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1928年の日本ハナゲ學会第3分科會において瓢箪屋蓑吉氏が発表した「傳説の白ハナゲと黑ハナゲの脱色化の判別に關する文化論的一考察 ―ルウブル美術館をくまなく回ろうとして挫折したフレデリツク勅使河原氏の手記を中心に―」を再読したり、検証したりするBLOGではないことは確かなことです。ええ!確かなことですとも!
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◈Sergei Prokofiev: Violin Concerto No.1 in D major, op.19
◈Sergei Prokofiev: Violin Concerto No.2 in G minor, op.63
Boris Belkin (Vn)
Tonhalle Orchester Zürich / Michael Stern
(Rec. 18-23 February & 20-23 September 1993, Tonhalle, Zürich)



セルゲイ・プロコフィエフ(Sergei Prokofiev, 1891-1953)は、ロシア出身の作曲家です。
5歳で作曲を始め、ラインホルト・グリエールに師事して作曲の腕前に磨きをかけました。また、セルゲイ・タネーエフにも何度か面会して助言を受けていました。11歳の時に自力で交響曲を習作し、グリエールとタネーエフにその作品を見せましたが、「和声が単純すぎる」と言われ、以後は、ひねった和声の探求に勤しむようになりました。
13歳の時に、ペテルブルグ音楽院に入学し、アナトリー・リャードフやニコライ・リムスキー=コルサコフに和声法やオーケストレーションを学びましたが、作曲科やピアノ科など、様々な学科を転々とし、全ての学科を優秀な成績で卒業しています。なお、亡命直前のプロコフィエフは、オルガン科に在籍していました。

プロコフィエフは、生涯に2曲のヴァイオリン協奏曲を書いていますが、そのうちの第1番の協奏曲は、1915年に着想し、1917年に完成した作品です。
作曲に当たっては、当時レオポルト・アウアーの後任としてペテルブルグ音楽院に赴任してきたパヴェウ・コハンスキが技術上の助言をしています。
初演の独奏は、無論コハンスキが担当する筈でしたが、ロシア国内の政情不安定になり、ほどなくプロコフィエフ自身が亡命してしまったため、コハンスキと疎遠になり、初演の話は一旦立ち消えになっています。
その後、コハンスキと同じポーランド出身のブロニスワフ・フーベルマンを独奏者に立てて初演するという話が浮上しましたが、フーベルマンが辞退したため、1923年にパリのオペラ座でマルセル・ダリューのヴァイオリンとセルゲイ・クーセヴィツキーの指揮で初演するまでお蔵入りになってしまいました。
しかも、そのダリューによる初演の評判は芳しいものではなく、翌年プラハで開かれた現代音楽祭で、ハンガリー出身のヴァイオリニストであるヨーゼフ・シゲティがフリッツ・ライナーと演奏してから、ようやく名作として認められるようになりました。
「ロシアの恐るべき子供」と言われたプロコフィエフの才気は、この作品のいたるところに刻印されています。たとえば、「緩-急-緩」の楽章配置は、本来の「急-緩-急」の伝統的な配置をわざと反転させた挑発的なものです。
ヴァイオリンとオーケストラの絡み合いも、両端楽章では幻想的な風合いを出しているものの、それを支えるハーモニーは、随分ひねりが加えられています。
わざわざ「スケルツォ」と書かれた中間部も、弓を跳ねさせながら重音を弾かせるという斬新な芸をヴァイオリンに披露させています。さらにオーケストラも容赦なくリズムを刻んでいくので、気を抜くと空中分解するようなスリルが味わえます。

1918年にロシアを飛びだしたプロコフィエフは、日本経由でアメリカに渡りましたが、アメリカでは作曲家として成功せず、1923年にはドイツ経由でパリに移住しました。パリでもピアニストとして名声を勝ち得たものの、作曲家としてはピアノほどの評判を得られませんでした。
1927年にソ連へと改組されたロシアから公式に招待されていったん帰国し、この頃から祖国への帰国を模索するようになりました。
1933年ごろから、頻繁にモスクワ訪問を繰り返すようになったプロコフィエフは、1936年に正式に帰国を実現しましたが、第2番のヴァイオリン協奏曲は、そんな正式な帰国の直前の1935年に作曲された作品です。
この作品は、ロベール・ソータンのファン・クラブから依頼を受けて着手されましたが、プロコフィエフ自身に寄れば、第1楽章をパリで書き上げた後、第2楽章をロシアのヴォロネージという町で完成させ、アゼルバイジャンのバクーに立ち寄った時に、最終楽章を脱稿したとのこと。
そして、その年の12月に、ソータンのヴァイオリンとエンリケ・アルボスの指揮するマドリード交響楽団によって、マドリードで初演されました。
ソータンは、リュシアン・カペー門下のヴァイオリニストで、しばしばプロコフィエフとデュオを組んで演奏会を開いていました。この作品の初演時には、ソータンのスペインへの演奏旅行にプロコフィエフも帯同し、そのツアーの出し物の一環として、この曲が初演された模様です。初演は大成功し、プロコフィエフからおよそ一年の独占演奏権をもらったソータンは、ことあるごとにこの作品を取り上げ、作品の普及に尽力しました。
ソータンの独占演奏権の行使期限が切れると、アメリカ在住のヤッシャ・ハイフェッツが積極的にこの曲を演奏・録音し、ハイフェッツの録音によって、この曲はより広く知られるようになりました。
この第2番のヴァイオリン協奏曲は、19世紀あたりまでに伝統づけられた「急-緩-急」の3楽章構成を取っており、第1番のヴァイオリン協奏曲ほど意表を突く展開は見せていません。
使われている主題も、ロシア民謡との近似性が指摘されており、親しみやすさが前面に押し出されています。
しかし、聴きやすいようなカモフラージュこそ施してあるものの、その和声には相変わらずひねりが加えられており、一筋縄ではいかない不思議な魅力が潜んでいます。
平明なようでいて、どこかシニカルな感覚が混じっているという点では、ドミトリー・ショスタコーヴィチの作風に近いものがあると思います。

