1928年の日本ハナゲ學会第3分科會において瓢箪屋蓑吉氏が発表した「傳説の白ハナゲと黑ハナゲの脱色化の判別に關する文化論的一考察 ―ルウブル美術館をくまなく回ろうとして挫折したフレデリツク勅使河原氏の手記を中心に―」を再読したり、検証したりするBLOGではないことは確かなことです。ええ!確かなことですとも!
CD1:
◈Johann Sebastian Bach: Suite No.1 in C major, BWV1066
Otto Klemperer / New Philharmonia Orchestra
(Rec. 17-19 September & 6, 15-17 November 1969, Abbey Road Studio, London)
◈Johann Sebastian Bach: Suite No.2 in B minor, BWV1067Gareth Morris (Fl)
Otto Klemperer / New Philharmonia Orchrstra
Otto Klemperer / New Philharmonia Orchrstra
(Rec. 17-19 September & 6, 15-17 November 1969, Abbey Road Studio, London)
CD2:
◈Johann Sebastian Bach: Suite No.3 in D major, BWV1068
◈Johann Sebastian Bach: Suite No.4 in D major, BWV1069
Otto Klemperer / New Philharmonia Orchestra
(Rec. 17-19 September & 6, 15-17 November 1969, Abbey Road Studio, London)
ヨハン・ゼバスティアン・バッハ(Johann Sebastian Bach, 1685-1750)の管弦楽組曲は、今日真作とされているのが4作あります。それは、ハ長調の第1番(BWV1066)、ロ短調の第2番(BWV1067)、ニ長調の第3番(BWV1068)と第4番(BWV1069)です。
J.S.バッハが活躍していたころは、宮廷のオーケストラの規模は、領主の収入や裁量でまちまちであり、この管弦楽組曲も、必要とされる楽器編成から、いつ頃作曲されたものかが類推されています。
全ての組曲に弦楽セクションと通奏低音は共通していますが、管・打楽器の編成にバラつきがみられます。
それぞれの管・打楽器の内訳は以下の通り。
第1番:オーボエ×2,ファゴット×1
第2番:フルート×1
第3番:トランペット×3,オーボエ×2,ティンパニ
第4番:トランペット×3,オーボエ×3,ファゴット×1,ティンパニ
第1番と第2番の組曲については、トランペットが含まれていないことから、J.S.バッハがヴァイマールで活躍していた1708年から1717年の間、もしくはケーテンに移って活動していた1717年から1723年の頃に作曲されたとみられています。第3番と第4番については、相当の規模の編成で書かれていることから、1723年以後のライプツィヒで活動していた時期の所産ではないかと考えられます。しかし、ヴァイマールやケーテンにいた頃に書いたものを、その後編曲し直して今日の形にした可能性もあります。
フルートを用いた第2番に関しては、フルートがソリスティックな動きをすることから、演奏の際には名手を客演に呼ぶこともあります。
本CDは、オットー・クレンペラー(Otto Klemperer, 1885-1973)が指揮するニュー・フィルハーモニア管弦楽団の演奏が収録されており、第2番のフルート奏者として、ガレス・モリス(Gareth Morris, 1920-2007)の名前がクレジットされています。
ニュー・フィルハーモニア管弦楽団は、ウォルター・レッグが、1964年に自らオーナーを務めていたフィルハーモニア管弦楽団の解散をオーケストラ側に一方的に通告し、その通告に反対を表明する形で自主運営で再結成したオーケストラです。
1955年から、レッグの要請を受けて首席指揮者を引き受けていたクレンペラーは、ニュー・フィルハーモニア管弦楽団に改組された後も、このオーケストラに「会長」という肩書で残り、オーケストラの精神的支柱として1972年の引退時まで君臨しました。
クレンペラー自身は、ハンス・プフィッツナー門下のドイツ人指揮者ですが、1927年から1931年までクロール歌劇場で斬新な演出によるオペラ上演を手掛けたことで知られていました。しかし、ナチスの台頭のためにユダヤ人であることからドイツを追われ、亡命先のアメリカでは生来の女好きと躁鬱気質、さらに脳腫瘍などによってキャリアを潰してしまい、第二次世界大戦後にヨーロッパに戻り、レッグの知己を得て、やっと安住の地をイギリスに見つけました。
ただ、フィルハーモニア管弦楽団で活躍していたころには、モントリオールの空港で転倒して腰の骨を折ったり、寝タバコで全身やけどを負ったりして、満身創痍の体になっていました。こうした身体的なハンディキャップのため、荘重で厳格なスロー・テンポの演奏スタイルになったとのこと。
第2番の管弦楽組曲でフルートを吹くモリスは、ロバート・マーチーやチャールズ・スタイナーといったイギリスのフルートの名教師たちの教えを受けた人。ボイド・ニールやレジナルド・ジェイクスのオーケストラの奏者を経て、レッグにフィルハーモニア管弦楽団の首席奏者に抜擢されています。1966年には、自主運営団体になったニュー・フィルハーモニア管弦楽団の団長を務め、1972年からは、ロンドンの王立音楽院で後進の指導に当たっていました。木製のフルートの愛好者でもあり、本CDでも、その素朴な音色を堪能させてくれます。
本CDの演奏全体について言えば、キビキビとしたテンポで効率よく演奏する古楽器演奏の立場からすれば、これほどまどろっこしいものはありません。
