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1928年の日本ハナゲ學会第3分科會において瓢箪屋蓑吉氏が発表した「傳説の白ハナゲと黑ハナゲの脱色化の判別に關する文化論的一考察 ―ルウブル美術館をくまなく回ろうとして挫折したフレデリツク勅使河原氏の手記を中心に―」を再読したり、検証したりするBLOGではないことは確かなことです。ええ!確かなことですとも!
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Erich Wolfgang Korngold: Suite for 2 Violins, Cello & Piano Left Hand, op.23
Leon Fleisher (Pf)
Joseph Silverstein (1st Vn),
Jaime Laredo (2nd Vn)
Yo-Yo Ma (Vc)
(Rec. 26 August 1991, Chapin Hall, William College, Williamstown, Massachusetts)
Franz Schmidt: Quintet in G minor, op.20
Leon Fleisher (Pf)
Joseph Silverstein (1st Vn)
Joel Smirnoff (2nd Vn)
Michael Tree (Vla)
Yo-Yo Ma (Vc)
(Rec. 25 January 1991, Chapin Hall, William College, Williamstown, Massachusetts)




エーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルト(Erich Wolfgang Korngold, 1897-1957)の組曲とフランツ・シュミット(Franz Schmidt, 1874-1939)のピアノ五重奏曲のカップリングです。

コルンゴルトはオーストリア帝国領モラヴィア地方のブリュン(現:チェコ領ブルノ)出身の作曲家。コルンゴルト家の家長レオポルト・ユリウス(以下「ユリウス」)は、弁護士から音楽評論家に転身し、エドゥアルト・ハンスリックの後継と見做され、1903年からウィーンの『新音楽時報』の主筆として健筆を振るった人。息子の名前のミドルネームに「ヴォルフガング」が入っているのは、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトにあやかってのことです。ちなみに、ここで紹介するコルンゴルトは、ユリウスの次男坊に当たります。長男ハンスにはロベルト・シューマンの「ロベルト」をミドルネームにつけています。ハンスはジャズのバンド・マスターとして成功しましたが、ユリウスが作曲の天才少年として成功した次男のほうを大事にし、結果として、現状では次男ほど目立つ存在にはなり得ていません。
なにはともあれ、コルンゴルトは、ユリウスの庇護下でロベルト・フックスに対位法を学び、9歳で作曲したオラトリオをグスタフ・マーラーに激賞されています。マーラーはコルンゴルトにアレクサンダー・フォン・ツェムリンスキーを音楽教師として紹介し、ツェムリンスキーの下で音楽理論を学びましたが、ツェムリンスキー曰く「どっちが弟子だかわからなくなる」ほどの早熟ぶりを示したのだとか。ツェムリンスキーの協力を得て13歳の時に発表したバレエ音楽《雪だるま》はウィーン宮廷歌劇場に於いて皇帝ヨーゼフ一世の臨席の下で演奏されて大成功を収め、ピアノ・ソナタ第1番はリヒャルト・シュトラウスを驚嘆させるなど、発表する曲ほぼ全てが話題作になり、16歳の頃には、既に当世一流の作曲家と見做されていました。ユリウスのプロデュースで快進撃を続けたコルンゴルトでしたが、ユリウスのバックアップを次第に疎むようになり、1924年の結婚時に、ユリウスが横槍を入れたことで不和が顕在化しました。1926年に発表したオペラ《ヘリアーネの奇跡》はエルンスト・クレーネクの《ジョニーは演奏する》に話題をさらわれる形で失敗を喫し、1926年に音楽プロデューサーのマックス・ラインハルトと知り合ったことで、編曲の方面に活路を見い出すようになりました。アメリカとのコネクションを持っていたラインハルトとの交流の中で、1934年にはハリウッドの映画音楽の業界に参加し、1936年の『風雲児アドヴァース』、1938年の『ロビンフッドの冒険』でそれぞれアカデミー賞を受賞する栄誉を受けました。第二次世界大戦が勃発すると、アメリカに定住して1943年には市民権を獲得。他のヨーロッパからの亡命組の作曲家と共にハリウッドで映画音楽の作曲家としてちゃっかり成功を収めました。第二次世界大戦が終結すると、ヨーロッパに戻って昔のように活動を始めようとしましたが、ヨーロッパの音楽情勢は、コルンゴルトの作風に時代遅れのレッテルを張る程に変化しており、コルンゴルトの居場所はありませんでした。また、オペラやコンサートのための音楽を作る、いわゆる芸術音楽の業界から新進の映画音楽の業界は、まだ三下と見做されていて、コルンゴルトはアメリカに行って映画音楽に手を染める程に落ちぶれた、あるいはそんな業界に魂を売ったと見做され、ヨーロッパの音楽界から事実上の締め出しを食った格好になりました。コルンゴルトは失意のうちにアメリカに戻り、ロサンゼルスの自宅で脳溢血を起こして急逝しました。

