1928年の日本ハナゲ學会第3分科會において瓢箪屋蓑吉氏が発表した「傳説の白ハナゲと黑ハナゲの脱色化の判別に關する文化論的一考察 ―ルウブル美術館をくまなく回ろうとして挫折したフレデリツク勅使河原氏の手記を中心に―」を再読したり、検証したりするBLOGではないことは確かなことです。ええ!確かなことですとも!
◈Claude Debussy: Le martyre de Saint Sebastien
Suzanne Danco (S)
Nancy Wough (A)
Marie-Lise de Montmolin (A)
L'Union Chorale de la Tour-de-Peilz (Chorus master: Robert Mermoud)
Orchestre de la Suisse Romande / Ernest Ansermet
Nancy Wough (A)
Marie-Lise de Montmolin (A)
L'Union Chorale de la Tour-de-Peilz (Chorus master: Robert Mermoud)
Orchestre de la Suisse Romande / Ernest Ansermet
(Rec. June 1954, Genève)
◈Arthur Honegger: Une cantate de NoëlPierre Mollet (Br)
Le Chœur des Jeunes de Lausanne
Chœur de Radio-Lausanne
Petit Chœur du Collège Villamont
Orchestre de la Suisse Romande / Ernest Ansermet
Le Chœur des Jeunes de Lausanne
Chœur de Radio-Lausanne
Petit Chœur du Collège Villamont
Orchestre de la Suisse Romande / Ernest Ansermet
(Rec. November 1961, Genève)
本CDは、クロード・ドビュッシー(Claude Debussy, 1862-1955)の神秘劇《聖セバスティアンの殉教》とアルテュール・オネゲル(Arthur Honegger, 1892-1955)のクリスマス・カンタータをカップリングしています。
《聖セバスティアンの殉教》は、1911年に作曲された作品です。テクストはガブリエーレ・ダンヌンツィオ(Gabriele D'Annunzio, 1863-1968)が1910年に書き上げた台本に基づいています。
「聖セバスティアン」は、古代ローマの殉教者、聖セバスティアヌスのことです。聖セバスティアヌスは、ディオクレティアヌス帝の近衛兵だった人物で、多くの罪人や同僚をキリスト教に改宗させています。しかし、それらのことがディオクレティアヌス帝の知るところとなり、ディオクレティアヌス帝の命で処刑されてしまいます。
セバスティアヌスは弓でハチの巣になるまで射られましたが絶命せず、ディオクレティアヌス帝自らが撲殺したとされています。
ダンヌンツィオは、この聖セバスティアヌスを題材に5つの場面からなる台本を書き上げたのでした。
ダンヌンツィオは、出来上がった台本を、フランスの舞踊家であるイダ・ルビンシテインに献呈し、ルビンシテインは、この作品の上演を計画しました。神秘劇として上演するため、付随音楽が必要になったルビンシテインは、ドビュッシーに仕事を依頼し、ドビュッシーは、弟子のアンドレ・カプレの助力を得ながら、せっせと作曲に励みました。
しかし、この神秘劇を上演するには4~5時間ほどの時間が必要で、ドビュッシーは、その劇のために1時間弱の音楽しか作曲することができませんでした。
作曲されなかった部分は、朗読で演じるということで、作曲年の5月11日にシャトレ座で初演されましたが、初演前からルビンシテインの演出に教会側から待ったがかかったり、ダンヌンツィオの原作が禁書にされたりしました。初演自体も、あまりの長尺に非難が集まり、大失敗に終わっています。
今日では、大部分を占める朗読の部分はカットされ、音楽の部分のみが演奏されます。
