1928年の日本ハナゲ學会第3分科會において瓢箪屋蓑吉氏が発表した「傳説の白ハナゲと黑ハナゲの脱色化の判別に關する文化論的一考察 ―ルウブル美術館をくまなく回ろうとして挫折したフレデリツク勅使河原氏の手記を中心に―」を再読したり、検証したりするBLOGではないことは確かなことです。ええ!確かなことですとも!
◈Giuseppe Gazzaniga: Don Giovanni Tenorio, o sia Il convitato di pietra
Maria Luisa Giorgetti (S: Donna Elvira)
Luciana Ticinelli (S: Donna Anna)
Maria Minetto (Ms: Donna Ximena)
Maria Grazia Ferracini (S: Maturina)
Fernando Jacopucci (T: Don Giovanni)
Rodolfo Malacarne (T: Duca Ottavio)
Adoriano Ferrario (T: Lanterna)
James Loomis (Bs: Pasquariello)
Alfonso Nanni (Bs: Il commendatore)
Laerte Malaguti (Br: Biagio)
Luciana Ticinelli (S: Donna Anna)
Maria Minetto (Ms: Donna Ximena)
Maria Grazia Ferracini (S: Maturina)
Fernando Jacopucci (T: Don Giovanni)
Rodolfo Malacarne (T: Duca Ottavio)
Adoriano Ferrario (T: Lanterna)
James Loomis (Bs: Pasquariello)
Alfonso Nanni (Bs: Il commendatore)
Laerte Malaguti (Br: Biagio)
Coro e Orchestra della Svizzera Italiana / Herbert Handt
(Rec. November 1963)
ドン・ファン(Don Juan)は、スペインの伝説的な好色家として、ヨーロッパ中で語り継がれ、小説や戯曲などの題材に広く用いられたキャラクターです。彼の名前は、地域によって読み方がジュアンになったり、ホアンになったりしますが、特にイタリアでは綴りまでイタリア式に改められ、ドン・ジョヴァンニ(Don Giovanni)と表記されます。
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトは、このドン・ファンのキャラクターでオペラ《ドン・ジョヴァンニ》を書き上げましたが、このモーツァルトの名作の原案になったのではないかと考えられているのが、ジュゼッペ・ガッツァニーガ(Giuseppe Gazzaniga, 1743-1818)の作った同名の作品です。
ガッツァニーガは、イタリアのヴェローナに生まれた作曲家。ナポリで音楽教育を受けた後、アントニオ・ポルポラやニコロ・ピッチンニ等に師事しました。
この《ドン・ジョヴァンニ》は、1787年の2月5日にヴェネツィアのサン・モイゼ劇場で初演され、大当たりをとった一幕物の作品で、台本はイタリア人作家のジョヴァンニ・ベルターティ(Giovanni Bertati, 1735-1808)が担当しました。
ベルターティは、この台本を書くにあたって、スペインの修道士で劇作家だったティルソ・デ・モリーナ(Tirso de Molina, 1579-1648)の戯曲を元ネタにしたようです。
この台本の粗筋は以下の通りです。
色男のジョヴァンニ公(ドン・ジョヴァンニ)は、騎士団長の娘のアンナ嬢(ドンナ・アンナ)に夜這をかけた。従者のパスクァリエッロが主人の情事中に周囲警戒の見張りをする馬鹿馬鹿しさを嘆いていると、ジョヴァンニ公があわてて出てくる。アンナ嬢が騒ぎ出してしまったのだ。父親の騎士団長がその場に駆け付け、ジョヴァンニ公を捕まえようとするが、騎士団長は返り討ちにあってしまう。アンナが婚約者のオッターヴィオ公を呼びに行って戻ってみると、騎士団長はすでに息絶えていた。アンナは、事の次第をオッターヴィオ公に話し、父親の敵を討つように懇請し、オッターヴィオ公も、アンナに夜這をかけ、騎士団長を殺した犯人を仕留めることを誓うのだった。
