1928年の日本ハナゲ學会第3分科會において瓢箪屋蓑吉氏が発表した「傳説の白ハナゲと黑ハナゲの脱色化の判別に關する文化論的一考察 ―ルウブル美術館をくまなく回ろうとして挫折したフレデリツク勅使河原氏の手記を中心に―」を再読したり、検証したりするBLOGではないことは確かなことです。ええ!確かなことですとも!
CD1:
◈Sergei Prokofiev: Symphony No.1 in D major, op.25 "Classical"
◈Sergei Prokofiev: Symphony No.5 in B flat major, op.100
◈Sergei Prokofiev: Russian Overture, op.72
National Orchestra of the O.R.T.F. / Jean Martinon
(Rec. 1971)
CD2:
◈Sergei Prokofiev: Symphony No.7 in C sharp minor, op.131
◈Sergei Prokofiev: Symphony No.4 in C major, op.47
◈Sergei Prokofiev: Overture on Hebrew Themes, op.34bis
National Orchestra of the O.R.T.F. / Jean Martinon
(Rec. 1971)
ロシアの作曲家、セルゲイ・プロコフィエフ(Sergei Prokofiev, 1891-1953)の交響曲集です。プロコフィエフは、生涯に7曲の交響曲を公刊しています。(1908年に作った習作の交響曲は未公刊)
本セットでは、第1番《古典》(1917年作)、第4番(1930年作)、第5番(1944年)、第7番(1952年)の交響曲4作のほかに、埋め草としてロシア序曲(1936年作)とヘブライの主題による序曲(1935年作)が収録されています。
ペテルブルク音楽院在学中の26歳の時に作った交響曲第1番は、ヨーゼフ・ハイドンがプロコフィエフの時代に生きていたら書いたであろう交響曲を想定して書いています。曰く「古典」というわけです。この程度の曲なら、譜面に音符を書き込むだけで作れるということで、プロコフィエフはピアノで音の確認を一切しなかったのだとか。奇想天外な転調を繰り出しながら、ハイドンの交響曲っぽく聴かせてしまうあたりに、プロコフィエフの作曲技巧の高さがうかがえます。
なお、第3楽章のガヴォットは、プロコフィエフ自身大変気に入っていて、バレエ音楽《ロミオとジュリエット》にも素材を活用しています。
1918年以降、プロコフィエフは日本経由でアメリカに亡命し、欧米諸国で活動を展開していました。第2番以降の交響曲は、そんな時代の所産になります。第4番の交響曲は、セルゲイ・クーセヴィツキーの率いるボストン交響楽団から、創立50周年の記念作品として委嘱された作品です。作曲するに当たって、プロコフィエフは、1928年に作曲されたバレエ音楽《放蕩息子》の素材を使っています。
なお、帰国後の1947年に、この作品は大幅な改訂が加えられ、op.112として再出版されましたが、本CDでは改訂前の初版で演奏されています。
1933年頃から、プロコフィエフは、ソ連となった祖国ロシアへの帰国を模索するようになりましたが、1936年には祖国に帰還して、ソ連を本拠に作曲活動を行うようになりました。その後、第二次世界大戦に突入することになりますが、ソ連はドイツと不可侵条約を結び、その結果、ドイツはポーランド侵攻に成功しました。しかし、1944年には、ドイツが一方的にソ連との条約を破棄し、ソ連国内に進攻してきました。そのことを受けて、プロコフィエフはソ連への応援歌として、第5番の交響曲を作曲しました。
作品番号が100番ということもあって、プロコフィエフは大張りきりで作品を書き、およそ二ヶ月くらいで作品を仕上げています。1945年の1月13日にモスクワ音楽院ホールで作曲者自身の指揮で初演されましたが、この初演の模様はソ連全土に中継され、この作品は、プロコフィエフの代表作と位置付けられるようになりました。
交響曲第7番は、プロコフィエフが仕上げた最後の交響曲です。ソ連の青年たちに捧げる交響曲として着想したため、メロディの明朗闊達さで、初演時から好評を得た作品です。第4楽章の終結部では、初演指揮者のサモイル・サモスードが、華々しい終結を希望したため、その要望にこたえる形で20小節分の終結部を、付録的に書き足しています。今日では、付録の終結部を演奏するかどうかは、指揮者の裁量に任されていますが、本CDセットでは付録の終結部をつけて演奏しています。
