1928年の日本ハナゲ學会第3分科會において瓢箪屋蓑吉氏が発表した「傳説の白ハナゲと黑ハナゲの脱色化の判別に關する文化論的一考察 ―ルウブル美術館をくまなく回ろうとして挫折したフレデリツク勅使河原氏の手記を中心に―」を再読したり、検証したりするBLOGではないことは確かなことです。ええ!確かなことですとも!
◈Edvard Grieg: Piano Concerto in A minor, op.16
Crifford Curzon (Pf)
London Symphony Orchestra / Øivin Fjeldstad
(Rec. June 1959)
◈Robert Schumann: Piano Concerto in A minor, op.54Friedrich Gulda (Pf)
Vienna Philharmonic Orchestra / Volkmar Andreae
(Rec. September 1956)
ノルウェー人作曲家、エドヴァルド・グリーグ(Edvard Grieg, 1843-1907)のピアノ協奏曲(1868年作)と、ドイツ人作曲家、ロベルト・シューマン(Robert Schumann, 1810-1856)のピアノ協奏曲(1845年作)の組み合わせは、一頃よく見かけたカップリングでした。
グリーグのピアノ協奏曲は、かのフランツ・リストからも高く称賛された名曲です。この曲を書く動機となったのは、シューマンのピアノ協奏曲を、1858年にシューマン未亡人クララの独奏で聴いたことです。シューマンの作品にあこがれたグリーグは、この協奏曲の調性を、シューマンの曲と同じイ短調にしています。他にも、曲の冒頭におけるオーケストラの瞬間的爆発を契機にしてピアノが音塊でダイナミックに下行音形を作る作法に、シューマンの影響を指摘することが出来ます。さらには、ピアノ独奏とオーケストラの絡ませ方にもシューマンを参考にしているのではないかと思われる節もあり、さらにはグリーグの提示する主題もシューマンの作品をもじったものが含まれるという分析をする人もいます。
しかし、グリーグの作品は、シューマンの影響にベッタリだったわけではなく、形式面ではシューマンの作品以上にセオリーに忠実な作りになっています。また、グリーグならではの繊細な抒情性が曲の至る所に散りばめられており、そのきらめくような音楽が聴く人を魅了しています。
初演は、1869年の4月3日に、エドムント・ノイペルトの独奏とホルガー・サイモン・パウーリの指揮するデンマーク王立管弦楽団によって、コペンハーゲンで行われました。作曲者のグリーグは、彼自身高名なピアニストでしたが、初演時、クリスチャニア(現:オスロ)での仕事をブッキングしていたため、出演できなかったそうです。その後、グリーグはさらなるピアノ協奏曲の作曲を請われましたが、この協奏曲の改訂こそすれ、ついに2曲目のピアノ協奏曲を完成させることはありませんでした。
本CDでは、クリフォード・カーゾン(Crifford Curzon, 1907-1982)がソリストを務め、エイフィン・フィエルスタート(Øivin Fjeldstad, 1903-1983)指揮するロンドン交響楽団が伴奏を務めています。カーゾンはイギリスのピアニストながら、アルトゥル・シュナーベルの門下として腕を磨いた人でした。レコーディングには非常に慎重な人だったらしく、録音しても、出来栄えに納得できずに録音を破棄してしまうことも珍しくなかったそうです。
伴奏の指揮を務めるフィエルスタートは、ノルウェーの指揮者です。クレメンス・クラウスに指揮を学び、オスロ・フィルハーモニー管弦楽団を鍛え上げたことで知られる名指揮者でした。
一歩間違えれば壊れるのではないかと思えるほどの緊張感を孕んだカーゾンのピアニズムは、グリーグの音楽に非常にマッチし、ひんやりとした手触りを想像させるような演奏に仕上がっています。フィエルスタートのほうも、カーゾンのピアノ演奏に物怖じすることなく、ロンドン交響楽団から骨太のサウンドを引き出し、大柄な音楽に仕上げるのに貢献しています。
シューマンのピアノ協奏曲は、前述したように、グリーグの憧れとなったピアノ協奏曲です。シューマン自身は、元々ピアニストになるべく、名教師フリードリヒ・ヴィークのところに通っていました。ただ、ピアニストになるべく無理な練習をしたため、指を麻痺させてしまい、ピアニストとしての将来を閉ざされてしまいました。その後、紆余曲折を経て、ヴィークの娘でピアニストとして有名だったクララと結婚し、作曲家・評論家として評価されるようになりましたが、ピアニストを諦めざるを得なかったシューマンにとって、ピアノ協奏曲の作曲は、並みならぬ意味を持っていたようです。
