1928年の日本ハナゲ學会第3分科會において瓢箪屋蓑吉氏が発表した「傳説の白ハナゲと黑ハナゲの脱色化の判別に關する文化論的一考察 ―ルウブル美術館をくまなく回ろうとして挫折したフレデリツク勅使河原氏の手記を中心に―」を再読したり、検証したりするBLOGではないことは確かなことです。ええ!確かなことですとも!
◈Arnold Schoenberg: A Survivor from Warsaw, op.46
Sherrill Milnes (narrator)
New England Conservatory Chorus (Chorus master: Lorna Cooke de Varon)
Boston Symphony Orchestra / Erich Leinsdorf
New England Conservatory Chorus (Chorus master: Lorna Cooke de Varon)
Boston Symphony Orchestra / Erich Leinsdorf
(Rec. 23 April 1969, Symphony Hall, Boston)
◈Ludwig van Beethoven: Symphony No.9 in D minor, op.125 "Choral"Jane Marsh (S)
Josephine Veasey (Ms)
Plácido Domingo (T)
Sherill Milnes (Br)
Chorus Pro Musica (Chorus master: Alfred Nash Patterson)
New England Conservatory Chorus (Chorus master: Lorna Cooke de Varon)
Boston Symphony Orchestra / Erich Leinsdorf
Josephine Veasey (Ms)
Plácido Domingo (T)
Sherill Milnes (Br)
Chorus Pro Musica (Chorus master: Alfred Nash Patterson)
New England Conservatory Chorus (Chorus master: Lorna Cooke de Varon)
Boston Symphony Orchestra / Erich Leinsdorf
(Rec. 21-22 April 1969, Symphony Hall, Boston)
アルノルト・シェーンベルク(Arnold Schoenberg, 1874-1951)の《ワルシャワの生き残り》と、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven, 1770-1827)の交響曲第9番《合唱》のカップリングです。
《ワルシャワの生き残り》は、十二音音楽を確立したシェーンベルクの代表作で、1948年に発表されています。
ナチスのゲットーから生き延びた人が語るという設定でナレーターがナレーションをし、フル編成のオーケストラと共演するという趣向の作品。いわば第二次世界大戦の惨状を糾弾するという要素の強い作品です。
ベートーヴェンの《合唱》は、フリードリヒ・フォン・シラーの『歓喜に寄す』(An die Freude)を基にした第4楽章が広く知られる作品で、日本でも年末によく演奏され、「第九」として呼ばれて親しまれている作品です。
発表されたのは1824年でしたが、構想は1792年ごろから温めていたといわれており、ベートーヴェンの音楽家活動の総決算ともいえる作品です。この曲でもって、「人類みな兄弟」というモットーに換えるところに、この曲のかけがえのなさがあるように思われます。
シェーンベルクの曲が示すものは、悲惨な現実であり、ベートーヴェンの「第九」が示すものは、世界の人々を友愛の糸で結びつけ、恒久平和を願うような全人的理念です。「第九」だけであれば、理想の世界を高らかに歌い上げる感動で終わってしまいますが、前置きとして、不調和な現実を響かせることで、よりベートーヴェンの理念を刻印しようという意図が忖度できます。
こうしたカップリングは、エーリヒ・ラインスドルフ(Erich Leinsdorf, 1912-1993)ならではのカップリングで、彼はボストン交響楽団の定期演奏会でも、このカップリングで演奏したらしいです。
聴衆のお目当ては、おそらくベートーヴェンの「第九」なわけですが、それを聴くためには、シェーンベルクの十二音音楽の作品を聴かなければなりません。ボストン交響楽団の首席指揮者に就任したラインスドルフは、努めて新作を取り上げ、聴衆を現代音楽に慣れさせるよう啓発に力を注いでいたそうですが、当然聴衆や楽団側からも突き上げを食らっていたようです。
周囲の反対を押し切ってでも同時代の作品を取り上げようというラインスドルフの気概が、このカップリングには込められています。
《ワルシャワの生き残り》では、アメリカ人バリトン歌手のシェリル・ミルンズ(Sherrill Milnes, 1935-)がナレーターを務め、ニュー・イングランド音楽院の合唱団が共演しています。
緊迫した音楽を、ド迫力のサウンドで再現するラインスドルフの技量の高さがしっかりと示された録音であり、切れば血飛沫が飛ぶような生々しさがあります。ランスドルフ自身、ユダヤ人としてナチスから追われてアメリカに移住した人であり、この音楽で表現されていることは、決して他人事ではなかったのでしょう。
