1928年の日本ハナゲ學会第3分科會において瓢箪屋蓑吉氏が発表した「傳説の白ハナゲと黑ハナゲの脱色化の判別に關する文化論的一考察 ―ルウブル美術館をくまなく回ろうとして挫折したフレデリツク勅使河原氏の手記を中心に―」を再読したり、検証したりするBLOGではないことは確かなことです。ええ!確かなことですとも!
CD1:
◈Ludwig van Beethoven: Symphony No.1 in C major, op.21
◈Ludwig van Beethoven: Symphony No.2 in D major, op.36
Orchestra della Radio della Svizzera Italiana / Hermann Scherchen
(Rec. 8 January 1965, Lugano) Live Recording with Applause
CD2:
◈Ludwig van Beethoven: Symphony No.3 in E flat major, op.55 "Eroica"
Orchestra della Radio della Svizzera Italiana / Hermann Scherchen
(Rec. 12 February 1965, Lugano) Live Recording with Applause
CD3:
◈Ludwig van Beethoven: Symphony No.4 in B flat major, op.60
◈Ludwig van Beethoven: Symphony No.5 in C minor, op.67
Orchestra della Radio della Svizzera Italiana / Hermann Scherchen
(Rec. 26 February 1965, Lugano) Live Recording with Applause
CD4:
◈Ludwig van Beethoven: Symphony No.6 in F major, op.68 "Pastoral"
Orchestra della Radio della Svizzera Italiana / Hermann Scherchen
(Rec. 12 March 1965, Lugano) Live Recording with Applause
CD5:
◈Ludwig van Beethoven: Symphony No.7 in A major, op.92
◈Ludwig van Beethoven: Symphony No.8 in F major, op.93
Orchestra della Radio della Svizzera Italiana / Hermann Scherchen
(Rec. 19 March 1965, Lugano) Live Recording with Applause
CD6:
◈Ludwig van Beethoven: Symphony No.9 in D minor, op.125 "Choral"
Magda László (S)
Lucienne Devallier (A)
Petre Munteanu (T)
Raffaele Arie (Bs)
Choir of the Radio della Svizzera Italiana
Orchestra della Radio della Svizzera Italiana / Hermann Scherchen
Lucienne Devallier (A)
Petre Munteanu (T)
Raffaele Arie (Bs)
Choir of the Radio della Svizzera Italiana
Orchestra della Radio della Svizzera Italiana / Hermann Scherchen
(Rec. 5 April 1965, Lugano) Live Recording with Applause
ヘルマン・シェルヘン(Hermann Scherchen, 1891-1966)は、ドイツの指揮者です。独学で音楽を修めたシェルヘンは、ヴィオラ奏者として生計を立てていましたが、アルノルト・シェーンベルクの知己を得たことから、1912年に、ミュンヘンでシェーンベルクの《月に憑かれたピエロ》を初演して指揮者デビューを果たしました。その後、ロシアのリガ交響楽団の指揮者として就職するも捕虜になったり、ドイツに戻るもナチスの台頭を嫌ってドイツでのポストを蹴ってスイスに移住したりと、なかなか波乱含みの生涯を送っています。
第二次世界大戦後は、音楽雑誌を発刊したり、スイスのグラヴェザーノに電子音楽スタジオを作って、カールハインツ・シュトックハウゼンやヤニス・クセナキスらを援助したりと、現代音楽の積極的擁護者として活躍しました。
一方で、アントニオ・ヴィヴァルディなどのバロック時代の作曲家の作品の発掘にも尽力し、ウェストミンスター・レーベルに参加してからは、録音活動を通じて、幅広い選曲で様々な音楽の紹介に尽力していました。
指揮法の先生としても定評があり、エルネスト・ブール、カレル・アンチェル、イーゴリ・マルケヴィチなど、ヨーロッパ音楽界の重鎮たちの中にもシェルヘンのお世話になった人が少なからずいます。
本CDは、そんなシェルヘンが、亡くなるおよそ1年前に、ルガノのスイス・イタリア語放送管弦楽団とルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven, 1770-1827)の交響曲の全曲を順次公開録音した記録です。
スイスのあらゆるオーケストラに客演していたシェルヘンにとっては、この録音は、おそらくいつも通りの仕事だったのかもしれませんが、その演奏は、ドロドロにメルトダウンしそうなエンジンを彷彿とさせます。
