1928年の日本ハナゲ學会第3分科會において瓢箪屋蓑吉氏が発表した「傳説の白ハナゲと黑ハナゲの脱色化の判別に關する文化論的一考察 ―ルウブル美術館をくまなく回ろうとして挫折したフレデリツク勅使河原氏の手記を中心に―」を再読したり、検証したりするBLOGではないことは確かなことです。ええ!確かなことですとも!
CD1:
◈Felix Mendelssohn: Piano Concerto No.1 in G minor, op.25
◈Felix Mendelssohn: Piano Concerto No.2 in D minor, op.40
Peter Katin (Pf)
London Symphony Orchestra / Anthony Collins
(Rec. 1956)
◈Felix Mendelssohn: Capriccio Brillant in B minor, op.22◈Felix Mendelssohn: Rondo Brillant in E flat major, op.29
Peter Katin (Pf)
London Philharmonic Orchestra / Jean Martinon
(Rec. 1954)
CD2:
◈Felix Mendelssohn: Concerto for 2 Pianos and Strings in E major
John Ogdon (1st Pf)
Brenda Lucas (2nd Pf)
Brenda Lucas (2nd Pf)
Academy of St.Martin in the Fields / Neville Marriner
(Rec. 1969)
◈Felix Mendelssohn: Concerto for Piano and StringsJohn Ogdon (Pf)
Academy of St.Martin in the Fields / Neville Marriner
(Rec. 1969)
フェリックス・メンデルスゾーン(Felix Mendelssohn, 1809-1847)はドイツの作曲家です。
メンデルスゾーン家の祖父モーゼスは、イマヌエル・カントの好敵手として知られた啓蒙思想家でした。
メンデルスゾーンの父の代に銀行業で大富豪となり、メンデルスゾーンは、金銭的には全く困らない裕福な生活を送っていました。
そんなメンデルスゾーン家がどれだけ裕福だったかというと、執事やメイドはのみならず、自分の邸宅に座付きの合奏団を雇うことが出来たほどです。メンデルスゾーン邸では、度々自前でコンサートを開いていて、本CDの2枚目のCDでジョン・オグドン(John Ogdon, 1937-1989)が演奏しているピアノと弦楽合奏のための協奏曲(1822年作)は、そのコンサートの演目として書かれたものです。
メンデルスゾーンは、成人してから、3曲ほどピアノ協奏曲を手掛けましたが、そのうちの1曲は途中放棄しています。
完成された作品は、1831年作の第1番と1837年作の第2番です。第1番のほうは、完成した年の10月にミュンヘンで行われた演奏会で初演され、第2番のほうはイギリスのバーミンガムでの音楽祭に招聘された時の出し物として完成された年の9月に初演されました。
どちらの曲も同工異曲で、第1楽章のオーケストラによる主題提示が省略されています。また、3つの楽章からなるものの、それぞれの楽章がアタッカ(休みなし)で繋げられています。
当時の演奏会は、第1楽章が終われば、他の作曲家の他の作品が挿入されるようなごちゃ混ぜのプログラムが主流だったため、勝手に他人の作品で分断されてはかなわないということで、強引に楽章間をつなぎ合わせたのではないかと思います。
楽章間をアタッカでつなげる手法は、後年ホ短調のヴァイオリン協奏曲を書いた時にも用いられています。
この2曲のピアノ協奏曲の演奏は、本CDでは、ピーター・ケイティン(Peter Katin, 1930-)のピアノ独奏で行われています。
