1928年の日本ハナゲ學会第3分科會において瓢箪屋蓑吉氏が発表した「傳説の白ハナゲと黑ハナゲの脱色化の判別に關する文化論的一考察 ―ルウブル美術館をくまなく回ろうとして挫折したフレデリツク勅使河原氏の手記を中心に―」を再読したり、検証したりするBLOGではないことは確かなことです。ええ!確かなことですとも!
◈Eric Satie: Les Adventures de Mercure
Orchestre du Paris / Pierre Dervaux
(Rec. September 1971)
◈Eric Satie: SocrateDanielle Millet (Ms: Alcibiade)
Andréa Guiot (S: Socrate)
Andrée Esposito (S: Phèdre)
Mady Mespré (S: Phédon)
Orchestre de Paris / Pierre Dervaux
Andréa Guiot (S: Socrate)
Andrée Esposito (S: Phèdre)
Mady Mespré (S: Phédon)
Orchestre de Paris / Pierre Dervaux
(Rec. September 1971
エリック・サティ(Eric Satie, 1866-1925)は、フランスの作曲家。
サティがひところブームになったとき、注目されたのは、作品そのものというより、その作品につけられたタイトルや、自筆譜などへの自らの落書き、そして彼の奇行譚から構成される彼の人物像でした。
また、サティの音楽のブームの頃から「癒し」というキーワードでクラシック音楽が表現されるようになったといえます。
サティの音楽が「癒し」というキーワードと結びついたのは、せかせか動くことの少ない、彼の作り出す音空間のまったり感に負う所が多いように思います。これみよがしな技巧的楽句を徹底排除し、極端なまでに音数を減らすことによって、饒舌さと真反対の清澄な音楽を作り出しています。
自分の存在を主張せず、ただそこにあるだけという音楽のあり方を追求した結果、サティの音楽は独自の立場を占めることになり、同時代の作曲家はもとより、前衛音楽の作家たちにまでリスペクトされ、研究される対象となりました。
しかし、サティの音楽は、その全てが均等に愛されているわけではなく、数々のピアノ曲に比べてオーケストラ曲や声楽曲が、一部を除いてなかなか光を当てられない状況が長く続きました。
本CDに収録された《メルキュールの冒険》や《ソクラテ》は、長いこと不遇な扱いをされてきた作品です。
《メルキュールの冒険》のメルキュールは、ギリシャ神話で言うところの商売と泥棒の神様で水星を司るヘルメス(ローマ神話ではメルクリウス)のことであり、化学物質の水銀をも暗に示しています。
1924年6月25日にパブロ・ピカソの装置・衣装、バレエ・リュスの振付師であるレオニード・マシーンの振り付けという鳴り物入りでル・シガールという劇場で公開された作品は、話の筋こそヘルメスことメルクリウスの様々な冒険を取り扱っていましたが、小さい曲を寄せ集めて作ったような、その作品の構造は、当時としては他に類のないもので、非常に注目を集めました。
まるで幻燈のように移り変わるその音楽を、ピエール・デルヴォー(Pierre Dervaux, 1917-1992)がパリ管弦楽団を使って演奏していますが、パリ管弦楽団としては、あまりなじみのないレパートリーだったのか、目を白黒させながらなんとか演奏しているような感じで、これらの音楽を持て余しています。
《ソクラテ》は、プラトンの『対話篇』等の著作のフランス語訳からテキストを抜き取り、ソクラテスの外見、在りし日のソクラテスの姿を描写した後、ソクラテスの臨終の場面へと移行していきます。
ソクラテスの外見的特徴を示す第一の場面では、アルキピデスの言が用いられ、この箇所をダニエル・ミレ(Danielle Millet)が歌います。
さらに、在りし日のソクラテスを描写する場面では、『パイドロス』におけるパイドロスとソクラテスの対話が用いられ、パイドロス役をンドレエ・エスポジート(Andrée Esposito, 1932-)、ソクラテス役をアンドレア・ギオー(Andréa Guiot, 1928-)が歌います。
最後のソクラテスの死の部分は、『パイドン』から毒を飲んで死に至るソクラテスに関するパイドンの証言が用いられ、マディ・メスプレ(Mady Mesplé, 1931-)がこの部分を歌っています。
プラトンの著作は、戯曲の形を借りながら、登場人物がただ長々と語りに語るだけの、劇的な展開のないものばかりですが、こうした著作からテキストを選ぶということ自体、劇的な音楽の展開への拒絶を意味しています。
19世紀の音楽までに培われてきた音楽は、サティにとってみれば、いわば退廃していく文化だったのでしょう。
退廃を食い止めるのは、原点に立ち戻って、自らの文化を問い直すことが求められます。
プラトンの著作をテキストに選んだのは、退廃への警句という意味合いもあったのかもしれません。
