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1928年の日本ハナゲ學会第3分科會において瓢箪屋蓑吉氏が発表した「傳説の白ハナゲと黑ハナゲの脱色化の判別に關する文化論的一考察 ―ルウブル美術館をくまなく回ろうとして挫折したフレデリツク勅使河原氏の手記を中心に―」を再読したり、検証したりするBLOGではないことは確かなことです。ええ!確かなことですとも!
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◈Sergei Prokofiev: Semyon Kotko, op.81
Nikolai Gres (T: Semyon)
Tamara Yanko (Ms: Semyon's mother)
Tamara Antipova (S: Frosya)
Gennady Troitzky (Bs: Remeniuk)
Nicholai Panchechin (Bs Tkachenko)
Antonina Klescheva (Ms: Khivrya)
Lyudmila Gelovany (S: Sofya)
Michail Kisilev (Br: Tsaryov)
Tatiana Tugarinova (S: Lyubka)
Nikolai Timchenko (T: Mikola)
Daniel Demyanov (Bs: Ivasenko)
Mechislav Shchavinsky (T: Workman)
Vladimir Zakharov (Von Wiehof)
N. Brilling (German Officer)
L. Neverov (German Officer)
Arnold Lokshin (Hydamak)
Georgi Ostrovski (Hydamak)
Boris Dobrin (Bandura Player)
USSR Radio Choir
USSR Radio Symphony Orchestra / Mikhail Zhukov
(Rec. 1960)



セルゲイ・プロコフィエフ(Sergei Prokofiev, 1891-1953)が1939年に書き上げたオペラ《セミョン・コトコ》の歴史的音源です。
《セミョーン・コトコ》は、1938年の夏ごろから翌年にかけて作られたオペラで、台本はヴァレンティン・カターエフの『私は勤労の民の息子』という小説を元にしており、カターエフと作曲者で相談しながら作ったとのこと。
この頃、プロコフィエフは、フセヴォロド・メイエルホリドと、自分の作ったオペラをスタニスラフ劇場で上演する計画を立てており、新作として《セミョン・コトコ》も演目に入れる手筈だったようです。しかし、このオペラが出来上がる直前にメイエルホリドは政治当局に逮捕され、プロコフィエフのオペラを上演する企画が頓挫しそうになったことがあります。
なんとか1940年の6月23日にこのオペラがスタニスラフ劇場で上演されることになりましたが、上演されるや否や、政治当局から難癖をつけられ、上演中止になってしまったとのこと。
このとき初演の指揮を執っていたのが、ミハイル・ジューコフ(Mikhail Zhukov)その人であります。
1960年のこのCDは、そのジューコフがソ連放送交響楽団(1957年にサミュエル・サモスードが設立したオペラ放送専門のモスクワのオーケストラ)を指揮し、ボリショイ劇場などの歌手たちで録音したものとのこと。
本CDのキャストは、

ニコライ・グレス (セミョン)
タマラ・ヤンコ (セミョンの母親)
タマラ・アンティポヴァ (フロシャ:セミョンの妹)
ゲンナジー・トロイツキー (レメニウク:村長)
ニコライ・パンシェチン (トカチェンコ:農場の富豪)
アントニナ・クレシェヴァ (ヒヴリヤ:トカチェンコの女房)
リュドミラ・ゲロヴァニー (ソフィヤ:トカチェンコの娘)
ミハイル・キシーレフ (ツァリョフ:セミョンの友人で軍人)
タチアナ・トゥガリノーヴァ (リュブカ:ツァリョフの恋人)
ニコタイ・ティムシェンコ (ミコラ:フロシャに恋する若者)
ダニエル・デミャノフ (イヴァシェンコ:老人)
メチスラフ・シシャヴィンスキー (労働者、クレムボフスキー)
ヴラディミール・ザハロフ (フォン・ヴィーホフ:ドイツ軍大尉)
N.ブリリン&L.ネヴェロフ (ドイツの役人)
アルノルト・ロクシン&ゲオルギ・オストロフスキ (ウクライナの小作人)
ボリス・ドブリン (バンドゥーラ弾き)
となっております。
話のあらすじは、以下のとおり。

