1928年の日本ハナゲ學会第3分科會において瓢箪屋蓑吉氏が発表した「傳説の白ハナゲと黑ハナゲの脱色化の判別に關する文化論的一考察 ―ルウブル美術館をくまなく回ろうとして挫折したフレデリツク勅使河原氏の手記を中心に―」を再読したり、検証したりするBLOGではないことは確かなことです。ええ!確かなことですとも!
CD1:
◈Claude Debussy: Pour le piano
Daniel Ericourt (Pf)
(Rec. Spring of 1962, New York City)
◈Claude Debussy: Children's CornerDaniel Ericourt (Pf)
(Rec. Spring of 1961, New York City)/div>◈Claude Debussy: La Plus que lente
◈Claude Debussy: L'Isle Joyeuse
◈Claude Debussy: Danse bohémienne
◈Claude Debussy: Nocturne
◈Claude Debussy: Ballade slave 'Ballade'
◈Claude Debussy: Berceuse héroïque
◈Claude Debussy: L'Isle Joyeuse
◈Claude Debussy: Danse bohémienne
◈Claude Debussy: Nocturne
Daniel Ericourt (Pf)
(Rec. Spring of 1962, New York City)
◈Claude Debussy: Mazurka◈Claude Debussy: Ballade slave 'Ballade'
◈Claude Debussy: Berceuse héroïque
Daniel Ericourt (Pf)
(Rec. Spring of 1961, New York City)
◈Claude Debussy: Hommage à HaydnDaniel Ericourt (Pf)
(Rec. Spring of 1962, New York City)/div>
CD2:
◈Claude Debussy: Images Book 1
◈Claude Debussy: Images Book 2
◈Claude Debussy: Estamps
◈Claude Debussy: Arabesque No.2
◈Claude Debussy: Masques
◈Claude Debussy: Valse romantique
◈Claude Debussy: Le petit négre
CD3:
◈Claude Debussy: Douze Études Books 1 & 2
◈Claude Debussy: Rêverie
CD4:
◈Claude Debussy: Préludes Books 1 & 2
CD2:
◈Claude Debussy: Images Book 1
◈Claude Debussy: Images Book 2
◈Claude Debussy: Estamps
Daniel Ericourt (Pf)
(Rec. Spring of 1961, New York City)
◈Claude Debussy: Arabesque No.1◈Claude Debussy: Arabesque No.2
◈Claude Debussy: Masques
Daniel Ericourt (Pf)
(Rec. Spring of 1962, New York City)
◈Claude Debussy: D'un cahier d'esquisses◈Claude Debussy: Valse romantique
◈Claude Debussy: Le petit négre
Daniel Ericourt (Pf)
(Rec. Spring of 1961, New York City)
CD3:
◈Claude Debussy: Douze Études Books 1 & 2
Daniel Ericourt (Pf)
(Rec. Spring of 1962, New York City)
◈Claude Debussy: Suite BergamasqueDaniel Ericourt (Pf)
(Rec. Sprng of 1961, New York City)
◈Claude Debussy: Tarentelle styrienne 'Danse'◈Claude Debussy: Rêverie
Daniel Ericourt (Pf)
(Rec. Sprng of 1962, New York City)
CD4:
◈Claude Debussy: Préludes Books 1 & 2
Daniel Ericourt (Pf)
(Rec. Spring of 1962, New York City )
ダニエル・エリクール(Daniel Ericourt, 1903-1998)の生誕100年を記念して2003年にリリースされた、クロード・ドビュッシー(Claude Debussy, 1862-1918)のピアノ独奏曲全集です。
パリ近郊のジョシニーで生まれたエリクールは、作曲家のジャン・ロジェ=デュカスに才能を認められ、9歳でパリ音楽院に入学して15歳でプルミエ・プリを取得したという秀才で、ジョルジュ・エネスコや舞踊家のイサドラ・ダンカンらと競演したことで知られています。
しかし、彼のドビュッシー演奏にのしをつけているのは、1917年のドビュッシーのチェロ・ソナタ初演のときに、ピアノを弾くドビュッシーの横で譜めくりをしていたという事実です。
パリ音楽院の在学中に、エリクールはドビュッシーの知己を得て、ドビュッシー家に自由に出入りしていました。
ドビュッシーの死後もドビュッシー家とは親密さを保ち続けていたという事実もあり、エリクールの演奏は作曲家の素顔を知る演奏家による演奏ということで、大きな意味を持っています。
