1928年の日本ハナゲ學会第3分科會において瓢箪屋蓑吉氏が発表した「傳説の白ハナゲと黑ハナゲの脱色化の判別に關する文化論的一考察 ―ルウブル美術館をくまなく回ろうとして挫折したフレデリツク勅使河原氏の手記を中心に―」を再読したり、検証したりするBLOGではないことは確かなことです。ええ!確かなことですとも!
◈Mario Castelnuovo-Tedesco: Guitar Concerto No.1 in D major, op.99
◈Mario Castelnuovo-Tedesco: Guitar Concerto No.2 in C major, op.160
山下 和仁 (Gt)
London Philharmonic Orchestra / Leonard Slatkin
(Rec. 25-27 August 1989, CBS Studio, London)
◈Mario Castelnuovo-Tedesco: Concerto for 2 Guitars and Orchestra in G major, op.201山下 和仁 (1st Gt)
山下 尚子 (2nd Gt)
山下 尚子 (2nd Gt)
London Philharmonic Orchestra / Leonard Slatkin
(Rec. 25-27 August 1989, CBS Studio, London)
マリオ・カステルヌオーヴォ=テデスコ(Mario Castelnuovo-Tedesco, 1895-1968)はイタリア出身の作曲家です。
イルデブラント・ピツェッティに学んだカステルヌオーヴォ=テデスコは、20世紀イタリアの音楽界を背負う逸材として将来を嘱望されましたが、第二次世界大戦に向けて、イタリア国内でもファシスト政権が成立するようになると、次第に活動を制限されるようになりました。
結果として1939年にアルトゥーロ・トスカニーニの手引きでアメリカに亡命し、以後、ハリウッドの映画音楽などを手掛け、アメリカの作曲家として生涯を閉じました。
カステルヌオーヴォ=テデスコは、別にギター専門の作曲家だったわけではありませんが、アンドレアス・セゴビアらとの交流から、ギター曲をたくさん書いていました。
アメリカに亡命する頃に書かれたギター協奏曲第1番(1938-1939年作)は、セゴビアの依頼で書かれたものです。
カステルヌオーヴォ=テデスコは、第1楽章を書き上げてからアメリカに亡命し、残りの2つの楽章を渡米後に書き上げて、セゴビアに渡しました。
セゴビアは、当時住んでいたウルグアイにとって返し、その年の10月28日にはモンテビデオでランベルト・バルディの指揮するウルグアイ国立管弦楽団の伴奏で公開初演を果たしています。
ちなみに、同時期に作られたホアキン・ロドリーゴのアランフェス協奏曲は、レヒーノ・サインス・デ・ラ・マーサのギター独奏と、ヘスス・アランバリ指揮するマドリード室内管弦楽団によって1940年の12月11日に初演されました。公開初演の時期は、カステルヌオーヴォ=テデスコの作品のほうが早かったわけですが、南米での初演は、ヨーロッパではあまり話題にならず、マドリード歌劇場で初演されたアランフェス協奏曲のほうに注目が集まってしまいました。そんなこともあって、セゴビアは、アランフェス協奏曲には一切手をつけようとしませんでした。
カステルヌオーヴォ=テデスコのギター協奏曲第1番の真情は、第2楽章に描かれていて、作曲者自身によれば、故郷であるフィレンツェの丘に向けた惜別の歌とのことです。
アメリカに渡ってからも、倦むことなく作曲活動を続けていましたが、第2番のギター協奏曲は、1953年に書き上げられ、セゴビアに献呈するはずだった作品です。
第1番の協奏曲に比べて、同じ3楽章の作品ではあるもの、オーケストラの規模が拡大し、その表現にも深みが増しています。
第1楽章では、映画音楽での仕事で培ったのか、広大な大地を思わせるような雰囲気でギターを巧みにサポートし、時にはオーケストラのみでクライマックスも作り上げています。
「サラバンドと変奏曲」と名付けられた第2楽章では、哀愁を内に秘めたギターの主題を様々に変奏し、壮大な音楽を築き上げています。
第3楽章もオーケストラと一緒にメロディを織り上げてみたり、三連符を駆使したラプソディックなメロディを挿入したりと、ギターの名人芸を味わいつくせるような意匠が凝らしてあります。
初演はロンドンで、ジョン・バルビローリの指揮するオーケストラの伴奏でセゴビアが初演する段取りでしたが、当のセゴビアは、やれオーケストラとギターのバランスが悪いだの、ギターで演奏効果の上がらないパッセージがあるだのと言い、結局初演をキャンセルしてしまいました。
そのため、1963年の1月にクリストファー・パークニングがアンリ・テミアンカ率いるロサンゼルス室内管弦楽団と初演するまで、この曲はお蔵入りになっていました。
その後も、セゴビアはこの曲を手掛けていません。
カステルヌオーヴ=テデスコは、1961年にイダ・プレスティとアレクサンドル・ラゴヤの夫妻を知り、この夫妻デュオのために、ギター二重奏の曲を書くことになりました。カステルヌオーヴォ=テデスコは、まず手始めにヨハン・ゼバスティアン・バッハの平均律クラヴィーア曲集をもじって平均律ギター曲集を書き、さらにカノン風のソナティナを夫妻に献呈しています。