逃げおおせたジョヴァンニ公は、乱行をやめるようパスクァリエッロに諭されるものの、全く懲りていない様子で、パスクァリエッロに金をつかませて、今度はヒメーナ嬢を狙う算段をつけるように言うのだった。
そこに馬車が通りかかり、その馬車から女性が降りてくる。その女性も物にしようと考えたジョヴァンニ公だったが、いざ対峙してみると、以前捨てたエルヴィーラという女だった。詰め寄るエルヴィーラに、ジョヴァンニ公は、パスクァリエッロを急場凌ぎにあてがってその場を逃げだしてしまった。
パスクァリエッロは、エルヴィーラに、今までジョヴァンニ公が手にかけた女性のリストを見せて、「あんな人でなしを追うのはおやめなさい」というのだが、エルヴィーラは、逆にジョヴァンニ公を他のすべての女から取り戻す決意を固めるのだった。
ヒメーナ嬢との情事を終えたジョヴァンニ公は、ヒメーナ嬢の「いつ結婚してくれるの?」という問いをはぐらかしてその場を立ち去ったが、そこに田舎娘のマトゥリーナを含む村人たちが輪舞をして楽しんでいた。
その輪の中にパスクァリエッロも混じり、マトゥリーナと踊ろうとしていたのだが、マトゥリーナの許嫁のピアージョは不快感をあらわにしている。マトゥリーナに目をつけたジョヴァンニ公は、パスクァリエッロを追い払い、騎士道精神を見せたように振舞いながら、マトゥリーナを口説き始める。怒り狂うピアージョをボコボコにしたジョヴァンニ公は、マトゥリーナを丸めこみ、マトゥリーナの家に行って情事に耽るのだった。
ふてくされているパスクァリエッロのところにヒメーナ嬢がやってきて、ジョヴァンニ公のことをいろいろ聞こうとする。パスクァリエッロは、ジョヴァンニ公がならず者であることをばらそうとするが、そこに情事を終えたジョヴァンニ公が戻ってくるので、慌てて口を噤む。しかし、そこにエルヴィーラがやってきて「夫よ」とジョヴァンニ公に駆け寄ってくる。訝しがるヒメーナに、「あれは気違いだ」と言い繕うのだが、そこに服の乱れを整えたマトゥリーナがやってくるので、ジョヴァンニ公は、「あれも気違いだ」といいながら、その場から逃げるのだった。ジョヴァンニ公が去った後、エルヴィーラとマトゥリーナはお互いに「気違い女!」と罵り合うのだった。
オッターヴィオ公は、騎士団長の像に「殺害者がここを通れば、天罰が下る」という銘を彫らせて、その場を立ち去ったが、そこにジョヴァンニ公達が通りかかる。騎士団長の像と石板を見たジョヴァンニ公は高笑いし、騎士団長の像でも夕食の宴に誘おうかと悪ふざけをする。すると、石像が動き、パスクァリエッロは怯えるが、ジョヴァンニ公は動く石像に、夕食に招待してやろうという。石像は、「ならば行ってやろう」と応じた。
ドン・ジョヴァンニは、館に戻ってみると、エルヴィーラがいた。エルヴィーラは、彼に離縁を申し出て立ち去る。給仕のランテルナに食事を作らせ、パスクァリエッロと食べていると、騎士団長の石像がやってくる。ジョヴァンニ公は石像をもてなすが、今度は石像のほうが、自分の夕食に招待しようという。ジョヴァンニ公は、「俺は何も恐れないぞ」といい、石像の招待を受け入れ、石像と握手を交わすが、石像は握手したままジョヴァンニ公に改悛するように言い、ジョヴァンニ公は、石像の言うことを跳ねのける。すると、石像はジョヴァンニ公を地獄に引き込んで消え去るのだった。
一連の惨事を目の当たりにしたパスクァリエッロのところに給仕のランテルナ、マトゥリーナ、ヒメーナ嬢、エルヴィーラ嬢とオッターヴィオ公がやってくる。パスクァリエッロは、事の顛末を手短に説明し、みんなで惨事を忘れて踊り狂うのだった。
モーツァルトのオペラでは、パスクァリエッロがレポレロに、マトゥリーナはツェルリーナに、ピアージョはマゼットに名を変えています。他にドンナ・ヒメーナとランテルナは、モーツァルトの筋では省略されています。
また、モーツァルトのほうでは、女性たちにドン・ジョヴァンニが手をつける前に邪魔が入るような筋書きにしており、女性たちの登場シーンもかなり膨らまされています。
