1928年の日本ハナゲ學会第3分科會において瓢箪屋蓑吉氏が発表した「傳説の白ハナゲと黑ハナゲの脱色化の判別に關する文化論的一考察 ―ルウブル美術館をくまなく回ろうとして挫折したフレデリツク勅使河原氏の手記を中心に―」を再読したり、検証したりするBLOGではないことは確かなことです。ええ!確かなことですとも!
◈Ludwig van Beethoven: Volin Sonata No.9 in A major, op.47 "Kreuzer"
Georges Enesco (Vn)
Céliny Chailley-Richez (Pf)
Céliny Chailley-Richez (Pf)
(Rec. 1952)
◈Robert Schumann: Sonata for Violin and Piano No.2 in D minor, op.121Georges Enesco (Vn)
Céliny Chailley-Richez (Pf)
Céliny Chailley-Richez (Pf)
(Rec. c.1952)
◈Felix Mendelssohn: 2nd movement from Violin Concerto in E minor, op.64Georges Enesco (Vn)
Orchestral accompaniment is unknown
Orchestral accompaniment is unknown
(Rec. Unknown)
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven, 1770-1827)のクロイツェル・ソナタとロベルト・シューマン(Robert Schumann, 1810-1856)のヴァイオリン・ソナタ第2番をカップリングしたアルバムです。
演奏はジョルジュ・エネスコ(Georges Enesco, 1881-1955)ノのヴァイオリンとセリニ・シャイエ=リシェ(Céliny Chailley-Richez, 1884-1973)のピアノです。
エネスコがこの演奏に望んだときには、70歳を超えた頃です。
若い頃のような霊妙なヴィブラートや、よくコントロールされたボウイングはもはや望むべくもないはずなのですが、クロイツェル・ソナタの最初の一音から思わずのけぞってしまうような気迫を感じさせます。
転びそうになっても、音程が怪しくなっても、曲が進むにつれて推進力がどんどん上がっていきます。
ベートーヴェンが目の前に現れ、大きな身振り手振りで曲の理解を迫っているかのような幻惑にとらわれる演奏であり、音程が上ずったり、音がかすれたりといった問題も、美点を損なうどころか、この曲を演奏する上での血肉の一部と化しているような気にさせられます。
クロイツェル・ソナタの両端楽章の、それこそ弓のワックスが散るような迫力も凄まじいのですが、この演奏の核心は、第2楽章にあります。シャイエ=リシェの感じ入ったピアノに先導されて入ってくるヴァイオリンの音色は、安息を求める美音ではなく、雄叫びを上げる衝動を押し殺した静寂です。表現意欲の固まりのようなエネスコのヴァイオリンは、変奏ごとに音色が変わり、時に愛くるしく、また時に狂おしい音で聴き手の耳に迫ってきます。
クロイツェル・ソナタの演奏だけで、十分お腹いっぱいになれるのですが、シューマンのヴァイオリン・ソナタは聴き手のイマジネーションを掻き立てる不思議な演奏です。
シューマンは、ドイツ・ロマンティークを代表する音楽家です。
その音楽にはドロドロとした情念がマグマのように底に流れており、そのマグマのような情念が時としていろんな形で噴出してきます。こうした情念の世界は、分析計測的なアプローチでは到底捉えきれるものではなく、作曲家の心情を汲み取りながら、一緒にのた打ち回るくらいの共感ができなければ、妙にしらけた音楽になってしまいます。
エネスコはシャイエ=リシェと共に、この音楽の中に沈潜し、天に昇ったかと思えば地獄へ突き落とされ、荒涼とした荒地をさまようようなふり幅の大きなシューマンの音楽世界にしっかりと食らいついています。
余白にフェリックス・メンデルスゾーン(Felix Mendelssohn, 1809-1847)のヴァイオリン協奏曲(ホ短調)から第2楽章が収録されていますが、これもまたただ事ではない演奏です。
この曲が好きな人にとっては、刷毛でなでるような心地よさを提供してくれる楽章として認知されますが、この演奏は見てはいけない正体を見せてしまったような、ただならぬ雰囲気を湛えた演奏になっています。望むらくは、この全曲録音が聴いてみたいところ。
演奏はジョルジュ・エネスコ(Georges Enesco, 1881-1955)ノのヴァイオリンとセリニ・シャイエ=リシェ(Céliny Chailley-Richez, 1884-1973)のピアノです。
エネスコがこの演奏に望んだときには、70歳を超えた頃です。
若い頃のような霊妙なヴィブラートや、よくコントロールされたボウイングはもはや望むべくもないはずなのですが、クロイツェル・ソナタの最初の一音から思わずのけぞってしまうような気迫を感じさせます。
転びそうになっても、音程が怪しくなっても、曲が進むにつれて推進力がどんどん上がっていきます。
ベートーヴェンが目の前に現れ、大きな身振り手振りで曲の理解を迫っているかのような幻惑にとらわれる演奏であり、音程が上ずったり、音がかすれたりといった問題も、美点を損なうどころか、この曲を演奏する上での血肉の一部と化しているような気にさせられます。
クロイツェル・ソナタの両端楽章の、それこそ弓のワックスが散るような迫力も凄まじいのですが、この演奏の核心は、第2楽章にあります。シャイエ=リシェの感じ入ったピアノに先導されて入ってくるヴァイオリンの音色は、安息を求める美音ではなく、雄叫びを上げる衝動を押し殺した静寂です。表現意欲の固まりのようなエネスコのヴァイオリンは、変奏ごとに音色が変わり、時に愛くるしく、また時に狂おしい音で聴き手の耳に迫ってきます。
クロイツェル・ソナタの演奏だけで、十分お腹いっぱいになれるのですが、シューマンのヴァイオリン・ソナタは聴き手のイマジネーションを掻き立てる不思議な演奏です。
シューマンは、ドイツ・ロマンティークを代表する音楽家です。
その音楽にはドロドロとした情念がマグマのように底に流れており、そのマグマのような情念が時としていろんな形で噴出してきます。こうした情念の世界は、分析計測的なアプローチでは到底捉えきれるものではなく、作曲家の心情を汲み取りながら、一緒にのた打ち回るくらいの共感ができなければ、妙にしらけた音楽になってしまいます。
エネスコはシャイエ=リシェと共に、この音楽の中に沈潜し、天に昇ったかと思えば地獄へ突き落とされ、荒涼とした荒地をさまようようなふり幅の大きなシューマンの音楽世界にしっかりと食らいついています。
余白にフェリックス・メンデルスゾーン(Felix Mendelssohn, 1809-1847)のヴァイオリン協奏曲(ホ短調)から第2楽章が収録されていますが、これもまたただ事ではない演奏です。
この曲が好きな人にとっては、刷毛でなでるような心地よさを提供してくれる楽章として認知されますが、この演奏は見てはいけない正体を見せてしまったような、ただならぬ雰囲気を湛えた演奏になっています。望むらくは、この全曲録音が聴いてみたいところ。
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