1928年の日本ハナゲ學会第3分科會において瓢箪屋蓑吉氏が発表した「傳説の白ハナゲと黑ハナゲの脱色化の判別に關する文化論的一考察 ―ルウブル美術館をくまなく回ろうとして挫折したフレデリツク勅使河原氏の手記を中心に―」を再読したり、検証したりするBLOGではないことは確かなことです。ええ!確かなことですとも!
CD1:
◈Wilhelm Furtwängler: Symphonic Concerto in B minor for Piano and Orchestra
Edwin Fischer (Pf)
Berliner Philharmoniker / Wilhelm Furtwängler
(Rec. 19 January 1939, Philharmonie, Berlin) Live Recording without Applause
CD2:
◈Wilhelm Furtwängler: Symphony No.2 in E minor
Philharmonisches Staatsorchester Hamburg / Wilhelm Furtwängler
(Rec. 18 October 1948, Musikhalle, Hamburg) Live Recording without Applause
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(Wilhelm Furtwängler, 1886-1951)は、ドイツの作曲家兼指揮者です。
父は高名な音楽学者で、母はブラームスらと交流のあった名家の出身ということで、かなりのお坊ちゃんでした。
学校での勉学を早々に打ち切られ、家庭教師について勉学を学んだ彼は、どこの音楽院の出身者でもありません。
しかし、特に音楽に関しては、教師に恵まれていて、ヴァルター・リーツラーやアントン・ヴェーア・ヴァルブルン等といった当時の高名な音楽学者はもとより、ヨーゼフ・ラインベルガーのような対位法の大家や、マックス・フォン・シリングスのような指揮者としても高名だった作曲家がフルトヴェングラー家にきて、音楽のイロハを徹底的に教えていました。
そのため、フルトヴェングラーは、音楽院出身者顔負けの音楽的素養を身につけることになったのでした。
指揮者としては、1905年にブレスラウ市立歌劇場のコレペティトゥーアとして就職したのを皮切りに、順当にキャリアを伸ばし、1922年にはアルトゥール・ニキシュの後を継いでベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者に就任し、1927年にはウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者になるなど、ドイツ・オーケストラ圏で不動の地位を確立するようになりました。
しかし、フルトヴェングラー自身は、指揮者としてよりも、作曲家として認められたかったらしく、指揮者としての権威を活用して、機会があれば自作をプログラムに載せ、録音していました。こうした自作の録音は、フルトヴェングラーが自作を録音させてもらえるほどに指揮者として有名だったという証拠のように扱われてきましたが、近年では、少しずつ、フルトヴェングラーの作品を取り上げる指揮者も現れ、再評価が進みつつあります。
フルトヴェングラーは、1曲だけピアノ協奏曲を残していますが、それが、1924年から13年かけて作曲された、ピアノとオーケストラのための交響的協奏曲です。3楽章からなる協奏曲ですが、その名前の通り、大変物々しく、長大な作品に仕上がっています。総演奏時間1時間以上の作品で、30分程度の第1楽章が、ほぼ全曲の半分を占めます。
作曲当時のドイツの雰囲気を反映し、まるで没落へと進むようなムードで塗り固められています。ピアノも、超絶技巧で華麗に彩るというよりは、オーケストラとともに慟哭するといった感じが強く、ヨハネス・ブラームスのピアノ協奏曲第1番のコンセプトをペシミスティックに推し進めたような音楽になります。
