1928年の日本ハナゲ學会第3分科會において瓢箪屋蓑吉氏が発表した「傳説の白ハナゲと黑ハナゲの脱色化の判別に關する文化論的一考察 ―ルウブル美術館をくまなく回ろうとして挫折したフレデリツク勅使河原氏の手記を中心に―」を再読したり、検証したりするBLOGではないことは確かなことです。ええ!確かなことですとも!
◈Dmitri Shostakovich: Symphony No.1 in F minor, op.10
Siegfried Stöckigt (Pf), György Garay (Vn)
Rundfunk-Simfonie-Orchester Leipzig / Herbert Kegel
Rundfunk-Simfonie-Orchester Leipzig / Herbert Kegel
(Rec. 1962, Kongreßhalle)
◈Dmitri Shostakovich: Concerto for Piano Trumpet and Strings in C minor, op.35Günter Kootz (Pf), Willy Krug (Tp)
Berliner Rundfunk-Simfonie-Orchester / Rolf Kleinert
(Rec. 1962, Kongreßhalle)
ドミトリー・ショスタコーヴィチ(Dmitri Shostakovich, 1906-1975)は旧ソ連を代表する作曲家の一人です。
旧ソ連の御用作曲家の一人と目されていたショスタコーヴィチですが、1979年にソロモン・ヴォルコフが『ショスタコーヴィチの証言』という本を発表してから、体制側の作曲家という顔がフェイクであったことが取り沙汰され、その作品解釈にヒネリが加わるようになりました。
ヴォルコフの本は、その後偽書のレッテルを貼られることになりましたが、この本の出現によって、政治的アイロニーを含んだ演奏解釈が広く浸透しました。
本CDに収録されている作品は、1924年から翌年にかけてモスクワ音楽院の卒業制作として作られた交響曲第1番(op.10)と、1933年に発表されたピアノ協奏曲第1番(op.35)です。交響曲のほうは、ヘルベルト・ケーゲル(Herbert Kegel, 1920-1970)指揮するライプツィヒ放送交響楽団(現:MDR交響楽団)が担当しています。CDでは、コンサート・マスターを務めていたハンガリー人のジェルジ・ガライ(György Garay、1909-1988)とドイツ人ピアニストのジークフリート・シュテッキクト(Siegfried Stöckigt, 1929-)の名前がクレジットされています。
この交響曲は、ショスタコーヴィチの名声を一気に高めた作品で、アルバン・ベルクやアルトゥーロ・トスカニーニらから名作として賞賛されました。ただし、ショスタコーヴィチの指導教官だったアレクサンデル・グラズノフはこの曲を気に入っていなかったようです。後年の交響曲のような思わせぶりな皮肉は感じられず、才気煥発な青年の意欲的な作品として大変聴き応えがありますが、おそらく、そのモダンな感性をグラズノフは快く思わなかったのでしょう。
ケーゲルはライプツィヒ放送交響楽団を徹底的にしごいて、一糸乱れぬアンサンブルを実現しています。めまぐるしく変わる主題も性格的にしっかりと描き分けています。軽妙洒脱ではないものの、オーケストラからどっしりとした響きと機能性の高い合奏能力を引き出しており、文句のつけようのない演奏に仕上がっています。
ピアノ協奏曲は、ギュンター・コーツ(Günter Kootz, 1929-)のピアノと、ロルフ・クライネルト(Rolf Kleinert, 1911-1975)指揮するベルリン放送交響楽団による演奏です。このピアノ協奏曲は、ピアノと弦楽合奏にトランペットを加えた作品で、ピアノほど出番が多いわけではありませんが、重要な役割を果たしています。トランペットは、このオーケストラの首席奏者のヴィリー・クルーク(Willy Krug)が吹いています。
ハイドンやベートーヴェンの作品の楽句をちりばめながら、それを嘲笑するかのように走り回るピアノと、そのピアノに合いの手を入れるトランペットがコメディ・タッチの味わいを醸し出しています。
クライネルト指揮するベルリン放送交響楽団の演奏は、皮肉っぽさをことさら強調するわけではなく、第2楽章ではうっとりするようなカンタービレを引き出しています。
コーツのピアノも丁寧で、感銘深い演奏を展開しています。
旧ソ連の御用作曲家の一人と目されていたショスタコーヴィチですが、1979年にソロモン・ヴォルコフが『ショスタコーヴィチの証言』という本を発表してから、体制側の作曲家という顔がフェイクであったことが取り沙汰され、その作品解釈にヒネリが加わるようになりました。
ヴォルコフの本は、その後偽書のレッテルを貼られることになりましたが、この本の出現によって、政治的アイロニーを含んだ演奏解釈が広く浸透しました。
本CDに収録されている作品は、1924年から翌年にかけてモスクワ音楽院の卒業制作として作られた交響曲第1番(op.10)と、1933年に発表されたピアノ協奏曲第1番(op.35)です。交響曲のほうは、ヘルベルト・ケーゲル(Herbert Kegel, 1920-1970)指揮するライプツィヒ放送交響楽団(現:MDR交響楽団)が担当しています。CDでは、コンサート・マスターを務めていたハンガリー人のジェルジ・ガライ(György Garay、1909-1988)とドイツ人ピアニストのジークフリート・シュテッキクト(Siegfried Stöckigt, 1929-)の名前がクレジットされています。
この交響曲は、ショスタコーヴィチの名声を一気に高めた作品で、アルバン・ベルクやアルトゥーロ・トスカニーニらから名作として賞賛されました。ただし、ショスタコーヴィチの指導教官だったアレクサンデル・グラズノフはこの曲を気に入っていなかったようです。後年の交響曲のような思わせぶりな皮肉は感じられず、才気煥発な青年の意欲的な作品として大変聴き応えがありますが、おそらく、そのモダンな感性をグラズノフは快く思わなかったのでしょう。
ケーゲルはライプツィヒ放送交響楽団を徹底的にしごいて、一糸乱れぬアンサンブルを実現しています。めまぐるしく変わる主題も性格的にしっかりと描き分けています。軽妙洒脱ではないものの、オーケストラからどっしりとした響きと機能性の高い合奏能力を引き出しており、文句のつけようのない演奏に仕上がっています。
ピアノ協奏曲は、ギュンター・コーツ(Günter Kootz, 1929-)のピアノと、ロルフ・クライネルト(Rolf Kleinert, 1911-1975)指揮するベルリン放送交響楽団による演奏です。このピアノ協奏曲は、ピアノと弦楽合奏にトランペットを加えた作品で、ピアノほど出番が多いわけではありませんが、重要な役割を果たしています。トランペットは、このオーケストラの首席奏者のヴィリー・クルーク(Willy Krug)が吹いています。
ハイドンやベートーヴェンの作品の楽句をちりばめながら、それを嘲笑するかのように走り回るピアノと、そのピアノに合いの手を入れるトランペットがコメディ・タッチの味わいを醸し出しています。
クライネルト指揮するベルリン放送交響楽団の演奏は、皮肉っぽさをことさら強調するわけではなく、第2楽章ではうっとりするようなカンタービレを引き出しています。
コーツのピアノも丁寧で、感銘深い演奏を展開しています。
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