本CDは、ボリス・ベルキン(Boris Belkin, 1948-)のヴァイオリン独奏とマイケル・スターン(Michael Stern, 1959-)の指揮するチューリヒ・トーンハレ管弦楽団による演奏が収録されています。
ベルキンは、ユーリ・ヤンケレヴィチやフェリックス・アンドリイェフスキーに師事した、ロシア出身のヴァイオリニストです。師のヤンケレヴィチは、アウアー門下のイオアネ・ナルバンディアンに学び、モスクワ音楽院でアブラム・ヤンポリスキーの助手を務めていたヴァイオリン教師です。ヤンケレヴィチの門下生としては、ヴィクトル・トレチャコフやレオニード・コーガン、イリヤ・カーラーなどが数えられ、ベルキンの師匠の一人であるアンドリイェフスキーもヤンケレヴィチの教え子です。ベルキンは、1973年にソ連のヴァイオリン・コンクールで優勝した翌年に、より自由な音楽活動を求めて国外に亡命し、アイザック・スターンの薫陶を受け、レナード・バーンスタインをはじめとする世界中の名指揮者たちと共演して名声を確立しました。
M.スターンは、そんなベルキンの師匠格であるI.スターンの息子になります。カーティス音楽院でマックス・ルドルフに師事し、1986年にレナード・バーンスタインに招かれ、ニューヨーク・フィルハーモニックに客演して指揮者デビューを飾っています。その後は、クリーヴランド管弦楽団の練習指揮者をしながらリヨン国立管弦楽団の首席客演指揮者として経験を積み、1996年からはザールブリュッケン放送交響楽団の首席指揮者となって、ヘンリー・カウエルやチャールズ・アイヴズらの音楽をドイツに積極的に紹介しました。2000年には帰国し、現代音楽専門のアイリス管弦楽団を創設して八面六臂の活躍をしています。

プロコフィエフのヴァイオリン協奏曲2曲は、ベルキンは1980年代前半にDeccaレーベルにキリル・コンドラシンやルドルフ・バルシャイの伴奏で録音しており、このM.スターンとの録音は、2度目の録音ということになります。
演奏は、第1番の協奏曲のほうが出来が良く、京都の橋の上での武蔵坊弁慶と牛若丸の戦いを彷彿とさせます。ベルキンのヴァイオリン独奏は、牛若丸に擬えられ、両端楽章では、物腰の柔らかさが、上品な味わいを醸し出しています。難所で知られる中間楽章でも、弾力的なボウイングとシャキッとしたリズム感ですっきりとまとめており、冴えた演奏を聴かせてくれます。
オーケストラの伴奏も、めくるめくような場面転換に当意即妙に反応し、独奏ヴァイオリンの抒情味を倍加させてみたり、ゴツゴツした耳触りの奏楽でヴァイオリンと拮抗したりして、聴き手の想像力を刺激します。

第2番の協奏曲のほうは、M.スターンの指揮するオーケストラがズシリと手応えのある演奏を聴かせていますが、ベルキンのアプローチは、伴奏のダイナミズムに十分に対応しているとはいえなさそうです。
ベルキンの演奏に技術的な破綻はありませんが、音色が明るすぎ、曇天模様のようなオーケストラの演出と齟齬を生じているように聴こえます。
聴き手を出し抜こうとするプロコフィエフのひねくれっぷりを、おう扱うかという点に、ヴァイオリン独奏とオーケストラの間でブレがあるようなので、巧い演奏であるにも関わらず、あまり心象に残りません。
この演奏を聴く限りにおいて、ベルキンの演奏は、まだブラッシュアップをする余地が残っているように思います。

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