1928年の日本ハナゲ學会第3分科會において瓢箪屋蓑吉氏が発表した「傳説の白ハナゲと黑ハナゲの脱色化の判別に關する文化論的一考察 ―ルウブル美術館をくまなく回ろうとして挫折したフレデリツク勅使河原氏の手記を中心に―」を再読したり、検証したりするBLOGではないことは確かなことです。ええ!確かなことですとも!
◈Georges Bizet: Symphony in C major
Orchestre National de la Radiodiffusion Française / Thomas Beecham
(Rec. 28 October & 1, 2 November 1959, Salle Wagram, Paris)
◈Édouard Lalo: Symphony in D minorOrchestre National de la Radiodiffusion Française / Thomas Beecham
(Rec. 1-4 December 1959, Salle Wagram, Paris)
本CDでは、トマス・ビーチャム(Thomas Beecham, 1879-1961)によるジョルジュ・ビゼー(Georges Bizet, 1838-1875)とエドゥアール・ラロ(Édouard Lalo, 1823-1892)の交響曲を収録しています。オーケストラはフランス国立放送管弦楽団を起用しての録音です。ビーチャムは、1958年に同じ面子でこの2曲を録音しましたが、EMIでステレオ録音が導入されると、すぐさま再録音しました。ここに収録されている演奏は、その再録音盤です。
ビゼーは、パリ音楽院でシャルル・グノーやジャック=フロマンタール・アレヴィに作曲を師事し、19歳のときにカンタータ《クローヴィスとクロティルデ》でローマ大賞を受賞して作曲家として活躍するようになりました。
元々ピアニストとしての腕前もあり、フランツ・リストをも驚倒させたほどでしたが、大当たりするとデカいオペラの作曲に精を出すようになりました。
この交響曲は、ビゼーが17歳の時、すなわちパリ音楽院で音楽修行をしていた時期の作品です。しかし、ビゼーは書き上げたこの曲を発表することなく、そのまま37歳で世を去ります。交響曲の作曲は、おそらく師匠のグノーの交響曲に触発されてのことでもあったでしょうし、音楽院での宿題でもあったのでしょう。ただ、師匠の作風に似てしまったのが恥ずかしかったのか、初演することなくしまいこんでしまいました。
この曲が取り沙汰されたのは、レイナルド・アーンがビゼー未亡人から楽譜を貰い受けて、1933年にパリ音楽院の図書館に寄贈してからのことです。その楽譜にイギリスの評論家が目をつけ、作品の存在を明るみに出し、1935年にフェリックス・ヴァインガルトナー指揮するバーゼル交響楽団の演奏で初演されました。
ビーチャムもこの作品を気に入っており、この曲を積極的に録音することで、この作品の知名度向上に貢献しました。
ラロの交響曲といえば、1875年に書かれたヴァイオリン協奏曲の《スペイン交響曲》がとりわけ有名ですが、ビーチャムが演奏しているのは1886年に作曲された作品です。この曲が作曲された頃、カミーユ・サン=サーンスがオルガン付きの交響曲を作ってみたり、セザール・フランクが循環形式で3楽章による交響曲を発表したりと、交響曲に新たな発想を盛り込むことが盛んになってきていました。
ラロは、敢えて伝統的な4楽章構成の交響曲を書き、ドイツの18世紀から19世紀にかけて醸成された交響曲形式の見直しを呼びかけたのでした。
ただし、時代は革新の度合いを強めており、ラロの作った交響曲はさほど話題になりませんでした。
確かに、この交響曲には目新しい語法は組み込まれていませんが、ビーチャムの演奏で聴くと、洒脱な味わいを醸し出しています。
ビゼーは、パリ音楽院でシャルル・グノーやジャック=フロマンタール・アレヴィに作曲を師事し、19歳のときにカンタータ《クローヴィスとクロティルデ》でローマ大賞を受賞して作曲家として活躍するようになりました。
元々ピアニストとしての腕前もあり、フランツ・リストをも驚倒させたほどでしたが、大当たりするとデカいオペラの作曲に精を出すようになりました。
この交響曲は、ビゼーが17歳の時、すなわちパリ音楽院で音楽修行をしていた時期の作品です。しかし、ビゼーは書き上げたこの曲を発表することなく、そのまま37歳で世を去ります。交響曲の作曲は、おそらく師匠のグノーの交響曲に触発されてのことでもあったでしょうし、音楽院での宿題でもあったのでしょう。ただ、師匠の作風に似てしまったのが恥ずかしかったのか、初演することなくしまいこんでしまいました。
この曲が取り沙汰されたのは、レイナルド・アーンがビゼー未亡人から楽譜を貰い受けて、1933年にパリ音楽院の図書館に寄贈してからのことです。その楽譜にイギリスの評論家が目をつけ、作品の存在を明るみに出し、1935年にフェリックス・ヴァインガルトナー指揮するバーゼル交響楽団の演奏で初演されました。
ビーチャムもこの作品を気に入っており、この曲を積極的に録音することで、この作品の知名度向上に貢献しました。
ラロの交響曲といえば、1875年に書かれたヴァイオリン協奏曲の《スペイン交響曲》がとりわけ有名ですが、ビーチャムが演奏しているのは1886年に作曲された作品です。この曲が作曲された頃、カミーユ・サン=サーンスがオルガン付きの交響曲を作ってみたり、セザール・フランクが循環形式で3楽章による交響曲を発表したりと、交響曲に新たな発想を盛り込むことが盛んになってきていました。
ラロは、敢えて伝統的な4楽章構成の交響曲を書き、ドイツの18世紀から19世紀にかけて醸成された交響曲形式の見直しを呼びかけたのでした。
ただし、時代は革新の度合いを強めており、ラロの作った交響曲はさほど話題になりませんでした。
確かに、この交響曲には目新しい語法は組み込まれていませんが、ビーチャムの演奏で聴くと、洒脱な味わいを醸し出しています。
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