1928年の日本ハナゲ學会第3分科會において瓢箪屋蓑吉氏が発表した「傳説の白ハナゲと黑ハナゲの脱色化の判別に關する文化論的一考察 ―ルウブル美術館をくまなく回ろうとして挫折したフレデリツク勅使河原氏の手記を中心に―」を再読したり、検証したりするBLOGではないことは確かなことです。ええ!確かなことですとも!
CD1:
◈Jean Barraqué: Concerto
Ernesto Molinari (Cl)
Charlie Fischer (Perc.)
Charlie Fischer (Perc.)
Klangforum Wien / Sylvain Cambreling
(Rec. 15-16 February 1995, Konzerthaus Mozartsaal, Wien)
◈Jean Barraqué: Le temps restituéVokalensemble NOVA Wien (Chorus master: Colin Mason)
Klangform Wien / Sylvain Cambreling
Klangform Wien / Sylvain Cambreling
(Rec. 20-21 September 1995, Konzerthaus Mozartsaal, Wien)
CD2:
◈Jean Barraqué: ...au delà du hasard
Julie Moffat (Vo)
Deborah Miles-Jones (Vo)
Clistina Ascher (Vo)
Bernhard Zachhuber (Cl)
Florian Müller (Pf)
Klangforum Wien / Jürg Wyttenbach
Deborah Miles-Jones (Vo)
Clistina Ascher (Vo)
Bernhard Zachhuber (Cl)
Florian Müller (Pf)
Klangforum Wien / Jürg Wyttenbach
(Rec. 17-19 February 1995, Konzerthaus Mozartsaak Wien)
◈Jean Barraqué: Chant après chantClaudia Barainsky (Vo)
Klangforum Wien / Peter Rundel
Klangforum Wien / Peter Rundel
(Rec. 16 January 1996, Casino Zögernitz, Wien)
◈Jean Barraqué: Etude(Rec. 1952-53, Les studios de l'Ina-GRM)
CD3:
◈Jean Barraqué: Séquence
Rosemary Hardy (Vo)
Klangforum Wien / Jürg Wyttenbach
Klangforum Wien / Jürg Wyttenbach
(Rec. 16 January 1996, Casino Zögernitz, Wien)
◈Jean Barraqué: Sonate pour pianoStefan Litwin (Pf)
(Rec. 13-16 October 1997, Funkhaus WDR, Köln)
このCDのセットは、フランス人作曲家のジャン・バラケ(Jean Barraqué, 1928-1973)の作品集。
収録されている演目は、
▦ 協奏曲(1962-1968年作)
▦ 返却された時間 (1957年作、1968年改訂)
▦ 偶然の彼方に… (1958-1959年作)
▦ 歌の後の歌(1966年作)
▦ コンピュータのための練習曲 (1952-1953年作)
▦ セクエンス (1950-1955年作)
▦ ピアノのためのソナタ (1952年作)
の7作品。
この7作が、バラケが刊行を許した全作品となります。
《偶然の彼方に…》、《歌の後の歌》、《協奏曲》など、アンサンブルをセクションに分けて、各セクション間でドンパチやるのが、バラケのお好みの作風の様子。
こうしたバラケのやり方は、同僚のカールハインツ・シュトックハウゼンなんかが《グルッペン》なんかで大々的にやっていますが、バラケの音楽は、音列を徹底的に作り込んで吟味しているので、音が切り詰められた感じになります。また、《協奏曲》では、6群の器楽合奏が、それぞれの奏でる音列に仕掛け合いをするので、いやがうえにも音楽の緊張感は高くなります。
バラケは、ミシェル・フーコーとも愛人的な友好関係を持っていたことで知られています。
《セクエンス》は、元々別の歌曲として作曲していたものを、フーコーの勧めに従ってフリードリヒ・ニーチェのテキストに差し替え、最初から作り直して完成された作品とのこと。その後も、フーコーとの付き合いの中でヘルマン・ブロッホの『ヴェルギリウスの死』を勧められ、ブロッホの世界の音化に執着するようになります。《返却された時間》や前述の《偶然の彼方に…》、《歌の後の歌》といった歌曲は、ブロッホのテキスト、あるいはブロッホに感化された自分のテキストを用いて作曲されているのです。