調子付いたカステルヌオーヴォ=テデスコは、1963年に2本のギターのための協奏曲を書き上げ、出来上がった年のうちにトロントで夫妻によって初演されました。
この曲は今でも、ギター・デュオにとって、ロドリーゴのマドリガル協奏曲に並ぶ貴重な協奏曲として愛好されています。
作品は、3つの楽章からなり、両端楽章の賑やかさは第2番のギター協奏曲の路線を継承しています。第2楽章は第1番の第2楽章に近く、ギターの二重奏が厚手の響きでオーケストラと美しいメロディを紡ぎあげています。
本CDは、山下和仁(Kazuhito Yamashita, 1961-)のギターと、レナード・スラットキン(Leonard Slatkin, 1944-)の指揮するロンドン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏で収録されています。2本用のギター協奏曲では妹の山下尚子(Naoko Yamashita, 1963-)が参加しています。
実演では、ギターの音がどうしてもオーケストラに位負けしてしまうので、オーケストラはマイクから距離をとって録音しているようです。
山下和仁は、15歳で日本ギター連盟主催の全国コンクールに優勝し、その後、スペインのラミレス国際ギター・コンクール、イタリアのアレッサンドリア国際ギター・コンクール、フランスのパリ国際ギター・コンクールでそれぞれ優勝し、天才ギタリストの名声をほしいままにした名手です。
山下尚子は、兄の和仁と同じく父の山下亨に師事したギタリストです。1980年に日本ギター・コンクールで第二位に入賞し、ソリストとしてだけでなく、兄妹デュオとしても活動を続けています。
指揮を務めるスラットキンは、指揮者兼ヴァイオリニストのフェリックス・スラットキンの息子として生まれた人。カステルヌオーヴォ=テデスコは、スラットキンの作曲の師でした。
そんなわけで、スラットキンにしてみれば師の作品を演奏するという縁になりますが、その演奏は、録音の塩梅もあるのか、大味な印象を受けます。第2番の協奏曲の第3楽章など、ちょっとコントロールの散漫なところもあり、オーケストラとしてもベストなコンディションではなさそうです。
独奏を務める山下のギターは、一連の曲が簡単に弾けてしまうようで、実にあっさりしています。作曲者の曲への思い入れなど置き去りにし、オーケストラとのコンビネーションもあまり気にせず弾き進むので、やっつけ仕事めいています。技術的には模範演奏ですが、感銘を受ける演奏ではありません。
2本のギター用の協奏曲は、兄妹のデュオでの演奏だけあって、息がぴったり合い、技術的に第1番や第2番の協奏曲と遜色のない出来栄えになっています。スラットキンの伴奏も、緻密なギター・デュオの演奏が中心になっているため、その大味さはあまり気になりません。ただ、「ロンド・メキシカーノ」と書かれた第3楽章は、何故か窮屈に感じます。
これらの演奏は、カステルヌオーヴォ=テデスコのギター協奏曲がどういう作品かを、高度な演奏でチェックできる点では有用ですが、作曲者の生きた時代背景にまで思いを馳せられるものではありません。
イルデブラント・ピツェッティに学んだカステルヌオーヴォ=テデスコは、20世紀イタリアの音楽界を背負う逸材として将来を嘱望されましたが、第二次世界大戦に向けて、イタリア国内でもファシスト政権が成立するようになると、次第に活動を制限されるようになりました。
結果として1939年にアルトゥーロ・トスカニーニの手引きでアメリカに亡命し、以後、ハリウッドの映画音楽などを手掛け、アメリカの作曲家として生涯を閉じました。
カステルヌオーヴォ=テデスコは、別にギター専門の作曲家だったわけではありませんが、アンドレアス・セゴビアらとの交流から、ギター曲をたくさん書いていました。
アメリカに亡命する頃に書かれたギター協奏曲第1番(1938-1939年作)は、セゴビアの依頼で書かれたものです。
カステルヌオーヴォ=テデスコは、第1楽章を書き上げてからアメリカに亡命し、残りの2つの楽章を渡米後に書き上げて、セゴビアに渡しました。
セゴビアは、当時住んでいたウルグアイにとって返し、その年の10月28日にはモンテビデオでランベルト・バルディの指揮するウルグアイ国立管弦楽団の伴奏で公開初演を果たしています。
ちなみに、同時期に作られたホアキン・ロドリーゴのアランフェス協奏曲は、レヒーノ・サインス・デ・ラ・マーサのギター独奏と、ヘスス・アランバリ指揮するマドリード室内管弦楽団によって1940年の12月11日に初演されました。公開初演の時期は、カステルヌオーヴォ=テデスコの作品のほうが早かったわけですが、南米での初演は、ヨーロッパではあまり話題にならず、マドリード歌劇場で初演されたアランフェス協奏曲のほうに注目が集まってしまいました。そんなこともあって、セゴビアは、アランフェス協奏曲には一切手をつけようとしませんでした。