フランツ・シュミットは、オーストリア帝国領プレスブルク(現:スロヴァキア領ブラティスラヴァ)出身の作曲家。同時代の作曲家にフローラン・シュミットという人もおり、どちらもイニシャルが同じなので、ここでも「フランツ・シュミット」と書くことにします。フランツ・シュミットの作曲の先生は、コルンゴルトが対位法を学んだフックスで、アントン・ブルックナーの講義も受けています。また、テオドール・レシェティツキーにもピアノを学びましたが、反骨精神の旺盛なフランツ・シュミットにはレシェティツキーの教育方針は合わなかったようです。フェルディナント・ヘルメスベルガーに師事したチェロの腕前も確かなもので、1896年にマーラーが音楽監督を務めていた時代のウィーン宮廷歌劇場のオーケストラのオーディションに応募して、13人の応募者を蹴落としてマーラーの指揮下で演奏するという経験を積むことが出来ました。1914年にはウィーン音楽院(現:ウィーン国立音楽大学)のピアノ教師として登用され、1925年には同音楽院の理事に名を連ね、1937年から1937年まで同音楽院の院長を務める程の名声を得ました。
また、マーラーの謦咳に接しながらも、マーラーに同調することなく、むしろアルノルト・シェーンベルクと親交を持っていました。尤も、フランツ・シュミット自身は無調音楽の道に進むことはありませんでした。彼の代表作としては、4曲の交響曲や歌劇《ノートルダム》、オラトリオ《七つの封印の書》などが挙げられます。ロマン主義の時代から20世紀の音楽へという過渡期を生きた作曲家だけに、和声的には19世紀の香りを残しつつも、複雑な構成で独自の音楽世界を構築しているのが特徴的です。それゆえに、前衛的な立場からは保守的だといわれ、保守層からは難解過ぎるといわれ、まさにその点が過渡期の作曲家ならではの扱いだと思います。

この2人の作曲家のカップリングされた作品は、隻腕ピアニストのパウル・ヴィトゲンシュタインの委嘱によって書かれた作品です。すなわち、ピアノのパートは、どちらも左手のみでの演奏を想定して作られています。

1930年に作られたコルンゴルトの作品は、一般的なピアノ五重奏曲の編成からヴィオラを抜いています。
〈前奏曲とフーガ〉〈ワルツ〉〈グロテスク〉〈歌〉〈ロンド・フィナーレ〉の5曲からなり、特に第一曲目の〈前奏曲とフーガ〉では、卓越した対位法的処理 を聴くことが出来ます。〈グロテスク〉は、3拍子と4拍子が混在する複雑なスケルツォですが、中間部(トリオ)の部分にメロディストとしてのコルンゴルトの力量が遺憾なく発揮されています。

フランツ・シュミットの作品のほうは、1926年に作られた作品で、典型的なピアノ五重奏曲の編成、つまり弦楽四重奏にピアノ独奏を付け足した形で演奏されることになります。フランツ・シュミットの作品は、後年フリードリヒ・ヴューラーによってピアノ両手用に編曲がなされたようですが、あまり芳しい演奏効果を得ることが出来ず、この左手用のバージョンが愛好されています。作品の中核は第1楽章と第2楽章にありますが、後半の2つの楽章もなかなか手の込んだ音楽になっており、特に第3楽章では緩急自在な音楽の運びで聴き手を飽きさせない工夫が為されています。

演奏は、ピアノのパートをレオン・フライシャー(Leon Fleisher, 1928-)が演奏しています。
フライシャーは、アルトゥール・シュナーベルとマリア・クルチオの薫陶を受けたピアニストで、1965年に右手の指の麻痺を患ってからは長い間左手専門のピアニストとして活動したり、指揮者として活躍したりしていました。
近年、ボトックス療法でフライシャーの右手の機能が回復し、ベテランのピアニストとして第一線で活躍しています。
フライシャーの脇を固めるのは、ジョセフ・シルヴァースタイン(Joseph Silverstein, 1932-)、ハイメ・ラレード(Jaime Laredo, 1941-)、ジョエル・スミルノフ(Joel Smirnoff, 1950-)、マイケル・トゥリー(Michael Tree, 1934-)、ヨーヨー・マ(Yo-Yo Ma, 1955-)といった面々。
シルヴァースタインは、ラレードと同じくジョセフ・ギンゴールドの門下で、ボストン交響楽団のコンサート・マスターを務めていたことがあります。その後、指揮者としても活動するようになりますが、名ヴァイオリニストとしての地位は揺らいでいません。
フランツ・シュミットの作品でラレードに代わって第2ヴァイオリンを弾いているスミルノフは、ジュリアード弦楽四重奏団の第1ヴァイオリン奏者として知られています。ヴィオラの席に座るトゥリーは、グァルネリ弦楽四重奏団の重鎮です。マは、アメリカを代表する中国系のチェリストで、ジャンルを問わずなんでも演奏してしまう凄腕の持ち主です。
そんなわけで、これ以上ないほどに贅沢な演奏陣で、この2曲を聴くことが出来ます。
練り上げられたアンサンブルで聴くコルンゴルトの作品の味わいは格別で、フィナーレの変奏曲など、千変万化の華やかさで、この曲の真価しっかりと伝えています。
フランツ・シュミットの作品も、老練のアンサンブルで、燻し銀の妙味。特に弦楽セクションの濃密さが素晴らしく、フライシャーのピアノは、金粉をまぶしたような渋い煌めきがあります。

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