エリクール本人は、1926年にアメリカに渡ってシンシナティ音楽院の教師を務めてからは、教育者と演奏家の二束のわらじを履き、ノース・カロライナ大学の芸術顧問まで務めています。
エリクールの交友関係も広く、パリ音楽院在学中にナディア・ブーランジェの授業で知り合ったアーロン・コープランドやロイ・ハリスは生涯を通じて友人でしたし、モーリス・ラヴェル、アルトゥール・オネゲル、アンリ・ラボー、レイナルド・アーン、ロシアから亡命してきたイーゴリ・ストラヴィンスキーやセルゲイ・プロコフィエフといった、20世紀の音楽界の重鎮達ともコネクションを持っていました。ブックレットの写真の中には、アンドレアス・セゴビアやフェデリコ・モンポウとのショット写真も収められており、彼の無尽蔵な交友関係の一端が見て取れます。
アメリカのアイヴォリー・レーベルは、エリクールが務めていたノース・カロライナ大学シャーロット校と連携し、Kappというマイナー・レーベルからリリースされていたドビュッシー作品全集をリリースすることで、演奏家としてのエリクールの側面に光を当てようとしています。
一応ステレオ録音ですが、音質はモノラル時代の音源だと思ってもいいかもしれません。
しかし、エリクールの演奏は、音質上の瑕疵などどこかへ吹き飛ばしてしまうようなインパクトがあります。
トリルだろうが同音連打だろうがアルペッジョだろうが、雰囲気めいた所作は一切エリクールは認めず、詩情をかなぐり捨てて、ひたすら曲の輪郭の明確化に意を注ぎます。
《映像》や《版画》などの諸曲ではすさまじい推進力を持っており、その演奏から受ける印象は、詩集というより英雄譚です。
音を寄せ集めて雰囲気を作るのではなく、この音が次に連なる音を導き出すために必要な音なのだという明確な意味づけがなされているがゆえに、エリクールの名において「かくあるべし」という音楽がしっかりと形作られているのです。
《スティリー風のタランテラ》など、下手なピアニストであれば音が瓦礫の山のようになるところですが、最初の一音から最後の一音に至るまで集中力が途切れることがなく、たかだか5分の曲で大伽藍を思わせるスケールを創出しています。
2つの前奏曲集でも、ただなんとなく弾いているうちにいい気分の曲が出来たなどといういい加減さはありません。
あいまいさを極力残さないというエリクールのアプローチは、全ての演奏で成功しているわけではなく、《英雄的な子守歌》などのスローテンポな音楽では、時折自らの技巧をもてあましている風にも聴こえます。
しかし、自分のスタンスを決して曲げようとしない演奏姿勢は、部分部分の瑕疵に目をつぶらせるだけの強い説得力があります。
パリ近郊のジョシニーで生まれたエリクールは、作曲家のジャン・ロジェ=デュカスに才能を認められ、9歳でパリ音楽院に入学して15歳でプルミエ・プリを取得したという秀才で、ジョルジュ・エネスコや舞踊家のイサドラ・ダンカンらと競演したことで知られています。
しかし、彼のドビュッシー演奏にのしをつけているのは、1917年のドビュッシーのチェロ・ソナタ初演のときに、ピアノを弾くドビュッシーの横で譜めくりをしていたという事実です。
パリ音楽院の在学中に、エリクールはドビュッシーの知己を得て、ドビュッシー家に自由に出入りしていました。
ドビュッシーの死後もドビュッシー家とは親密さを保ち続けていたという事実もあり、エリクールの演奏は作曲家の素顔を知る演奏家による演奏ということで、大きな意味を持っています。
エリクール本人は、1926年にアメリカに渡ってシンシナティ音楽院の教師を務めてからは、教育者と演奏家の二束のわらじを履き、ノース・カロライナ大学の芸術顧問まで務めています。
エリクールの交友関係も広く、パリ音楽院在学中にナディア・ブーランジェの授業で知り合ったアーロン・コープランドやロイ・ハリスは生涯を通じて友人でしたし、モーリス・ラヴェル、アルトゥール・オネゲル、アンリ・ラボー、レイナルド・アーン、ロシアから亡命してきたイーゴリ・ストラヴィンスキーやセルゲイ・プロコフィエフといった、20世紀の音楽界の重鎮達ともコネクションを持っていました。ブックレットの写真の中には、アンドレアス・セゴビアやフェデリコ・モンポウとのショット写真も収められており、彼の無尽蔵な交友関係の一端が見て取れます。
アメリカのアイヴォリー・レーベルは、エリクールが務めていたノース・カロライナ大学シャーロット校と連携し、Kappというマイナー・レーベルからリリースされていたドビュッシー作品全集をリリースすることで、演奏家としてのエリクールの側面に光を当てようとしています。
一応ステレオ録音ですが、音質はモノラル時代の音源だと思ってもいいかもしれません。
しかし、エリクールの演奏は、音質上の瑕疵などどこかへ吹き飛ばしてしまうようなインパクトがあります。
トリルだろうが同音連打だろうがアルペッジョだろうが、雰囲気めいた所作は一切エリクールは認めず、詩情をかなぐり捨てて、ひたすら曲の輪郭の明確化に意を注ぎます。
《映像》や《版画》などの諸曲ではすさまじい推進力を持っており、その演奏から受ける印象は、詩集というより英雄譚です。
音を寄せ集めて雰囲気を作るのではなく、この音が次に連なる音を導き出すために必要な音なのだという明確な意味づけがなされているがゆえに、エリクールの名において「かくあるべし」という音楽がしっかりと形作られているのです。
《スティリー風のタランテラ》など、下手なピアニストであれば音が瓦礫の山のようになるところですが、最初の一音から最後の一音に至るまで集中力が途切れることがなく、たかだか5分の曲で大伽藍を思わせるスケールを創出しています。
2つの前奏曲集でも、ただなんとなく弾いているうちにいい気分の曲が出来たなどといういい加減さはありません。
あいまいさを極力残さないというエリクールのアプローチは、全ての演奏で成功しているわけではなく、《英雄的な子守歌》などのスローテンポな音楽では、時折自らの技巧をもてあましている風にも聴こえます。
しかし、自分のスタンスを決して曲げようとしない演奏姿勢は、部分部分の瑕疵に目をつぶらせるだけの強い説得力があります。
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