1928年の日本ハナゲ學会第3分科會において瓢箪屋蓑吉氏が発表した「傳説の白ハナゲと黑ハナゲの脱色化の判別に關する文化論的一考察 ―ルウブル美術館をくまなく回ろうとして挫折したフレデリツク勅使河原氏の手記を中心に―」を再読したり、検証したりするBLOGではないことは確かなことです。ええ!確かなことですとも!
◈Morton Feldman: For John Cage
Paul Zukofsky (Vn)
Marianne Schroeder (Pf)
Marianne Schroeder (Pf)
(Rec. 7 April 1984, Sonographic Ag, Schlieren, Switzland)
モートン・フェルドマン(Morton Feldman, 1926-1984)は、ウォリングフォード・リーガー門下のアメリカの作曲家です。また、フェルドマンは、シュテファン・ヴォルペにも師事しており、20世紀の前衛音楽の世界では活躍を嘱望された人でした。
フェルドマンは、ジョン・ケージと出会ってから、当時のあらゆる作曲理論の体系から距離をとり、楽譜の書き方も音符を連ねるのではなく、図形を用いたことでも知られています。こうした図形楽譜による作品は、ケージやシルヴァーノ・ブゾッティ、ローマン・ハウベンシュトック=ラマティといった人たちが積極的に用いましたが、作曲者の意図と演奏者の解釈のズレが大きいために、前衛的作曲技法の主流にはならなかったようです。
しかし、フェルドマン自身は、事あるごとに図形楽譜での作品制作に挑戦しており、フェルドマンが亡くなる2年前に製作した《ジョン・ケージのために》も、図形楽譜の作品です。
本CDで演奏しているのは、ポール・ズーコフスキー(Paul Zukofsky, 1943-)とマリアンヌ・シュローダー(Marianne Schroeder, 1949-)です。ズーコフスキーはイヴァン・ガラミアン門下のヴァイオリニストですが、もっぱら同時代の作曲家の作品の紹介に使命感を燃やす名手です。もう一方のシュローダーは、ジャチント・シェルシの薫陶を受けたスイスの作曲家兼ピアニストです。両者とも、ケージとの親交を通じてフェルドマンの音楽にも通じており、20世紀の実験音楽のスペシャリスト同士の共演というだけあって、非常に興味深いセッションになっています。
ケージに捧げられたこの音楽は、ヴァイオリンとピアノで、無意図的発音の世界を作りだそうとした作品です。
ヴァイオリンはひたすらやる気なさそうにキコキコとヴァイオリンを鳴らし、それに呼応することなく、思い出したようにピアノのキーが当てもなく押されて音が鳴るといった風です。何かコミュニケーションをとるでもなく、お互いに交わり合わない独白を延々と続けることで、異様な静けさを作り上げています。か細い、まばらな音が、かえって沈黙の雄弁さと不気味さを引き出しているところに、本作品と演奏の醍醐味があると言えるでしょう。
フェルドマン自身は、晩年、こうした長時間の独白的な作品の在り方に限界を感じていて、新たな作風を確立しようと考えていましたが、結局新機軸を打ち出す前に肝臓癌で世を去っています。
フェルドマンは、ジョン・ケージと出会ってから、当時のあらゆる作曲理論の体系から距離をとり、楽譜の書き方も音符を連ねるのではなく、図形を用いたことでも知られています。こうした図形楽譜による作品は、ケージやシルヴァーノ・ブゾッティ、ローマン・ハウベンシュトック=ラマティといった人たちが積極的に用いましたが、作曲者の意図と演奏者の解釈のズレが大きいために、前衛的作曲技法の主流にはならなかったようです。
しかし、フェルドマン自身は、事あるごとに図形楽譜での作品制作に挑戦しており、フェルドマンが亡くなる2年前に製作した《ジョン・ケージのために》も、図形楽譜の作品です。
本CDで演奏しているのは、ポール・ズーコフスキー(Paul Zukofsky, 1943-)とマリアンヌ・シュローダー(Marianne Schroeder, 1949-)です。ズーコフスキーはイヴァン・ガラミアン門下のヴァイオリニストですが、もっぱら同時代の作曲家の作品の紹介に使命感を燃やす名手です。もう一方のシュローダーは、ジャチント・シェルシの薫陶を受けたスイスの作曲家兼ピアニストです。両者とも、ケージとの親交を通じてフェルドマンの音楽にも通じており、20世紀の実験音楽のスペシャリスト同士の共演というだけあって、非常に興味深いセッションになっています。
ケージに捧げられたこの音楽は、ヴァイオリンとピアノで、無意図的発音の世界を作りだそうとした作品です。
ヴァイオリンはひたすらやる気なさそうにキコキコとヴァイオリンを鳴らし、それに呼応することなく、思い出したようにピアノのキーが当てもなく押されて音が鳴るといった風です。何かコミュニケーションをとるでもなく、お互いに交わり合わない独白を延々と続けることで、異様な静けさを作り上げています。か細い、まばらな音が、かえって沈黙の雄弁さと不気味さを引き出しているところに、本作品と演奏の醍醐味があると言えるでしょう。
フェルドマン自身は、晩年、こうした長時間の独白的な作品の在り方に限界を感じていて、新たな作風を確立しようと考えていましたが、結局新機軸を打ち出す前に肝臓癌で世を去っています。
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