1928年の日本ハナゲ學会第3分科會において瓢箪屋蓑吉氏が発表した「傳説の白ハナゲと黑ハナゲの脱色化の判別に關する文化論的一考察 ―ルウブル美術館をくまなく回ろうとして挫折したフレデリツク勅使河原氏の手記を中心に―」を再読したり、検証したりするBLOGではないことは確かなことです。ええ!確かなことですとも!
CD1:
◈Johannes Brahms: Symphony No.1 in C minor, op.68
◈Johannes Brahms: Symphony No.4 in E minor, op.98
Utah Symphony Orchestra / Maurice Abravanel
(Rec. 17-24 May 1976, Mormon Tabernacle, Salt Lake City)
CD2:
◈Johannes Brahms: Symphony No.2 in D major, op.73
◈Johannes Brahms: Symphony No.3 in F major, op.90
Utah Symphony Orchestra / Maurice Abravanel
(Rec. 17-24 May 1976, Mormon Tabernacle, Salt Lake City)
ヨハネス・ブラームス(Johannes Brahms, 1833-1897)の交響曲全集です。
ブラームスは、生涯に4曲の交響曲を完成させています。
交響曲作家として知られた人にしては、その交響曲の数は多くはありませんが、彼の交響曲は、どの曲も周到に練り上げられた作品ばかりです。
ブラームスが交響曲作家として名を馳せるようになったのは、交響曲第1番(1876年作)を発表してからのことです。
この交響曲第1番は、1855年に大先輩のロベルト・シューマンのマンフレッド序曲を聴いて構想を練りだした作品で、完成までに21年もかけています。
元々自己批判的性格の強かったブラームスは、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの9曲の交響曲に引けを取らない作品を書くことを自らの課題とし、入念に主題労作を重ね、1871年ごろから集中的に作品を練り上げて完成させました。
出来上がった作品は、カールスルーエでオットー・デッソフの指揮で初演され、その頑強な構成力から、ハンス・フォン・ビューローに「ベートーヴェンの第10交響曲」と言われたとのこと。
初演後も、ブラームスは作品の改訂を行い、1877年になって、やっと出版社に出版のOKを出しています。
第1番の交響曲が出来上がったブラームスは、ポスト・ベートーヴェンの交響曲を書かねばならないという重責を全うしたということで、第1番の交響曲を出版したその年のうちに、勢いで第2番の交響曲を書き上げています。
南オーストリアのペルチャッハという避暑地の大自然の空気をいっぱい吸ったブラームスは、あっという間にこの第2番を完成させ、その年の12月末にはハンス・リヒターの指揮するウィーン・フィルハーモニー管弦楽団が初演しています。
この作品を作っていた時のブラームスは、大変上機嫌だったようで、クララ・シューマンに「この曲は悲しく響くから、喪章をつけて演奏しなければいけない」と冗談を書き送っているのだとか。
第3番(1883年作)の交響曲は、第2番と同じ顔ぶれで初演され、初演指揮者のリヒターは、ベートーヴェンの交響曲第3番をもじって、「ブラームスの英雄交響曲」と呼んでいましたが、この件についてはブラームスは特にコメントをしていません。
ブラームスにしてみれば、ベートーヴェンの交響曲第3番を意識して作ったわけではなく、雰囲気としても、英雄を称えるような雰囲気を纏っていません。50歳になった自分自身の内省としてこの曲を書き上げただけであって、ブラームスにしてみれば、中途半端なニックネームは、有難迷惑だったのでしょう。