ガッツァニーガのオペラは、ドン・ファンの伝説の概略が分かればそれで十分といった風で、登場人物の心理はさほど丁寧に彫琢されていませんが、そのあっさり具合が、18世紀のイタリア・オペラの標準だったことがうかがえます。
このオペラがモーツァルトの作品の叩き台になったことを考えれば、それはそれで感慨深いものがあります。
本CDのキャストは、以下の通りです。
マリア・ルイーザ・ジョルジェッティ (ドンナ・エルヴィーラ)
ルチアーナ・テッチネッリ (ドンナ・アンナ)
マリア・ミネット (ドンナ・ヒメーナ)
マリア・グラーツィア・フェッラチーニ (マトゥリーナ)
フェルナンド・ヤコプッチ (ドン・ジョヴァンニ)
ロドルフォ・マラカルネ (オッターヴィオ公)
アドリアーノ・フェラーリオ (ランテルナ)
ジェームス・ルーミス (パスクァリエッロ)
アルフォンソ・ナンニ (騎士団長)
ラエルテ・マルグッティ (ビアージョ)
スイス・イタリア語放送管弦楽団&合唱団/ハーバート・ハント
1963年の録音ですが、CD化に際して、無理に音場感を付加しようとしたのか、はたまた、マスター音源がこういう録り方なのか、音の実在感がちょっとおかしなことになっています。あくまで好事家向きの音源と言えそうです。
ハント(Herbert Handt, 1926-)はフィラデルフィア生まれの人で、ジュリアード音楽院を経てオーストリアのウィーン音楽院に留学し、テノール歌手として有名になりました。1960年代初頭からは指揮活動にも取り組むようになり、本録音は、指揮者としてのハントのキャリア初期に相当する録音と言えそうです。
スイス・イタリア語放送管弦楽団は、かのヘルマン・シェルヘンが晩年に交響曲全集を放送録音したオーケストラ。シェルヘンとの録音の時は、沸騰するような捨て身の演奏を聴かせてくれたオーケストラですが、ハントの指揮の下では、曲想もあってか、随分と穏当な演奏になっています。また、ところどころ音の出だしがそろわないなどの粗も散見されます。
また、録音した年代が年代ということもあり、今日の古楽器によるアプローチに比べると、歌手陣も含め、随分とおおらかな演奏になっています。
歌手陣は、アメリカ出身のルーミス(James Loomis, 1925-)の歌うパスクァリエッロ役が出色の出来栄えです。ジョルジェッティ(Maria Luisa Giorgetti)やヤコプッチ(Fernando Jacopucci)などスカラ座やフェニーチェ座などでプリマ・ドンナの脇を固めていた人たちが主役級の役どころを歌っていますが、ややキャラクターとしては弱く、ルーミスの達者な芸に助けられている感じがします。
フェラッチーニ(Maria Grazia Ferracini, 1933-)のマトゥリーナ役などは、ジョルジェッティの歌うエルヴィーラ役などと歌い方の志向が同じなので、エルヴィーラとマトゥリーナの貶し合いの二重唱では同質のアンサンブルの妙が光りますが、もう少しキャラクターの違いを声で表現してもよかったのではないかと思います。
オッターヴィオ公役を歌うマラカルネ(Rodolfo Malacarne, 1923-)はフェラッチーニの夫に当たる人ですが、ドンナ・アンナに父の敵を討つように頼まれた時に歌うアリア〈その時はもうすぐだと思ったのに〉では、なかなかの美声を聴かせてくれます。出番が少ないのが、返す返すも残念です。
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトは、このドン・ファンのキャラクターでオペラ《ドン・ジョヴァンニ》を書き上げましたが、このモーツァルトの名作の原案になったのではないかと考えられているのが、ジュゼッペ・ガッツァニーガ(Giuseppe Gazzaniga, 1743-1818)の作った同名の作品です。
ガッツァニーガは、イタリアのヴェローナに生まれた作曲家。ナポリで音楽教育を受けた後、アントニオ・ポルポラやニコロ・ピッチンニ等に師事しました。
この《ドン・ジョヴァンニ》は、1787年の2月5日にヴェネツィアのサン・モイゼ劇場で初演され、大当たりをとった一幕物の作品で、台本はイタリア人作家のジョヴァンニ・ベルターティ(Giovanni Bertati, 1735-1808)が担当しました。