ブロッホの『ヴェルギリウスの死』は、死を前にした古代ローマの詩人ヴェルギリウスの錯綜を描いた超大作ですが、バラケは、この小説を元に壮大な作品を書く計画を打ち立て、以上のような歌曲を作ることで、ブロッホの世界と自分の音楽の同定を試みていました。
しかし、バラケの人生は、火事で草稿を焼失したり、交通事故を起こして後遺症に悩まされたり、業績不足で教授職に就けなかったりと、散々な生活を余儀なくされます。
結局、バラケは45歳で服毒自殺という形で人生の幕を引き、彼が生前思い描いていた『ヴェルギリウスの死』の音楽化は見果てぬ夢となってしまったのでした。
バラケは、宿敵のピエール・ブーレーズやシュトックハウゼンらがそうしたように、エレクトロニックな作品にも興味をそそられた時期があります。バラケは、ピエール・シェフェールを訪ねてミュージック・コンクレートの技法を学び、その成果として、コンピュータのためのエチュードと称したテープ作品を作りました。
本CD集は、フランス人作曲家ジャン・バラケ(Jean Barraqué, 1928-1973)が生前に発表した作品の全集です。
未発表の草稿は、バラケの遺族が保管していますが、バラケ自身の校訂が終わらぬままなため、演奏できる形での公刊はされていない模様。
自己批判傾向の強かったバラケは、納得できる作品しか刊行を許さなかったため、彼の完成された作品として数えられるのは、わずか7作を数えるのみになります。
バラケの作品として広く知られたものは、ピアノのためのソナタです。
バラケは、一応音楽学者としての顔もあり、セリー音楽の研究者でもありました。
セリーというのは、音の列のことです。この音列を作るという方法は、アルノルト・シェーンベルクの十二音音楽の技法にまでさかのぼることが出来ます。十二音音楽の基本は、ピアノの鍵盤で言うところの1オクターブを構成する12の音を分け隔てなく全部使うということにありました。より簡潔に言えば、音の高さを規則に基づいて操作するのが、十二音音楽の基礎だということです。
後世の人たちは、作曲家が操作する対象を、音の高さだけでなく、音の長さや音色といったものにまで拡張し、音にまつわる全てのものを規則に基づいて操作する「トータル・セリー」という方法まで考案しました。
こうしたトータル・セリーの成立に、師匠のオリヴィエ・メシアンが一枚かんでいたわけですが、メシアンが発表した《音価と強度のモード》(1949年作)は、十二音音楽の系統とは別の音楽でした。
そこで、メシアン先生のやったことを、十二音音楽の系統をたどって突き詰めていくと、バラケのソナタが出来上がってしまったというわけです。
同様の作品として、先にブーレーズがピアノ・ソナタ第2番(1949年作)を書き上げていましたが、バラケの峻厳な音楽は、それ自体で固有の世界を作っており、今日でもこの作品をレパートリーに加えようとする人は少なくありません。
このCDセットでは、クラングフォーラム・ウィーンが中心になって演奏しています。
クラングフォーラム・ウィーンは、ウィーンを本拠にする20世紀以降の音楽専門のアンサンブル集団です。
スイス人クラリネッティストのエルネスト・モリナーリ(Ernesto Molinari, 1956-)やドイツ人クラリネッティストのベルンハルト・ザッハフーバー(Bernhard Zachhuber, 1965-)、スイス人パーカッショニストのチャーリー・フィッシャー(Charlie Fischer, 1959-)やドイツ人ピアニストのフローリアン・ミュラー(Florian Müller, 1962-)といった人たちは、このクラングフォーラム・ウィーンの団員ですが、一連の録音のソリストとして名前がクレジットされています。
また、声楽作品では、ドイツ人歌手のクラウディア・バラインスキー(Claudia Barainsky)の他、ジュリー・モファット(Julie Moffat, 1966-)、デボラ・マイルス=ジョーンズ(Deborah Miles-Jones)、クリスティーナ・アッシャー(Clistina Ascher)、ローズマリー・ハーディー(Rosemary Hardy)らイギリスの気鋭の歌手たちを多く起用しています。
《返却された時間》では、ウィーン・ノヴァ・ボーカル・アンサンブルが起用されていますが、この合唱団は1992年に結成された20世紀以降の音楽専門の合唱団です。
分担して振っている指揮者陣も、フランス人指揮者のシルヴァン・カンブルラン(Sylvain Cambreling, 1948-)を筆頭に、スイスの現代作曲家として知られたイェルク・ヴィッテンバッハ(Jürg Wyttenbach, 1935-)やドイツ人指揮者のペーター・ルンデル(Peter Rundel, 1958-)が顔をそろえています。
カンブルランは、積極的に現代音楽のレコーディングを行う中堅指揮者であり、ルンデルもミヒャエル・ギーレンやペーター・エトヴェシュに師事し、一時期アンサンブル・モデルンに在籍して見分を広めた20世紀以降の音楽のスペシャリストです。