1918年のウクライナでのお話。
当時ウクライナにはドイツ軍が駐留し、ウクライナの政治経済に介入していた。
一方でウクライナでは社会主義の急進派(ボルシェヴィキ)の人たちもいて、ドイツ軍と紛争を起こしていた。

第1幕
ウクライナの農民の息子セミョン・コトコは、第一次世界大戦で従軍し、前線で戦っていたが、戦争が終結して地元に帰ってきた。家族は喜び、村人は英雄としてセミョンを称えた。しかし、セミョンは恋人のソフィヤが出迎えてくれなかったことを悲しみ、自分の部屋にふさぎこんでしまう。そこにソフィヤがお忍びでセミョンの部屋にやってきて、お互いの変わらぬ愛を確かめ合った。
しかし、ソフィヤの父親で富豪のトカチェンコは、セミョンとソフィヤの結婚には反対している。そのことを憂慮したセミョンの妹のフロシャは、村長のレメニウクとセミョンの友人で軍人のツァリョフに相談し、トカチェンコの家にセミョンとソフィヤの結婚を許してもらうように直談判に行くことにした。

第2幕
レメニウクとツァリョフはトカチェンコの家に行き、セミョンとソフィヤの結婚を許すよう、トカチェンコの家に談判に行った。ソフィヤとソフィアの母親であるヒヴリヤはセミョンとの結婚話を喜んだが、トカチェンコは、ボルシェヴィキの連中がここから締め出されたらソフィヤにもっといい相手を探すといい、セミョンとの結婚を拒んだ。
すったもんだをしてる時に、突然ドイツの役人が物資の供給を要求してきたため、婚約の話は中断してしまった。首尾よくドイツ人たちを追い返すことは出来たものの、レメニウクは村の将来に暗雲が立ち込めていることを理解するのだった。

第3幕
トカチェンコ家の近くの庭のベンチにセミョンとソフィヤが座っている。ソフィヤはセミョンに、最近自分が父の雇った新しい労働者に追い掛け回されるという夢を見ると打ち明けている。セミョンは、「ぼくたちが結婚すればそんな夢など見ないさ」と元気付けるが、トカチェンコがやってきて、ソフィヤを無理やり家に連れて帰ってしまった。寂しげなセミョンだったが、ツァリョフと彼のガールフレンドのリュブカ、そしてセミョンの妹であるフロシャと彼女のボーイフレンドのミコラがやってきて、セミョンは慰められる。
セミョンが落ち込んでいる間に、トカチェンコは、ドイツ人の息のかかった手下たちを使って、ボルシェヴィキ寄りの老人イヴァシェンコやツァリョフを逮捕してしまう。イヴァシェンコやツァリョフの持っていた土地はフォン・ヴィーホフ大尉に差し押さえられて金持ちのクレムボフスキーに接収されてしまった。イヴァシェンコとツァリョフは絞首刑となり、トカチェンコはクレムボフスキーを村に迎え入れるのだった。さらにトカチェンコは、反乱を起こす恐れのある小作農のリストの先頭にセミョンの名前を書き加え、セミョンを指名手配犯に仕立て上げた。
フロシャは、ツァリョフが処刑されたことをリュブカに伝え、事態の風雲急をセミョンに伝えるために、セミョンの元へ向かった。一方、フォン・ヴィーホフ大尉は、犯罪者の見せしめとしてセミョンの家を焼き討ちにした。
ツァリョフの処刑をきいたリュブカは、あまりのショックに発狂してしまう。

第4幕
セミョンとミコラは、レメニウクらとボルシェヴィキのパルティザンに参加した。
数ヶ月が過ぎて秋になった頃、セミョンはパルティザンたちに鉄砲の撃ち方を教えるようになっていた。パルティザンにセミョンが鉄砲の扱い方を教えているところにフロシャがやってきて、ソフィヤがクレムボフスキーと結婚させられることをセミョンに告げた。セミョンはソフィヤ救出に向かおうとするが、レメウニクに無謀だとして反対されてしまう。
そこにレメウニク宛に赤軍司令部から、セミョンのいた村を撹乱する作戦を実行するよう通達が来た。セミョンとミコラは勇んでこの作戦の実行役に選ばれる。