このイ短調のピアノ協奏曲を作曲するまでに、3度もピアノ協奏曲の作曲に挑戦して挫折しています。4度目となるこの曲の創作も挫折の危機を迎えていました。交響曲第1番《春》の成功で調子づいたシューマンは、勢いに乗って1841年にピアノ協奏曲の作曲に取り組み、結果としてピアノとオーケストラのための幻想曲を書き上げ、その年の夏には妻のクララをソリストに立てて披露しています。しかしシューマンは、この幻想曲の出版を保留したまましばらく放置してしまいました。そうこうしている時に、盟友のフェリックス・メンデルスゾーンがピアノ協奏曲させ、それを耳にしたシューマンは発奮して、仕舞い込んだ幻想曲を取り出し、続きの楽章を一気に書き加えて協奏曲を完成させてしまいました。
出来上がった曲は、シューマンの親友のピアニストであるフェルディナント・ヒラーに献呈されましたが、1846年の正月にライプツィヒのゲヴァントハウスで行われた初演では、被献呈者のヒラーが指揮を執り、独奏を妻のクララが受け持ったということです。
第1楽章は、かなり形式にとらわれない音楽になっていますが、終結部に冒頭に提示した主題を用いて締めているあたりに、ソナタ形式への意識を感じさせます。第2楽章も、さほど形式に縛られない音楽ですが、第1楽章で使った動機を織り込むことで、聴き手の曲への集中力を持続させようとしています。
第3楽章は生きの良い三拍子の音楽で、第1楽章で示された下行音形を上行音形に変形させています。
こちらの演奏は、フリードリヒ・グルダ(Friedrich Gulda, 1930-2000)が独奏を受け持ち、フォルクマール・アンドレーエ(Volkmar Andreae, 1879-1962)指揮するウィーン・フィルハーモニー管弦楽団が脇を固めています。グルダは、ウィーン音楽院でブルーノ・ザイドルホーファーに学んだピアニストで、1946年のジュネーヴ国際音楽コンクールのピアノ部門で優勝した実績を持っています。パウル・バドゥラ=スコダやイェルク・デムスと共に「ウィーン三羽烏」と言われて人気を博しましたが、ジャズに傾倒したり、燕尾服を着ないでカジュアルな服装でリサイタルを行ったりと、当時では奇抜な行動でも注目を浴びました。
指揮をするアンドレーエは、フランツ・ヴェルナーに師事したスイスの指揮者です。チューリヒ・トーンハレ管弦楽団の指揮者を40年も務めた上に、スイスの権威ある合唱協会の会長も歴任し、スイスのみならず、ヨーロッパ各地で尊敬を集める名匠でした。
本録音時のグルダは、ウィーンのエリート・ピアニストとしての期待を一身に集めていたころのもので、非の打ちどころのないテクニックと瑞々しい歌い回しが、シューマンの音楽から感得されるロマンティシズムと見事に合致しています。一方でアンドレーエの泰然自若とした伴奏が、グルダの音楽が脱線しないように、しっかりと流れをリードしており、若々しさと熟練の味が見事にブレンドした名演奏に仕上がっています。
グリーグのピアノ協奏曲は、かのフランツ・リストからも高く称賛された名曲です。この曲を書く動機となったのは、シューマンのピアノ協奏曲を、1858年にシューマン未亡人クララの独奏で聴いたことです。シューマンの作品にあこがれたグリーグは、この協奏曲の調性を、シューマンの曲と同じイ短調にしています。他にも、曲の冒頭におけるオーケストラの瞬間的爆発を契機にしてピアノが音塊でダイナミックに下行音形を作る作法に、シューマンの影響を指摘することが出来ます。さらには、ピアノ独奏とオーケストラの絡ませ方にもシューマンを参考にしているのではないかと思われる節もあり、さらにはグリーグの提示する主題もシューマンの作品をもじったものが含まれるという分析をする人もいます。
しかし、グリーグの作品は、シューマンの影響にベッタリだったわけではなく、形式面ではシューマンの作品以上にセオリーに忠実な作りになっています。また、グリーグならではの繊細な抒情性が曲の至る所に散りばめられており、そのきらめくような音楽が聴く人を魅了しています。
初演は、1869年の4月3日に、エドムント・ノイペルトの独奏とホルガー・サイモン・パウーリの指揮するデンマーク王立管弦楽団によって、コペンハーゲンで行われました。作曲者のグリーグは、彼自身高名なピアニストでしたが、初演時、クリスチャニア(現:オスロ)での仕事をブッキングしていたため、出演できなかったそうです。その後、グリーグはさらなるピアノ協奏曲の作曲を請われましたが、この協奏曲の改訂こそすれ、ついに2曲目のピアノ協奏曲を完成させることはありませんでした。