ベルターティは、この台本を書くにあたって、スペインの修道士で劇作家だったティルソ・デ・モリーナ(Tirso de Molina, 1579-1648)の戯曲を元ネタにしたようです。
この台本の粗筋は以下の通りです。
色男のジョヴァンニ公(ドン・ジョヴァンニ)は、騎士団長の娘のアンナ嬢(ドンナ・アンナ)に夜這をかけた。従者のパスクァリエッロが主人の情事中に周囲警戒の見張りをする馬鹿馬鹿しさを嘆いていると、ジョヴァンニ公があわてて出てくる。アンナ嬢が騒ぎ出してしまったのだ。父親の騎士団長がその場に駆け付け、ジョヴァンニ公を捕まえようとするが、騎士団長は返り討ちにあってしまう。アンナが婚約者のオッターヴィオ公を呼びに行って戻ってみると、騎士団長はすでに息絶えていた。アンナは、事の次第をオッターヴィオ公に話し、父親の敵を討つように懇請し、オッターヴィオ公も、アンナに夜這をかけ、騎士団長を殺した犯人を仕留めることを誓うのだった。
逃げおおせたジョヴァンニ公は、乱行をやめるようパスクァリエッロに諭されるものの、全く懲りていない様子で、パスクァリエッロに金をつかませて、今度はヒメーナ嬢を狙う算段をつけるように言うのだった。
そこに馬車が通りかかり、その馬車から女性が降りてくる。その女性も物にしようと考えたジョヴァンニ公だったが、いざ対峙してみると、以前捨てたエルヴィーラという女だった。詰め寄るエルヴィーラに、ジョヴァンニ公は、パスクァリエッロを急場凌ぎにあてがってその場を逃げだしてしまった。
パスクァリエッロは、エルヴィーラに、今までジョヴァンニ公が手にかけた女性のリストを見せて、「あんな人でなしを追うのはおやめなさい」というのだが、エルヴィーラは、逆にジョヴァンニ公を他のすべての女から取り戻す決意を固めるのだった。
ヒメーナ嬢との情事を終えたジョヴァンニ公は、ヒメーナ嬢の「いつ結婚してくれるの?」という問いをはぐらかしてその場を立ち去ったが、そこに田舎娘のマトゥリーナを含む村人たちが輪舞をして楽しんでいた。
その輪の中にパスクァリエッロも混じり、マトゥリーナと踊ろうとしていたのだが、マトゥリーナの許嫁のピアージョは不快感をあらわにしている。マトゥリーナに目をつけたジョヴァンニ公は、パスクァリエッロを追い払い、騎士道精神を見せたように振舞いながら、マトゥリーナを口説き始める。怒り狂うピアージョをボコボコにしたジョヴァンニ公は、マトゥリーナを丸めこみ、マトゥリーナの家に行って情事に耽るのだった。
ふてくされているパスクァリエッロのところにヒメーナ嬢がやってきて、ジョヴァンニ公のことをいろいろ聞こうとする。パスクァリエッロは、ジョヴァンニ公がならず者であることをばらそうとするが、そこに情事を終えたジョヴァンニ公が戻ってくるので、慌てて口を噤む。しかし、そこにエルヴィーラがやってきて「夫よ」とジョヴァンニ公に駆け寄ってくる。訝しがるヒメーナに、「あれは気違いだ」と言い繕うのだが、そこに服の乱れを整えたマトゥリーナがやってくるので、ジョヴァンニ公は、「あれも気違いだ」といいながら、その場から逃げるのだった。ジョヴァンニ公が去った後、エルヴィーラとマトゥリーナはお互いに「気違い女!」と罵り合うのだった。
オッターヴィオ公は、騎士団長の像に「殺害者がここを通れば、天罰が下る」という銘を彫らせて、その場を立ち去ったが、そこにジョヴァンニ公達が通りかかる。騎士団長の像と石板を見たジョヴァンニ公は高笑いし、騎士団長の像でも夕食の宴に誘おうかと悪ふざけをする。すると、石像が動き、パスクァリエッロは怯えるが、ジョヴァンニ公は動く石像に、夕食に招待してやろうという。石像は、「ならば行ってやろう」と応じた。
ドン・ジョヴァンニは、館に戻ってみると、エルヴィーラがいた。エルヴィーラは、彼に離縁を申し出て立ち去る。給仕のランテルナに食事を作らせ、パスクァリエッロと食べていると、騎士団長の石像がやってくる。ジョヴァンニ公は石像をもてなすが、今度は石像のほうが、自分の夕食に招待しようという。ジョヴァンニ公は、「俺は何も恐れないぞ」といい、石像の招待を受け入れ、石像と握手を交わすが、石像は握手したままジョヴァンニ公に改悛するように言い、ジョヴァンニ公は、石像の言うことを跳ねのける。すると、石像はジョヴァンニ公を地獄に引き込んで消え去るのだった。
