1928年の日本ハナゲ學会第3分科會において瓢箪屋蓑吉氏が発表した「傳説の白ハナゲと黑ハナゲの脱色化の判別に關する文化論的一考察 ―ルウブル美術館をくまなく回ろうとして挫折したフレデリツク勅使河原氏の手記を中心に―」を再読したり、検証したりするBLOGではないことは確かなことです。ええ!確かなことですとも!
◈John Cage: Music for Marcel Duchamp
Juan Hidalgo (Prepared-Pf)
(Rec. 1974)
◈John Cage: Music for Amplified Toy PianoJuan Hidalgo (Amplified Toy-Pf)
Walter Marchetti (Amplified Toy-Pf)
Gianni-Emilio Simonetti (Amprified Toy Pf)
Walter Marchetti (Amplified Toy-Pf)
Gianni-Emilio Simonetti (Amprified Toy Pf)
(Rec. 1974)
◈John Cage: Radio MusicJuan Hidalgo
Walter Marchetti
Gianni-Emilio Simonetti
Walter Marchetti
Gianni-Emilio Simonetti
(Rec. 1974)
◈John Cage: 4'33"Gianni-Emilio Simonetti (Pf)
(Rec. 1974)
◈John Cage:Sixty-Two Mesostics re Merce CunninghamDemetrio Stratos (Vo)
(Rec. 1974)
ジョン・ケージ(John Cage, 1912-1992)は、20世紀アメリカの作曲家です。
ケージの業績といえば、まず従来音楽として使われてこなかった噪音を音楽の領域に本格的に持ち込んだことが挙げられます。 さらに、ケージは東洋文化や思想に興味を寄せ、易学の知見を応用して「偶然性」の概念を音楽に持ち込み、演奏者の適宜選択で音楽の形を変えられる不確定的な音楽のあり方を模索した点も、彼の業績として挙げられます。 彼の音楽は、19世紀までに培われてきた音楽を破壊したという見方も出来ますが、正しくは、音楽の概念を拡張したというべきかもしれません。
本CDは、ケージと親交のあったアーティスト達が参加して録音を行った、ジョン・ケージの作品集です。
演奏しているのは、スペイン出身のフアン・ヒダルゴ(Joan Hidago, 1927-)、イタリア人作曲家のワルター・マルケッティ(Walter Marchetti, 1931-)、同じくイタリア人作曲家のジャンニ=エミリオ・シモネッティ(Gianni-Emilio Simonetti)、エジプト出身のパフォーマーであるデメトリオ・ストラータス(Demetrio Stratos, 1945-1979)です。
特にヒダルゴとマルケッティは、度々前衛パフォーマンスの共同作業を行い、1970年に入ってからは、ストラータスを加えて、活発なパフォーマンス活動を展開していました。本録音は、ヨーロッパにおける前衛音楽の旗手だった彼らが、恩師であるケージに捧げたオマージュとしての意味を持っています。
《デュシャンのための音楽》は、1947年の作品で、ヒダルゴがプリペアド・ピアノを、ケージの指示通りに作って演奏しています。プリペアド・ピアノというのは、普通のピアノに金属片やフェルトやゴムといった異物を挟むことによって、ピアノの音を異化するものです。異化された響きで、訥々と音が鳴らされる作品ですが、その奇妙な響きは、どこかガムラン音楽を想起させます。しかし、その異様なプリペアド・ピアノの音で奏でられる音楽は、調性的ではないにもかかわらず、郷愁を呼ぶような美しさがあります。
《増幅されたトイ・ピアノのための音楽》は、1960年に作曲された作品。三台のトイ・ピアノと様々な発音体(ヤギの声やガラスの破片、ガラガラなど)を使って演奏させる音楽で、これら一連の発音体は、クラシック音楽のコンサートでは、まずお目にかかれなかったものばかりです。散発的に打ち鳴らされる音に、ガラガラやヤギの声といったものが紛れ込み、次に何がおきるかわからない独特の緊張感が魅力的な作品です。
《ラジオ・ミュージック》は、1956年の作品。ヒダルゴ、マルケッティとシモネッティの3人が、それぞれにラジオを弄り回して、その音を重ねます。このラジオの音は、1974年4月5日の22時半から23時ごろにかけてのラジオ放送で、VHF、Arcraft、FM、AMなど、様々な電波のチャンネルをランダムに選択しています。
モーツァルトのピアノ協奏曲と思しき断片や、何かのオペラのアリアのような断片、はたまたアナウンサーの声やJazzの演奏とラジオ特有の混線の雑音が、チープな音で細切れに再生されます。
音を断片化し、さらに雑音を塗すことで、音楽が本来持っている抑揚や意味を無効化し、音楽の意味性を剥ぎ取ろうとしています。
《4分33秒》は、1954年の8月29日にニューヨーク州ウッドストックにあるマーヴェリック・ホールでデヴィット・チューダーがこの曲を演奏して依頼、ケージの挨拶代わりの作品となりました。この作品について、秒数に直すと絶対零度の絶対値になりますが、ケージは、別段絶対零度下での物理的状態と音楽のあり方を重ね合わせることを意図したわけではないようで、ケージ自身、こうした説明を聞いて失笑したのだとか。この作品が意図は、完全な無音ではなく、演奏者が音を発しないというパフォーマンスを取ることによって、聴衆の布ズレの音やパンフレットを触る音などを音楽の構成要素として引き出すことにあります。屋外でやれば、木々の葉の揺れる音や小鳥の鳴き声、通行人のしゃべる声などが音楽の構成要素となります。