クラングフォーラム・ウィーンは、録音当時、バラケの音楽を紹介するプロジェクトを立ち上げており、これらの録音は、そのプロジェクトと並行する形で行われたものでした。
一連の録音は、バラケの辛口な音楽をしっかりと咀嚼していて、わけのわからない音塊を何となく実音化するのではなく、しっかりとメッセージ性のある音楽として再現するのに、一定の成功を収めています。
カンブルランの指揮は、並べられている音を刹那的に扱うのではなく、作品全体のストーリーを感じさせる演奏。クラングフォーラム・ウィーンの面々の演奏も巧いので、どこか艶めかしさすら感じさせます。
ヴィッテンバッハの演奏は、聴き手にそこに音が存在する謎を問いかけてくるような演奏。《セクエンス》と《偶然の彼方に…》の演奏を担当していますが、カンブルランほどの艶めかしさがなく、モッサリとしているにもかかわらず、そのモッサリとした音に、不思議と聞き入ってしまいます。
ルンデルの指揮する《歌の後の歌》は、パーカッションによる伴奏になりますが、パリッとしたリズム感で音の暴力的側面をダイナミックに描き出しています。
メキシコ人ピアニストのステファン・リトウィン(Stefan Litwin, 1960-)がケルンの放送局で録音したピアノ・ソナタが最後に収められていますが、リトウィンの演奏は、少々もたれ気味です。
おそらく、人間的な響きを作品から模索しようとしたのかもしれませんが、作品が醸し出す怜悧さが、ことごとく阻害されているように感じます。ヘルベルト・ヘンクによる演奏のほうが、作品の緊張感をよく伝えているように思います。
収録されている演目は、
▦ 協奏曲(1962-1968年作)
▦ 返却された時間 (1957年作、1968年改訂)
▦ 偶然の彼方に… (1958-1959年作)
▦ 歌の後の歌(1966年作)
▦ コンピュータのための練習曲 (1952-1953年作)
▦ セクエンス (1950-1955年作)
▦ ピアノのためのソナタ (1952年作)
の7作品。
この7作が、バラケが刊行を許した全作品となります。
《偶然の彼方に…》、《歌の後の歌》、《協奏曲》など、アンサンブルをセクションに分けて、各セクション間でドンパチやるのが、バラケのお好みの作風の様子。
こうしたバラケのやり方は、同僚のカールハインツ・シュトックハウゼンなんかが《グルッペン》なんかで大々的にやっていますが、バラケの音楽は、音列を徹底的に作り込んで吟味しているので、音が切り詰められた感じになります。また、《協奏曲》では、6群の器楽合奏が、それぞれの奏でる音列に仕掛け合いをするので、いやがうえにも音楽の緊張感は高くなります。
バラケは、ミシェル・フーコーとも愛人的な友好関係を持っていたことで知られています。
《セクエンス》は、元々別の歌曲として作曲していたものを、フーコーの勧めに従ってフリードリヒ・ニーチェのテキストに差し替え、最初から作り直して完成された作品とのこと。その後も、フーコーとの付き合いの中でヘルマン・ブロッホの『ヴェルギリウスの死』を勧められ、ブロッホの世界の音化に執着するようになります。《返却された時間》や前述の《偶然の彼方に…》、《歌の後の歌》といった歌曲は、ブロッホのテキスト、あるいはブロッホに感化された自分のテキストを用いて作曲されているのです。
ブロッホの『ヴェルギリウスの死』は、死を前にした古代ローマの詩人ヴェルギリウスの錯綜を描いた超大作ですが、バラケは、この小説を元に壮大な作品を書く計画を打ち立て、以上のような歌曲を作ることで、ブロッホの世界と自分の音楽の同定を試みていました。
しかし、バラケの人生は、火事で草稿を焼失したり、交通事故を起こして後遺症に悩まされたり、業績不足で教授職に就けなかったりと、散々な生活を余儀なくされます。
結局、バラケは45歳で服毒自殺という形で人生の幕を引き、彼が生前思い描いていた『ヴェルギリウスの死』の音楽化は見果てぬ夢となってしまったのでした。
バラケは、宿敵のピエール・ブーレーズやシュトックハウゼンらがそうしたように、エレクトロニックな作品にも興味をそそられた時期があります。バラケは、ピエール・シェフェールを訪ねてミュージック・コンクレートの技法を学び、その成果として、コンピュータのためのエチュードと称したテープ作品を作りました。
本CD集は、フランス人作曲家ジャン・バラケ(Jean Barraqué, 1928-1973)が生前に発表した作品の全集です。
未発表の草稿は、バラケの遺族が保管していますが、バラケ自身の校訂が終わらぬままなため、演奏できる形での公刊はされていない模様。
自己批判傾向の強かったバラケは、納得できる作品しか刊行を許さなかったため、彼の完成された作品として数えられるのは、わずか7作を数えるのみになります。
バラケの作品として広く知られたものは、ピアノのためのソナタです。
バラケは、一応音楽学者としての顔もあり、セリー音楽の研究者でもありました。