一連の惨事を目の当たりにしたパスクァリエッロのところに給仕のランテルナ、マトゥリーナ、ヒメーナ嬢、エルヴィーラ嬢とオッターヴィオ公がやってくる。パスクァリエッロは、事の顛末を手短に説明し、みんなで惨事を忘れて踊り狂うのだった。
モーツァルトのオペラでは、パスクァリエッロがレポレロに、マトゥリーナはツェルリーナに、ピアージョはマゼットに名を変えています。他にドンナ・ヒメーナとランテルナは、モーツァルトの筋では省略されています。
また、モーツァルトのほうでは、女性たちにドン・ジョヴァンニが手をつける前に邪魔が入るような筋書きにしており、女性たちの登場シーンもかなり膨らまされています。
ガッツァニーガのオペラは、ドン・ファンの伝説の概略が分かればそれで十分といった風で、登場人物の心理はさほど丁寧に彫琢されていませんが、そのあっさり具合が、18世紀のイタリア・オペラの標準だったことがうかがえます。
このオペラがモーツァルトの作品の叩き台になったことを考えれば、それはそれで感慨深いものがあります。
本CDのキャストは、以下の通りです。
マリア・ルイーザ・ジョルジェッティ (ドンナ・エルヴィーラ)
ルチアーナ・テッチネッリ (ドンナ・アンナ)
マリア・ミネット (ドンナ・ヒメーナ)
マリア・グラーツィア・フェッラチーニ (マトゥリーナ)
フェルナンド・ヤコプッチ (ドン・ジョヴァンニ)
ロドルフォ・マラカルネ (オッターヴィオ公)
アドリアーノ・フェラーリオ (ランテルナ)
ジェームス・ルーミス (パスクァリエッロ)
アルフォンソ・ナンニ (騎士団長)
ラエルテ・マルグッティ (ビアージョ)
スイス・イタリア語放送管弦楽団&合唱団/ハーバート・ハント
1963年の録音ですが、CD化に際して、無理に音場感を付加しようとしたのか、はたまた、マスター音源がこういう録り方なのか、音の実在感がちょっとおかしなことになっています。あくまで好事家向きの音源と言えそうです。
ハント(Herbert Handt, 1926-)はフィラデルフィア生まれの人で、ジュリアード音楽院を経てオーストリアのウィーン音楽院に留学し、テノール歌手として有名になりました。1960年代初頭からは指揮活動にも取り組むようになり、本録音は、指揮者としてのハントのキャリア初期に相当する録音と言えそうです。
スイス・イタリア語放送管弦楽団は、かのヘルマン・シェルヘンが晩年に交響曲全集を放送録音したオーケストラ。シェルヘンとの録音の時は、沸騰するような捨て身の演奏を聴かせてくれたオーケストラですが、ハントの指揮の下では、曲想もあってか、随分と穏当な演奏になっています。また、ところどころ音の出だしがそろわないなどの粗も散見されます。
また、録音した年代が年代ということもあり、今日の古楽器によるアプローチに比べると、歌手陣も含め、随分とおおらかな演奏になっています。
歌手陣は、アメリカ出身のルーミス(James Loomis, 1925-)の歌うパスクァリエッロ役が出色の出来栄えです。ジョルジェッティ(Maria Luisa Giorgetti)やヤコプッチ(Fernando Jacopucci)などスカラ座やフェニーチェ座などでプリマ・ドンナの脇を固めていた人たちが主役級の役どころを歌っていますが、ややキャラクターとしては弱く、ルーミスの達者な芸に助けられている感じがします。
フェラッチーニ(Maria Grazia Ferracini, 1933-)のマトゥリーナ役などは、ジョルジェッティの歌うエルヴィーラ役などと歌い方の志向が同じなので、エルヴィーラとマトゥリーナの貶し合いの二重唱では同質のアンサンブルの妙が光りますが、もう少しキャラクターの違いを声で表現してもよかったのではないかと思います。
オッターヴィオ公役を歌うマラカルネ(Rodolfo Malacarne, 1923-)はフェラッチーニの夫に当たる人ですが、ドンナ・アンナに父の敵を討つように頼まれた時に歌うアリア〈その時はもうすぐだと思ったのに〉では、なかなかの美声を聴かせてくれます。出番が少ないのが、返す返すも残念です。
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