ロシア序曲は、ロシアの伝統的な舞踊音楽を素材にした作品です。祖国に帰ってきたプロコフィエフとしては、自国の素材を使って、帰順したことを楽壇に示す必要があったのでしょう。完成した年のモスクワで、10月29日にオイゲン・シェンカーの指揮で初演されました。
この作品の素材は、1938年に作曲した映画音楽の《アレクサンダー・ネフスキー》にも使っています。
ヘブライの主題による序曲は、1919年に作曲された作品。ニューヨークに着いたプロコフィエフは、ペテルブルグ音楽院の卒業生たちで結成されたジムロという合奏団と接触し、この合奏団から作品を依頼されました。
ジムロのメンバーはみんなユダヤ人だったため、作品の素材として、自分たちが知っているヘブライの旋律を提供しました。こうして、弦楽四重奏とクラリネットとピアノのための作品が生み出されましたが、1934年ごろに、プロコフィエフはこの作品をオーケストラ用に編曲し、プラハで開かれるニコライ・マルコの演奏会で取り上げてもらいました。プロコフィエフの管弦楽作品としては、今日でもよく録音されます。
本CDで演奏しているのは、ジャン・マルティノン(Jean Martinon, 1910-1976)の指揮するフランス国立放送管弦楽団(Orchestre national de l'ORTF)です。
マルティノンは、ジュール・ブシューリにヴァイオリンを学び、さらにアルベール・ルーセルやヴァンサン・ダンディに音楽理論を学んだ、フランスの作曲家でした。指揮者としては、ロジェ・デゾルミエールやシャルル・ミュンシュらの薫陶を受け、ボルドーのオーケストラやコンセール・ラムルー等で活動の地歩を固めました。
作曲家としての興味から、特に自分と同時代の作品を好んだマルティノンは、1963年にアメリカのシカゴ交響楽団の首席指揮者になりましたが、聴衆と好みが折り合わず、1968年で辞任に追い込まれ、その後すぐにフランス国立放送管弦楽団の首席指揮者として返り咲きました。フランス国立放送管弦楽団は、1975年のラジオ・フランスの改変の影響で、フランス国立管弦楽団に名称を変更されましたが、マルティノンは、亡くなるまで首席指揮者を務め、このオーケストラの繁栄期を作り上げました。
そんな繁栄期の録音だけあって、ハキハキとした勢いのある演奏が揃っています。
特に優れているのが第4番の交響曲の演奏で、トリッキーで少しばかり皮肉っぽい楽想とオーケストラの個性がうまく噛み合い、まるでこのオーケストラのために書かれた作品かのようです。
ヘブライの主題による序曲も、随所に奏者の個人技の巧さがちりばめられ、スリル満点の音楽に仕上がっています。
第7番の交響曲では、オーケストラの推進力がプラスに働いていますが、録音がラフなのが難点。
第5番の交響曲やロシア序曲は、オーケストラの響きが明るすぎ、作品のシリアスさが減退しているものの、小回りのきいたアンサンブルで、作品の容貌を知るには過不足のない演奏になっています。
《古典》の交響曲は、あっけらかんとした演奏ですが、第1楽章は、マルティノンの棒振りが早すぎて、かなりしどろもどろな演奏になっています。
本セットでは、第1番《古典》(1917年作)、第4番(1930年作)、第5番(1944年)、第7番(1952年)の交響曲4作のほかに、埋め草としてロシア序曲(1936年作)とヘブライの主題による序曲(1935年作)が収録されています。
ペテルブルク音楽院在学中の26歳の時に作った交響曲第1番は、ヨーゼフ・ハイドンがプロコフィエフの時代に生きていたら書いたであろう交響曲を想定して書いています。曰く「古典」というわけです。この程度の曲なら、譜面に音符を書き込むだけで作れるということで、プロコフィエフはピアノで音の確認を一切しなかったのだとか。奇想天外な転調を繰り出しながら、ハイドンの交響曲っぽく聴かせてしまうあたりに、プロコフィエフの作曲技巧の高さがうかがえます。
なお、第3楽章のガヴォットは、プロコフィエフ自身大変気に入っていて、バレエ音楽《ロミオとジュリエット》にも素材を活用しています。
1918年以降、プロコフィエフは日本経由でアメリカに亡命し、欧米諸国で活動を展開していました。第2番以降の交響曲は、そんな時代の所産になります。第4番の交響曲は、セルゲイ・クーセヴィツキーの率いるボストン交響楽団から、創立50周年の記念作品として委嘱された作品です。作曲するに当たって、プロコフィエフは、1928年に作曲されたバレエ音楽《放蕩息子》の素材を使っています。
なお、帰国後の1947年に、この作品は大幅な改訂が加えられ、op.112として再出版されましたが、本CDでは改訂前の初版で演奏されています。