普段気に留めない日常の音を音楽の構成要素に加えようとしたところに、ケージの独創的な考えがありました。
《マース・カニンガムにまつわる62のメソスティックス》は、1971年に作られた作品。ここではストラータスが、
カニンガムが選んできた本などから選び出された単語を、独特の方法で読み上げます。このパフォーマンスは、ケージ自身によれば90分以内であれば、どんなことをしてもよいという、演奏者への依存度の高い作品で、中には、ケージの注文を厳格には守らず、3時間以上もパフォーマンスを続けた人もいるのだとか。
本CDでは、8分強のパフォーマンスですが、ケージは、単語として意味のなさないように工夫することを、この作品に求めており、ストラータスは、叫び声をあげたり、発音を引き伸ばしたりと、様々な発音の仕方を試しています。
ケージの業績といえば、まず従来音楽として使われてこなかった噪音を音楽の領域に本格的に持ち込んだことが挙げられます。 さらに、ケージは東洋文化や思想に興味を寄せ、易学の知見を応用して「偶然性」の概念を音楽に持ち込み、演奏者の適宜選択で音楽の形を変えられる不確定的な音楽のあり方を模索した点も、彼の業績として挙げられます。 彼の音楽は、19世紀までに培われてきた音楽を破壊したという見方も出来ますが、正しくは、音楽の概念を拡張したというべきかもしれません。
本CDは、ケージと親交のあったアーティスト達が参加して録音を行った、ジョン・ケージの作品集です。
演奏しているのは、スペイン出身のフアン・ヒダルゴ(Joan Hidago, 1927-)、イタリア人作曲家のワルター・マルケッティ(Walter Marchetti, 1931-)、同じくイタリア人作曲家のジャンニ=エミリオ・シモネッティ(Gianni-Emilio Simonetti)、エジプト出身のパフォーマーであるデメトリオ・ストラータス(Demetrio Stratos, 1945-1979)です。
特にヒダルゴとマルケッティは、度々前衛パフォーマンスの共同作業を行い、1970年に入ってからは、ストラータスを加えて、活発なパフォーマンス活動を展開していました。本録音は、ヨーロッパにおける前衛音楽の旗手だった彼らが、恩師であるケージに捧げたオマージュとしての意味を持っています。
《デュシャンのための音楽》は、1947年の作品で、ヒダルゴがプリペアド・ピアノを、ケージの指示通りに作って演奏しています。プリペアド・ピアノというのは、普通のピアノに金属片やフェルトやゴムといった異物を挟むことによって、ピアノの音を異化するものです。異化された響きで、訥々と音が鳴らされる作品ですが、その奇妙な響きは、どこかガムラン音楽を想起させます。しかし、その異様なプリペアド・ピアノの音で奏でられる音楽は、調性的ではないにもかかわらず、郷愁を呼ぶような美しさがあります。
《増幅されたトイ・ピアノのための音楽》は、1960年に作曲された作品。三台のトイ・ピアノと様々な発音体(ヤギの声やガラスの破片、ガラガラなど)を使って演奏させる音楽で、これら一連の発音体は、クラシック音楽のコンサートでは、まずお目にかかれなかったものばかりです。散発的に打ち鳴らされる音に、ガラガラやヤギの声といったものが紛れ込み、次に何がおきるかわからない独特の緊張感が魅力的な作品です。
《ラジオ・ミュージック》は、1956年の作品。ヒダルゴ、マルケッティとシモネッティの3人が、それぞれにラジオを弄り回して、その音を重ねます。このラジオの音は、1974年4月5日の22時半から23時ごろにかけてのラジオ放送で、VHF、Arcraft、FM、AMなど、様々な電波のチャンネルをランダムに選択しています。
モーツァルトのピアノ協奏曲と思しき断片や、何かのオペラのアリアのような断片、はたまたアナウンサーの声やJazzの演奏とラジオ特有の混線の雑音が、チープな音で細切れに再生されます。
音を断片化し、さらに雑音を塗すことで、音楽が本来持っている抑揚や意味を無効化し、音楽の意味性を剥ぎ取ろうとしています。
《4分33秒》は、1954年の8月29日にニューヨーク州ウッドストックにあるマーヴェリック・ホールでデヴィット・チューダーがこの曲を演奏して依頼、ケージの挨拶代わりの作品となりました。この作品について、秒数に直すと絶対零度の絶対値になりますが、ケージは、別段絶対零度下での物理的状態と音楽のあり方を重ね合わせることを意図したわけではないようで、ケージ自身、こうした説明を聞いて失笑したのだとか。この作品が意図は、完全な無音ではなく、演奏者が音を発しないというパフォーマンスを取ることによって、聴衆の布ズレの音やパンフレットを触る音などを音楽の構成要素として引き出すことにあります。屋外でやれば、木々の葉の揺れる音や小鳥の鳴き声、通行人のしゃべる声などが音楽の構成要素となります。
普段気に留めない日常の音を音楽の構成要素に加えようとしたところに、ケージの独創的な考えがありました。
《マース・カニンガムにまつわる62のメソスティックス》は、1971年に作られた作品。ここではストラータスが、
カニンガムが選んできた本などから選び出された単語を、独特の方法で読み上げます。このパフォーマンスは、ケージ自身によれば90分以内であれば、どんなことをしてもよいという、演奏者への依存度の高い作品で、中には、ケージの注文を厳格には守らず、3時間以上もパフォーマンスを続けた人もいるのだとか。
本CDでは、8分強のパフォーマンスですが、ケージは、単語として意味のなさないように工夫することを、この作品に求めており、ストラータスは、叫び声をあげたり、発音を引き伸ばしたりと、様々な発音の仕方を試しています。
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