本CDは、ベルギー人ソプラノ歌手のシュザンヌ・ダンコ(Suzanne Danco, 1911-2000)、スイス人のアルト歌手のナンシー・ウー(Nancy Wough)、同じくスイス人アルト歌手のマリー=リーズ・ド・モンモラン(Marie-Lise de Montmolin, 1918-?)、トゥール・ド・ペイルス合唱団と、エルネスト・アンセルメ(Ernest Ansermet, 1883-1969)の指揮するスイス・ロマンド管弦楽団が演奏しています。
アンセルメは、ローザンヌ音楽院でアレクサンデル・デネリアに音楽理論を学び、エルネスト・ブロッホに作曲法を師事した人で、元々数学者として生計を立てていましたが、1910年から指揮者に転向して音楽活動を展開していた人です。1915年から8年間、バレエ・リュスの専属指揮者として働き、パリ在住の作曲家たちと親交を深めたことで、バレエ音楽ならびにフランス音楽の名人と言われました。
ダンコは、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの歌曲に一家言を持つ歌手でしたが、アンセルメはダンコをフランス歌曲の名手と考えていて、好んで彼女を起用していたようです。
アンセルメの極彩色のオーケストラのコントロールに乗って、歌唱陣は感興豊かに歌っています。
特に第2幕のエリゴーヌの歌の場面は、花鳥風月の趣を思わせるオーケストラとダンコの歌声が見事な調和を見せ、夢のような音楽に仕上がっています。合唱団も健闘していて、各パートの明晰さは、当時の録音としては驚異的な完成度でしょう。
アンセルメも、神秘劇の音楽ということで、いたずらにドラマティックにならず、程よい温度感を持続させ、少々クセのあるオーケストラの音色を適材適所に組み合わせて、絶妙な音楽を作り上げています。
その音色のデリケートさは、神業とも言えそうです。
クリスマス・カンタータは、1953年に完成された、オネゲルの最晩年の作品です。
親友のパウル・ザッヒャーの依頼を受けて書かれ、1952年のクリスマスに初演する予定でしたが、オネゲルの健康状態が相当悪く、ようやく1月に完成にこぎつけました。オネゲルは、1937年に、作家のセザール・フォン・アルクスと神秘劇を作る計画を立てていましたが、作曲中にアルクスが自殺してしまい、計画が頓挫してしまいました。このカンタータは、その頓挫した神秘劇の素材を活用して作曲されています。
曲は〈我深き淵より〉、〈ゆめ恐れるな〉、〈いと高き所に神の栄光あれ〉の3部分からなります。
〈我深き淵より〉は、絶望的な雰囲気を漂わせ、現世の苦しみを吐露するような音楽になっていますが、後半から児童合唱が讃美歌風のメロディを歌って活路を見い出し、〈ゆめ恐れるな〉のあたりから平明な音楽を織り上げ、クリスマス・キャロルまで使って幸福感を漂わせます。〈いと高き所に神の栄光あれ〉においては、前の部分を受けて壮大なクライマックスが築かれ、祈るような余韻を残して静かに曲を閉じます。
本CDでは、アンセルメの指揮するスイス・ロマンド管弦楽団が、ローザンヌ青年合唱団、ローザンヌ放送合唱団、ヴィラモン学校少年合唱団、そしてスイス人バリトン歌手のピエール・モレ(Pierre Mollet, 1920-2007)を起用していますが、ここでも合唱が見事な連携で美しい演奏を実現しています。オーケストラの音色も、混沌と清明さのコントラストがよくきいていて、苦しみから解脱する第1部から第2部の移行部分は、一条の光が差し込むような神々しさを感じさせます。
《聖セバスティアンの殉教》は、1911年に作曲された作品です。テクストはガブリエーレ・ダンヌンツィオ(Gabriele D'Annunzio, 1863-1968)が1910年に書き上げた台本に基づいています。
「聖セバスティアン」は、古代ローマの殉教者、聖セバスティアヌスのことです。聖セバスティアヌスは、ディオクレティアヌス帝の近衛兵だった人物で、多くの罪人や同僚をキリスト教に改宗させています。しかし、それらのことがディオクレティアヌス帝の知るところとなり、ディオクレティアヌス帝の命で処刑されてしまいます。
セバスティアヌスは弓でハチの巣になるまで射られましたが絶命せず、ディオクレティアヌス帝自らが撲殺したとされています。
ダンヌンツィオは、この聖セバスティアヌスを題材に5つの場面からなる台本を書き上げたのでした。
ダンヌンツィオは、出来上がった台本を、フランスの舞踊家であるイダ・ルビンシテインに献呈し、ルビンシテインは、この作品の上演を計画しました。神秘劇として上演するため、付随音楽が必要になったルビンシテインは、ドビュッシーに仕事を依頼し、ドビュッシーは、弟子のアンドレ・カプレの助力を得ながら、せっせと作曲に励みました。
