1928年の日本ハナゲ學会第3分科會において瓢箪屋蓑吉氏が発表した「傳説の白ハナゲと黑ハナゲの脱色化の判別に關する文化論的一考察 ―ルウブル美術館をくまなく回ろうとして挫折したフレデリツク勅使河原氏の手記を中心に―」を再読したり、検証したりするBLOGではないことは確かなことです。ええ!確かなことですとも!
◈Camille Saint-Saëns: Violin Concerto No.1 in A major, op.20
◈Camille Saint-Saëns: Introduction et Rondo Capriccioso
Jacques Thibaud (Vn)
Sinfonie-Orchester des Hessischen Rundfunks / Alceo Galliera
(Rec. 29 April 1953, Musikhhochschule Frankfurt)
◈Camille Saint-Saëns: Havanaise◈Wolfgang Amadeus Mozart: Rondo from Sonata in B flat major, K378
Jacques Thibaud (Vn)
Marinus Flipse (Pf)
Marinus Flipse (Pf)
(Rec. 30 April 1953, Musikhhochschule Frankfurt)
◈Tomaso Vitali: ChaconneJacques Thibaud (Vn)
Tasso Janopoulo (Pf)
Tasso Janopoulo (Pf)
(Rec. 21 March 1936, Studio Albert, Paris)
◈Gabriel Fauré: Violin Sonata No.1 in A major, op.13Jacques Thibaud (Vn)
Alfred Cortot (Pf)
Alfred Cortot (Pf)
(Rec. 23 June 1927, Small Queens Hall, London)
◈Karol Szymanowski: La Fontaine d'Aréthuse, op.30-1Jacques Thibaud (Vn)
Tasso Janopoulo (Pf)
Tasso Janopoulo (Pf)
(Rec. 1 July 1933, Abbey Road Studio 3, London)
フランスの往年のヴァイオリニスト、ジャック・ティボー(Jacques Thibaud, 1880-1953)のアルバムです。
ティボーは、パリ音楽院でマルタン=ピエール・マルシックのクラスで学び、1896年にプルミエ・プリを取得して卒業しています。カフェのヴァイオリン弾きのアルバイトを経てコンセール・コロンヌに就職し、そこで急病のコンサート・マスターの代理でカミーユ・サン=サーンス(Camille Saint-Saëns, 1835-1921)の《ノアの洪水》の前奏曲のヴァイオリン・ソロを弾いてソリストとしての道を開きました。
彼のヴァイオリン演奏の特徴は、絶妙なポルタメントと、語りかけてくるようなアーティキュレーションにあります。また、音程の取り方も独特で、音を高めにとったり低めにとったりを当意即妙にやってのける名人でした。
テンポの伸縮も気ままで、縦の線を整えることに頓着しない芸風は、わがままともいえますが、どこか憎めない人懐っこさがあります。
本CDには、まず、オーケストラの伴奏で、サン=サーンスのヴァイオリン協奏曲第1番と《序奏とロンド・カプリチオーソ》が収録されています。
ヴァイオリン協奏曲の第1番は、第2番のヴァイオリン協奏曲のほぼ一年後にあたる1859年に作曲されました。第2番のヴァイオリン協奏曲は、アキーレ・ディーンというアマチュアのヴァイオリニスト(本職は画家)に献呈された作品だったため、本職のヴァイオリニストであるパブロ・デ・サラサーテに作曲した第1番のほうが先に出版されてしまいました。
この第1番の協奏曲は、作曲者本人がコンチェルトシュテュックと扱おうとしたように、単一楽章の作品です。
歯切れの良いオーケストラを従えて、ヴァイオリンがひたすら難技巧を繰り出していく、難技を凝らした音楽に仕上がっています。演奏時間が半端なため、単独ではコンサートで取り上げられることがさほどありませんが、メリハリのついた音楽の展開は、聴き手を飽きさせないツボをよく心得ているといえるでしょう。
このヴァイオリン協奏曲の作曲からほぼ4年後にサラサーテに献呈された作品が、《序奏とロンド・カプリチオーソ》です。この作品も、第1番のヴァイオリン協奏曲を想起させますが、ヴァイオリンの技巧的な見せ場と、下支えとしてのオーケストラの書法により一層磨きがかかっています。ロンド・カプリチオーソの部分では、サラサーテが好みそうなスペイン風のノリも感じられ、献呈者へのサービス精神も、第1番のヴァイオリン協奏曲以上に感じられます。
