1928年の日本ハナゲ學会第3分科會において瓢箪屋蓑吉氏が発表した「傳説の白ハナゲと黑ハナゲの脱色化の判別に關する文化論的一考察 ―ルウブル美術館をくまなく回ろうとして挫折したフレデリツク勅使河原氏の手記を中心に―」を再読したり、検証したりするBLOGではないことは確かなことです。ええ!確かなことですとも!
◈Karol Szymanowski: Symphony No.3 "Song of the Night", op.27
Wiesław Ochman (T)
Polish State Philharmonic Chorus (Chorus master: Jan Wojtacha)
Polish State Philharmonic Orchestra / Karol Stryja
Polish State Philharmonic Chorus (Chorus master: Jan Wojtacha)
Polish State Philharmonic Orchestra / Karol Stryja
(Rec. 18-20 February 1989, Silesian Philharmonic Hall, Katowice)
◈Karol Szymanowski: Symphony No.4 "Symphonic Concertante", op.60Tadeusz Żmudziński (Pf)
Polish State Philharmonic Orchestra / Karol Stryja
Polish State Philharmonic Orchestra / Karol Stryja
(Rec. 28-29 January 1989, Silesian Philharmonic Hall, Katowice)
◈Karol Szymanowski: Concert Overture, op.98Polish State Philharmonic Orchestra / Karol Stryja
(Rec. 19-22 November 1988, Silesian Philharmonic Hall, Katowice)
カロル・シマノフスキ(Karol Szymanowski, 1882-1937)はポーランドの作曲家です。
シマノフスキは、「ムトーダ・ポルスカ」(若きポーランド)の中心メンバーとして、19世紀から20世紀にかけてのポーランド音楽を牽引した重鎮です。
本CDでは、交響曲第3番(1914-1916年作)、交響曲第4番(1931-1932年作)と演奏会用序曲(1905年作)が収録されています。
演奏は、カロル・スティリャ(Karol Stryja, 1915-1998)指揮するポーランド国立フィルハーモニー管弦楽団が担当しており、交響曲第3番ではヴィエスワフ・オフマン(Wiesław Ochman, 1937-)とオーケストラ付属の合唱団が共演しています。
交響曲第4番では、ピアニストのタデウシュ・ツムジンスキ(Tadeusz Żmudziński, 1924-1992)が共演しています。
スティリャは、1945年にポーランド国立フィルハーモニー管弦楽団を創設し、第二次世界大戦後のポーランド音楽界を支えた大立者の一人ですが、メジャー・レーベルからのCDのリリースが少なく、知名度の点で損をしている人でもあります。
本CDの醍醐味は、ポーランド勢による本場の演奏が聴けることもさることながら、シマノフスキの作曲家としての作風の変化を追うことの出来る点にあると思います。
初期の演奏会用序曲では、シマノフスキが、リヒャルト・ヴァーグナーからリヒャルト・シュトラウスにかけての19世紀末のロマン主義音楽の影響下にあったことを知らしめてくれます。この曲がかもし出す音色は、まさしくリヒャルト・シュトラウスのそれです。
中期の作品に位置する交響曲第3番は、従来の交響曲の形式から離れ、表現主義的な傾向を強めた作品です。
シマノフスキは、このころを作曲したころには、フランス印象派の音楽の動向を見据えており、その音楽語法をしっかり体得していました。「夜の歌」という副題の与えられた本作品は、テノールと混声合唱を用いて、ある種カンタータのような様相を呈しています。
イスラム神秘主義であるスーフィズムの先駆者のジャラール・アッディン・ルーミーの遺した詩をモチーフにし、官能的で恍惚とした音楽を作り上げており、単純にフランス楽壇に追従したわけではないことを知らしめてくれます。
この曲を書くにあたって、シマノフスキは2度ほどしちるあ半島を訪れており、そこで見た夜景の神秘的な美しさが、この曲に写し取られているようです。
盟友のアルテュール・ルービンシュタインに献呈された交響曲第4番は、協奏交響曲とも呼ばれています。
晩年期のシマノフスキは、ワルシャワ音楽院の院長職を解かれ、さらにソ連の兵士たちに家財を破壊されて困窮し、生活費を稼ぐためにこの曲を作り、自らピアノ・パートを演奏していたとのことです。
しかし、ただ日銭を稼ぐためだけの曲ではなく、ポーランド人としての自らのアイデンティティを刻みつけようとしており、それが曲全体のスケール感にも影響を及ぼしています。
シマノフスキは、「ムトーダ・ポルスカ」(若きポーランド)の中心メンバーとして、19世紀から20世紀にかけてのポーランド音楽を牽引した重鎮です。
本CDでは、交響曲第3番(1914-1916年作)、交響曲第4番(1931-1932年作)と演奏会用序曲(1905年作)が収録されています。
演奏は、カロル・スティリャ(Karol Stryja, 1915-1998)指揮するポーランド国立フィルハーモニー管弦楽団が担当しており、交響曲第3番ではヴィエスワフ・オフマン(Wiesław Ochman, 1937-)とオーケストラ付属の合唱団が共演しています。
交響曲第4番では、ピアニストのタデウシュ・ツムジンスキ(Tadeusz Żmudziński, 1924-1992)が共演しています。
スティリャは、1945年にポーランド国立フィルハーモニー管弦楽団を創設し、第二次世界大戦後のポーランド音楽界を支えた大立者の一人ですが、メジャー・レーベルからのCDのリリースが少なく、知名度の点で損をしている人でもあります。
本CDの醍醐味は、ポーランド勢による本場の演奏が聴けることもさることながら、シマノフスキの作曲家としての作風の変化を追うことの出来る点にあると思います。
初期の演奏会用序曲では、シマノフスキが、リヒャルト・ヴァーグナーからリヒャルト・シュトラウスにかけての19世紀末のロマン主義音楽の影響下にあったことを知らしめてくれます。この曲がかもし出す音色は、まさしくリヒャルト・シュトラウスのそれです。
中期の作品に位置する交響曲第3番は、従来の交響曲の形式から離れ、表現主義的な傾向を強めた作品です。
シマノフスキは、このころを作曲したころには、フランス印象派の音楽の動向を見据えており、その音楽語法をしっかり体得していました。「夜の歌」という副題の与えられた本作品は、テノールと混声合唱を用いて、ある種カンタータのような様相を呈しています。
イスラム神秘主義であるスーフィズムの先駆者のジャラール・アッディン・ルーミーの遺した詩をモチーフにし、官能的で恍惚とした音楽を作り上げており、単純にフランス楽壇に追従したわけではないことを知らしめてくれます。
この曲を書くにあたって、シマノフスキは2度ほどしちるあ半島を訪れており、そこで見た夜景の神秘的な美しさが、この曲に写し取られているようです。
盟友のアルテュール・ルービンシュタインに献呈された交響曲第4番は、協奏交響曲とも呼ばれています。
晩年期のシマノフスキは、ワルシャワ音楽院の院長職を解かれ、さらにソ連の兵士たちに家財を破壊されて困窮し、生活費を稼ぐためにこの曲を作り、自らピアノ・パートを演奏していたとのことです。
しかし、ただ日銭を稼ぐためだけの曲ではなく、ポーランド人としての自らのアイデンティティを刻みつけようとしており、それが曲全体のスケール感にも影響を及ぼしています。
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