1928年の日本ハナゲ學会第3分科會において瓢箪屋蓑吉氏が発表した「傳説の白ハナゲと黑ハナゲの脱色化の判別に關する文化論的一考察 ―ルウブル美術館をくまなく回ろうとして挫折したフレデリツク勅使河原氏の手記を中心に―」を再読したり、検証したりするBLOGではないことは確かなことです。ええ!確かなことですとも!
◈Wolfgang Amadeus Mozart: Piano Concerto No.19 in F major, K459
Clara Haskil (Pf)
Orchestre de chambre de Lausanne / Victor Desarzens
(Rec. 14 October 1957, Téâtre de Beaulieu in Lausanne) Live Redording
◈Wolfgang Amadeus Mozart: Piano Concerto No.24 in C minor, K491Clara Haskil (Pf)
Orchestre de chambre de Lausanne / Victor Desarzens
(Rec. 25 June 1956, Téâtre de Beaulieu in Lausanne) Live Redording
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart, 1756-1791)の、第19番(K459)と第24番(K491)のピアノ協奏曲を取り上げたCDです。
ピアノ独奏はクララ・ハスキル(Clara Haskil, 1895-1960)が受け持っています。この演目は、ハスキルが得意とした演目でもあり、複数の録音が市場に出回っていますが、スイス・ロマンド放送が提供したこの音源は、レコード市場に初登場となる音源です。
ハスキルは、元々ルーマニア出身の人ですが、3歳の時に父親の逝去に伴いウィーンに出てきています。
ウィーンでは、ジョージ・セルやルドルフ・ゼルキンの師匠として知られたリヒャルト・ロベルトの門下生になり、8歳で初舞台を踏んでいます。さらにピアノの腕を磨くべく、パリ音楽院に留学してアルフレッド・コルトーのクラスに入りました。余談ではありますが、ハスキルはパリ音楽院でヴァイオリンも学んでおり、ピアノと同じようにヴァイオリンでもプルミエ・プリを取得していました。
閑話休題。ハスキルはコルトーの下で研鑽を積むはずでしたが、実際に彼女を指導していたのは、ラザール・レヴィやジラール=ルタルズ夫人といったコルトーとは別の先生だったようです。コルトーは、ハスキルにあまり温かく接しませんでしたが、コルトーの門下生だった遠山慶子によると、コルトーはハスキルのことを「バランスのとれない孤独なときにこそ、すばらしいものを生み出す才能」と評価しており、敢えて冷たく遇することに徹していたと言われています。
脊柱側湾症や膠原病などに悩まされていたハスキルですが、第二次世界大戦中は視力の低下や偏頭痛にも悩まされ、脳腫瘍と診断されて演奏家としての活動を中断する羽目になったこともあります。マルセイユで行われた脳腫瘍の手術は成功したものの、折しも第二次世界大戦中であり、ユダヤ系だったハスキルは、命からがらスイスに亡命することになりました。
そんなわけで、美貌の女性だったハスキルも、戦争が終わるころには、老女のようにやつれ果て、赤貧の暮らしを送っていたとのこと。
戦後、生活が安定してからは、ザルツブルク音楽祭に出演したり、アルテュール・グリュミオーとデュオを組んだりして、実力相応の名声を獲得するようになりましたが、1960年の12月6日に、グリュミオーとコンサートを開くために向かったブリュッセルの駅のホームで階段を踏み外して転倒し、意識不明のまま翌日亡くなってしまいました。
演奏家としてのハスキルは、フランツ・リストの作品もアッサリ弾きこなしてしまうほどのテクニシャンでした。
パウル・ヒンデミットの《四つの気質》やプーランクの作品なども積極的に弾いていたらしく、意外とレパートリーが広かった人なのかもしれません。ただし、彼女についてはモーツァルト演奏のスペシャリストとして名を連ねられることが多いのも事実です。
彼女の芸風は、オーケストラをダイナミックに鳴らして聴き手を圧倒させるようなものではなく、淡々とピアノを鳴らしながら細かなニュアンスをつけていく、控えめなものだといえます。
モーツァルトを演奏しながらも、決して愉悦感に浸ることはなく、むしろそんな愉悦の外側にいるような雰囲気があります。つまり、彼女の演奏を「底抜けに明るい、楽しい演奏」とは、私は書けません。
本CDでは、伴奏を受け持っているのはヴィクトル・デザルツェンス(Victor Desarzens, 1908-1986)率いるローザンヌ室内管弦楽団です。デザルツェンスは、スイス生まれの指揮者ですが、元々ジョルジェ・エネスク門下のヴァイオリニストでした。彼は、1942年にスイス・ロマンド放送の援助を受けてローザンヌ室内管弦楽団を組織し、このオーケストラをスイス有数のオーケストラに育て上げました。デザルツェンスの師であるエネスコも、ハスキルも同じルーマニア人ということで、彼らは意外と話が合ったのかもしれません。