なお、この曲の第3楽章は、フランソワーズ・サガンの小説『ブラームスはお好き?』を『さよならをもう一度』という題名で映画化した時にBGMとして用いられています。
第4番の交響曲は、1884年から翌年にかけて作曲された作品で、ブラームスが仕上げた最後の交響曲になりました。
ここでのブラームスは、第2楽章に教会旋法を盛り込んだり、第4楽章をパッサカリアにしたりと、随分と後ろ向きな素材で作品を作っています。
こうした後衛的な素材は、その古さゆえに、かえって斬新な作品と同じような反応を引き起こしてしまい、作曲者自身の指揮でマイニンゲンで行われた初演では成功を収めたものの、評論家の間では賛否両論に分かれてしまいました。
古色蒼然とした響きの風合いと、古風なスタイルが古武士的な魅力を放っており、ドイツ・ロマンティークの情念を擬古的なスタイルに封入することに成功した希有な作品として、今日では広く愛されています。
その後も、ブラームスは交響曲の作曲の準備をしていましたが、結局交響曲の構想はヨーゼフ・ヨアヒムと仲直りするためのドッペル・コンチェルトに化けてしまい、交響曲が作られることはありませんでした。
この4曲の交響曲を演奏するのは、モーリス・アブラヴァネル(Maurice Abravanel, 1903-1993)の指揮するユタ交響楽団です。
サービスの良いブラームスの交響曲全集であれば、大学祝典序曲や悲劇的序曲のようなオーケストラ曲を同封しますが、本全集は、そういったサービスは一切ありません。
アブラヴァネルはギリシャ生まれの指揮者。クルト・ヴァイルやブルーノ・ヴァルターらの薫陶を受けた人で、作曲も堪能にする人でした。ヨーロッパの歌劇場の叩き上げのような経歴を持ち、ナチスの台頭の影響でオーストラリア経由でアメリカに亡命し、メトロポリタン歌劇場の指揮者として活躍していました。1947年にユタ交響楽団の首席指揮者に招かれたことで、自分のオーケストラを持ちたいという念願をかなえることになり、1979年に勇退するまで、このオーケストラを薫陶しています。
アブラヴァネルは、ブラームスの作品のどっしりとした印象を一旦脇に置き、オーケストラと一緒に一汗流すようなスタンスで、この交響曲全集に挑戦しています。
第1番の交響曲は、特に歯切れの良さを意識した音作りで、動機の一つ一つをしっかりと組木細工のように組み込んで演奏しています。ただ、オーケストラは与えられたパートについてはしっかり弾くものの、それぞれのパートの重要性については十分に共感している風ではなく、第1楽章冒頭の楽天的な響きからは、これからベートーヴェンの交響曲に挑もうとするような気迫というか緊張感というか、そういったものがあまり感じられません。
ブラームスの音楽に期待される重厚さをきれいさっぱり洗い流して、純粋に音のモニュメントとして組み上げていくという面白さが、この交響曲全集の録音の特徴と言えそうです。
第2番の交響曲でも、響きの陰影の細やかさには頓着せず、ひたすら規格通りのパーツを積み上げて音楽を作っています。ヴァイオリンが高い音で怪しくなったり、細かいフィギュレーションを誤魔化したりするのはご愛敬でしょうか。
それぞれのパートの表現力が今一つなため、ブラームスの作品の微妙な陰影が汲みとれていない憾みが残ります。
第3番の交響曲も、規格通りの組み立て方で、団員が一丸となってアブラヴァネルの采配通りに動くという構図で音楽を作っています。重厚で聴き手の心のひだにまで入ってくる演奏は期待できませんが、第3楽章は、そうした表現力上の限界がプラスに働き、過度に感傷的な音楽にならず、シンプルに曲の美しさを味わわせてくれます。
第4番の交響曲は、冒頭のヴァイオリンの泣きのメロディから浮足立っています。それは、あたかも急に楽譜を配られてぶっつけ本番で演奏しているかのような危なっかしさです。纏綿とした弦楽器と管楽器の掛け合いを楽しむというよりは、プロフェッショナルのオーケストラとしてのプライドをかけ、総力を挙げて曲を形にしようという気概で演奏しているようです。