ケイティンは、ハロルド・クラクストン門下のイギリスのピアニストです。18世紀から19世紀にかけてのドイツ圏のピアノ音楽に強みを発揮する人ですが、クロード・ドビュッシーやピョートル・イリイチ・チャイコフスキーの作品も録音しており、基本的にオールマイティだったようです。
メンデルスゾーンの音楽は、ケイティンにとっては、得意な範疇に入るであろう作品ですが、特に両協奏曲の第2楽章では、絶妙なニュアンスで美しいメロディにふっくらとした肉付きを与えてます。
ただ、ケイティンは、自分のデビュー・コンサートでセルゲイ・ラフマニノフの作品を弾きこなしたほどのテクニシャンでしたが、これらの協奏曲の第1楽章や第3楽章では、右手に大雑把さが感じられ、胸のすくような快演とまではいきませんでした。
オーケストラの伴奏は、アンソニー・コリンズ(Anthony Collins, 1893-1963)の指揮するロンドン交響楽団が受け持っています。
コリンズは元々ヴィオラ奏者としてイギリスの主要オーケストラを渡り歩いた後、指揮者に転向した人です。ロンドン交響楽団は、ヴィオラ奏者としての彼の古巣でもあります。
コリンズの伴奏は、まるで竹を割ったようです。鳴らすべきところでは豪快にオーケストラを鳴らし、メンデルスゾーンの優男のような音楽に力強さを加えています。ただ、ピアノの下支えをする分には、もう少し軟らかさが欲しい気もします。もっとも、柔軟性が不足して聞こえるのは、1950年代のステレオ録音の宿命なのかもしれません。
この2曲の協奏曲の後には、《華麗なるカプリッチョ》と《華麗なるロンド》が収録されています。
メンデルスゾーンは、度々イギリスに渡っていますが、《華麗なるカプリッチョ》は、1832年にイギリスに演奏旅行した時に持っていった作品です。作品自体は1826年には仕上げられていたらしく、初演はそれまでに行われたのかもしれませんが、詳しいことは分かっていません。緩やかで優美な序奏の後、情念がメラメラと燃え上がるような音楽が展開されます。
《華麗なるロンド》は、メンデルスゾーンのピアノの師匠だったイグナーツ・モシェレスから依頼を受けて、1834年に作曲された作品。オーケストラの短く勢いのいい序奏を受けて、元気いっぱいにピアノがはじける、文字通り華やかな作品です。
この2作品でも、ケイティンが独奏を受け持ち、オーケストラの伴奏をジャン・マルティノン(Jean Martinon, 1910-1976)の指揮するロンドン・フィルハーモニー管弦楽団が受け持っています。モノラル録音ですが、コリンズと録音したピアノ協奏曲2曲のような響きの生硬さはなく、ケイティンのピアノ自体も、こちらの方が断然コンディションが良いようです。
マルティノンは、フランスの作曲家で指揮者。お国ものを得意とした指揮者ですが、明快指向のマルティノンの芸風に、メンデルスゾーンのこれらの作品の伴奏はうまく合致したようです。ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団もバシッとアインザッツをそろえ、勢いのある演奏を展開し、ケイティンのピアノをしっかりと支えています。
なお、同列の作品に、1838年に作られた《セレナーデとアレグロ・ジョコーソ》という作品がありますが、本CDには収録されていません。
2枚目のCDに収録されているのは、2台のピアノのための協奏曲と、先に書いたピアノと弦楽合奏のための協奏曲です。
2台のピアノのための協奏曲は、1823年に手がけたホ長調の作品と、その翌年に手がけた変イ長調の作品がありますが、本CDに収録されているのはホ長調の作品です。
このホ長調の作品は、メンデルスゾーンの姉のファニーと演奏するために作られたもので、例によってメンデルスゾーン家の演奏会で1824年の年明けに初演されました。
ピアノと弦楽合奏の協奏曲ともども、3つの楽章からなり、18世紀に確立された協奏曲の様式に厳格に従っております。
後年の2曲のピアノ協奏曲のように3つの楽章を切れ目なしにつなげることもなければ、第1楽章のオーケストラによる主題提示を省略することもありません。そのかわり、とても十代の作品とは思えないほどにピアノの技術要求度は高く、完成度の点では、後年の作品と比べても見劣りしません。