劇的な山場を演出するのを不自然なものとして退け、平明簡潔な音楽作りで音楽の原点を問い直そうとしたサティの考え方が、この音楽には見事に集約されています。
簡素な楽句の執拗な反復は、後年カール・オルフが《カルミナ・ブラーナ》で使い、大きな効果を上げていますが、サティの音楽は、オルフの派手な効果とは一線を画し、日本舞踊でいうところの素踊りのような洗練を感じさせます。
デルヴォー指揮するパリ管弦楽団は、幾分雑然とした演奏ですが、フランスの名歌手達の微妙なニュアンスに富んだ演奏に助けられ、サティの要求する淡さにしっかりと肉迫しています。
サティがひところブームになったとき、注目されたのは、作品そのものというより、その作品につけられたタイトルや、自筆譜などへの自らの落書き、そして彼の奇行譚から構成される彼の人物像でした。
また、サティの音楽のブームの頃から「癒し」というキーワードでクラシック音楽が表現されるようになったといえます。
サティの音楽が「癒し」というキーワードと結びついたのは、せかせか動くことの少ない、彼の作り出す音空間のまったり感に負う所が多いように思います。これみよがしな技巧的楽句を徹底排除し、極端なまでに音数を減らすことによって、饒舌さと真反対の清澄な音楽を作り出しています。
自分の存在を主張せず、ただそこにあるだけという音楽のあり方を追求した結果、サティの音楽は独自の立場を占めることになり、同時代の作曲家はもとより、前衛音楽の作家たちにまでリスペクトされ、研究される対象となりました。
しかし、サティの音楽は、その全てが均等に愛されているわけではなく、数々のピアノ曲に比べてオーケストラ曲や声楽曲が、一部を除いてなかなか光を当てられない状況が長く続きました。
本CDに収録された《メルキュールの冒険》や《ソクラテ》は、長いこと不遇な扱いをされてきた作品です。
《メルキュールの冒険》のメルキュールは、ギリシャ神話で言うところの商売と泥棒の神様で水星を司るヘルメス(ローマ神話ではメルクリウス)のことであり、化学物質の水銀をも暗に示しています。
1924年6月25日にパブロ・ピカソの装置・衣装、バレエ・リュスの振付師であるレオニード・マシーンの振り付けという鳴り物入りでル・シガールという劇場で公開された作品は、話の筋こそヘルメスことメルクリウスの様々な冒険を取り扱っていましたが、小さい曲を寄せ集めて作ったような、その作品の構造は、当時としては他に類のないもので、非常に注目を集めました。
まるで幻燈のように移り変わるその音楽を、ピエール・デルヴォー(Pierre Dervaux, 1917-1992)がパリ管弦楽団を使って演奏していますが、パリ管弦楽団としては、あまりなじみのないレパートリーだったのか、目を白黒させながらなんとか演奏しているような感じで、これらの音楽を持て余しています。
《ソクラテ》は、プラトンの『対話篇』等の著作のフランス語訳からテキストを抜き取り、ソクラテスの外見、在りし日のソクラテスの姿を描写した後、ソクラテスの臨終の場面へと移行していきます。
ソクラテスの外見的特徴を示す第一の場面では、アルキピデスの言が用いられ、この箇所をダニエル・ミレ(Danielle Millet)が歌います。
さらに、在りし日のソクラテスを描写する場面では、『パイドロス』におけるパイドロスとソクラテスの対話が用いられ、パイドロス役をンドレエ・エスポジート(Andrée Esposito, 1932-)、ソクラテス役をアンドレア・ギオー(Andréa Guiot, 1928-)が歌います。
最後のソクラテスの死の部分は、『パイドン』から毒を飲んで死に至るソクラテスに関するパイドンの証言が用いられ、マディ・メスプレ(Mady Mesplé, 1931-)がこの部分を歌っています。
プラトンの著作は、戯曲の形を借りながら、登場人物がただ長々と語りに語るだけの、劇的な展開のないものばかりですが、こうした著作からテキストを選ぶということ自体、劇的な音楽の展開への拒絶を意味しています。
19世紀の音楽までに培われてきた音楽は、サティにとってみれば、いわば退廃していく文化だったのでしょう。
退廃を食い止めるのは、原点に立ち戻って、自らの文化を問い直すことが求められます。
プラトンの著作をテキストに選んだのは、退廃への警句という意味合いもあったのかもしれません。
劇的な山場を演出するのを不自然なものとして退け、平明簡潔な音楽作りで音楽の原点を問い直そうとしたサティの考え方が、この音楽には見事に集約されています。
簡素な楽句の執拗な反復は、後年カール・オルフが《カルミナ・ブラーナ》で使い、大きな効果を上げていますが、サティの音楽は、オルフの派手な効果とは一線を画し、日本舞踊でいうところの素踊りのような洗練を感じさせます。
デルヴォー指揮するパリ管弦楽団は、幾分雑然とした演奏ですが、フランスの名歌手達の微妙なニュアンスに富んだ演奏に助けられ、サティの要求する淡さにしっかりと肉迫しています。
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