カステルヌオーヴォ=テデスコのギター協奏曲第1番の真情は、第2楽章に描かれていて、作曲者自身によれば、故郷であるフィレンツェの丘に向けた惜別の歌とのことです。
アメリカに渡ってからも、倦むことなく作曲活動を続けていましたが、第2番のギター協奏曲は、1953年に書き上げられ、セゴビアに献呈するはずだった作品です。
第1番の協奏曲に比べて、同じ3楽章の作品ではあるもの、オーケストラの規模が拡大し、その表現にも深みが増しています。
第1楽章では、映画音楽での仕事で培ったのか、広大な大地を思わせるような雰囲気でギターを巧みにサポートし、時にはオーケストラのみでクライマックスも作り上げています。
「サラバンドと変奏曲」と名付けられた第2楽章では、哀愁を内に秘めたギターの主題を様々に変奏し、壮大な音楽を築き上げています。
第3楽章もオーケストラと一緒にメロディを織り上げてみたり、三連符を駆使したラプソディックなメロディを挿入したりと、ギターの名人芸を味わいつくせるような意匠が凝らしてあります。
初演はロンドンで、ジョン・バルビローリの指揮するオーケストラの伴奏でセゴビアが初演する段取りでしたが、当のセゴビアは、やれオーケストラとギターのバランスが悪いだの、ギターで演奏効果の上がらないパッセージがあるだのと言い、結局初演をキャンセルしてしまいました。
そのため、1963年の1月にクリストファー・パークニングがアンリ・テミアンカ率いるロサンゼルス室内管弦楽団と初演するまで、この曲はお蔵入りになっていました。
その後も、セゴビアはこの曲を手掛けていません。
カステルヌオーヴ=テデスコは、1961年にイダ・プレスティとアレクサンドル・ラゴヤの夫妻を知り、この夫妻デュオのために、ギター二重奏の曲を書くことになりました。カステルヌオーヴォ=テデスコは、まず手始めにヨハン・ゼバスティアン・バッハの平均律クラヴィーア曲集をもじって平均律ギター曲集を書き、さらにカノン風のソナティナを夫妻に献呈しています。
調子付いたカステルヌオーヴォ=テデスコは、1963年に2本のギターのための協奏曲を書き上げ、出来上がった年のうちにトロントで夫妻によって初演されました。
この曲は今でも、ギター・デュオにとって、ロドリーゴのマドリガル協奏曲に並ぶ貴重な協奏曲として愛好されています。
作品は、3つの楽章からなり、両端楽章の賑やかさは第2番のギター協奏曲の路線を継承しています。第2楽章は第1番の第2楽章に近く、ギターの二重奏が厚手の響きでオーケストラと美しいメロディを紡ぎあげています。
本CDは、山下和仁(Kazuhito Yamashita, 1961-)のギターと、レナード・スラットキン(Leonard Slatkin, 1944-)の指揮するロンドン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏で収録されています。2本用のギター協奏曲では妹の山下尚子(Naoko Yamashita, 1963-)が参加しています。
実演では、ギターの音がどうしてもオーケストラに位負けしてしまうので、オーケストラはマイクから距離をとって録音しているようです。
山下和仁は、15歳で日本ギター連盟主催の全国コンクールに優勝し、その後、スペインのラミレス国際ギター・コンクール、イタリアのアレッサンドリア国際ギター・コンクール、フランスのパリ国際ギター・コンクールでそれぞれ優勝し、天才ギタリストの名声をほしいままにした名手です。
山下尚子は、兄の和仁と同じく父の山下亨に師事したギタリストです。1980年に日本ギター・コンクールで第二位に入賞し、ソリストとしてだけでなく、兄妹デュオとしても活動を続けています。
指揮を務めるスラットキンは、指揮者兼ヴァイオリニストのフェリックス・スラットキンの息子として生まれた人。カステルヌオーヴォ=テデスコは、スラットキンの作曲の師でした。
そんなわけで、スラットキンにしてみれば師の作品を演奏するという縁になりますが、その演奏は、録音の塩梅もあるのか、大味な印象を受けます。第2番の協奏曲の第3楽章など、ちょっとコントロールの散漫なところもあり、オーケストラとしてもベストなコンディションではなさそうです。
独奏を務める山下のギターは、一連の曲が簡単に弾けてしまうようで、実にあっさりしています。作曲者の曲への思い入れなど置き去りにし、オーケストラとのコンビネーションもあまり気にせず弾き進むので、やっつけ仕事めいています。技術的には模範演奏ですが、感銘を受ける演奏ではありません。
2本のギター用の協奏曲は、兄妹のデュオでの演奏だけあって、息がぴったり合い、技術的に第1番や第2番の協奏曲と遜色のない出来栄えになっています。スラットキンの伴奏も、緻密なギター・デュオの演奏が中心になっているため、その大味さはあまり気になりません。ただ、「ロンド・メキシカーノ」と書かれた第3楽章は、何故か窮屈に感じます。
これらの演奏は、カステルヌオーヴォ=テデスコのギター協奏曲がどういう作品かを、高度な演奏でチェックできる点では有用ですが、作曲者の生きた時代背景にまで思いを馳せられるものではありません。
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