本録音では、オグドンと、オグドン夫人のブレンダ・ルーカス(Brenda Lukas)が演奏しています。
オグドンは1962年のチャイコフスキー国際コンクールのピアノ部門で、ヴラディミール・アシュケナージと一位を分け合った名ピアニストでした。アシュケナージが売れ筋の有名曲を矢継ぎ早に録音していったのに対し、オグドンは、フェルッチョ・ブゾーニやオリヴィエ・メシアンといった、アシュケナージが録音しなさそうなレパートリーを録音していきました。
1960年にはルーカスと結婚し、夫婦でのデュオ活動も行うようになりましたが、1973年に神経衰弱に見舞われて、演奏活動を一時休止していました。
本録音は、オグドンが演奏活動を休止する前の録音であり、ピアノと弦楽合奏のための協奏曲では全く隙のない万全のパフォーマンスを聴かせてくれますが、二台のピアノ用の作品では、ルーカスのピアノがオグドンほどの敏捷性を示せず、音楽の流れが滞りがちになっております。とりあえずどういう作品か知る上では、オグドンとルーカスのピアノは問題はありませんが、二人のピアニストが技の仕掛け合いをするようなスリルを味わうという点では、今一つ面白味がありません。
両曲ともに伴奏を務めているのは、ネヴィル・マリナー(Neville Marriner, 1924-)の指揮するアカデミー・オヴ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ(以下、ASMF)です。
マリナーはイギリスの人で、パリ音楽院に留学してルネ・ベネデッティにヴァイオリンを師事し、ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団やロンドン交響楽団などの団員としてキャリアを重ねました。一方で、その団員たちと室内楽演奏に力を入れるようになり、親友のサーストン・ダートとジャコビアン・アンサンブルを結成した頃から、指揮法に興味を持つようになりました。ロンドン交響楽団の第2ヴァイオリン・パートのリーダーとして籍を置いたまま1959年にASMFを結成たマリナーは、アメリカはメーン州ハンコックのピエール・モントゥーの指揮者講習会に参加して指揮者としての腕を磨きました。
ASMFは、マリナーが弦楽合奏団として組織したオーケストラで、日本では「アカデミー室内管弦楽団」として紹介されてきました。指揮者としてのマリナーのキャリア向上とともにASMFも成長し、場合によっては多数のエキストラを抱えて大編成の音楽も演奏できる柔軟性を見せています。
2台のピアノ用の協奏曲では、やや音楽の流れが停滞気味ですが、これはマリナーのタクトのせいというよりも、共演しているオグドンとルーカスのコンビネーションの問題といえるでしょう。
実際、ASMFは、ピアノ協奏曲ではオグドンの切れ味の良いピアノにピッタリの伴奏で守り立てており、オグドンとの相性自体は、悪くありません。
メンデルスゾーン家の祖父モーゼスは、イマヌエル・カントの好敵手として知られた啓蒙思想家でした。
メンデルスゾーンの父の代に銀行業で大富豪となり、メンデルスゾーンは、金銭的には全く困らない裕福な生活を送っていました。
そんなメンデルスゾーン家がどれだけ裕福だったかというと、執事やメイドはのみならず、自分の邸宅に座付きの合奏団を雇うことが出来たほどです。メンデルスゾーン邸では、度々自前でコンサートを開いていて、本CDの2枚目のCDでジョン・オグドン(John Ogdon, 1937-1989)が演奏しているピアノと弦楽合奏のための協奏曲(1822年作)は、そのコンサートの演目として書かれたものです。
メンデルスゾーンは、成人してから、3曲ほどピアノ協奏曲を手掛けましたが、そのうちの1曲は途中放棄しています。
完成された作品は、1831年作の第1番と1837年作の第2番です。第1番のほうは、完成した年の10月にミュンヘンで行われた演奏会で初演され、第2番のほうはイギリスのバーミンガムでの音楽祭に招聘された時の出し物として完成された年の9月に初演されました。
