1928年の日本ハナゲ學会第3分科會において瓢箪屋蓑吉氏が発表した「傳説の白ハナゲと黑ハナゲの脱色化の判別に關する文化論的一考察 ―ルウブル美術館をくまなく回ろうとして挫折したフレデリツク勅使河原氏の手記を中心に―」を再読したり、検証したりするBLOGではないことは確かなことです。ええ!確かなことですとも!
◈Claude Debussy: Prélude 1er Livre
◈Claude Debussy: L'Isle joyeuse
Maurizio Pollini (Pf)
(Rec. June 1998, Herkulessaal, München)
クロード・ドビュッシー(Claude Debussy, 1862-1918)の前奏曲集第1巻と喜びの島のカップリングです。
人を惹きつける方法として、超絶技巧を使って人の耳を眩ませたり、大言壮語的な表現で、人の心を揺さぶったりするのが、19世紀のロマンティークの時代の音楽でした。確かに、ロマンティークの音楽家たちは、諸子百家とでもいうべきさまざまな主義主張と表現技術を駆使し、人の心を惹きつける音楽を模索していたのですが、人間の感情表現に傾きすぎた感があります。
若いころのドビュッシーは、リヒャルト・ヴァーグナーの音楽に心酔していましたが、いざバイロイトでヴァーグナーの作品を鑑賞してみると、その音楽表現の不自然さに疑問を持ち、独自の路線を歩むようになりました。
つまり、人間の都合で捻じ曲げて表現することを厭わない主観的な幻想世界の表現から、自然の事物をありのままに表現しようとする客観的写実主義の表現へと、ドビュッシーはその作風を変移させていったのです。
もっと言えば、ドビュッシー以前の作曲家が気分や雰囲気を引っ掻き回したのに対し、ドビュッシーは、その音楽から詩的な世界が自ずと香り立つような表現を模索していったといえるでしょう。
そのためには、従来の和声法ではものたりないということで、新しい和声体系を作り、また、従来の楽式では自分の求める表現が出来ないとわかると、その形式を捨てて、独自の形式を編み出すことも厭わなかったそうです。
こうした新しい音楽の創造の延長線上に、ここに収められた曲集があります。
前奏曲第1巻は、1909年の年末から1910年の2月ごろにかけて作曲されたもので、ポール・ヴェルレーヌやシャルル・ボードレールらの詩からイマジネーションを働かせています。
ドビュッシーは、幻想を力技に変換するのではなく、あくまでそれを客観化することに務めたため、フランツ・リストのような豪腕の作品ではありません。悲劇的だったり喜劇的だったりする代わりに、多彩で微妙な色合いを持つ自然の様態が活写されています。
第1曲目の〈デルフィの舞姫たち〉は、ドビュッシーがルーヴル美術館で見たバッカスの巫女像からイメージを膨らませた作品で、オリエンタリズムを意識した作品。
第2曲目の〈帆〉は、ドビュッシーならではの全音音階を駆使して茫漠たる世界を築き上げた作品。ドビュッシーがマルグリット・ロンに伝えたところによれば「暑中見舞いに出す、海の写真の絵葉書ではない」とのこと。
第3曲目は〈野を渡る風〉といい、ヴェルレーヌの詩の一節に触発されて書かれた作品。その詩の一節とは「野を渡る風は、その息を止める」というもの。
第4曲目は〈音も香りも夕べの大気を漂う〉と標題がつけられ、この標題はボードレールの詩に基づいています。
第5曲目は〈アナカプリの丘〉と題し、イタリアのアナカプリにちなんで、イタリア舞曲のタランテラを用いています。
第6曲目は〈雪の上の足跡〉です。「侘しく、凍てついた景色の底に秘められた音価をもって」という注意書きが、左手の伴奏音形に書かれており、冬の凍えるような寒さと物悲しさを融合したような表現が求められます。
第7曲目は〈西風の見たもの〉は、アルペジオ(分散和音)を駆使しながら断片的にメロディを奏でる、この曲集の難所です。
第8曲目は〈亜麻色の髪の乙女〉と題され、単独でもしばしば演奏される有名曲。フランス人の詩人コント・ド・リールが編纂した『スコットランドの歌』から着想を得ています。なお、亜麻色というのは、金髪ではありません。
第9曲目は〈途絶えたセレナード〉。元ネタは、エリック・サティも通っていたというカフェ「黒猫亭」で歌われていたドン・ファンのことを歌った恋歌の歌詞だそうです。ドン・ファンはスペインの放蕩貴族であり、ここでは、そのドン・ファンを想起させる効果を狙ってか、スペイン舞曲のホタを思わせるリズムが明滅します。