なお、第9番の交響曲では、ハンガリーからマグダ・ラースロー(Magda László, 1919-2002)、スイス人アルト歌手のリュシエンヌ・ドゥヴァリエ(Lucienne Devallier, 1923-1969)、ルーマニア出身のペトル・ムンテアヌー(Petre Munteanu, 1916-1988)、ブルガリア出身のバス歌手のラファエル・アリエ(Raffaele Arie, 1920-1988)が参加しており、放送局の合唱団が共演しています。
音楽学者としても一家言を持っていたシェルヘンですが、ここでの演奏は、その作品の様式や構成といったものには目もくれず、第3番の交響曲など、作曲者の胸ぐらをつかんで喧嘩を売るかのような凄みがあります。楽譜に書かれている速度指定にこだわりを見せている点に、音楽学者としての彼の気骨が感じられますが、その意地のために、聴きやすさや美しさをほぼ全て犠牲にしてしまっています。有名な第5番の交響曲なんか、苦悩を通して歓喜へと言うよりも、終始憤りを叩きつけるような味付けになっております。
安定した作風を示すといわれる第1番でも全く容赦なく、極端な強弱と煽りで、整った様式を敢えてグチャグチャにしています。こうした演奏のおかげで、生ぬるく演奏されがちな第2番や第4番の交響曲が力いっぱい元気いっぱいに弾け飛び、面白く聴くことが出来ます。平静な気持ちで聴けるはずの第6番の交響曲も、オーケストラの音色がザラついているうえに、シェルヘンの指揮っぷりがギラついていて、嵐の場面で、たまった鬱憤が爆発を起こしており、この交響曲ですら平和はありません。第8番の交響曲も、第7番の交響曲同様、シェルヘンの過酷な要求に、オーケストラがほぼ壊滅しています。
第9も、シェルヘンのやりたい放題ですが、第4楽章だけは、独唱者たちの出番になると、彼らの流儀に合わせて、たっぷりと独唱者たちを歌わせています。
シェルヘンは、亡くなる数ヶ月前にクセナキスの《テレテクトール》を初演し、健在ぶりを示していました。亡くなった時も、フィレンツェでオーケストラとコンサートをやっていた最中の急死だったはずです。
このルガノ放送のスタジオでライヴ収録されたベートーヴェンの交響曲の全集は、一般的には、シェルヘンの最晩年の記録とされますが、本人は晩年の記録だとは微塵も思っていなかったことでしょう。少なくとも、これから一年後に死んでしまうことを匂わせる演奏ではありません。
第二次世界大戦後は、音楽雑誌を発刊したり、スイスのグラヴェザーノに電子音楽スタジオを作って、カールハインツ・シュトックハウゼンやヤニス・クセナキスらを援助したりと、現代音楽の積極的擁護者として活躍しました。
一方で、アントニオ・ヴィヴァルディなどのバロック時代の作曲家の作品の発掘にも尽力し、ウェストミンスター・レーベルに参加してからは、録音活動を通じて、幅広い選曲で様々な音楽の紹介に尽力していました。
指揮法の先生としても定評があり、エルネスト・ブール、カレル・アンチェル、イーゴリ・マルケヴィチなど、ヨーロッパ音楽界の重鎮たちの中にもシェルヘンのお世話になった人が少なからずいます。
本CDは、そんなシェルヘンが、亡くなるおよそ1年前に、ルガノのスイス・イタリア語放送管弦楽団とルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven, 1770-1827)の交響曲の全曲を順次公開録音した記録です。
スイスのあらゆるオーケストラに客演していたシェルヘンにとっては、この録音は、おそらくいつも通りの仕事だったのかもしれませんが、その演奏は、ドロドロにメルトダウンしそうなエンジンを彷彿とさせます。
なお、第9番の交響曲では、ハンガリーからマグダ・ラースロー(Magda László, 1919-2002)、スイス人アルト歌手のリュシエンヌ・ドゥヴァリエ(Lucienne Devallier, 1923-1969)、ルーマニア出身のペトル・ムンテアヌー(Petre Munteanu, 1916-1988)、ブルガリア出身のバス歌手のラファエル・アリエ(Raffaele Arie, 1920-1988)が参加しており、放送局の合唱団が共演しています。
音楽学者としても一家言を持っていたシェルヘンですが、ここでの演奏は、その作品の様式や構成といったものには目もくれず、第3番の交響曲など、作曲者の胸ぐらをつかんで喧嘩を売るかのような凄みがあります。楽譜に書かれている速度指定にこだわりを見せている点に、音楽学者としての彼の気骨が感じられますが、その意地のために、聴きやすさや美しさをほぼ全て犠牲にしてしまっています。有名な第5番の交響曲なんか、苦悩を通して歓喜へと言うよりも、終始憤りを叩きつけるような味付けになっております。
安定した作風を示すといわれる第1番でも全く容赦なく、極端な強弱と煽りで、整った様式を敢えてグチャグチャにしています。こうした演奏のおかげで、生ぬるく演奏されがちな第2番や第4番の交響曲が力いっぱい元気いっぱいに弾け飛び、面白く聴くことが出来ます。平静な気持ちで聴けるはずの第6番の交響曲も、オーケストラの音色がザラついているうえに、シェルヘンの指揮っぷりがギラついていて、嵐の場面で、たまった鬱憤が爆発を起こしており、この交響曲ですら平和はありません。第8番の交響曲も、第7番の交響曲同様、シェルヘンの過酷な要求に、オーケストラがほぼ壊滅しています。
第9も、シェルヘンのやりたい放題ですが、第4楽章だけは、独唱者たちの出番になると、彼らの流儀に合わせて、たっぷりと独唱者たちを歌わせています。
シェルヘンは、亡くなる数ヶ月前にクセナキスの《テレテクトール》を初演し、健在ぶりを示していました。亡くなった時も、フィレンツェでオーケストラとコンサートをやっていた最中の急死だったはずです。
このルガノ放送のスタジオでライヴ収録されたベートーヴェンの交響曲の全集は、一般的には、シェルヘンの最晩年の記録とされますが、本人は晩年の記録だとは微塵も思っていなかったことでしょう。少なくとも、これから一年後に死んでしまうことを匂わせる演奏ではありません。
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