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1928年の日本ハナゲ學会第3分科會において瓢箪屋蓑吉氏が発表した「傳説の白ハナゲと黑ハナゲの脱色化の判別に關する文化論的一考察 ―ルウブル美術館をくまなく回ろうとして挫折したフレデリツク勅使河原氏の手記を中心に―」を再読したり、検証したりするBLOGではないことは確かなことです。ええ!確かなことですとも!
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◈Johannes Brahms: Violin Concerto in D major, op.77
Borika van den Booren (Vn)
Berliner Symphoniker / Eduardo Marturet
(Rec. 28 & 29 January 1993, Jesus-Christus-Kirche, Berlin)
◈Pyotr Ilyich Tchaikovsky: Souvenir d'un lien cher, op.42
Borika van den Booren (Vn)
Kiev Chamber Orchestra / Roman Kofman
(Rec. 9 March 1994, Concertgebouw, Amsterdam)



ヨハネス・ブラームス(Johannes Brahms, 1833-1897)のヴァイオリン協奏曲と、ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー(Pyotr Ilyich Tchaikovsky, 1840-1893)の《懐かしい土地の想い出》の2曲をカップリング。
両方ともオランダ人ヴァイオリニストのボリカ・ファン・デン・ボーレン(Borika van den Booren, 1972-)をソリストに起用し、ブラームスの協奏曲のほうは、エドゥアルド・マルチュレ(Eduardo Marturet, 1953-)の指揮するベルリン交響楽団(シンフォニカーのほう)が伴奏を務め、チャイコフスキーの作品のほうは、(Roman Kofman, 1936-)の指揮するキエフ室内管弦楽団が伴奏をつけています。
ブラームスの協奏曲のほうは、Brilliantレーベルがライセンスを買い取り、自社レーベルのCDセットに組み込んで販売しています。

ブラームスのヴァイオリン協奏曲は、1878年の夏ごろから年末にかけて作られた作品で、ヨーゼフ・ヨアヒムの独奏とブラームス本人の指揮で、1879年の正月にライプツィヒで初演されました。
南オーストリアのペルチャッハで作曲を始めたブラームスは、親友のヨアヒムにヴァイオリン協奏曲を作ることをほのめかし、ヨアヒムに助言を仰ぐという形で作曲を進めました。
しかし、ブラームスはヨアヒムの助言を鵜呑みにしていたわけではなく、譲れないところは譲らず、ヨアヒムも相当手を焼いたようです。例えば、ブラームスは、当初4楽章構成で作曲を進めるつもりでいましたが、ヨアヒムは伝統的な3楽章での作曲を要望しました。しかし、ブラームスはその要望を黙殺し、11月に中間の二つの楽章を破棄するまで、4楽章での作曲にこだわっていました。
また、初演の段取りを決めたのもヨアヒムでしたが、ブラームスはライプツィヒでの初演を嫌がり、ヨアヒムがブラームスに直談判して、正月のコンサートにライプツィヒで初演するよう捩じ込んだようです。
また11月になって作曲方針をブラームスが転換したため、曲の完成が遅れ、初演のおよそ二週間前になってようやくヨアヒムのところに楽譜が届くという、ギリギリなスケジュールで初演が行われたことが知られています。

この曲は、初演者のヨアヒムに曲が献呈されましたが、ブラームスの目論見は、実は別にありました。
この曲を書き上げる一年前に、バーデン=バーデンで、同僚のマックス・ブルッフのヴァイオリン協奏曲(おそらく第2番?)が演奏されるのを、ブラームスは聴いています。この曲を耳にしたブラームスは、ソロを務めたパブロ・デ・サラサーテの腕前を大いに称賛しましたが、ブルッフの作品については、無内容な作品だとこき下ろし、「こんな作品でいいんだったら、私でも書ける」と豪語してしまったようです。
こうしたこともあって、ブラームスは作品を書かざるを得なくなり、慎重には慎重を期して、ヨアヒムをアドヴァイザーにして万全な作品を作り上げようとしたのでした。
ブラームスは、出来上がった作品を、演奏されることを期待してサラサーテにも送りつけましたが、楽譜を見たサラサーテは、第2楽章を見るなり、「オーボエがメロディを奏でている間に、オレはどの面を下げてつっ立ってりゃいいんだ!」といい、この楽譜を封印してしまいました。

ブラームスのヴァイオリン協奏曲は、サラサーテが端的に指摘したように、必ずしもヴァイオリンの独奏が目立つようには書かれていません。伴奏であるはずのオーケストラが重厚に書かれており、指揮者がオーケストラの音を抑えないと、ヴァイオリンの音をかき消してしまいます。
オーケストラが充実しすぎているというのが、この曲の設計上の欠点として指摘されます。
録音に際しては、こうした欠点を補うために、ヴァイオリン独奏をクローズアップしたような録音で、ヴァイオリンの音量不足を解消しています。

チャイコフスキーの《なつかしい土地の想い出》は、1878年に作られた作品で、有名なヴァイオリン協奏曲の副産物です。
ヴァイオリンとピアノ伴奏のための作品ですが、ここではおそらくアレクサンドル・グラズノフ(Alexander Glazunov, 1865-1936)の編曲バージョンでの演奏になります。
ヴァイオリン協奏曲を書いていたチャイコフスキーは、第2楽章が緩徐楽章としては規模が小さすぎることに悩み、一旦この緩徐楽章を破棄して作り直しました。しかし、破棄した楽章をゴミとして捨てることが出来ず、ヴァイオリンのための小品として再利用することにしました。そうして出来た作品が、この《なつかしい土地の想い出》の第一曲目の〈瞑想曲〉です。その作品の後に、〈スケルツォ〉と〈メロディ〉を付け加えて、その翌年に3曲揃えて出版されました。その後、〈瞑想曲〉だけ単品で出版社が出版したところ、作品が反響を呼び、グラズノフが1896年にオーケストラ伴奏でも演奏できるように編曲して有名になりました。

演奏のほうは、ブラームスのほうでは、ファン・デン・ボーレンのヴァイオリンはそつのない仕上がり。
往年の名手たちのように独特の魅力を放つというところまで、その芸風を成熟させていません。
マルトゥレのバックアップについては、第1楽章での軽めのオーケストラ・コントロールが、重厚さを求める向きには不向きな感じがします。しかし、第2楽章では木管楽器を中心に牧歌的な演奏を繰り広げ、作品の魅力の底上げに貢献していると思います。
第3楽章では、マルトゥレが陽気な雰囲気を作り上げてファン・デン・ボーレンの独奏を盛り上げていますが、独奏のほうにもう少し、表情面での余裕があれば、よりスリリングな演奏になったことでしょう。
チャイコフスキー作品のほうでは、ファン・デン・ボーレンの奏でる音楽にゆとりが生まれ、たおやかな演奏で作品の可憐さを十分に引き出した演奏をしています。
コフマンの伴奏も十分に美しく、〈メロディ〉での郷愁を誘う雰囲気作りの素晴らしさで、ファン・デン・ボーレンの演奏に熨斗を付けています。

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