第5幕
荒れ果ててしまった村。教会では、ソフィヤの結婚式の準備が着々と進んでいる。
遠くで砲弾の音がするが、トカチェンコとクレムボスキーは、ボルシェビキを殲滅するドイツ軍の攻撃だとして高笑いしている。
結婚式を挙げる教会の石段には、痛めつけられたセミョンの母親が横たわっている。そこに、ミコラを連れたセミョンがソフィヤを探してやってくる。教会に入っていくトカチェンコ、クレムボフスキー、フォン・ヴィーホフ大尉とソフィヤを見止めたセミョンは、ソフィヤにこっちに来るように叫び、教会の中に手榴弾を投げ込んだ。
ソフィヤはセミョンのところに走ってきたため無傷だったが、トカチェンコら三人は爆発で負傷してしまった。
三人は、セミョンとミコラを捕らえさせ、二人に死刑を宣告する。
しかし、遠くで聞こえていた砲撃の音は、ドイツ軍の勝利の砲弾ではなく、赤軍がドイツ軍を蹴散らして占領した音だった。もはや3人は赤軍に囲まれ、トカチェンコはレメニウクによって捕縛されてしまった。セミョンとミコラは釈放されて、ソフィヤとフロシャの元に行き、互いに結ばれる。そして、みんなでウクライナの解放を祝うのだった。
1920年代まで世界を渡り歩いていたプロコフィエフは、ソ連時代のロシアへの帰国後も国外旅行が比較的許されていた作曲家ですが、この《セミョン・コトコ》を作っていた頃から、次第に批判の槍玉に挙げられるようになり、政治当局から監視される立場へと次第に変わっていきました。
プロコフィエフは、晦渋な作風から、分かり易いメロディを扱った作風へと転換して、作曲家としての生き残りをかけていましたが、この作品も、そうした生き残りのための必死な努力の産物と見なすことができます。
ただ、ナチス・ドイツが幅を利かせていた時代に、ドイツ軍をやり込める話というのは、ソ連がドイツに対して敵対的感情を持っているとアピールしているのではないかととられることもあり、この作品が外交問題になる要素を含んでいたのも事実。ドイツとソ連は不可侵条約を締結したため、政治的に感心できる作品ではなく、初演後に「演目として不適当」として上演を中止させられたのは、致し方ないことだったのかもしれません。
あるいは、プロコフィエフがウクライナ出身の作曲家だったため、ウクライナに蜂起を促すメッセージを含んでいると深読みされたのかもしれません。

ジューコフの指揮は、そういったしがらみとは無縁であるかのように、オーケストラや合唱団を徹底的に磨き上げ、プロコフィエフの抒情的で平明な側面と、その平明さの中に溶け込んでいる現代的な感覚をしっかりと描き出しています。作品自体のよさを際立たせることで、下衆の勘繰りを封じ込めようという作戦のようです。
ロシア各地の歌劇場で活躍していた人材を集めた歌手陣もなかなか健闘しています。グレス(Nikolai Gres)などは、疲れを知らない歌唱で終始声を張り上げており、やや一本調子な感じもしますが、この作品の汚名を返上しようという気概がよく伝わってきます。ヤンコ(Tamara Yanko)の演ずるセミョンの母親役も、セミョン役のグレスとの掛け合いではソフトで包容力のある歌声で、セミョン役の株を上げることに貢献しています。
アンティポヴァ(Tamara Antipova)のソフィヤは、ヒロインらしい華やぎには欠けるものの、ソ連という国自体が、突出した華やぎを快くおもわなかったところがあり、そうした点を鑑みると、なかなかの好演ということができます。
トカンチェンコ役のトロイツキー(Gennady Troitzky)も、張りのある声で存在感のある悪役を演じています。

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