1928年の日本ハナゲ學会第3分科會において瓢箪屋蓑吉氏が発表した「傳説の白ハナゲと黑ハナゲの脱色化の判別に關する文化論的一考察 ―ルウブル美術館をくまなく回ろうとして挫折したフレデリツク勅使河原氏の手記を中心に―」を再読したり、検証したりするBLOGではないことは確かなことです。ええ!確かなことですとも!
◈Nicolò Paganini: Violin Concerto No.1 in D major, op.6
◈Pablo de Sarasate: Carmen Fantasy
Itzhak Perlman (Vn)
Royal Philharmonic Orchestra / Lawrence Foster
(Rec. 9 & 10 August 1971, Kingsway Hall, London)
ニコロ・パガニーニ(Nicolò Paganini, 1782-1840)のヴァイオリン協奏曲第1番(1818年ごろ作)とパブロ・デ・サラサーテ(Pablo de Sarasate, 1844-1908)のカルメン幻想曲(1883年作)を収録したCDです。
パガニーニは、イタリアのヴァイオリニストです。当時の楽器演奏家たちは、自分の腕前を誇示できるように、自前で作品を作っていましたが、パガニーニはその最たるものでしょう。
このヴァイオリン協奏曲第1番も、そうした最たるものの一つで、オーケストラの譜面を変ホ長調で書き、自分のヴァイオリンのパートをニ長調で書いていました。パガニーニは、この曲の演奏の際には、ヴァイオリンの調弦を半音高くして演奏していたようです。
今日では、オーケストラも独奏ヴァイオリンもニ長調で演奏することになっていますが、パガニーニの生きていた頃のピッチからすると、半音以上上がっているのかもしれません。
第1楽章のオーケストラ提示部は、しばしば冗長だということでカットを施して演奏することが多かったのですが、本CDでの演奏ではノー・カットで演奏しています。
サラサーテは、《ツィゴイネルワイゼン》で広く知られていますが、彼もヴァイオリニストでした。
パガニーニと違うところは、3楽章形式の協奏曲を自分では一曲も書かなかったところです。
カルメン幻想曲は、ジョルジュ・ビゼーの《カルメン》の名メロディをつなぎ合わせたメドレー風の作品で、《カルメン》の第4幕の〈アラゴネーズ〉からはじまり、第1幕の〈ハバネラ〉、第1幕のカルメンの鼻歌、同じく第1幕の〈セギディーリャ〉を通って、第2幕の〈ジプシーの踊り〉で締めます。技術的な見せ場の多い曲なので、《ツィゴイネルワイゼン》に次ぐサラサーテの人気曲として知られています。
本CDでは、ヴァイオリン独奏をイツァーク・パールマン(Itzhak Perlman, 1945-)、伴奏をローレンス・フォスター(Laurence Foster, 1941-)の指揮するロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団がつとめています。
パールマンの独奏は奇をてらわない堅実なスタイルで、目の前にある課題を一つ一つこなしているといった感じです。美しく合理的に弾き抜くのに最適のテンポで、この曲をわかりやすく解題しようしようとしています。
カンタービレという武器を片手に、ヘンリク・シェリングのようなアプローチで作品と対峙しており、パガニーニの作品では、全国学校図書館協議会選定図書並にわかりやすくタメになる仕上がりになっています。
欲を言えば、第3楽章でエンタテイメント的な引き出しが少なく、一本調子になってしまっているのが、本演奏の弱点でしょう。師匠のイヴァン・ガラミアンに教わった通りの演奏法できっちり片づけた感じが、この楽章のユーモラスな感じを弱めてしまっています。
第2楽章も、セリフの棒読みのように聞こえるところがあり、1970年代初頭時点でのパールマンの問題点―表情の硬さ―が見え隠れしています。
サラサーテのカルメン幻想曲では、そういった表情的な側面での表情の硬さがより顕在化してしまい、どこか予定調和的なつまらなさを感じることもあります。