セリーというのは、音の列のことです。この音列を作るという方法は、アルノルト・シェーンベルクの十二音音楽の技法にまでさかのぼることが出来ます。十二音音楽の基本は、ピアノの鍵盤で言うところの1オクターブを構成する12の音を分け隔てなく全部使うということにありました。より簡潔に言えば、音の高さを規則に基づいて操作するのが、十二音音楽の基礎だということです。
後世の人たちは、作曲家が操作する対象を、音の高さだけでなく、音の長さや音色といったものにまで拡張し、音にまつわる全てのものを規則に基づいて操作する「トータル・セリー」という方法まで考案しました。
こうしたトータル・セリーの成立に、師匠のオリヴィエ・メシアンが一枚かんでいたわけですが、メシアンが発表した《音価と強度のモード》(1949年作)は、十二音音楽の系統とは別の音楽でした。
そこで、メシアン先生のやったことを、十二音音楽の系統をたどって突き詰めていくと、バラケのソナタが出来上がってしまったというわけです。
同様の作品として、先にブーレーズがピアノ・ソナタ第2番(1949年作)を書き上げていましたが、バラケの峻厳な音楽は、それ自体で固有の世界を作っており、今日でもこの作品をレパートリーに加えようとする人は少なくありません。
このCDセットでは、クラングフォーラム・ウィーンが中心になって演奏しています。
クラングフォーラム・ウィーンは、ウィーンを本拠にする20世紀以降の音楽専門のアンサンブル集団です。
スイス人クラリネッティストのエルネスト・モリナーリ(Ernesto Molinari, 1956-)やドイツ人クラリネッティストのベルンハルト・ザッハフーバー(Bernhard Zachhuber, 1965-)、スイス人パーカッショニストのチャーリー・フィッシャー(Charlie Fischer, 1959-)やドイツ人ピアニストのフローリアン・ミュラー(Florian Müller, 1962-)といった人たちは、このクラングフォーラム・ウィーンの団員ですが、一連の録音のソリストとして名前がクレジットされています。
また、声楽作品では、ドイツ人歌手のクラウディア・バラインスキー(Claudia Barainsky)の他、ジュリー・モファット(Julie Moffat, 1966-)、デボラ・マイルス=ジョーンズ(Deborah Miles-Jones)、クリスティーナ・アッシャー(Clistina Ascher)、ローズマリー・ハーディー(Rosemary Hardy)らイギリスの気鋭の歌手たちを多く起用しています。
《返却された時間》では、ウィーン・ノヴァ・ボーカル・アンサンブルが起用されていますが、この合唱団は1992年に結成された20世紀以降の音楽専門の合唱団です。
分担して振っている指揮者陣も、フランス人指揮者のシルヴァン・カンブルラン(Sylvain Cambreling, 1948-)を筆頭に、スイスの現代作曲家として知られたイェルク・ヴィッテンバッハ(Jürg Wyttenbach, 1935-)やドイツ人指揮者のペーター・ルンデル(Peter Rundel, 1958-)が顔をそろえています。
カンブルランは、積極的に現代音楽のレコーディングを行う中堅指揮者であり、ルンデルもミヒャエル・ギーレンやペーター・エトヴェシュに師事し、一時期アンサンブル・モデルンに在籍して見分を広めた20世紀以降の音楽のスペシャリストです。
クラングフォーラム・ウィーンは、録音当時、バラケの音楽を紹介するプロジェクトを立ち上げており、これらの録音は、そのプロジェクトと並行する形で行われたものでした。
一連の録音は、バラケの辛口な音楽をしっかりと咀嚼していて、わけのわからない音塊を何となく実音化するのではなく、しっかりとメッセージ性のある音楽として再現するのに、一定の成功を収めています。
カンブルランの指揮は、並べられている音を刹那的に扱うのではなく、作品全体のストーリーを感じさせる演奏。クラングフォーラム・ウィーンの面々の演奏も巧いので、どこか艶めかしさすら感じさせます。
ヴィッテンバッハの演奏は、聴き手にそこに音が存在する謎を問いかけてくるような演奏。《セクエンス》と《偶然の彼方に…》の演奏を担当していますが、カンブルランほどの艶めかしさがなく、モッサリとしているにもかかわらず、そのモッサリとした音に、不思議と聞き入ってしまいます。
ルンデルの指揮する《歌の後の歌》は、パーカッションによる伴奏になりますが、パリッとしたリズム感で音の暴力的側面をダイナミックに描き出しています。
メキシコ人ピアニストのステファン・リトウィン(Stefan Litwin, 1960-)がケルンの放送局で録音したピアノ・ソナタが最後に収められていますが、リトウィンの演奏は、少々もたれ気味です。
おそらく、人間的な響きを作品から模索しようとしたのかもしれませんが、作品が醸し出す怜悧さが、ことごとく阻害されているように感じます。ヘルベルト・ヘンクによる演奏のほうが、作品の緊張感をよく伝えているように思います。
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