ベートーヴェンの《合唱》では、ミルンズの他に、アメリカ人ソプラノ歌手のジェーン・マーシュ(Jane Marsh, 1945-)、イギリス人メゾ・ソプラノ歌手のジョセフィン・ヴィージー(Josephine Veasey, 1930-)、スペイン出身のテノール歌手のプラシド・ドミンゴ(Plácido Domingo, 1941-)が共演しており、プロ・ムジカ合唱団がニュー・イングランド音楽院の合唱団の補強として入っています。
こうした演目を組む場合、聴衆の期待はこのベートーヴェンの作品に集まるので、この演奏でグダグダなことをやれば、演奏キャリアに大きな傷を残すだけでなく、聴衆をも敵に回すことになるというリスクが高まります。それゆえか、ラインスドルフは、尋常ならざる気迫でこの曲と対峙しています。
ピリピリとした緊張感の走る第1楽章から、整然としたアンサンブルで軍楽隊の行進すら思わせる第2楽章のスケルツォまで、一気呵成に聴かせる勢いを持たせています。第3楽章は、凡百の指揮者であれば生ぬるく弛緩してしまいますが、第4楽章を見据えてエネルギーをためているような、構えのきいた音楽になっています。
第4楽章では、名歌手を総動員して究極的なクライマックスを作り上げ、シェーンベルクの苦み走った音楽を吹き飛ばさんばかりの充実した演奏を聴かせてくれます。
祝典的ムードの演奏ではありませんが、こういう演奏を実演で聴かされれば、もはや非を打つことなどできないでしょう。しっかりした演奏です。
《ワルシャワの生き残り》は、十二音音楽を確立したシェーンベルクの代表作で、1948年に発表されています。
ナチスのゲットーから生き延びた人が語るという設定でナレーターがナレーションをし、フル編成のオーケストラと共演するという趣向の作品。いわば第二次世界大戦の惨状を糾弾するという要素の強い作品です。
ベートーヴェンの《合唱》は、フリードリヒ・フォン・シラーの『歓喜に寄す』(An die Freude)を基にした第4楽章が広く知られる作品で、日本でも年末によく演奏され、「第九」として呼ばれて親しまれている作品です。
発表されたのは1824年でしたが、構想は1792年ごろから温めていたといわれており、ベートーヴェンの音楽家活動の総決算ともいえる作品です。この曲でもって、「人類みな兄弟」というモットーに換えるところに、この曲のかけがえのなさがあるように思われます。
シェーンベルクの曲が示すものは、悲惨な現実であり、ベートーヴェンの「第九」が示すものは、世界の人々を友愛の糸で結びつけ、恒久平和を願うような全人的理念です。「第九」だけであれば、理想の世界を高らかに歌い上げる感動で終わってしまいますが、前置きとして、不調和な現実を響かせることで、よりベートーヴェンの理念を刻印しようという意図が忖度できます。
こうしたカップリングは、エーリヒ・ラインスドルフ(Erich Leinsdorf, 1912-1993)ならではのカップリングで、彼はボストン交響楽団の定期演奏会でも、このカップリングで演奏したらしいです。
聴衆のお目当ては、おそらくベートーヴェンの「第九」なわけですが、それを聴くためには、シェーンベルクの十二音音楽の作品を聴かなければなりません。ボストン交響楽団の首席指揮者に就任したラインスドルフは、努めて新作を取り上げ、聴衆を現代音楽に慣れさせるよう啓発に力を注いでいたそうですが、当然聴衆や楽団側からも突き上げを食らっていたようです。
周囲の反対を押し切ってでも同時代の作品を取り上げようというラインスドルフの気概が、このカップリングには込められています。
《ワルシャワの生き残り》では、アメリカ人バリトン歌手のシェリル・ミルンズ(Sherrill Milnes, 1935-)がナレーターを務め、ニュー・イングランド音楽院の合唱団が共演しています。
緊迫した音楽を、ド迫力のサウンドで再現するラインスドルフの技量の高さがしっかりと示された録音であり、切れば血飛沫が飛ぶような生々しさがあります。ランスドルフ自身、ユダヤ人としてナチスから追われてアメリカに移住した人であり、この音楽で表現されていることは、決して他人事ではなかったのでしょう。
ベートーヴェンの《合唱》では、ミルンズの他に、アメリカ人ソプラノ歌手のジェーン・マーシュ(Jane Marsh, 1945-)、イギリス人メゾ・ソプラノ歌手のジョセフィン・ヴィージー(Josephine Veasey, 1930-)、スペイン出身のテノール歌手のプラシド・ドミンゴ(Plácido Domingo, 1941-)が共演しており、プロ・ムジカ合唱団がニュー・イングランド音楽院の合唱団の補強として入っています。
こうした演目を組む場合、聴衆の期待はこのベートーヴェンの作品に集まるので、この演奏でグダグダなことをやれば、演奏キャリアに大きな傷を残すだけでなく、聴衆をも敵に回すことになるというリスクが高まります。それゆえか、ラインスドルフは、尋常ならざる気迫でこの曲と対峙しています。
ピリピリとした緊張感の走る第1楽章から、整然としたアンサンブルで軍楽隊の行進すら思わせる第2楽章のスケルツォまで、一気呵成に聴かせる勢いを持たせています。第3楽章は、凡百の指揮者であれば生ぬるく弛緩してしまいますが、第4楽章を見据えてエネルギーをためているような、構えのきいた音楽になっています。
第4楽章では、名歌手を総動員して究極的なクライマックスを作り上げ、シェーンベルクの苦み走った音楽を吹き飛ばさんばかりの充実した演奏を聴かせてくれます。
祝典的ムードの演奏ではありませんが、こういう演奏を実演で聴かされれば、もはや非を打つことなどできないでしょう。しっかりした演奏です。
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