しかし、この神秘劇を上演するには4~5時間ほどの時間が必要で、ドビュッシーは、その劇のために1時間弱の音楽しか作曲することができませんでした。
作曲されなかった部分は、朗読で演じるということで、作曲年の5月11日にシャトレ座で初演されましたが、初演前からルビンシテインの演出に教会側から待ったがかかったり、ダンヌンツィオの原作が禁書にされたりしました。初演自体も、あまりの長尺に非難が集まり、大失敗に終わっています。
今日では、大部分を占める朗読の部分はカットされ、音楽の部分のみが演奏されます。
本CDは、ベルギー人ソプラノ歌手のシュザンヌ・ダンコ(Suzanne Danco, 1911-2000)、スイス人のアルト歌手のナンシー・ウー(Nancy Wough)、同じくスイス人アルト歌手のマリー=リーズ・ド・モンモラン(Marie-Lise de Montmolin, 1918-?)、トゥール・ド・ペイルス合唱団と、エルネスト・アンセルメ(Ernest Ansermet, 1883-1969)の指揮するスイス・ロマンド管弦楽団が演奏しています。
アンセルメは、ローザンヌ音楽院でアレクサンデル・デネリアに音楽理論を学び、エルネスト・ブロッホに作曲法を師事した人で、元々数学者として生計を立てていましたが、1910年から指揮者に転向して音楽活動を展開していた人です。1915年から8年間、バレエ・リュスの専属指揮者として働き、パリ在住の作曲家たちと親交を深めたことで、バレエ音楽ならびにフランス音楽の名人と言われました。
ダンコは、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの歌曲に一家言を持つ歌手でしたが、アンセルメはダンコをフランス歌曲の名手と考えていて、好んで彼女を起用していたようです。
アンセルメの極彩色のオーケストラのコントロールに乗って、歌唱陣は感興豊かに歌っています。
特に第2幕のエリゴーヌの歌の場面は、花鳥風月の趣を思わせるオーケストラとダンコの歌声が見事な調和を見せ、夢のような音楽に仕上がっています。合唱団も健闘していて、各パートの明晰さは、当時の録音としては驚異的な完成度でしょう。
アンセルメも、神秘劇の音楽ということで、いたずらにドラマティックにならず、程よい温度感を持続させ、少々クセのあるオーケストラの音色を適材適所に組み合わせて、絶妙な音楽を作り上げています。
その音色のデリケートさは、神業とも言えそうです。
クリスマス・カンタータは、1953年に完成された、オネゲルの最晩年の作品です。
親友のパウル・ザッヒャーの依頼を受けて書かれ、1952年のクリスマスに初演する予定でしたが、オネゲルの健康状態が相当悪く、ようやく1月に完成にこぎつけました。オネゲルは、1937年に、作家のセザール・フォン・アルクスと神秘劇を作る計画を立てていましたが、作曲中にアルクスが自殺してしまい、計画が頓挫してしまいました。このカンタータは、その頓挫した神秘劇の素材を活用して作曲されています。
曲は〈我深き淵より〉、〈ゆめ恐れるな〉、〈いと高き所に神の栄光あれ〉の3部分からなります。
〈我深き淵より〉は、絶望的な雰囲気を漂わせ、現世の苦しみを吐露するような音楽になっていますが、後半から児童合唱が讃美歌風のメロディを歌って活路を見い出し、〈ゆめ恐れるな〉のあたりから平明な音楽を織り上げ、クリスマス・キャロルまで使って幸福感を漂わせます。〈いと高き所に神の栄光あれ〉においては、前の部分を受けて壮大なクライマックスが築かれ、祈るような余韻を残して静かに曲を閉じます。
本CDでは、アンセルメの指揮するスイス・ロマンド管弦楽団が、ローザンヌ青年合唱団、ローザンヌ放送合唱団、ヴィラモン学校少年合唱団、そしてスイス人バリトン歌手のピエール・モレ(Pierre Mollet, 1920-2007)を起用していますが、ここでも合唱が見事な連携で美しい演奏を実現しています。オーケストラの音色も、混沌と清明さのコントラストがよくきいていて、苦しみから解脱する第1部から第2部の移行部分は、一条の光が差し込むような神々しさを感じさせます。
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