1933年頃から、プロコフィエフは、ソ連となった祖国ロシアへの帰国を模索するようになりましたが、1936年には祖国に帰還して、ソ連を本拠に作曲活動を行うようになりました。その後、第二次世界大戦に突入することになりますが、ソ連はドイツと不可侵条約を結び、その結果、ドイツはポーランド侵攻に成功しました。しかし、1944年には、ドイツが一方的にソ連との条約を破棄し、ソ連国内に進攻してきました。そのことを受けて、プロコフィエフはソ連への応援歌として、第5番の交響曲を作曲しました。
作品番号が100番ということもあって、プロコフィエフは大張りきりで作品を書き、およそ二ヶ月くらいで作品を仕上げています。1945年の1月13日にモスクワ音楽院ホールで作曲者自身の指揮で初演されましたが、この初演の模様はソ連全土に中継され、この作品は、プロコフィエフの代表作と位置付けられるようになりました。
交響曲第7番は、プロコフィエフが仕上げた最後の交響曲です。ソ連の青年たちに捧げる交響曲として着想したため、メロディの明朗闊達さで、初演時から好評を得た作品です。第4楽章の終結部では、初演指揮者のサモイル・サモスードが、華々しい終結を希望したため、その要望にこたえる形で20小節分の終結部を、付録的に書き足しています。今日では、付録の終結部を演奏するかどうかは、指揮者の裁量に任されていますが、本CDセットでは付録の終結部をつけて演奏しています。
ロシア序曲は、ロシアの伝統的な舞踊音楽を素材にした作品です。祖国に帰ってきたプロコフィエフとしては、自国の素材を使って、帰順したことを楽壇に示す必要があったのでしょう。完成した年のモスクワで、10月29日にオイゲン・シェンカーの指揮で初演されました。
この作品の素材は、1938年に作曲した映画音楽の《アレクサンダー・ネフスキー》にも使っています。
ヘブライの主題による序曲は、1919年に作曲された作品。ニューヨークに着いたプロコフィエフは、ペテルブルグ音楽院の卒業生たちで結成されたジムロという合奏団と接触し、この合奏団から作品を依頼されました。
ジムロのメンバーはみんなユダヤ人だったため、作品の素材として、自分たちが知っているヘブライの旋律を提供しました。こうして、弦楽四重奏とクラリネットとピアノのための作品が生み出されましたが、1934年ごろに、プロコフィエフはこの作品をオーケストラ用に編曲し、プラハで開かれるニコライ・マルコの演奏会で取り上げてもらいました。プロコフィエフの管弦楽作品としては、今日でもよく録音されます。
本CDで演奏しているのは、ジャン・マルティノン(Jean Martinon, 1910-1976)の指揮するフランス国立放送管弦楽団(Orchestre national de l'ORTF)です。
マルティノンは、ジュール・ブシューリにヴァイオリンを学び、さらにアルベール・ルーセルやヴァンサン・ダンディに音楽理論を学んだ、フランスの作曲家でした。指揮者としては、ロジェ・デゾルミエールやシャルル・ミュンシュらの薫陶を受け、ボルドーのオーケストラやコンセール・ラムルー等で活動の地歩を固めました。
作曲家としての興味から、特に自分と同時代の作品を好んだマルティノンは、1963年にアメリカのシカゴ交響楽団の首席指揮者になりましたが、聴衆と好みが折り合わず、1968年で辞任に追い込まれ、その後すぐにフランス国立放送管弦楽団の首席指揮者として返り咲きました。フランス国立放送管弦楽団は、1975年のラジオ・フランスの改変の影響で、フランス国立管弦楽団に名称を変更されましたが、マルティノンは、亡くなるまで首席指揮者を務め、このオーケストラの繁栄期を作り上げました。
そんな繁栄期の録音だけあって、ハキハキとした勢いのある演奏が揃っています。
特に優れているのが第4番の交響曲の演奏で、トリッキーで少しばかり皮肉っぽい楽想とオーケストラの個性がうまく噛み合い、まるでこのオーケストラのために書かれた作品かのようです。
ヘブライの主題による序曲も、随所に奏者の個人技の巧さがちりばめられ、スリル満点の音楽に仕上がっています。
第7番の交響曲では、オーケストラの推進力がプラスに働いていますが、録音がラフなのが難点。
第5番の交響曲やロシア序曲は、オーケストラの響きが明るすぎ、作品のシリアスさが減退しているものの、小回りのきいたアンサンブルで、作品の容貌を知るには過不足のない演奏になっています。
《古典》の交響曲は、あっけらかんとした演奏ですが、第1楽章は、マルティノンの棒振りが早すぎて、かなりしどろもどろな演奏になっています。
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