初演はミュンヘンで、1937年の10月に、エトヴィン・フィッシャー(Edwin Fischer, 1886-1960)の独奏と、作曲者自身の指揮によるベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏でなされましたが、本録音は、その初演から二年後に、同じキャスティングで再演されたものです。
フィッシャーのピアノは、結構ミスタッチが散見されますが、作曲者とシンパシーを持っているのか、第1楽章ではオーケストラの激しい感情の浮き沈みにしっかり対応し、時にはオーケストラをリードするような存在感を示しています。
第2楽章は、まるでアントン・ブルックナーの交響曲の緩徐楽章をピアノ協奏曲にしたような作品で、フィッシャーのきらめくような打鍵が、ほのかなエロスを漂わせます。
第3楽章は、ピアノとオーケストラの対話が巨人同士の殴り合いのような迫力を持っていますが、フルトヴェングラーが猛烈にオーケストラを煽って終盤でクライマックスを作り上げますが、フィッシャーの集中力が途切れてしまったのか、散漫な印象が残ります。
全体的には、録音状態の劣悪さのため、しばしばオーケストラの音が飽和状態になり、何をやっているのかよくわからない個所もあります。ピアニッシモでは、楽音よりもノイズの音が大きいため、作品を細部にわたって吟味するには向いていません。初演者たちによる演奏ということで、この作品の原初的なイメージを知るうえでは貴重な録音です。しかし、フルトヴェングラーなど二の次で、ピアニストのフィッシャーの至芸を味わいたいだけの人には、他の録音を探すことをお勧めします。
交響曲第2番は、作曲家としてのフルトヴェングラーの自信作で、フルトヴェングラー自身、この曲を度々録音しています。
作曲家としてのフルトヴェングラーは、どうやらブルックナーなみの規模の曲を好む傾向があったらしく、本作品でも、先述のピアノ協奏曲同様1時間を優に超える作品を残しています。
1844年に着手し、翌年完成した本作品は、ピアノ協奏曲ほどのペシミズムは感じられません。
クライマックスに入った時のオーケストラの総奏状態が長く続く点や作品の規模などにブルックナーの影響が多分に見られますが、フルトヴェングラーの交響曲は、神への祈りというよりは、第二次世界大戦の敗戦で瓦礫と化したドイツに喝を入れるような気概を感じさせます。緩徐楽章のはずの第2楽章でさえも、メロディ・ラインこそ静謐さを企図しているものの、音楽自体がだんだん盛り上がってきて、結局饒舌な音楽になっています。
自分の言いたいことを、この交響曲にすべて盛り込んだ感じで、ハンブルク国立フィルハーモニー管弦楽団も、フルトヴェングラーの指揮でダイナミックな演奏を展開しています。総体的にも、オーケストラのアンサンブルはよく整っていて、大きな瑕疵はなさそうです。ただ、各パートの音色は一本調子で、指示されたことを物理的にうまくこなしているだけという感じもします。そのため、大がかりな曲の割には、さほど印象に残りません。
父は高名な音楽学者で、母はブラームスらと交流のあった名家の出身ということで、かなりのお坊ちゃんでした。
学校での勉学を早々に打ち切られ、家庭教師について勉学を学んだ彼は、どこの音楽院の出身者でもありません。
しかし、特に音楽に関しては、教師に恵まれていて、ヴァルター・リーツラーやアントン・ヴェーア・ヴァルブルン等といった当時の高名な音楽学者はもとより、ヨーゼフ・ラインベルガーのような対位法の大家や、マックス・フォン・シリングスのような指揮者としても高名だった作曲家がフルトヴェングラー家にきて、音楽のイロハを徹底的に教えていました。
そのため、フルトヴェングラーは、音楽院出身者顔負けの音楽的素養を身につけることになったのでした。
指揮者としては、1905年にブレスラウ市立歌劇場のコレペティトゥーアとして就職したのを皮切りに、順当にキャリアを伸ばし、1922年にはアルトゥール・ニキシュの後を継いでベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者に就任し、1927年にはウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者になるなど、ドイツ・オーケストラ圏で不動の地位を確立するようになりました。
