1928年の日本ハナゲ學会第3分科會において瓢箪屋蓑吉氏が発表した「傳説の白ハナゲと黑ハナゲの脱色化の判別に關する文化論的一考察 ―ルウブル美術館をくまなく回ろうとして挫折したフレデリツク勅使河原氏の手記を中心に―」を再読したり、検証したりするBLOGではないことは確かなことです。ええ!確かなことですとも!
◈Anton Bruckner: Symphony No.7 in E major
Slovene Philharmonic Orchestra / Lovro von Matačić
(Rec.19-22 June 1984, Great Concert Hall, Cankarjev)
ロヴロ・フォン・マタチッチ(Lovro von Matačić, 1899-1985)は旧ユーゴスラヴィア出身の指揮者。
マタチッチの生まれた町のシサクは、当時はオーストリア=ハンガリー帝国領だったため、マタチッチの文化的土壌も、オーストリア寄りです。
9歳でウィーン少年合唱団に入団して音楽教育を受け、卒業後はウィーン音楽院に通ってオスカル・ネドバルやイグナーツ・ヘルプスト、フランツ・シャルクといった人たちの薫陶を受けています。
1919年にケルン歌劇場の副指揮者として就職したのを皮切りに、ユーゴスラヴィア内外の歌劇場で活躍しました。
第二次世界大戦中は、ナチス・ドイツの支持者となったために死刑ギリギリの憂い目に会い、1954年まで演奏活動を禁止されますが、スロヴェニア・フィルハーモニー管弦楽団の指揮者陣の一人としてカムバックを果たし、1959年にはバイロイト音楽祭に出演できるまでに出世ました。
1965年には初来日を果たし、その後もたびたび日本に訪れたことで日本ではなじみの深い指揮者になりました。
1972年にモンテ・カルロ国立歌劇場の音楽総監督になった頃から病気がちになり、最晩年には歩行すらままならない状態になりましたが、そんな状態になっても来日を果たし、NHK交響楽団に客演しています。
そんなマタチッチが日本から帰国して録音したのが、スロヴェニア・フィルハーモニー管弦楽団とのアントン・ブルックナー(Anton Bruckner, 1824-1896)の交響曲第7番でした。
奇しくも、カンカリエフのコンサート・ホールで行われたこの録音がマタチッチの最後のスタジオ・レコーディングとなったようです。
第7番の交響曲は、ブルックナーが名声を確立した出世作ともいえる作品です。
ブルックナーは、生前オルガニストとして活躍していましたが、対位法の大家として知られたジーモン・ゼヒターに対位法を学び、リンツで指揮者をやっていたオットー・キツラー等からオーケストレーションのノウハウを会得してから交響曲をせっせと作っていました。
しかし、彼の作る交響曲は、演奏時間の長さから敬遠され、抜粋という形で演奏されたり、演奏効果が上がるように弟子たちが勝手に加筆したりしていました。
周囲の人たちからあまりに認めてもらえないので、ブルックナーは自分でもせっせと改訂を施し、そのために、一つの交響曲に複数のバージョンが存在するというややこしさが生まれてしまいました。
1881年から2年越しで完成させたこの交響曲はライプツィヒでアルテュール・ニキシュの手で初演が行われ、ブルックナーがこれまでに味わったことのないような大成功を収めました。
この曲は、ブルックナーにとっても特別な思いのある作品です。
ブルックナーは、リヒャルト・ヴァーグナーを敬愛しており、自分の交響曲をヴァーグナーに献呈するほどに熱を上げていました。
そんなヴァーグナーは、晩年心臓を病み、ブルックナーは、自分の作っているこの第7番の交響曲を作っている最中にヴァーグナーが亡くなるのではないかと感じてました。
案の定、ヴァーグナーはヴェネツィアで重篤な心臓発作を起こして亡くなり、出来上がっていた第2楽章にわざわざ筆を加えて、ヴァーグナーへの哀悼の意を表明しました。
マタチッチは、1960年代に、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団とこの曲を録音していましたが、この晩年の演奏は、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団との演奏よりも自然体に近づき、力みが無くなってまろやかな響きになっています。
特に第2楽章の荘厳さは、晩年のマタチッチの心境と同調したのか、淡々とした演奏の中に、ほのかな哀感が滲む、渋く美しい音楽に仕上がっています。高らかになり響く金管合奏のコラールも、華やかというよりは、どこか寂寥感を漂わせていて、死者を弔うような雰囲気が十分に醸し出されています。
第1楽章と第4楽章では、ややヴァイオリンのセクションがやや薄めの音色ですが、邪念を取り払っていくと、この音色の薄さが、上澄み液のような透明さを体現しているように聴こえてきます。
