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1928年の日本ハナゲ學会第3分科會において瓢箪屋蓑吉氏が発表した「傳説の白ハナゲと黑ハナゲの脱色化の判別に關する文化論的一考察 ―ルウブル美術館をくまなく回ろうとして挫折したフレデリツク勅使河原氏の手記を中心に―」を再読したり、検証したりするBLOGではないことは確かなことです。ええ!確かなことですとも!
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◈オルネラ・ヴォルタ 編 岩崎 力 訳『エリック・サティ文集』 白水社、1996年。


図版や未公開資料を駆使してフランス人エリック・サティ(Erik Satie, 1866-1925)の実像を描き出す、イタリア人サティ研究家のオルネラ・ヴォルタ(Ornella Volta, 1927-)の著作のひとつ。彼女のコレクター根性が発揮された名編集もさることながら、皮肉に満ちた辛口なサティの言葉が、これでもかというくらいに味わえます。
ヴォルタは、なんでも、3巻からなるサティ全集を刊行したとのことで、この本は、その第一巻に相当するんだとか。(第二巻に相当する本は『書簡から見るサティ』として中央公論社からすでに出版済。)
この『エリック・サティ文集』は、フランス語の初版が1977年です。日本で出版されるまでに20年近くの歳月が流れているので、今日ではサティの落書き全集などと大きなことは言えなくなりました。このおよそ20年のあいだにも、ヴォルタはせっせとコレクションを増やし、本をせっせと書いています。それでも、サティを研究する人たちにとっては、第一級の公開資料です。

閑話休題。このサティの落書き集は、実際のところ、落書きとして一笑に付すことのできない、さまざまな問いかけが、そこに散りばめられています。
例えば、この本の47ページから52ページにわたって書かれている「音楽時評」というお話。
このお話では、サティは、アルベール・ルーセル(彼は、サティがスコラ・カントールムに入学したときの和声法の担当教官だった)の交響曲をパドルー管弦楽団が取り上げた時の話が導入口になっています。
サティ自身は、この交響曲を美しい曲だと思いましたが、伝統あるパドルー管弦楽団がめちゃくちゃな演奏をやってのけ、「ローマ賞」(フランスで最も権威ある作曲賞)の受賞者が、作曲者のルーセルを評してアマチュア扱いしたのでした。
最高権威のローマ賞受賞者とは、サティ自身が書いて曰く「すぐれた、ずばぬけた、第一級の、並みはずれた、枯渇した、このうえなく稀な存在」であり、そんな受賞者が「アマチュア」と断じたルーセルは、「すぐれてもいなければ、ずば抜けてもおらず、第一級でもなければ、並みはずれてもおらず、枯渇もしていないし、このうえなく稀でもない」存在と扱われることになります。まぁ、この「枯渇」という言葉にサティならではの皮肉が混ぜ合わされているわけですが、なにはともあれ、受賞者は、自分は自分のことを優等だと見なし、自分がアマチュアだと断じた人を明らかに劣等だと見下しているわけです。そういった受賞者の傲慢を目の当たりにし、サティはポツリとつぶやきます。
「『ナントカ賞受賞者』って、いったいなに?」

・・・・・・。

あともう一例として、65ページに記載されている「兵営はごめんだ」という一文。
「私がドビュッシーを攻撃することは絶対にない。私にとって不愉快なのはドビュッシー主義者たちだけだ。サティ派は存在しない。サティ主義などというものは存在するはずがないのだ。私自身が反対するはずだ。
芸術の領域に奴隷制度があってはならない。私はこれまで新しい作品を発表するたびに、つねに形式的にも内容的にも追従者を当惑させようと努めてきた。芸術家が一派の首領になる、言い換えれば「大御所ぶる男」になるのを避けるには、そうするしかない。
最後期の印象主義音楽にみられる、田舎じみた職業的倦怠の習慣から抜け出すのに手を貸してくれるコクトーに感謝しよう」

これはなんというか、カール・マルクスがマルクス派の集会に出かけていってポツリともらした「私はマルクス派ではない」という言葉と通じるものがあります。自分の芸術を追随したり持ち上げたりする人たちが、自分の芸術を結局のところ退廃させ堕落させてしまうという問題で、これはパイオニアの深刻な悩みでもあります。
安直な追随や賞賛は、芸術における奴隷制度なわけです。サティは、自らが自らの奴隷になるということをも避けるために、常に新しいことに挑戦し、追随者が生まれないように細心の注意を踏まえて振舞ってきたわけですね。こうした文章からも、彼の奇行の真意の一部が少しでも汲み取れるのではないでしょうか?
最後のコクトーへの感謝の言葉は、「ドビュッシー派」の退廃を見限り、さらに新たな芸術の道を開いてくれる―とサティが信じた―コクトーへの、ちょっとした賛辞です。

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