しかし、フルトヴェングラー自身は、指揮者としてよりも、作曲家として認められたかったらしく、指揮者としての権威を活用して、機会があれば自作をプログラムに載せ、録音していました。こうした自作の録音は、フルトヴェングラーが自作を録音させてもらえるほどに指揮者として有名だったという証拠のように扱われてきましたが、近年では、少しずつ、フルトヴェングラーの作品を取り上げる指揮者も現れ、再評価が進みつつあります。
フルトヴェングラーは、1曲だけピアノ協奏曲を残していますが、それが、1924年から13年かけて作曲された、ピアノとオーケストラのための交響的協奏曲です。3楽章からなる協奏曲ですが、その名前の通り、大変物々しく、長大な作品に仕上がっています。総演奏時間1時間以上の作品で、30分程度の第1楽章が、ほぼ全曲の半分を占めます。
作曲当時のドイツの雰囲気を反映し、まるで没落へと進むようなムードで塗り固められています。ピアノも、超絶技巧で華麗に彩るというよりは、オーケストラとともに慟哭するといった感じが強く、ヨハネス・ブラームスのピアノ協奏曲第1番のコンセプトをペシミスティックに推し進めたような音楽になります。
初演はミュンヘンで、1937年の10月に、エトヴィン・フィッシャー(Edwin Fischer, 1886-1960)の独奏と、作曲者自身の指揮によるベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏でなされましたが、本録音は、その初演から二年後に、同じキャスティングで再演されたものです。
フィッシャーのピアノは、結構ミスタッチが散見されますが、作曲者とシンパシーを持っているのか、第1楽章ではオーケストラの激しい感情の浮き沈みにしっかり対応し、時にはオーケストラをリードするような存在感を示しています。
第2楽章は、まるでアントン・ブルックナーの交響曲の緩徐楽章をピアノ協奏曲にしたような作品で、フィッシャーのきらめくような打鍵が、ほのかなエロスを漂わせます。
第3楽章は、ピアノとオーケストラの対話が巨人同士の殴り合いのような迫力を持っていますが、フルトヴェングラーが猛烈にオーケストラを煽って終盤でクライマックスを作り上げますが、フィッシャーの集中力が途切れてしまったのか、散漫な印象が残ります。
全体的には、録音状態の劣悪さのため、しばしばオーケストラの音が飽和状態になり、何をやっているのかよくわからない個所もあります。ピアニッシモでは、楽音よりもノイズの音が大きいため、作品を細部にわたって吟味するには向いていません。初演者たちによる演奏ということで、この作品の原初的なイメージを知るうえでは貴重な録音です。しかし、フルトヴェングラーなど二の次で、ピアニストのフィッシャーの至芸を味わいたいだけの人には、他の録音を探すことをお勧めします。
交響曲第2番は、作曲家としてのフルトヴェングラーの自信作で、フルトヴェングラー自身、この曲を度々録音しています。
作曲家としてのフルトヴェングラーは、どうやらブルックナーなみの規模の曲を好む傾向があったらしく、本作品でも、先述のピアノ協奏曲同様1時間を優に超える作品を残しています。
1844年に着手し、翌年完成した本作品は、ピアノ協奏曲ほどのペシミズムは感じられません。
クライマックスに入った時のオーケストラの総奏状態が長く続く点や作品の規模などにブルックナーの影響が多分に見られますが、フルトヴェングラーの交響曲は、神への祈りというよりは、第二次世界大戦の敗戦で瓦礫と化したドイツに喝を入れるような気概を感じさせます。緩徐楽章のはずの第2楽章でさえも、メロディ・ラインこそ静謐さを企図しているものの、音楽自体がだんだん盛り上がってきて、結局饒舌な音楽になっています。
自分の言いたいことを、この交響曲にすべて盛り込んだ感じで、ハンブルク国立フィルハーモニー管弦楽団も、フルトヴェングラーの指揮でダイナミックな演奏を展開しています。総体的にも、オーケストラのアンサンブルはよく整っていて、大きな瑕疵はなさそうです。ただ、各パートの音色は一本調子で、指示されたことを物理的にうまくこなしているだけという感じもします。そのため、大がかりな曲の割には、さほど印象に残りません。
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