1928年の日本ハナゲ學会第3分科會において瓢箪屋蓑吉氏が発表した「傳説の白ハナゲと黑ハナゲの脱色化の判別に關する文化論的一考察 ―ルウブル美術館をくまなく回ろうとして挫折したフレデリツク勅使河原氏の手記を中心に―」を再読したり、検証したりするBLOGではないことは確かなことです。ええ!確かなことですとも!
CD1:
◈Claude Debussy: Préludes Livre 1
◈Claude Debussy: Images Livre 1
Claudio Arrau (Pf)
(Rec. March 1979, La Chaux-de-Fonds, Switzerland)
◈Claude Debussy: EstampesClaudio Arrau (Pf)
(Rec. April 1979, La Chaux-de-Fonds, Switzerland)
CD2:
◈Claude Debussy: Préludes Livre 2
Claudio Arrau (Pf)
(Rec. September 1979, La Chaux-de-Fonds, Switzerland)
◈Claude Debussy: Image Livre 2Claudio Arrau (Pf)
(Rec. March 1979, La Chaux-de-Fonds, Switzerland)
CD3:
◈Claude Debussy: Suite Bergamasque
◈Claude Debussy: Pour le piano
◈Claude Debussy: La plus que lente
Claudio Arrau (Pf)
(Rec. January 1991, La Chaux-de-Fonds, Switzerland)
◈Claude Debussy: Valse romantiqueClaudio Arrau (Pf)
(Rec. March 1991, La Chaux-de-Fonds, Switzerland)
チリ出身のピアニストであるクラウディオ・アラウ(Claudio Arrau, 1903-1991)は、ベルリン高等音楽院に留学してマルティン・クラウゼの門下となったということで、かのエトヴィン・フィッシャーと同門ということになります。
こうした経歴から分かるように、アラウはドイツ系の作品の演奏で名声を博してきました。
一方、フレデリック・フランソワ・ショパンやフランツ・リストらの作品も好んで弾いていたことが、彼のディスコグラフィからも確認できます。
そんなアラウがクロード・ドビュッシー(Claude Debussy, 1862-1918)の作品もフィリップス・レーベルに録音していたというのは、知る人ぞ知る事実です。
1979年に、スイスのラ・ショー・ド・フォンで、前奏曲集と映像のそれぞれ第1巻および第2巻、そして《版画》を録音していましたが、最晩年になって、ベルガマスク組曲、《ピアノのために》、《レントより遅く》、《ロマンティックなワルツ》を録音し、ドビュッシーのピアノ曲全集への期待が大いに高まりました。しかし、一連の録音を行ったおよそ3ヶ月後にアラウは急逝し、これらの録音は、選集という形で世に出ることになりました。
アラウの演奏は、アルトゥーロ・ベネデッティ=ミケランジェリのような研ぎ澄まされた音で、氷の彫刻を作るような芸当とは違い、また、マウリツィオ・ポリーニのようにガンガン弾き進んでドビュッシーに「これが貴様の書いた音楽だ!」と突きつけるような所作もありません。
また、詩的な感覚で雰囲気を操作するような演奏でもないので、「フランスのエスプリ」というキーワードでドビュッシーの音楽を展開しようとする向きには、「こんなものはドビュッシーではない!」と突き返されるかもしれません。
アラウの演奏は、ひたすら誠実に楽譜を読んで音として並べていく、ただそれだけの演奏のように思えます。
しかし、演奏するということの恣意性を廃し、作曲者の書いた音楽の再現に心を尽くすという、いわば当たり前のスタンスから紡ぎ出される音楽は、虚心に音楽を聴く人たちに、揺ぎない安心感を与えてくれます。
前奏曲集などは、その詩的なタイトルに振り回されることなく、じっくりとドビュッシーの書いた音たちを吟味する機会を与えてくれます。
2つの《映像》も、ややろれつが回らないところもありますが、勘所をしっかり押さえ、最後まで聴かせる魅力を放っています。70代半ばの人の録音としては、恐るべき完成度だといえるでしょう。
一連の晩年の録音は、水墨画のような枯淡の境地を垣間見せていますが、ベルガマスク組曲の〈月の光〉など、絶妙な間で音楽そのものに深呼吸させているようです。
ドビュッシーでおしゃれを気取る人には、なんだか鈍臭い演奏のように聴こえるかもしれませんが、じっくりと音楽を味わいたい人にとっては、聴けば聴くほどに味わいのでる演奏だといえるでしょう。
こうした経歴から分かるように、アラウはドイツ系の作品の演奏で名声を博してきました。
一方、フレデリック・フランソワ・ショパンやフランツ・リストらの作品も好んで弾いていたことが、彼のディスコグラフィからも確認できます。
そんなアラウがクロード・ドビュッシー(Claude Debussy, 1862-1918)の作品もフィリップス・レーベルに録音していたというのは、知る人ぞ知る事実です。
1979年に、スイスのラ・ショー・ド・フォンで、前奏曲集と映像のそれぞれ第1巻および第2巻、そして《版画》を録音していましたが、最晩年になって、ベルガマスク組曲、《ピアノのために》、《レントより遅く》、《ロマンティックなワルツ》を録音し、ドビュッシーのピアノ曲全集への期待が大いに高まりました。しかし、一連の録音を行ったおよそ3ヶ月後にアラウは急逝し、これらの録音は、選集という形で世に出ることになりました。
アラウの演奏は、アルトゥーロ・ベネデッティ=ミケランジェリのような研ぎ澄まされた音で、氷の彫刻を作るような芸当とは違い、また、マウリツィオ・ポリーニのようにガンガン弾き進んでドビュッシーに「これが貴様の書いた音楽だ!」と突きつけるような所作もありません。
また、詩的な感覚で雰囲気を操作するような演奏でもないので、「フランスのエスプリ」というキーワードでドビュッシーの音楽を展開しようとする向きには、「こんなものはドビュッシーではない!」と突き返されるかもしれません。
アラウの演奏は、ひたすら誠実に楽譜を読んで音として並べていく、ただそれだけの演奏のように思えます。
しかし、演奏するということの恣意性を廃し、作曲者の書いた音楽の再現に心を尽くすという、いわば当たり前のスタンスから紡ぎ出される音楽は、虚心に音楽を聴く人たちに、揺ぎない安心感を与えてくれます。
前奏曲集などは、その詩的なタイトルに振り回されることなく、じっくりとドビュッシーの書いた音たちを吟味する機会を与えてくれます。
2つの《映像》も、ややろれつが回らないところもありますが、勘所をしっかり押さえ、最後まで聴かせる魅力を放っています。70代半ばの人の録音としては、恐るべき完成度だといえるでしょう。
一連の晩年の録音は、水墨画のような枯淡の境地を垣間見せていますが、ベルガマスク組曲の〈月の光〉など、絶妙な間で音楽そのものに深呼吸させているようです。
ドビュッシーでおしゃれを気取る人には、なんだか鈍臭い演奏のように聴こえるかもしれませんが、じっくりと音楽を味わいたい人にとっては、聴けば聴くほどに味わいのでる演奏だといえるでしょう。
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