシャを巡る疑惑から、アルメンとゲオルギーはお互い反目するようになってしまった。
ある日、アルメンがゲオルギーと一緒に狩りに出たとき、アルメンは崖から落ちてしまった。しかし、ゲオルギーはアルメンを助けようとしなかった。
アルメンはおかげで怪我から失明し、ゲオルギーは良心の呵責にさいなまれてしまう。アルメンはガイーヌとの将来を悲観するのであった。
収穫祭がやってきて、アルメンはしぶしぶ行事に参加する。
アルメンの弟子のカレンから銃を手渡され、目の包帯を外すと、アルメンの目は治癒していた。
ゲオルギーは、村人達の前で、アルメンに、崖に落ちたときに助けなかったことを詫び、アルメンはその罪を許し、大団円となった。
スタニスラス・ゴルコヴェンコ(Stanislas Gorkovenko, 1935-)指揮するサンクトペテルブルグ放送交響楽団の演奏は、このボリショイ劇場での上演版に基づいており、このバレエの全貌を知る上では、大変重要な録音となっています。
ただ、ゴルコヴェンコの録音は、資料的に貴重なだけでなく、その演奏自体も大変聴き映えのするものです。
有名な〈剣の舞〉や〈レスギンカ〉の躍動感もさることながら、〈子守歌〉のようなしっとりとした音楽でも、濃厚なオーケストラの色合いが素晴らしく、ゴルコヴェンコの作品に寄せる共感のほどが窺えます。
ゴルコヴェンコは、ハチャトゥリアンの郷里であるアルメニアとは地理的に結構近いアゼルバイジャン出身の指揮者です。そんなわけで、ハチャトゥリアンの音楽の文化的背景に、何か近いものを感じるのかもしれません。
PR
Comment
コメントの修正にはpasswordが必要です。任意の英数字を入力して下さい。
Clock
ブログ内検索
カウンター
カレンダー
10 | 2024/11 | 12 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | |||||
3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 |
10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 |
17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 |
24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 |
プロフィール
HN:
(´π`)
性別:
男性
自己紹介:
・・・。
カテゴリー
最新CM
[06/29 (^▽^)]
[06/16 ある晩のヴぇる君。]
[06/07 はじめまして]
[05/30 ある晩のヴぇる君。]
[05/29 ある晩のヴぇる君。]
最新TB
最新記事
(12/22)
(12/20)
(12/13)
(12/12)
(12/11)
アーカイブ
最古記事
(03/17)
(03/18)
(03/19)
(03/20)
(03/21)
地球儀もどき