どちらの曲も同工異曲で、第1楽章のオーケストラによる主題提示が省略されています。また、3つの楽章からなるものの、それぞれの楽章がアタッカ(休みなし)で繋げられています。
当時の演奏会は、第1楽章が終われば、他の作曲家の他の作品が挿入されるようなごちゃ混ぜのプログラムが主流だったため、勝手に他人の作品で分断されてはかなわないということで、強引に楽章間をつなぎ合わせたのではないかと思います。
楽章間をアタッカでつなげる手法は、後年ホ短調のヴァイオリン協奏曲を書いた時にも用いられています。
この2曲のピアノ協奏曲の演奏は、本CDでは、ピーター・ケイティン(Peter Katin, 1930-)のピアノ独奏で行われています。
ケイティンは、ハロルド・クラクストン門下のイギリスのピアニストです。18世紀から19世紀にかけてのドイツ圏のピアノ音楽に強みを発揮する人ですが、クロード・ドビュッシーやピョートル・イリイチ・チャイコフスキーの作品も録音しており、基本的にオールマイティだったようです。
メンデルスゾーンの音楽は、ケイティンにとっては、得意な範疇に入るであろう作品ですが、特に両協奏曲の第2楽章では、絶妙なニュアンスで美しいメロディにふっくらとした肉付きを与えてます。
ただ、ケイティンは、自分のデビュー・コンサートでセルゲイ・ラフマニノフの作品を弾きこなしたほどのテクニシャンでしたが、これらの協奏曲の第1楽章や第3楽章では、右手に大雑把さが感じられ、胸のすくような快演とまではいきませんでした。
オーケストラの伴奏は、アンソニー・コリンズ(Anthony Collins, 1893-1963)の指揮するロンドン交響楽団が受け持っています。
コリンズは元々ヴィオラ奏者としてイギリスの主要オーケストラを渡り歩いた後、指揮者に転向した人です。ロンドン交響楽団は、ヴィオラ奏者としての彼の古巣でもあります。
コリンズの伴奏は、まるで竹を割ったようです。鳴らすべきところでは豪快にオーケストラを鳴らし、メンデルスゾーンの優男のような音楽に力強さを加えています。ただ、ピアノの下支えをする分には、もう少し軟らかさが欲しい気もします。もっとも、柔軟性が不足して聞こえるのは、1950年代のステレオ録音の宿命なのかもしれません。
この2曲の協奏曲の後には、《華麗なるカプリッチョ》と《華麗なるロンド》が収録されています。
メンデルスゾーンは、度々イギリスに渡っていますが、《華麗なるカプリッチョ》は、1832年にイギリスに演奏旅行した時に持っていった作品です。作品自体は1826年には仕上げられていたらしく、初演はそれまでに行われたのかもしれませんが、詳しいことは分かっていません。緩やかで優美な序奏の後、情念がメラメラと燃え上がるような音楽が展開されます。
《華麗なるロンド》は、メンデルスゾーンのピアノの師匠だったイグナーツ・モシェレスから依頼を受けて、1834年に作曲された作品。オーケストラの短く勢いのいい序奏を受けて、元気いっぱいにピアノがはじける、文字通り華やかな作品です。
この2作品でも、ケイティンが独奏を受け持ち、オーケストラの伴奏をジャン・マルティノン(Jean Martinon, 1910-1976)の指揮するロンドン・フィルハーモニー管弦楽団が受け持っています。モノラル録音ですが、コリンズと録音したピアノ協奏曲2曲のような響きの生硬さはなく、ケイティンのピアノ自体も、こちらの方が断然コンディションが良いようです。
マルティノンは、フランスの作曲家で指揮者。お国ものを得意とした指揮者ですが、明快指向のマルティノンの芸風に、メンデルスゾーンのこれらの作品の伴奏はうまく合致したようです。ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団もバシッとアインザッツをそろえ、勢いのある演奏を展開し、ケイティンのピアノをしっかりと支えています。