第19番のピアノ協奏曲は、第1楽章冒頭から弦楽器とフルートのブレンドを中心に据えたオーケストレーションで、すっきりとした透明な美しさを湛えていますが、このオーケストラの提示部でのローザンヌ室内管弦楽団の演奏は、やや常套的。
しかし、しずしずとハスキルのピアノが入ってくると、ハスキルの呼吸に合わせるように、次第に管楽セクションが微妙なニュアンスを加えてハスキルと渡り合うようになり、奥ゆかしくも優雅な演奏へと変貌していきます。
テンポ設定は、むしろ足早なくらいですが、上っ面だけの軽やかさにならず、程よい重みが感じられます。
第2楽章も、安直な子守唄で終わらせることなく、ふとした短調への陰りに、寂寥感をにじませています。
大げさに表情をつけず、淡々と弾けばこそ、ほんのちょっとしたニュアンスが品よく伝わってくるのでしょう。
第3楽章においても、はしゃぐような表情を抑制し、ハスキルは淡々と弾いています。テンポ設定は、淡々とした表情と裏腹にかなりの快速調という、かなりリスキーなことをやっています。しかし、後半の主題回帰への経過句でよろめくまで、ハスキルは、聴き手にそのリスクを感じさせません。
第24番のピアノ協奏曲は、第20番以来の短調のピアノ協奏曲です。第20番以上にオーケストレーションを緊密にし、交響曲とピアノ独奏が合体したような仕上がりになっています。いわば、オーケストラの比重を上げてドラマティックな表現を目指そうとした、モーツァルトなりの新機軸の模索といったところでしょうか。
ピアノのパートも、何度も書き直したり、敢えて空白にして現場での即興に賭けたりして、演奏効果が上がるように苦心を重ねているようです。後年、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンがハ短調のピアノ協奏曲(第3番)を書き上げる時に参考にしたと言われています。ただ、ベートーヴェン作品のピアノ・パートと比べてみて、モーツァルトのピアノ・パートが幾分軽やかなのは、モーツァルトの使っていた楽器の制約ゆえのことかもしれません。
しかし、ハスキルは、ベートーヴェン作品のピアノ・パートとの差を縮めるような存在感でもって、この作品と対峙しており、この作品からブラック・ホールを思わせるような深遠を引き出そうとしています。
普通にシンフォニックな第1楽章の序奏が、虚空を見つめるかのようなハスキルのピアノの登場によって、ズシリと重くなります。颯爽としたテンポで走り抜けながら、決して爽やかさを感じさせず、モーツァルトの激情的な内面を抉り取るような気迫と緊張感が漲っています。
第2楽章でのハスキルは、木管パートと絶妙な掛け合いを演じ、メロディの美しさを自然な呼吸のうちに際立たせますが、その淡々とした表情が、雪舟の水墨画のような静謐さと寂寥感を湛えています。
第3楽章も颯爽としたテンポで弾きこなしていますが、さほど強弱のダイナミズムをつけているわけでもないのに、スケールの大きさを感じさせるような不思議な演奏になっています。オーケストラの表情の硬さもとれ、すっかりハスキルの音楽世界に同調し、峻厳な伴奏でハスキルを支えています。最後の一音に向けてひたすら凝集していくかのような集中力でもって、全曲を一貫させており、中途半端な放縦さは入り込む隙がありません。
ピアノ独奏はクララ・ハスキル(Clara Haskil, 1895-1960)が受け持っています。この演目は、ハスキルが得意とした演目でもあり、複数の録音が市場に出回っていますが、スイス・ロマンド放送が提供したこの音源は、レコード市場に初登場となる音源です。
ハスキルは、元々ルーマニア出身の人ですが、3歳の時に父親の逝去に伴いウィーンに出てきています。
ウィーンでは、ジョージ・セルやルドルフ・ゼルキンの師匠として知られたリヒャルト・ロベルトの門下生になり、8歳で初舞台を踏んでいます。さらにピアノの腕を磨くべく、パリ音楽院に留学してアルフレッド・コルトーのクラスに入りました。余談ではありますが、ハスキルはパリ音楽院でヴァイオリンも学んでおり、ピアノと同じようにヴァイオリンでもプルミエ・プリを取得していました。
閑話休題。ハスキルはコルトーの下で研鑽を積むはずでしたが、実際に彼女を指導していたのは、ラザール・レヴィやジラール=ルタルズ夫人といったコルトーとは別の先生だったようです。コルトーは、ハスキルにあまり温かく接しませんでしたが、コルトーの門下生だった遠山慶子によると、コルトーはハスキルのことを「バランスのとれない孤独なときにこそ、すばらしいものを生み出す才能」と評価しており、敢えて冷たく遇することに徹していたと言われています。
脊柱側湾症や膠原病などに悩まされていたハスキルですが、第二次世界大戦中は視力の低下や偏頭痛にも悩まされ、脳腫瘍と診断されて演奏家としての活動を中断する羽目になったこともあります。マルセイユで行われた脳腫瘍の手術は成功したものの、折しも第二次世界大戦中であり、ユダヤ系だったハスキルは、命からがらスイスに亡命することになりました。
そんなわけで、美貌の女性だったハスキルも、戦争が終わるころには、老女のようにやつれ果て、赤貧の暮らしを送っていたとのこと。