第10曲目は〈沈める寺〉は、ブルターニュの民間伝承を元に作った作品。イス(Ys)の人たちの不信仰によって、海に沈められた寺院が霧の晴れ間とともに姿を見せるというもの。こうした幻の建物の話は、ロシアのキーテジを思わせるものがあります。
第11曲目の〈パックの踊り〉は、シェイクスピアの『真夏の夜の夢』に出てくる妖精パックをイメージして作った作品。すばしっこいいたずら者の妖精をイメージしたユーモラスな作品です。
第12曲目の〈ミンストレル〉は、アメリカのヴォードヴィルで上演されていた似非黒人の踊りが元になっています。単純なリズムを繰り返しながら複雑化させていくという、ドビュッシーがこの第1巻で仕掛けた最後の難曲です。
余白に収録された《喜びの島》は、1904年の夏ごろに作曲された作品。ドビュッシーが持てる限りの超絶技巧を惜しげもなく投入した作品で、技術的にはドビュッシーの作品の中でも特に難しいとされる曲です。
ジャン・アントワーヌ・ヴァトーの「シテール島への巡礼」という絵画から着想を得たものですが、その難易度の高さゆえに、曲を正確に弾くことだけに終始することも多い作品です。ドビュッシーの求める「力を優雅さに変換する」技術は、この難易度の高さを克服した人にとっての難題です。
演奏するのは、イタリア人ピアニストのマウリツィオ・ポリーニ(Maurizio Pollini, 1942-)です。ポリーニは数多くのコンクールで上位入賞を果たしていますが、その中でもとりわけ有名なのが、1960年のショパン国際ピアノ・コンクールに優勝したことです。このポリーニの優勝は、このコンクールでも珍しい全会一致で認められた優勝です。審査員だったアルトゥール・ルービンシュタインから「ここにいる全審査員でもポリーニ以上に弾くことが出来ない」と言わしめたほどに完成した技術の持ち主ということで、華々しく演奏家としてのキャリアを歩むかに思えましたが、ミラノ大学で物理を学び、またアルテューロ・ベネデッティ=ミケランジェリの門下になって腕をさらに磨きました。
この演奏は、ポリーニが50代の時の演奏で、演奏家として脂の乗った時期の録音になります。
技術的完成度は大変高く、技術面からの曲の造形性にイチャモンをつけることは、もはやナンセンスに近いでしょう。
ただし、そのアプローチが人間離れしていて、いまひとつ演奏に親しみを感じられないという残念さもあります。
透徹したポリーニのスタイルは、もう少し時代を下った作曲家の作品でこそ十二分に発揮されうるのでしょう。
人を惹きつける方法として、超絶技巧を使って人の耳を眩ませたり、大言壮語的な表現で、人の心を揺さぶったりするのが、19世紀のロマンティークの時代の音楽でした。確かに、ロマンティークの音楽家たちは、諸子百家とでもいうべきさまざまな主義主張と表現技術を駆使し、人の心を惹きつける音楽を模索していたのですが、人間の感情表現に傾きすぎた感があります。
若いころのドビュッシーは、リヒャルト・ヴァーグナーの音楽に心酔していましたが、いざバイロイトでヴァーグナーの作品を鑑賞してみると、その音楽表現の不自然さに疑問を持ち、独自の路線を歩むようになりました。
つまり、人間の都合で捻じ曲げて表現することを厭わない主観的な幻想世界の表現から、自然の事物をありのままに表現しようとする客観的写実主義の表現へと、ドビュッシーはその作風を変移させていったのです。
もっと言えば、ドビュッシー以前の作曲家が気分や雰囲気を引っ掻き回したのに対し、ドビュッシーは、その音楽から詩的な世界が自ずと香り立つような表現を模索していったといえるでしょう。
そのためには、従来の和声法ではものたりないということで、新しい和声体系を作り、また、従来の楽式では自分の求める表現が出来ないとわかると、その形式を捨てて、独自の形式を編み出すことも厭わなかったそうです。
こうした新しい音楽の創造の延長線上に、ここに収められた曲集があります。
前奏曲第1巻は、1909年の年末から1910年の2月ごろにかけて作曲されたもので、ポール・ヴェルレーヌやシャルル・ボードレールらの詩からイマジネーションを働かせています。
ドビュッシーは、幻想を力技に変換するのではなく、あくまでそれを客観化することに務めたため、フランツ・リストのような豪腕の作品ではありません。悲劇的だったり喜劇的だったりする代わりに、多彩で微妙な色合いを持つ自然の様態が活写されています。