作品の要求する枯淡の表情からは遠く、特に後半の2つの楽章は、威勢良く、カラッとした音でエネルギッシュに演奏しています。
全体的に、作曲者の内面を忖度するというよりは、作曲者の書いた設計図通りに演奏するという、合理的に割り切った演奏だと言えます。ただ、ユタ交響楽団の技術的限界をカバーしながらの演奏であり、全体的に大雑把な印象は否めません。しかし、ブラームスとはこういうものだという先入見の外側にある演奏であり、ブラームスとはかくあるべしという堅苦しさがないのは、それはそれとして魅力的かもしれません。
ブラームスは、生涯に4曲の交響曲を完成させています。
交響曲作家として知られた人にしては、その交響曲の数は多くはありませんが、彼の交響曲は、どの曲も周到に練り上げられた作品ばかりです。
ブラームスが交響曲作家として名を馳せるようになったのは、交響曲第1番(1876年作)を発表してからのことです。
この交響曲第1番は、1855年に大先輩のロベルト・シューマンのマンフレッド序曲を聴いて構想を練りだした作品で、完成までに21年もかけています。
元々自己批判的性格の強かったブラームスは、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの9曲の交響曲に引けを取らない作品を書くことを自らの課題とし、入念に主題労作を重ね、1871年ごろから集中的に作品を練り上げて完成させました。
出来上がった作品は、カールスルーエでオットー・デッソフの指揮で初演され、その頑強な構成力から、ハンス・フォン・ビューローに「ベートーヴェンの第10交響曲」と言われたとのこと。
初演後も、ブラームスは作品の改訂を行い、1877年になって、やっと出版社に出版のOKを出しています。
第1番の交響曲が出来上がったブラームスは、ポスト・ベートーヴェンの交響曲を書かねばならないという重責を全うしたということで、第1番の交響曲を出版したその年のうちに、勢いで第2番の交響曲を書き上げています。
南オーストリアのペルチャッハという避暑地の大自然の空気をいっぱい吸ったブラームスは、あっという間にこの第2番を完成させ、その年の12月末にはハンス・リヒターの指揮するウィーン・フィルハーモニー管弦楽団が初演しています。
この作品を作っていた時のブラームスは、大変上機嫌だったようで、クララ・シューマンに「この曲は悲しく響くから、喪章をつけて演奏しなければいけない」と冗談を書き送っているのだとか。
第3番(1883年作)の交響曲は、第2番と同じ顔ぶれで初演され、初演指揮者のリヒターは、ベートーヴェンの交響曲第3番をもじって、「ブラームスの英雄交響曲」と呼んでいましたが、この件についてはブラームスは特にコメントをしていません。
ブラームスにしてみれば、ベートーヴェンの交響曲第3番を意識して作ったわけではなく、雰囲気としても、英雄を称えるような雰囲気を纏っていません。50歳になった自分自身の内省としてこの曲を書き上げただけであって、ブラームスにしてみれば、中途半端なニックネームは、有難迷惑だったのでしょう。
なお、この曲の第3楽章は、フランソワーズ・サガンの小説『ブラームスはお好き?』を『さよならをもう一度』という題名で映画化した時にBGMとして用いられています。
第4番の交響曲は、1884年から翌年にかけて作曲された作品で、ブラームスが仕上げた最後の交響曲になりました。
ここでのブラームスは、第2楽章に教会旋法を盛り込んだり、第4楽章をパッサカリアにしたりと、随分と後ろ向きな素材で作品を作っています。
こうした後衛的な素材は、その古さゆえに、かえって斬新な作品と同じような反応を引き起こしてしまい、作曲者自身の指揮でマイニンゲンで行われた初演では成功を収めたものの、評論家の間では賛否両論に分かれてしまいました。