戦後、生活が安定してからは、ザルツブルク音楽祭に出演したり、アルテュール・グリュミオーとデュオを組んだりして、実力相応の名声を獲得するようになりましたが、1960年の12月6日に、グリュミオーとコンサートを開くために向かったブリュッセルの駅のホームで階段を踏み外して転倒し、意識不明のまま翌日亡くなってしまいました。
演奏家としてのハスキルは、フランツ・リストの作品もアッサリ弾きこなしてしまうほどのテクニシャンでした。
パウル・ヒンデミットの《四つの気質》やプーランクの作品なども積極的に弾いていたらしく、意外とレパートリーが広かった人なのかもしれません。ただし、彼女についてはモーツァルト演奏のスペシャリストとして名を連ねられることが多いのも事実です。
彼女の芸風は、オーケストラをダイナミックに鳴らして聴き手を圧倒させるようなものではなく、淡々とピアノを鳴らしながら細かなニュアンスをつけていく、控えめなものだといえます。
モーツァルトを演奏しながらも、決して愉悦感に浸ることはなく、むしろそんな愉悦の外側にいるような雰囲気があります。つまり、彼女の演奏を「底抜けに明るい、楽しい演奏」とは、私は書けません。
本CDでは、伴奏を受け持っているのはヴィクトル・デザルツェンス(Victor Desarzens, 1908-1986)率いるローザンヌ室内管弦楽団です。デザルツェンスは、スイス生まれの指揮者ですが、元々ジョルジェ・エネスク門下のヴァイオリニストでした。彼は、1942年にスイス・ロマンド放送の援助を受けてローザンヌ室内管弦楽団を組織し、このオーケストラをスイス有数のオーケストラに育て上げました。デザルツェンスの師であるエネスコも、ハスキルも同じルーマニア人ということで、彼らは意外と話が合ったのかもしれません。
第19番のピアノ協奏曲は、第1楽章冒頭から弦楽器とフルートのブレンドを中心に据えたオーケストレーションで、すっきりとした透明な美しさを湛えていますが、このオーケストラの提示部でのローザンヌ室内管弦楽団の演奏は、やや常套的。
しかし、しずしずとハスキルのピアノが入ってくると、ハスキルの呼吸に合わせるように、次第に管楽セクションが微妙なニュアンスを加えてハスキルと渡り合うようになり、奥ゆかしくも優雅な演奏へと変貌していきます。
テンポ設定は、むしろ足早なくらいですが、上っ面だけの軽やかさにならず、程よい重みが感じられます。
第2楽章も、安直な子守唄で終わらせることなく、ふとした短調への陰りに、寂寥感をにじませています。
大げさに表情をつけず、淡々と弾けばこそ、ほんのちょっとしたニュアンスが品よく伝わってくるのでしょう。
第3楽章においても、はしゃぐような表情を抑制し、ハスキルは淡々と弾いています。テンポ設定は、淡々とした表情と裏腹にかなりの快速調という、かなりリスキーなことをやっています。しかし、後半の主題回帰への経過句でよろめくまで、ハスキルは、聴き手にそのリスクを感じさせません。
第24番のピアノ協奏曲は、第20番以来の短調のピアノ協奏曲です。第20番以上にオーケストレーションを緊密にし、交響曲とピアノ独奏が合体したような仕上がりになっています。いわば、オーケストラの比重を上げてドラマティックな表現を目指そうとした、モーツァルトなりの新機軸の模索といったところでしょうか。
ピアノのパートも、何度も書き直したり、敢えて空白にして現場での即興に賭けたりして、演奏効果が上がるように苦心を重ねているようです。後年、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンがハ短調のピアノ協奏曲(第3番)を書き上げる時に参考にしたと言われています。ただ、ベートーヴェン作品のピアノ・パートと比べてみて、モーツァルトのピアノ・パートが幾分軽やかなのは、モーツァルトの使っていた楽器の制約ゆえのことかもしれません。
しかし、ハスキルは、ベートーヴェン作品のピアノ・パートとの差を縮めるような存在感でもって、この作品と対峙しており、この作品からブラック・ホールを思わせるような深遠を引き出そうとしています。
普通にシンフォニックな第1楽章の序奏が、虚空を見つめるかのようなハスキルのピアノの登場によって、ズシリと重くなります。颯爽としたテンポで走り抜けながら、決して爽やかさを感じさせず、モーツァルトの激情的な内面を抉り取るような気迫と緊張感が漲っています。
第2楽章でのハスキルは、木管パートと絶妙な掛け合いを演じ、メロディの美しさを自然な呼吸のうちに際立たせますが、その淡々とした表情が、雪舟の水墨画のような静謐さと寂寥感を湛えています。
第3楽章も颯爽としたテンポで弾きこなしていますが、さほど強弱のダイナミズムをつけているわけでもないのに、スケールの大きさを感じさせるような不思議な演奏になっています。オーケストラの表情の硬さもとれ、すっかりハスキルの音楽世界に同調し、峻厳な伴奏でハスキルを支えています。最後の一音に向けてひたすら凝集していくかのような集中力でもって、全曲を一貫させており、中途半端な放縦さは入り込む隙がありません。
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