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1928年の日本ハナゲ學会第3分科會において瓢箪屋蓑吉氏が発表した「傳説の白ハナゲと黑ハナゲの脱色化の判別に關する文化論的一考察 ―ルウブル美術館をくまなく回ろうとして挫折したフレデリツク勅使河原氏の手記を中心に―」を再読したり、検証したりするBLOGではないことは確かなことです。ええ!確かなことですとも!
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◈Dmitri Shostakovich: Piano Quintet, op.57
Dmitri Shostakovich (Pf)
Beethoven Quartet
{Dmitri Tsyganov (1st Vn), Vassily Shirinsky(2nd Vn),
Vadim Borisovsky (Vla), Sergei Shirinsky (Vc)}
(Rec. 1950s, Moscow)
◈Dmitri Shostakovich: Piano Concerto No.1 in C minor, op.35
Dmitri Shostakovich (Pf)
Iosif Volovnik (Tp)
Moscow Philharmonic Orchestra / Samuil Samosud
(Rec. 1957, Moscow)
◈Dmitri Shostakovich: Piano Concerto No.2 in F major, op.102
Dmitri Shostakovich (Pf)
Moscow Radio Symphony Orchestra / Alexandr Gauk
(Rec. 1958, Moscow)
◈Dmitri Shostakovich: Concertino for Two Pianos
Dmitri Shostakovich (1st Pf)
Maxim Shostakovich (2nd Pf)
(Rec. 1956, Moscow)



ドミトリー・ショスタコーヴィチ(Dmitri Shostakovich, 1905-1975)は旧ソ連の作曲家です。
しかし、彼はサンクトペテルブルク音楽院のピアノ科を卒業しており、ピアニストとしての腕前も持っていたことが知られています。1927年には第一回目のショパン国際ピアノ・コンクールにトライしましたが、結局のところ名誉賞をもらうだけにとどまっています。時々、ショパン・コンクールの第2位に入賞したと書いている人がいますが、ショパン・コンクールの記録によれば、スタニスラフ・スピナルスキというポーランドのピアニストが第2位とのことでした。

ショスタコーヴィチには、いっぱい友達がいましたが、ベートーヴェン四重奏団も、そのうちの一グループです。
ドミトリ・ツィガーノフ、ヴァシリー・シリンスキー、ヴァディム・ボリソフスキー、セルゲイ・シリンスキーは、皆モスクワ音楽院の卒業生で、1923年からこの4人で演奏活動をしています。ショスタコーヴィチの15曲ある弦楽四重奏曲のうち、13曲の初演を担当しているのは、このベートーヴェン四重奏団でした。
本CDに収録されているショスタコーヴィチのピアノ五重奏曲は、ベートーヴェン四重奏団と競演するために作ったような曲です。
〈前奏曲〉〈フーガ〉〈スケルツォ〉〈間奏曲〉〈フィナーレ〉の5楽章からなり、第1楽章と第2楽章が続けて演奏されることで、J.S.バッハの「前奏曲とフーガ」という様式を想起させます。ちょっとしたお遊びとしての第3楽章をはさんで、第4楽章と第5楽章もアタッカで演奏されますが、この第4楽章と第5楽章の関係は第1楽章と第2楽章の関係とは異なり、第4楽章では黙祷するかのような瞑想性を示し、第5楽章では第4楽章で示した本心をはぐらかすかのような諧謔性で曲を閉じます。
ピアニストのショスタコーヴィチはかなりぶっきらぼうな弾き方ですが、ベートーヴェン四重奏団が精密なアンサンブルがしっかりと色付けし、ショスタコーヴィチのピアノを皮肉めいた印象にしています。
第4楽章では、作曲者本人のピアノも雰囲気豊かで、彼が実は表現力の豊かなピアニストだったことを教えてくれます。

ピアノ協奏曲第1番は、1933年に発表された、弦楽合奏にトランペットを加えたオーケストラとピアノのための協奏曲です。ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの《熱情》ソナタをパロディにしてみたり、ヨーゼフ・ハイドンのピアノ・ソナタの一節を引用したりと、遊び心が随所に見られる作品でした。トランペットの活躍が目立つのは、構想段階でトランペット協奏曲だった名残なのだとか。
作曲者自身のピアノは、曲が進むにつれて暴走していき、第4楽章では勢いあまって錯乱寸前の状態になっております。伴奏はサムイル・サモスード(Samuil Samosud, 1884-1964)率いるモスクワ・フィルハーモニ管弦楽団と、このオーケストラの首席奏者だったイオシフ・ヴォロヴニク(Iosif Volovnik)が務めていますが、ショスタコーヴィチのピアノの暴走に振り回されて、息を切らしています。

ピアノ協奏曲第2番は1957年に作られたもの。息子のマキシムがモスクワ音楽院に在学中で、この協奏曲はその息子の演奏用に作った曲とのことです。息子の使っていたピアノの練習教材を引用しながら、エネルギッシュな音楽に仕立て上げているのは、ショスタコーヴィチの練達の手腕の証左でしょう。
本CDでは、アレクサンデル・ガウク(Alexandr Gauk, 1893-1963)指揮するモスクワ放送交響楽団が伴奏を務めていますが、ガウクはこのとき、ニコライ・ゴロヴァノフからこのオーケストラの首席指揮者の任を引き継いだばかりだったのでしょう。いささか雑な仕上がりになっております。
ショスタコーヴィチのピアノも、第1番の協奏曲ほどではないにしても、いささか落ち着きのない演奏です。

最後に収録されているコンチェルティーノは、二台のピアノのためのコンチェルティーノで、ピアニスト2人だけで演奏する作品です。これも息子マキシムの為に書いた作品で、1954年にマキシムと、その友人で初演しました。この録音は、作曲者である父と被献呈者である息子の共演となります。
ここでは、協奏曲2曲でみせた暴走的な属性は潜め、息子の歩調に合わせた演奏を聴かせています。

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