こうしたつまらなさは、オーケストラの乗り気の薄さからも漂ってくるもので、フォスターは豪勢にオーケストラを鳴らすものの、所詮は伴奏だと割り切ってしまっている感があります。パールマンに積極的に仕掛けるという姿勢は見られず、ただ合わせているだけに留まってしまっているがゆえに、火花を散らすようなスリルが生まれてきません。
演奏の出来栄えとしては、技術的に完成度が高く、大変高度だと思います。しかし、どこか出来レースめいていて、白けてしまう・・・というのも、偽らざる感想です。
パガニーニは、イタリアのヴァイオリニストです。当時の楽器演奏家たちは、自分の腕前を誇示できるように、自前で作品を作っていましたが、パガニーニはその最たるものでしょう。
このヴァイオリン協奏曲第1番も、そうした最たるものの一つで、オーケストラの譜面を変ホ長調で書き、自分のヴァイオリンのパートをニ長調で書いていました。パガニーニは、この曲の演奏の際には、ヴァイオリンの調弦を半音高くして演奏していたようです。
今日では、オーケストラも独奏ヴァイオリンもニ長調で演奏することになっていますが、パガニーニの生きていた頃のピッチからすると、半音以上上がっているのかもしれません。
第1楽章のオーケストラ提示部は、しばしば冗長だということでカットを施して演奏することが多かったのですが、本CDでの演奏ではノー・カットで演奏しています。
サラサーテは、《ツィゴイネルワイゼン》で広く知られていますが、彼もヴァイオリニストでした。
パガニーニと違うところは、3楽章形式の協奏曲を自分では一曲も書かなかったところです。
カルメン幻想曲は、ジョルジュ・ビゼーの《カルメン》の名メロディをつなぎ合わせたメドレー風の作品で、《カルメン》の第4幕の〈アラゴネーズ〉からはじまり、第1幕の〈ハバネラ〉、第1幕のカルメンの鼻歌、同じく第1幕の〈セギディーリャ〉を通って、第2幕の〈ジプシーの踊り〉で締めます。技術的な見せ場の多い曲なので、《ツィゴイネルワイゼン》に次ぐサラサーテの人気曲として知られています。
本CDでは、ヴァイオリン独奏をイツァーク・パールマン(Itzhak Perlman, 1945-)、伴奏をローレンス・フォスター(Laurence Foster, 1941-)の指揮するロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団がつとめています。
パールマンの独奏は奇をてらわない堅実なスタイルで、目の前にある課題を一つ一つこなしているといった感じです。美しく合理的に弾き抜くのに最適のテンポで、この曲をわかりやすく解題しようしようとしています。
カンタービレという武器を片手に、ヘンリク・シェリングのようなアプローチで作品と対峙しており、パガニーニの作品では、全国学校図書館協議会選定図書並にわかりやすくタメになる仕上がりになっています。
欲を言えば、第3楽章でエンタテイメント的な引き出しが少なく、一本調子になってしまっているのが、本演奏の弱点でしょう。師匠のイヴァン・ガラミアンに教わった通りの演奏法できっちり片づけた感じが、この楽章のユーモラスな感じを弱めてしまっています。
第2楽章も、セリフの棒読みのように聞こえるところがあり、1970年代初頭時点でのパールマンの問題点―表情の硬さ―が見え隠れしています。
サラサーテのカルメン幻想曲では、そういった表情的な側面での表情の硬さがより顕在化してしまい、どこか予定調和的なつまらなさを感じることもあります。
こうしたつまらなさは、オーケストラの乗り気の薄さからも漂ってくるもので、フォスターは豪勢にオーケストラを鳴らすものの、所詮は伴奏だと割り切ってしまっている感があります。パールマンに積極的に仕掛けるという姿勢は見られず、ただ合わせているだけに留まってしまっているがゆえに、火花を散らすようなスリルが生まれてきません。
演奏の出来栄えとしては、技術的に完成度が高く、大変高度だと思います。しかし、どこか出来レースめいていて、白けてしまう・・・というのも、偽らざる感想です。
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