なお、同列の作品に、1838年に作られた《セレナーデとアレグロ・ジョコーソ》という作品がありますが、本CDには収録されていません。
2枚目のCDに収録されているのは、2台のピアノのための協奏曲と、先に書いたピアノと弦楽合奏のための協奏曲です。
2台のピアノのための協奏曲は、1823年に手がけたホ長調の作品と、その翌年に手がけた変イ長調の作品がありますが、本CDに収録されているのはホ長調の作品です。
このホ長調の作品は、メンデルスゾーンの姉のファニーと演奏するために作られたもので、例によってメンデルスゾーン家の演奏会で1824年の年明けに初演されました。
ピアノと弦楽合奏の協奏曲ともども、3つの楽章からなり、18世紀に確立された協奏曲の様式に厳格に従っております。
後年の2曲のピアノ協奏曲のように3つの楽章を切れ目なしにつなげることもなければ、第1楽章のオーケストラによる主題提示を省略することもありません。そのかわり、とても十代の作品とは思えないほどにピアノの技術要求度は高く、完成度の点では、後年の作品と比べても見劣りしません。
本録音では、オグドンと、オグドン夫人のブレンダ・ルーカス(Brenda Lukas)が演奏しています。
オグドンは1962年のチャイコフスキー国際コンクールのピアノ部門で、ヴラディミール・アシュケナージと一位を分け合った名ピアニストでした。アシュケナージが売れ筋の有名曲を矢継ぎ早に録音していったのに対し、オグドンは、フェルッチョ・ブゾーニやオリヴィエ・メシアンといった、アシュケナージが録音しなさそうなレパートリーを録音していきました。
1960年にはルーカスと結婚し、夫婦でのデュオ活動も行うようになりましたが、1973年に神経衰弱に見舞われて、演奏活動を一時休止していました。
本録音は、オグドンが演奏活動を休止する前の録音であり、ピアノと弦楽合奏のための協奏曲では全く隙のない万全のパフォーマンスを聴かせてくれますが、二台のピアノ用の作品では、ルーカスのピアノがオグドンほどの敏捷性を示せず、音楽の流れが滞りがちになっております。とりあえずどういう作品か知る上では、オグドンとルーカスのピアノは問題はありませんが、二人のピアニストが技の仕掛け合いをするようなスリルを味わうという点では、今一つ面白味がありません。
両曲ともに伴奏を務めているのは、ネヴィル・マリナー(Neville Marriner, 1924-)の指揮するアカデミー・オヴ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ(以下、ASMF)です。
マリナーはイギリスの人で、パリ音楽院に留学してルネ・ベネデッティにヴァイオリンを師事し、ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団やロンドン交響楽団などの団員としてキャリアを重ねました。一方で、その団員たちと室内楽演奏に力を入れるようになり、親友のサーストン・ダートとジャコビアン・アンサンブルを結成した頃から、指揮法に興味を持つようになりました。ロンドン交響楽団の第2ヴァイオリン・パートのリーダーとして籍を置いたまま1959年にASMFを結成たマリナーは、アメリカはメーン州ハンコックのピエール・モントゥーの指揮者講習会に参加して指揮者としての腕を磨きました。
ASMFは、マリナーが弦楽合奏団として組織したオーケストラで、日本では「アカデミー室内管弦楽団」として紹介されてきました。指揮者としてのマリナーのキャリア向上とともにASMFも成長し、場合によっては多数のエキストラを抱えて大編成の音楽も演奏できる柔軟性を見せています。
2台のピアノ用の協奏曲では、やや音楽の流れが停滞気味ですが、これはマリナーのタクトのせいというよりも、共演しているオグドンとルーカスのコンビネーションの問題といえるでしょう。
実際、ASMFは、ピアノ協奏曲ではオグドンの切れ味の良いピアノにピッタリの伴奏で守り立てており、オグドンとの相性自体は、悪くありません。
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