舞曲の詰め合わせとしての管弦楽組曲を考えれば、クレンペラーの演奏は、ガヴォットだのメヌエットだのと言ってもステップを踏める音楽ではありません。食卓やパーティーなどの社交のツールとして使われていた時代のスタイルで演奏しているわけではありません。
時代考証的な音楽の再現ではなく、クレンペラーがJ.S.バッハの楽譜から読み取ったことを実音化しているのです。
たっぷりとした音で、ゆったり目のテンポで奏でられるJ.S.バッハの管弦楽組曲は、本来の用途から離れて、音楽のための音楽として読みかえられ、生前のJ.S.バッハが想像だにしなかった形で、その音楽の深さに迫ろうとしています。
クレンペラーの演奏には、時代考証抜きに、かくあるべしと思わせるような説得力が備わっています。
しかし、クレンペラーは、その音色の豊かさの中に陶酔を見出そうとはしていません。「G線上のアリア」で知られる管弦楽組曲第3番の〈エア(アリア)〉など、敢えて弦楽セクションから音色の艶を消し、純粋にハーモニーの移り変わりを表現しようとしています。そのため、表情がこれ見よがしな瞑想にならず、自然な静謐さを獲得しています。
J.S.バッハが活躍していたころは、宮廷のオーケストラの規模は、領主の収入や裁量でまちまちであり、この管弦楽組曲も、必要とされる楽器編成から、いつ頃作曲されたものかが類推されています。
全ての組曲に弦楽セクションと通奏低音は共通していますが、管・打楽器の編成にバラつきがみられます。
それぞれの管・打楽器の内訳は以下の通り。
第1番:オーボエ×2,ファゴット×1
第2番:フルート×1
第3番:トランペット×3,オーボエ×2,ティンパニ
第4番:トランペット×3,オーボエ×3,ファゴット×1,ティンパニ
第1番と第2番の組曲については、トランペットが含まれていないことから、J.S.バッハがヴァイマールで活躍していた1708年から1717年の間、もしくはケーテンに移って活動していた1717年から1723年の頃に作曲されたとみられています。第3番と第4番については、相当の規模の編成で書かれていることから、1723年以後のライプツィヒで活動していた時期の所産ではないかと考えられます。しかし、ヴァイマールやケーテンにいた頃に書いたものを、その後編曲し直して今日の形にした可能性もあります。
フルートを用いた第2番に関しては、フルートがソリスティックな動きをすることから、演奏の際には名手を客演に呼ぶこともあります。
本CDは、オットー・クレンペラー(Otto Klemperer, 1885-1973)が指揮するニュー・フィルハーモニア管弦楽団の演奏が収録されており、第2番のフルート奏者として、ガレス・モリス(Gareth Morris, 1920-2007)の名前がクレジットされています。
ニュー・フィルハーモニア管弦楽団は、ウォルター・レッグが、1964年に自らオーナーを務めていたフィルハーモニア管弦楽団の解散をオーケストラ側に一方的に通告し、その通告に反対を表明する形で自主運営で再結成したオーケストラです。
1955年から、レッグの要請を受けて首席指揮者を引き受けていたクレンペラーは、ニュー・フィルハーモニア管弦楽団に改組された後も、このオーケストラに「会長」という肩書で残り、オーケストラの精神的支柱として1972年の引退時まで君臨しました。
クレンペラー自身は、ハンス・プフィッツナー門下のドイツ人指揮者ですが、1927年から1931年までクロール歌劇場で斬新な演出によるオペラ上演を手掛けたことで知られていました。しかし、ナチスの台頭のためにユダヤ人であることからドイツを追われ、亡命先のアメリカでは生来の女好きと躁鬱気質、さらに脳腫瘍などによってキャリアを潰してしまい、第二次世界大戦後にヨーロッパに戻り、レッグの知己を得て、やっと安住の地をイギリスに見つけました。
ただ、フィルハーモニア管弦楽団で活躍していたころには、モントリオールの空港で転倒して腰の骨を折ったり、寝タバコで全身やけどを負ったりして、満身創痍の体になっていました。こうした身体的なハンディキャップのため、荘重で厳格なスロー・テンポの演奏スタイルになったとのこと。
第2番の管弦楽組曲でフルートを吹くモリスは、ロバート・マーチーやチャールズ・スタイナーといったイギリスのフルートの名教師たちの教えを受けた人。ボイド・ニールやレジナルド・ジェイクスのオーケストラの奏者を経て、レッグにフィルハーモニア管弦楽団の首席奏者に抜擢されています。1966年には、自主運営団体になったニュー・フィルハーモニア管弦楽団の団長を務め、1972年からは、ロンドンの王立音楽院で後進の指導に当たっていました。木製のフルートの愛好者でもあり、本CDでも、その素朴な音色を堪能させてくれます。
本CDの演奏全体について言えば、キビキビとしたテンポで効率よく演奏する古楽器演奏の立場からすれば、これほどまどろっこしいものはありません。
舞曲の詰め合わせとしての管弦楽組曲を考えれば、クレンペラーの演奏は、ガヴォットだのメヌエットだのと言ってもステップを踏める音楽ではありません。食卓やパーティーなどの社交のツールとして使われていた時代のスタイルで演奏しているわけではありません。
時代考証的な音楽の再現ではなく、クレンペラーがJ.S.バッハの楽譜から読み取ったことを実音化しているのです。
たっぷりとした音で、ゆったり目のテンポで奏でられるJ.S.バッハの管弦楽組曲は、本来の用途から離れて、音楽のための音楽として読みかえられ、生前のJ.S.バッハが想像だにしなかった形で、その音楽の深さに迫ろうとしています。
クレンペラーの演奏には、時代考証抜きに、かくあるべしと思わせるような説得力が備わっています。
しかし、クレンペラーは、その音色の豊かさの中に陶酔を見出そうとはしていません。「G線上のアリア」で知られる管弦楽組曲第3番の〈エア(アリア)〉など、敢えて弦楽セクションから音色の艶を消し、純粋にハーモニーの移り変わりを表現しようとしています。そのため、表情がこれ見よがしな瞑想にならず、自然な静謐さを獲得しています。
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