1928年の日本ハナゲ學会第3分科會において瓢箪屋蓑吉氏が発表した「傳説の白ハナゲと黑ハナゲの脱色化の判別に關する文化論的一考察 ―ルウブル美術館をくまなく回ろうとして挫折したフレデリツク勅使河原氏の手記を中心に―」を再読したり、検証したりするBLOGではないことは確かなことです。ええ!確かなことですとも!
◈Franz Schubert: Impromptu No.1 in F minor, op.142-1
Ethel Leginska (Pf)
(Rec. 9 March 1928)
◈Franz Schubert: Impromptu No.2 in A flat major, op.142-2◈Franz Schubert: Impromptu No.3 in B flat major, op.142-3
Ethel Leginska (Pf)
(Rec. 20 February 1928)
◈Franz Schubert: Impromptu No.4 in F minor, op.142-4Ethel Leginska (Pf)
(Rec. 5 April 1928)
◈Franz Schubert: Six Moments Musicaux, op.94Ethel Leginska (Pf)
(Rec. 8 March 1928)
◈Franz Schubert (arr. Carl Tausig): Marche Militaire in D major, op.51-1Ethel Leginska (Pf)
(Rec. 5 April 1928)
◈Frédéric Chopin: Polonaise in A major, op.40-1◈Frédéric Chopin: Prelude in D flat major, op.28-15
Ethel Leginska (Pf)
(Rec. 3 June 1927)
◈Sergei Rachmaninoff: Prelude in G minor, op.23-5◈Sergei Rachmaninoff: Prelude in C sharp minor, op.3-2
Ethel Leginska (Pf)
(Rec. 21 December 1926)
◈Franz Liszt: Hungarian Rhapsody No.8 in F sharp minorEthel Leginska (Pf)
(Rec. 19 June 1926)
エセル・レギンスカ(Ethel Leginska, 1886-1970)は、イギリスのヨークシャーに生まれた音楽家です。
本名はエセル・リギンス(Ethel Liggins)といいますが、ヨーロッパでの覚えをよくするために、ポーランド人のような芸名を使っています。
6歳で初舞台を踏んだレギンスカは、神童と呼ばれ、彼女の才能を伸ばしたいというスポンサーの尽力で、10歳にしてフランクフルト高等音楽院に留学し、オランダ人ピアノ教師のジェームス・クヴァストの元で研鑽を積んでいます。さらに、ウィーン在住の名教師として知られたテオドール・レシェティツキの薫陶を受け、16歳でピアニストとしてヨーロッパ中を演奏旅行してまわり、成功を収めました。
1906年にイギリスに凱旋帰国したレギンスカは、翌年、同じくレシェティツキ門下だった作曲家のエマーソン・ホワイソーンと結婚(1917年に離婚)し、1912年にはアメリカに渡っています。
フランクフルト高等音楽院時代に、イヴァン・クノールとベルンハルト・ゼクレスから音楽理論を学んでいたレギンスカでしたが、渡米時にルービン・ゴールドマーク(カール・ゴルドマルクの甥)の指導を受けてから作曲活動に興味を持つようになり、1914年から自力で作曲家として作品を手掛けるようになりました。1918年には、ニューヨーク在住のエルネスト・ブロッホから作曲法を教わり、オペラを三作品ほど手掛け、作曲家としての活動を本格化させうようになりました。
オーケストラの指揮にも興味を持つようになったレギンスカは、ユージン・グーセンスやアルトゥール・ローター、ジェンナロ・パピらの個人指導を受けて指揮法をマスターし、アメリカ中のオペラやコンサートで指揮活動を展開するようになりました。
作曲と指揮にやりがいを見出したレギンスカは、1920年代でピアニストとしての活動を停止しましたが、その後、指揮者としても、作曲家としても録音には恵まれないままでした。
今日レギンスカの録音として聴くことができるのは、ピアニストとして活動していた時代の録音のみで、本CDに収録された録音は、1926年から1928年にかけてアメリカのコロムビア・レーベルに残した、彼女の主要な録音です。
