1928年の日本ハナゲ學会第3分科會において瓢箪屋蓑吉氏が発表した「傳説の白ハナゲと黑ハナゲの脱色化の判別に關する文化論的一考察 ―ルウブル美術館をくまなく回ろうとして挫折したフレデリツク勅使河原氏の手記を中心に―」を再読したり、検証したりするBLOGではないことは確かなことです。ええ!確かなことですとも!
◈Ludwig van Beethoven: Symphonie No.4 in B flat major, op.60
The Bamberg Symphony Orchestra / István Kertész
(Rec. ça 1960)
◈Ludwig van Beethoven: Leonore Overture No.3, op.72a◈Ludwig van Beethoven: Coriolan Overture, op.62
◈Ludwig van Beethoven: Egmont Overture, op.84
The Bamberg Symphony Orchestra / István Kertész
(Rec. March 1960, Kulturraum, Bamberg)
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven, 1770-1827)は、ドイツの作曲家。
特に9曲の交響曲が代表作として知られ、今日でも広く演奏されています。
その9曲の中でもとりわけ、第3番、第5番、第6番、第9番が、それぞれ「英雄」、「運命」、「田園」、「合唱つき」という副題がつけられ、オーケストラの演奏会で取り上げられる頻度が高いのですが、本CDで演奏されている交響曲第4番は、これといった副題もなく、副題つきの4曲に比べると、幾分知名度が落ちます。
《英雄》交響曲と、《運命》交響曲の間にはさまれた交響曲であるがゆえに、ロベルト・シューマンから「2人の巨人の間に挟まれたギリシャの乙女」と評されました。
この交響曲第4番は、1806年ごろに成立した交響曲で、フランツ・ヨーゼフ・ロプコヴィッツ伯爵に捧げられています。
この曲がシューマンによって「ギリシャの乙女」と評したのは、その「乙女」を挟む2曲の交響曲の野心が、この曲ではあまり見られないからです。冒険的で規模の大きい作品ではなく、ベートーヴェンにしてはややこじんまりとした編成で無難に纏まられています。大胆さより均衡を求めた作品であるがゆえに、シューマンは、均衡の象徴としての「ギリシャ」を持ち出したのでしょう。
ハンガリーの指揮者であるイシュトヴァーン・ケルテス(István Kertész, 1929-1973)の演奏は、バンベルク交響楽団から引き締まった響きを引き出し、堂々とした演奏でしっかりとまとめています。
ともすると、何事もなく平穏無事なまま終わってしまうこの曲ですが、ケルテスはしっかりと楽想のキャラクターを描き分けることで、時にはダイナミックに、またあるときにはたおやかにと、曲の様々な相貌を明らかにしています。
特に第3楽章では、獰猛さを持ったスケルツォと舞踏的なトリオをしっかりと対比させ、曲の目鼻立ちをしっかりさせることに成功しています。
第4楽章でも、メリハリをつけながらクライマックスまで持っていく語り口のうまさを持っていながら、決してフットワークの軽さを失わないところに妙味があります。
ガッチリと演奏していながら聴後感に爽やかさが残るところが、ケルテスの演奏の面白さですが、そうした面白さは、語り口のうまさだけでなく、オーケストラの音を分離よく鳴らす手腕の高さがあればこそ可能なことだったのでしょう。
カップリングされた《レオノーレ》序曲第3番、《コリオラン》序曲、《エグモント》序曲の3曲も、こうしたオーケストラ・コントロールのうまさの光った演奏で、無骨なバンベルク交響楽団から多彩なドラマ模様を引き出す手腕には、ただただ敬服するのみです。
《レオノーレ》序曲第3番や《エグモント》序曲のヒロイズムの表現は堂に入っていて聴き応えがありますが、暗く沈んでいく《コリオラン》序曲の悲壮感も素晴らしく、彫りの深い演奏を聴かせてくれます。
特に9曲の交響曲が代表作として知られ、今日でも広く演奏されています。
その9曲の中でもとりわけ、第3番、第5番、第6番、第9番が、それぞれ「英雄」、「運命」、「田園」、「合唱つき」という副題がつけられ、オーケストラの演奏会で取り上げられる頻度が高いのですが、本CDで演奏されている交響曲第4番は、これといった副題もなく、副題つきの4曲に比べると、幾分知名度が落ちます。
《英雄》交響曲と、《運命》交響曲の間にはさまれた交響曲であるがゆえに、ロベルト・シューマンから「2人の巨人の間に挟まれたギリシャの乙女」と評されました。
この交響曲第4番は、1806年ごろに成立した交響曲で、フランツ・ヨーゼフ・ロプコヴィッツ伯爵に捧げられています。
この曲がシューマンによって「ギリシャの乙女」と評したのは、その「乙女」を挟む2曲の交響曲の野心が、この曲ではあまり見られないからです。冒険的で規模の大きい作品ではなく、ベートーヴェンにしてはややこじんまりとした編成で無難に纏まられています。大胆さより均衡を求めた作品であるがゆえに、シューマンは、均衡の象徴としての「ギリシャ」を持ち出したのでしょう。
ハンガリーの指揮者であるイシュトヴァーン・ケルテス(István Kertész, 1929-1973)の演奏は、バンベルク交響楽団から引き締まった響きを引き出し、堂々とした演奏でしっかりとまとめています。
ともすると、何事もなく平穏無事なまま終わってしまうこの曲ですが、ケルテスはしっかりと楽想のキャラクターを描き分けることで、時にはダイナミックに、またあるときにはたおやかにと、曲の様々な相貌を明らかにしています。
特に第3楽章では、獰猛さを持ったスケルツォと舞踏的なトリオをしっかりと対比させ、曲の目鼻立ちをしっかりさせることに成功しています。
第4楽章でも、メリハリをつけながらクライマックスまで持っていく語り口のうまさを持っていながら、決してフットワークの軽さを失わないところに妙味があります。
ガッチリと演奏していながら聴後感に爽やかさが残るところが、ケルテスの演奏の面白さですが、そうした面白さは、語り口のうまさだけでなく、オーケストラの音を分離よく鳴らす手腕の高さがあればこそ可能なことだったのでしょう。
カップリングされた《レオノーレ》序曲第3番、《コリオラン》序曲、《エグモント》序曲の3曲も、こうしたオーケストラ・コントロールのうまさの光った演奏で、無骨なバンベルク交響楽団から多彩なドラマ模様を引き出す手腕には、ただただ敬服するのみです。
《レオノーレ》序曲第3番や《エグモント》序曲のヒロイズムの表現は堂に入っていて聴き応えがありますが、暗く沈んでいく《コリオラン》序曲の悲壮感も素晴らしく、彫りの深い演奏を聴かせてくれます。
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