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1928年の日本ハナゲ學会第3分科會において瓢箪屋蓑吉氏が発表した「傳説の白ハナゲと黑ハナゲの脱色化の判別に關する文化論的一考察 ―ルウブル美術館をくまなく回ろうとして挫折したフレデリツク勅使河原氏の手記を中心に―」を再読したり、検証したりするBLOGではないことは確かなことです。ええ!確かなことですとも!
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◈Felix Mendelssohn: Sonata for Piano and Violoncello No.2 in D major, op.58
◈Felix Mendelssohn: Variation concertantes in D major, op.17
◈Felix Mendelssohn: Lied ohne Worte in D major, op.109
◈Felix Mendelssohn (arr. Mischa Maisky): Auf Flügen des Gesanges, op.34-2
◈Felix Mendelssohn (arr. Mischa Maisky): Schilflied, op.71-4
◈Felix Mendelssohn (arr. Mischa Maisky): Suleiko, op.34-4
◈Felix Mendelssohn (arr. Mischa Maisky): Der Liebende schreibt, op.86-3
◈Felix Mendelssohn (arr. Alfred Piatti): Lied ohne Worte, op.62-1
◈Felix Mendelssohn: Sonata for Piano and Violoncello No.1 in B flat major, op.45
◈Felix Mendelssohn (arr. Alfred Piatti): Lied ohne Worte, op.62-6
Mischa Maisky (Vc)
Sergio Tiempo (Pf)
(Rec. February 2002, Herkulessaal München)



フェリックス・メンデルスゾーン(Felix Mendelssohn, 1809-1847)は、ドイツで有名な銀行家の家庭に生まれました。メンデルスゾーン家では、4歳年上のファニーはメンデルスゾーンに劣らぬピアノと作曲の名人になり、メンデルスゾーンより2歳年下のレベッカは歌手として活躍しました。レベッカの一歳年下のパウルは、メンデルスゾーン家の銀行業を継ぎましたが、アマチュアのチェリストとしても玄人はだしの腕前で知られていました。そんな弟のために、メンデルスゾーンは協奏的変奏曲(1829年作)とチェロ・ソナタ第1番(1838年作)をプレゼントしています。
メンデルスゾーンによれば、パウルはレガート奏法が苦手だったとのことですが、当時のチェロが、楽器を脚で挟んで抱きかかえるようにして演奏するスタイルだったことを考えると、レガート奏法は今日よりもはるかに難しい技巧だったようです。なるべく息の長いメロディ・ラインを控え、技巧的なパッセージに重点を置いた作品に仕上げています。

チェロ・ソナタ第2番(1843年作)は、イタリア人チェリストのアルフレッド・ピアッティ(Alfred Piatti, 1822-1901)との演奏を想定して書かれた作品。1844年にイギリス訪問時にピアッティのチェロで初演したものの、作品はマテウシュ・ウィールホルスキというポーランド出身のロシアの伯爵に献呈されました。このウィールホルスキ伯爵も、アマチュアのチェリストとして知られた人でした。
名手ピアッティと共演するために作った作品ということで、第1番を凌ぐスケールの大きな作品に仕上がっており、まるで交響曲を思わせるような4楽章編成を採っています。

チェロとピアノの作品として、メンデルスゾーンの遺作となったのが、op.109の無言歌です。この作品は、フランス出身のリサ・クリスティアーニといチェリストのために書かれた作品です。今日では、さほど技術的難易度の高くない作品ですが、メンデルスゾーンが生きていたころのチェロ奏法は、今日のそれとはだいぶ異なり、メンデルスゾーンの弟のパウルが苦戦していたように、朗々たるレガート奏法自体が難しかったのです。

本CDは、ミッシャ・マイスキー(Mischa Maisky, 1948-)のチェロ独奏と、セルジオ・ティエンポ(Sergio Tiempo, 1972-)のピアノの演奏が収録されています。
マイスキーは、旧ソ連出身のチェリスト。旧ソ連にいた頃から名手として知られ、1966年にはチャイコフスキー国際コンクールのチェロ部門で第6位に入賞し、ムスティスラフ・ロストロポーヴィチの知己を得ています。
モスクワ音楽院でロストロポーヴィチに教えを受けた後、1972年に出国してイスラエルに移住し、翌年のガスパール・カサド国際チェロ・コンクールで優勝して名を挙げました。その後、アメリカでグレゴール・ピアティゴルスキーの薫陶を受けて、1975年から世界各国で演奏活動を行って名声を確立しています。
チェロが人の声に近い楽器だと信じてい疑わないマイスキーは、これまでにフランツ・シューベルトやヨハネス・ブラームスらの歌曲をチェロで弾く試みを成功させており、本CDでも、メンデルスゾーンの歌曲をチェロ用に編み直して演奏しています。マイスキーが編曲しているのは、〈歌の翼に〉(op.34-2)、〈ズライカ〉(op.34-4)、〈葦の歌〉(op.71-4)、〈女の手紙〉(op.86-3)の4曲で、無言歌集から編曲して演奏しているものは、前述のイタリア人チェリストのピアッティの手によるものです。
ロストロポーヴィチ譲りの超絶技巧とピアティゴルスキー譲りのしなやかさを持ち合わせたマイスキーの演奏は、どのようなパッセージでもチェロの音色が痩せることがなく、ニュアンスに富んでいます。また、第2番のソナタでは作品の威容に相応しいスケールの大きな演奏で、この作品に対する肯定的評価を十分に後押ししてくれます。

メンデルスゾーンのチェロとピアノの作品集は、メンデルスゾーンがピアニストだったことから、ピアノの伴奏もソリスト並みの技のキレを要求します。ベネズエラ出身のティエンポは、母も姉もピアニストという家庭に育っており、ティエンポの母はマイスキーの娘にピアノを教えていた人です。
そうした縁もあって、マイスキーと共演するようになったティエンポですが、天才少年ピアニストとして売り出した頃の技巧の冴えにさらに磨きをかけ、マイスキーとがっぷり四つに組んで見事な演奏を聴かせてくれます。
無言歌集の編曲やチェロとピアノのための無言歌などでは、マイスキーの呼吸にしっかり合わせながら、単なる伴奏に終わらせない絶妙なニュアンス付けで、しっかりと存在感を示しています。

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