演目は、フランツ・シューベルト(Franz Schubert, 1797-1828)の即興曲全曲と、小品集《楽興の時》の全曲、ポーランド人ピアニストのカール・タウジヒ(Carl Tausig, 1841-1871)が編曲したシューベルトの軍隊行進曲、フレデリック・フランソワ・ショパン(Frédéric François Chopin, 1810-1849)の軍隊ポロネーズと前奏曲第15番、セルゲイ・ラフマニノフ(Sergei Rachmaninoff, 1873-1943)の前奏曲集からの2曲と、フランツ・リスト(Franz Liszt, 1811-1886)のハンガリー狂詩曲第8番となっています。
レギンスカは、演奏会に於いて、フリルのついたドレスを着てステージに上がるのを拒んだ人でしたが、これ見よがしなことを嫌う傾向は、作品演奏にも表れています。
一連のシューベルトの作品では、あまりテンポを伸縮させず、淡々としています。録音年代からすれば、濃厚な表情付けが好まれそうですが、余計と思われることを一切しないその流儀に、音楽家としての彼女の個性を感じます。
ショパンの軍隊ポロネーズであれ、ラフマニノフの前奏曲であれ、リストのハンガリー狂詩曲であれ、難所を何ともわせないテクニックで、まるでやっつけ仕事でもこなすかのように演奏していますが、その技術的な完成度の高さは、今日の演奏と比べても、ダイナミック・レンジの狭さに時代の制約を感じるくらいで、ほぼ遜色はありません。
本名はエセル・リギンス(Ethel Liggins)といいますが、ヨーロッパでの覚えをよくするために、ポーランド人のような芸名を使っています。
6歳で初舞台を踏んだレギンスカは、神童と呼ばれ、彼女の才能を伸ばしたいというスポンサーの尽力で、10歳にしてフランクフルト高等音楽院に留学し、オランダ人ピアノ教師のジェームス・クヴァストの元で研鑽を積んでいます。さらに、ウィーン在住の名教師として知られたテオドール・レシェティツキの薫陶を受け、16歳でピアニストとしてヨーロッパ中を演奏旅行してまわり、成功を収めました。
1906年にイギリスに凱旋帰国したレギンスカは、翌年、同じくレシェティツキ門下だった作曲家のエマーソン・ホワイソーンと結婚(1917年に離婚)し、1912年にはアメリカに渡っています。
フランクフルト高等音楽院時代に、イヴァン・クノールとベルンハルト・ゼクレスから音楽理論を学んでいたレギンスカでしたが、渡米時にルービン・ゴールドマーク(カール・ゴルドマルクの甥)の指導を受けてから作曲活動に興味を持つようになり、1914年から自力で作曲家として作品を手掛けるようになりました。1918年には、ニューヨーク在住のエルネスト・ブロッホから作曲法を教わり、オペラを三作品ほど手掛け、作曲家としての活動を本格化させうようになりました。
オーケストラの指揮にも興味を持つようになったレギンスカは、ユージン・グーセンスやアルトゥール・ローター、ジェンナロ・パピらの個人指導を受けて指揮法をマスターし、アメリカ中のオペラやコンサートで指揮活動を展開するようになりました。
作曲と指揮にやりがいを見出したレギンスカは、1920年代でピアニストとしての活動を停止しましたが、その後、指揮者としても、作曲家としても録音には恵まれないままでした。
今日レギンスカの録音として聴くことができるのは、ピアニストとして活動していた時代の録音のみで、本CDに収録された録音は、1926年から1928年にかけてアメリカのコロムビア・レーベルに残した、彼女の主要な録音です。
演目は、フランツ・シューベルト(Franz Schubert, 1797-1828)の即興曲全曲と、小品集《楽興の時》の全曲、ポーランド人ピアニストのカール・タウジヒ(Carl Tausig, 1841-1871)が編曲したシューベルトの軍隊行進曲、フレデリック・フランソワ・ショパン(Frédéric François Chopin, 1810-1849)の軍隊ポロネーズと前奏曲第15番、セルゲイ・ラフマニノフ(Sergei Rachmaninoff, 1873-1943)の前奏曲集からの2曲と、フランツ・リスト(Franz Liszt, 1811-1886)のハンガリー狂詩曲第8番となっています。
レギンスカは、演奏会に於いて、フリルのついたドレスを着てステージに上がるのを拒んだ人でしたが、これ見よがしなことを嫌う傾向は、作品演奏にも表れています。
一連のシューベルトの作品では、あまりテンポを伸縮させず、淡々としています。録音年代からすれば、濃厚な表情付けが好まれそうですが、余計と思われることを一切しないその流儀に、音楽家としての彼女の個性を感じます。
ショパンの軍隊ポロネーズであれ、ラフマニノフの前奏曲であれ、リストのハンガリー狂詩曲であれ、難所を何ともわせないテクニックで、まるでやっつけ仕事でもこなすかのように演奏していますが、その技術的な完成度の高さは、今日の演奏と比べても、ダイナミック・レンジの狭さに時代の制約を感じるくらいで、ほぼ遜色はありません。
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