本CDでは、クリフォード・カーゾン(Crifford Curzon, 1907-1982)がソリストを務め、エイフィン・フィエルスタート(Øivin Fjeldstad, 1903-1983)指揮するロンドン交響楽団が伴奏を務めています。カーゾンはイギリスのピアニストながら、アルトゥル・シュナーベルの門下として腕を磨いた人でした。レコーディングには非常に慎重な人だったらしく、録音しても、出来栄えに納得できずに録音を破棄してしまうことも珍しくなかったそうです。
伴奏の指揮を務めるフィエルスタートは、ノルウェーの指揮者です。クレメンス・クラウスに指揮を学び、オスロ・フィルハーモニー管弦楽団を鍛え上げたことで知られる名指揮者でした。
一歩間違えれば壊れるのではないかと思えるほどの緊張感を孕んだカーゾンのピアニズムは、グリーグの音楽に非常にマッチし、ひんやりとした手触りを想像させるような演奏に仕上がっています。フィエルスタートのほうも、カーゾンのピアノ演奏に物怖じすることなく、ロンドン交響楽団から骨太のサウンドを引き出し、大柄な音楽に仕上げるのに貢献しています。
シューマンのピアノ協奏曲は、前述したように、グリーグの憧れとなったピアノ協奏曲です。シューマン自身は、元々ピアニストになるべく、名教師フリードリヒ・ヴィークのところに通っていました。ただ、ピアニストになるべく無理な練習をしたため、指を麻痺させてしまい、ピアニストとしての将来を閉ざされてしまいました。その後、紆余曲折を経て、ヴィークの娘でピアニストとして有名だったクララと結婚し、作曲家・評論家として評価されるようになりましたが、ピアニストを諦めざるを得なかったシューマンにとって、ピアノ協奏曲の作曲は、並みならぬ意味を持っていたようです。
このイ短調のピアノ協奏曲を作曲するまでに、3度もピアノ協奏曲の作曲に挑戦して挫折しています。4度目となるこの曲の創作も挫折の危機を迎えていました。交響曲第1番《春》の成功で調子づいたシューマンは、勢いに乗って1841年にピアノ協奏曲の作曲に取り組み、結果としてピアノとオーケストラのための幻想曲を書き上げ、その年の夏には妻のクララをソリストに立てて披露しています。しかしシューマンは、この幻想曲の出版を保留したまましばらく放置してしまいました。そうこうしている時に、盟友のフェリックス・メンデルスゾーンがピアノ協奏曲させ、それを耳にしたシューマンは発奮して、仕舞い込んだ幻想曲を取り出し、続きの楽章を一気に書き加えて協奏曲を完成させてしまいました。
出来上がった曲は、シューマンの親友のピアニストであるフェルディナント・ヒラーに献呈されましたが、1846年の正月にライプツィヒのゲヴァントハウスで行われた初演では、被献呈者のヒラーが指揮を執り、独奏を妻のクララが受け持ったということです。
第1楽章は、かなり形式にとらわれない音楽になっていますが、終結部に冒頭に提示した主題を用いて締めているあたりに、ソナタ形式への意識を感じさせます。第2楽章も、さほど形式に縛られない音楽ですが、第1楽章で使った動機を織り込むことで、聴き手の曲への集中力を持続させようとしています。
第3楽章は生きの良い三拍子の音楽で、第1楽章で示された下行音形を上行音形に変形させています。
こちらの演奏は、フリードリヒ・グルダ(Friedrich Gulda, 1930-2000)が独奏を受け持ち、フォルクマール・アンドレーエ(Volkmar Andreae, 1879-1962)指揮するウィーン・フィルハーモニー管弦楽団が脇を固めています。グルダは、ウィーン音楽院でブルーノ・ザイドルホーファーに学んだピアニストで、1946年のジュネーヴ国際音楽コンクールのピアノ部門で優勝した実績を持っています。パウル・バドゥラ=スコダやイェルク・デムスと共に「ウィーン三羽烏」と言われて人気を博しましたが、ジャズに傾倒したり、燕尾服を着ないでカジュアルな服装でリサイタルを行ったりと、当時では奇抜な行動でも注目を浴びました。
指揮をするアンドレーエは、フランツ・ヴェルナーに師事したスイスの指揮者です。チューリヒ・トーンハレ管弦楽団の指揮者を40年も務めた上に、スイスの権威ある合唱協会の会長も歴任し、スイスのみならず、ヨーロッパ各地で尊敬を集める名匠でした。
本録音時のグルダは、ウィーンのエリート・ピアニストとしての期待を一身に集めていたころのもので、非の打ちどころのないテクニックと瑞々しい歌い回しが、シューマンの音楽から感得されるロマンティシズムと見事に合致しています。一方でアンドレーエの泰然自若とした伴奏が、グルダの音楽が脱線しないように、しっかりと流れをリードしており、若々しさと熟練の味が見事にブレンドした名演奏に仕上がっています。
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