第1曲目の〈デルフィの舞姫たち〉は、ドビュッシーがルーヴル美術館で見たバッカスの巫女像からイメージを膨らませた作品で、オリエンタリズムを意識した作品。
第2曲目の〈帆〉は、ドビュッシーならではの全音音階を駆使して茫漠たる世界を築き上げた作品。ドビュッシーがマルグリット・ロンに伝えたところによれば「暑中見舞いに出す、海の写真の絵葉書ではない」とのこと。
第3曲目は〈野を渡る風〉といい、ヴェルレーヌの詩の一節に触発されて書かれた作品。その詩の一節とは「野を渡る風は、その息を止める」というもの。
第4曲目は〈音も香りも夕べの大気を漂う〉と標題がつけられ、この標題はボードレールの詩に基づいています。
第5曲目は〈アナカプリの丘〉と題し、イタリアのアナカプリにちなんで、イタリア舞曲のタランテラを用いています。
第6曲目は〈雪の上の足跡〉です。「侘しく、凍てついた景色の底に秘められた音価をもって」という注意書きが、左手の伴奏音形に書かれており、冬の凍えるような寒さと物悲しさを融合したような表現が求められます。
第7曲目は〈西風の見たもの〉は、アルペジオ(分散和音)を駆使しながら断片的にメロディを奏でる、この曲集の難所です。
第8曲目は〈亜麻色の髪の乙女〉と題され、単独でもしばしば演奏される有名曲。フランス人の詩人コント・ド・リールが編纂した『スコットランドの歌』から着想を得ています。なお、亜麻色というのは、金髪ではありません。
第9曲目は〈途絶えたセレナード〉。元ネタは、エリック・サティも通っていたというカフェ「黒猫亭」で歌われていたドン・ファンのことを歌った恋歌の歌詞だそうです。ドン・ファンはスペインの放蕩貴族であり、ここでは、そのドン・ファンを想起させる効果を狙ってか、スペイン舞曲のホタを思わせるリズムが明滅します。
第10曲目は〈沈める寺〉は、ブルターニュの民間伝承を元に作った作品。イス(Ys)の人たちの不信仰によって、海に沈められた寺院が霧の晴れ間とともに姿を見せるというもの。こうした幻の建物の話は、ロシアのキーテジを思わせるものがあります。
第11曲目の〈パックの踊り〉は、シェイクスピアの『真夏の夜の夢』に出てくる妖精パックをイメージして作った作品。すばしっこいいたずら者の妖精をイメージしたユーモラスな作品です。
第12曲目の〈ミンストレル〉は、アメリカのヴォードヴィルで上演されていた似非黒人の踊りが元になっています。単純なリズムを繰り返しながら複雑化させていくという、ドビュッシーがこの第1巻で仕掛けた最後の難曲です。
余白に収録された《喜びの島》は、1904年の夏ごろに作曲された作品。ドビュッシーが持てる限りの超絶技巧を惜しげもなく投入した作品で、技術的にはドビュッシーの作品の中でも特に難しいとされる曲です。
ジャン・アントワーヌ・ヴァトーの「シテール島への巡礼」という絵画から着想を得たものですが、その難易度の高さゆえに、曲を正確に弾くことだけに終始することも多い作品です。ドビュッシーの求める「力を優雅さに変換する」技術は、この難易度の高さを克服した人にとっての難題です。
演奏するのは、イタリア人ピアニストのマウリツィオ・ポリーニ(Maurizio Pollini, 1942-)です。ポリーニは数多くのコンクールで上位入賞を果たしていますが、その中でもとりわけ有名なのが、1960年のショパン国際ピアノ・コンクールに優勝したことです。このポリーニの優勝は、このコンクールでも珍しい全会一致で認められた優勝です。審査員だったアルトゥール・ルービンシュタインから「ここにいる全審査員でもポリーニ以上に弾くことが出来ない」と言わしめたほどに完成した技術の持ち主ということで、華々しく演奏家としてのキャリアを歩むかに思えましたが、ミラノ大学で物理を学び、またアルテューロ・ベネデッティ=ミケランジェリの門下になって腕をさらに磨きました。
この演奏は、ポリーニが50代の時の演奏で、演奏家として脂の乗った時期の録音になります。
技術的完成度は大変高く、技術面からの曲の造形性にイチャモンをつけることは、もはやナンセンスに近いでしょう。
ただし、そのアプローチが人間離れしていて、いまひとつ演奏に親しみを感じられないという残念さもあります。
透徹したポリーニのスタイルは、もう少し時代を下った作曲家の作品でこそ十二分に発揮されうるのでしょう。
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