第3楽章では、オーケストラに限界を感じるものの、ダイナミックな音世界を構築しようという意図がしっかりとしていて、なかなか聴かせる音楽になっています。
余談ですが、初発売時には、この録音とは別に16分ほどの、この第3楽章の練習風景が付録CDとして収録されていて、スケルツォ主題の躍動感をデモニッシュの域にまで高めているのを確認できました。
マタチッチの生まれた町のシサクは、当時はオーストリア=ハンガリー帝国領だったため、マタチッチの文化的土壌も、オーストリア寄りです。
9歳でウィーン少年合唱団に入団して音楽教育を受け、卒業後はウィーン音楽院に通ってオスカル・ネドバルやイグナーツ・ヘルプスト、フランツ・シャルクといった人たちの薫陶を受けています。
1919年にケルン歌劇場の副指揮者として就職したのを皮切りに、ユーゴスラヴィア内外の歌劇場で活躍しました。
第二次世界大戦中は、ナチス・ドイツの支持者となったために死刑ギリギリの憂い目に会い、1954年まで演奏活動を禁止されますが、スロヴェニア・フィルハーモニー管弦楽団の指揮者陣の一人としてカムバックを果たし、1959年にはバイロイト音楽祭に出演できるまでに出世ました。
1965年には初来日を果たし、その後もたびたび日本に訪れたことで日本ではなじみの深い指揮者になりました。
1972年にモンテ・カルロ国立歌劇場の音楽総監督になった頃から病気がちになり、最晩年には歩行すらままならない状態になりましたが、そんな状態になっても来日を果たし、NHK交響楽団に客演しています。
そんなマタチッチが日本から帰国して録音したのが、スロヴェニア・フィルハーモニー管弦楽団とのアントン・ブルックナー(Anton Bruckner, 1824-1896)の交響曲第7番でした。
奇しくも、カンカリエフのコンサート・ホールで行われたこの録音がマタチッチの最後のスタジオ・レコーディングとなったようです。
第7番の交響曲は、ブルックナーが名声を確立した出世作ともいえる作品です。
ブルックナーは、生前オルガニストとして活躍していましたが、対位法の大家として知られたジーモン・ゼヒターに対位法を学び、リンツで指揮者をやっていたオットー・キツラー等からオーケストレーションのノウハウを会得してから交響曲をせっせと作っていました。
しかし、彼の作る交響曲は、演奏時間の長さから敬遠され、抜粋という形で演奏されたり、演奏効果が上がるように弟子たちが勝手に加筆したりしていました。
周囲の人たちからあまりに認めてもらえないので、ブルックナーは自分でもせっせと改訂を施し、そのために、一つの交響曲に複数のバージョンが存在するというややこしさが生まれてしまいました。
1881年から2年越しで完成させたこの交響曲はライプツィヒでアルテュール・ニキシュの手で初演が行われ、ブルックナーがこれまでに味わったことのないような大成功を収めました。
この曲は、ブルックナーにとっても特別な思いのある作品です。
ブルックナーは、リヒャルト・ヴァーグナーを敬愛しており、自分の交響曲をヴァーグナーに献呈するほどに熱を上げていました。
そんなヴァーグナーは、晩年心臓を病み、ブルックナーは、自分の作っているこの第7番の交響曲を作っている最中にヴァーグナーが亡くなるのではないかと感じてました。
案の定、ヴァーグナーはヴェネツィアで重篤な心臓発作を起こして亡くなり、出来上がっていた第2楽章にわざわざ筆を加えて、ヴァーグナーへの哀悼の意を表明しました。
マタチッチは、1960年代に、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団とこの曲を録音していましたが、この晩年の演奏は、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団との演奏よりも自然体に近づき、力みが無くなってまろやかな響きになっています。
特に第2楽章の荘厳さは、晩年のマタチッチの心境と同調したのか、淡々とした演奏の中に、ほのかな哀感が滲む、渋く美しい音楽に仕上がっています。高らかになり響く金管合奏のコラールも、華やかというよりは、どこか寂寥感を漂わせていて、死者を弔うような雰囲気が十分に醸し出されています。
第1楽章と第4楽章では、ややヴァイオリンのセクションがやや薄めの音色ですが、邪念を取り払っていくと、この音色の薄さが、上澄み液のような透明さを体現しているように聴こえてきます。
第3楽章では、オーケストラに限界を感じるものの、ダイナミックな音世界を構築しようという意図がしっかりとしていて、なかなか聴かせる音楽になっています。
余談ですが、初発売時には、この録音とは別に16分ほどの、この第3楽章の練習風景が付録CDとして収録されていて、スケルツォ主題の躍動感をデモニッシュの域にまで高めているのを確認できました。
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