古色蒼然とした響きの風合いと、古風なスタイルが古武士的な魅力を放っており、ドイツ・ロマンティークの情念を擬古的なスタイルに封入することに成功した希有な作品として、今日では広く愛されています。
その後も、ブラームスは交響曲の作曲の準備をしていましたが、結局交響曲の構想はヨーゼフ・ヨアヒムと仲直りするためのドッペル・コンチェルトに化けてしまい、交響曲が作られることはありませんでした。
この4曲の交響曲を演奏するのは、モーリス・アブラヴァネル(Maurice Abravanel, 1903-1993)の指揮するユタ交響楽団です。
サービスの良いブラームスの交響曲全集であれば、大学祝典序曲や悲劇的序曲のようなオーケストラ曲を同封しますが、本全集は、そういったサービスは一切ありません。
アブラヴァネルはギリシャ生まれの指揮者。クルト・ヴァイルやブルーノ・ヴァルターらの薫陶を受けた人で、作曲も堪能にする人でした。ヨーロッパの歌劇場の叩き上げのような経歴を持ち、ナチスの台頭の影響でオーストラリア経由でアメリカに亡命し、メトロポリタン歌劇場の指揮者として活躍していました。1947年にユタ交響楽団の首席指揮者に招かれたことで、自分のオーケストラを持ちたいという念願をかなえることになり、1979年に勇退するまで、このオーケストラを薫陶しています。
アブラヴァネルは、ブラームスの作品のどっしりとした印象を一旦脇に置き、オーケストラと一緒に一汗流すようなスタンスで、この交響曲全集に挑戦しています。
第1番の交響曲は、特に歯切れの良さを意識した音作りで、動機の一つ一つをしっかりと組木細工のように組み込んで演奏しています。ただ、オーケストラは与えられたパートについてはしっかり弾くものの、それぞれのパートの重要性については十分に共感している風ではなく、第1楽章冒頭の楽天的な響きからは、これからベートーヴェンの交響曲に挑もうとするような気迫というか緊張感というか、そういったものがあまり感じられません。
ブラームスの音楽に期待される重厚さをきれいさっぱり洗い流して、純粋に音のモニュメントとして組み上げていくという面白さが、この交響曲全集の録音の特徴と言えそうです。
第2番の交響曲でも、響きの陰影の細やかさには頓着せず、ひたすら規格通りのパーツを積み上げて音楽を作っています。ヴァイオリンが高い音で怪しくなったり、細かいフィギュレーションを誤魔化したりするのはご愛敬でしょうか。
それぞれのパートの表現力が今一つなため、ブラームスの作品の微妙な陰影が汲みとれていない憾みが残ります。
第3番の交響曲も、規格通りの組み立て方で、団員が一丸となってアブラヴァネルの采配通りに動くという構図で音楽を作っています。重厚で聴き手の心のひだにまで入ってくる演奏は期待できませんが、第3楽章は、そうした表現力上の限界がプラスに働き、過度に感傷的な音楽にならず、シンプルに曲の美しさを味わわせてくれます。
第4番の交響曲は、冒頭のヴァイオリンの泣きのメロディから浮足立っています。それは、あたかも急に楽譜を配られてぶっつけ本番で演奏しているかのような危なっかしさです。纏綿とした弦楽器と管楽器の掛け合いを楽しむというよりは、プロフェッショナルのオーケストラとしてのプライドをかけ、総力を挙げて曲を形にしようという気概で演奏しているようです。
作品の要求する枯淡の表情からは遠く、特に後半の2つの楽章は、威勢良く、カラッとした音でエネルギッシュに演奏しています。
全体的に、作曲者の内面を忖度するというよりは、作曲者の書いた設計図通りに演奏するという、合理的に割り切った演奏だと言えます。ただ、ユタ交響楽団の技術的限界をカバーしながらの演奏であり、全体的に大雑把な印象は否めません。しかし、ブラームスとはこういうものだという先入見の外側にある演奏であり、ブラームスとはかくあるべしという堅苦しさがないのは、それはそれとして魅力的かもしれません。
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