1928年の日本ハナゲ學会第3分科會において瓢箪屋蓑吉氏が発表した「傳説の白ハナゲと黑ハナゲの脱色化の判別に關する文化論的一考察 ―ルウブル美術館をくまなく回ろうとして挫折したフレデリツク勅使河原氏の手記を中心に―」を再読したり、検証したりするBLOGではないことは確かなことです。ええ!確かなことですとも!
◈Béla Bartók: Violin Sonata No.2
◈Igor Stravinsky: Duo Concertante pour violon et piano
◈Claude Debussy: Violin Sonata in G minor
◈Arthur Honegger: Violin Sonata No.1
◈Anton Webern: Four Piece, op.7
Joseph Szigeti (Vn)
Roy Bogas (Pf)
Roy Bogas (Pf)
(Rec. March 1959, New York)
ベーラ・バルトーク(Béla Bartók, 1881-1945)、イーゴリ・ストラヴィンスキー(Igor Stravinsky, 1882-1971)、クロード・ドビュッシー(Claude Debussy, 1862-1918)、アルテュール・オネゲル(Arthur Honegger, 1892-1955)、アントン・ウェーベルン(Anton Webern, 1883-1945)といった、20世紀前半の音楽を支えた人たちの作品を収録。
そして、そうした作曲家たちの音楽を積極的に擁護し、紹介し続けた人として特筆されるのが、ハンガリー出身のヴァイオリニスト、ヨーゼフ・シゲティ(Joseph Szigeti, 1892-1973)です。本CDでは、ロジーナ・レヴィン門下のピアニスト、ロイ・ボーガス(Roy Bogas)をパートナーにして、辛口の演奏を聴かせます。
バルトークのヴァイオリン・ソナタ第2番は、イェリー・ダラーニのために1922年に書かれたもの。楽章は2つしかないものの、演奏所要時間は20分くらいの、堂々たる作品。バルトークは、同僚のゾルターン・コダーイと共にハンガリー民謡の研究に勤しんでいましたが、バルトークは民謡そのものを素材として使うだけでなく、民謡の骨格を、現代的な音楽を創造するための自分の音楽語法として取り込むことに腐心しました。このソナタは、そうした自らの音楽語法の鍛錬の成果としての意味もあります。苦みばしった不協和音の大胆な活用や、ヴァイオリンとピアノが技巧の限りを尽くして丁々発止のやり取りを繰り広げる様は、大変スリリングな演奏効果をもたらしています。
ストラヴィンスキーの協奏的二重奏曲は1932年に、サミュエル・ドゥシュキンのために書かれた作品です。バロック音楽の所作と現代のハーモニーを掛け合わせた作品で、シゲティもこの作品は大変気に入っており、作曲者がシゲティの家に遊びに来たときは、良くこの曲を演奏して楽しんでいたとのこと。
ドビュッシーのヴァイオリン・ソナタは、1917年に完成され、ガストン・プーレのヴァイオリンで初演された作品。
翌年の3月にドビュッシーは癌のために世を去っているため、本作品はドビュッシーの最後の作品になりました。
ドビュッシーは、6曲のソナタの連作を構想しており、このソナタは第三作目のソナタとして作られたものです。しかし、ドビュッシーは、これらのソナタにソナタ形式の楽章を設けず、形式にとらわれない自由な構造で音楽を作ることを目指しました。これは、ドイツ的な論理語法への対抗的挑戦に他ならず、こうしたソナタを書くことで、フランスの音楽を見直し、第一次世界大戦で疲弊したフランス文化に喝を入れようとしたのかもしれません。
オネゲルのヴァイオリン・ソナタ第1番は1918年の作品。翌年作られた第2番のソナタと共に、作曲者の奥さんである、オンドレー・ボラプールによって初演されました。この作品も、従来のソナタの急-緩-急の構造ではなく、その構造を裏返した緩-急-緩の構造で曲が組み立てられています。
最後に収録されているウェーベルンの作品は、極端に切り詰めた表現による微小形式の作品。
1910年に作られた本作品は、なくなった母の追憶として書かれたものとのこと。主題展開をせず、数小節の中に書き込まれた音に、どのような意味を見出すかを演奏者に試す作品です。
シゲティはストイックな音でアプローチをし、この音楽に深い慟哭を見出しているようです。
そして、そうした作曲家たちの音楽を積極的に擁護し、紹介し続けた人として特筆されるのが、ハンガリー出身のヴァイオリニスト、ヨーゼフ・シゲティ(Joseph Szigeti, 1892-1973)です。本CDでは、ロジーナ・レヴィン門下のピアニスト、ロイ・ボーガス(Roy Bogas)をパートナーにして、辛口の演奏を聴かせます。
バルトークのヴァイオリン・ソナタ第2番は、イェリー・ダラーニのために1922年に書かれたもの。楽章は2つしかないものの、演奏所要時間は20分くらいの、堂々たる作品。バルトークは、同僚のゾルターン・コダーイと共にハンガリー民謡の研究に勤しんでいましたが、バルトークは民謡そのものを素材として使うだけでなく、民謡の骨格を、現代的な音楽を創造するための自分の音楽語法として取り込むことに腐心しました。このソナタは、そうした自らの音楽語法の鍛錬の成果としての意味もあります。苦みばしった不協和音の大胆な活用や、ヴァイオリンとピアノが技巧の限りを尽くして丁々発止のやり取りを繰り広げる様は、大変スリリングな演奏効果をもたらしています。
ストラヴィンスキーの協奏的二重奏曲は1932年に、サミュエル・ドゥシュキンのために書かれた作品です。バロック音楽の所作と現代のハーモニーを掛け合わせた作品で、シゲティもこの作品は大変気に入っており、作曲者がシゲティの家に遊びに来たときは、良くこの曲を演奏して楽しんでいたとのこと。
ドビュッシーのヴァイオリン・ソナタは、1917年に完成され、ガストン・プーレのヴァイオリンで初演された作品。
翌年の3月にドビュッシーは癌のために世を去っているため、本作品はドビュッシーの最後の作品になりました。
ドビュッシーは、6曲のソナタの連作を構想しており、このソナタは第三作目のソナタとして作られたものです。しかし、ドビュッシーは、これらのソナタにソナタ形式の楽章を設けず、形式にとらわれない自由な構造で音楽を作ることを目指しました。これは、ドイツ的な論理語法への対抗的挑戦に他ならず、こうしたソナタを書くことで、フランスの音楽を見直し、第一次世界大戦で疲弊したフランス文化に喝を入れようとしたのかもしれません。
オネゲルのヴァイオリン・ソナタ第1番は1918年の作品。翌年作られた第2番のソナタと共に、作曲者の奥さんである、オンドレー・ボラプールによって初演されました。この作品も、従来のソナタの急-緩-急の構造ではなく、その構造を裏返した緩-急-緩の構造で曲が組み立てられています。
最後に収録されているウェーベルンの作品は、極端に切り詰めた表現による微小形式の作品。
1910年に作られた本作品は、なくなった母の追憶として書かれたものとのこと。主題展開をせず、数小節の中に書き込まれた音に、どのような意味を見出すかを演奏者に試す作品です。
シゲティはストイックな音でアプローチをし、この音楽に深い慟哭を見出しているようです。
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