この2曲の伴奏は、アルチェオ・ガリエラ(Alceo Galliera, 1910-1996)の指揮するヘッセン放送交響楽団が務めています。
ガリエラはイタリアの指揮者ですが、元々はオルガニスト兼作曲家としてのキャリアを歩んでいました。
彼の父親はパルマ音楽院の教授を務めるオルガニスト兼作曲家で、この父親の薫陶を受けて音楽の道に進みました。ミラノのヴェルディ音楽院に進学してオルガンと作曲を専攻したガリエラは、1932年に母校の講師として活動を始めましたが、1941年にアウグステオ管弦楽団(現:ローマ聖チェチーリア音楽院管弦楽団)を指揮して、指揮者としての第一歩を踏み出しました。しかし、折しも第二次世界大戦の真っただ中だったため、ほどなくして、ガリエラは、スイスのルツェルンに亡命し、この地で指揮者としての活動を本格化させることになりました。
1945年にルツェルンで指揮者として改めてデビューしたガリエラは、ミラノ・スカラ座の指揮者陣に加わったり、欧米各地のオーケストラに客演を重ねたりしてキャリアを築き、1957年からフェニーチェ座の首席指揮者、1964年から1972年までストラスブール市立管弦楽団の首席指揮者を歴任しています。
本録音は、ガリエラにとって、まだミラノ・スカラ座を拠点にヨーロッパ各地のオーケストラに客演して武者修行を重ねていた時期に当たる録音です。
ガリエラは、客演先のヘッセンのオーケストラからメリハリの利いた音を引き出し、自由気ままに弾くティボーのヴァイオリンの脇をガッチリ固めようとしています。
協奏曲のほうでは、ガリエラの縦の線をピシっと合わせた伴奏が曲想に見合っていて、ティボーの独奏も多少の伸縮が認められるものの、ガリエラに協調的な演奏で対応しています。
しかし、《序奏とロンド・カプリチオーソ》では、ティボーが自由奔放に動き回り、ガリエラの伴奏とタイミングが合わない個所が散見されます。ティボーの予測のつかない独奏を、ガリエラが追いかけ回すスリルを楽しむ演奏であり、ハナから演奏の完成度を度外視していたのかもしれません。
サン=サーンスの《ハバネラ》とヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart, 1756-1791)のロンドは、ティボーのヴァイオリン独奏と、マリヌス・フリプセ(Marinus Flipse, 1908-1997)のピアノ伴奏で録音されています。フリプセの父コルネリウスは作曲家兼音楽教師で、兄エドゥアルトは指揮者として活躍しており、彼は、この父と兄から音楽の手ほどきを受け、ローザンヌやブダペスト、ウィーンやパリの音楽院でピアニストとしての修業を積みました。
アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団(現:ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団)のピアニストとして活動していたため、ヘルマン・クレバースやテオ・オロフといった、コンサート・マスターとの室内楽に興じることが多く、伴奏者として抜群の勘を持っていたようです。
サン=サーンスの《ハバネラ》に於いて、ティボーの演奏に合わせるだけでなく、積極的にティボーに挑もうとするフリプセの芸が、ティボーを良い意味で刺激し、生き生きとしたやり取りになっています。
ティボーにとって、モーツァルトは友達のような作曲家だったことは、彼の自伝からよく知られていることです。ティボーは、彼の音楽に対して無礼と紙一重の弾き崩しの出来る人でした。フリプセと共演したこの録音で弾いているロンドは、ハフナー・セレナーデの一部を、フリッツ・クライスラー(Fritz Kreisler, 1875-1962)がピアノとヴァイオリン用に編曲したもので、クライスラーはティボーの親友でした。
非常にリラックスした雰囲気で、まるで即興を楽しんでいるかのような趣で弾かれており、ティボーの天衣無縫ともいえるい至芸を堪能することが出来ます。
トマゾ・ヴィターリ(Tomaso Vitali, 1663-1745)のシャコンヌとカロル・シマノフスキ(Karol Szymanowski, 1882-1937)の〈アレトゥーザの泉〉は、タッソ・ヤノポウロ(Tasso Janopoulo, 1897-1970)の伴奏による録音です。
ヴィターリのシャコンヌは、ドイツ人ヴァイオリニストのフェルディナント・ダヴィットが、ヴァイオリンの練習曲として作品を紹介しましたが、フランス人ヴァイオリニストのレオポール・シャルリエ(Léopold Charlier, 1867-1936)がコンサート用に手を加えて、演奏会用の作品として普及させました。近年では、この作品がヴィターリノ作品かどうかに疑念が持たれていますが、「ヴィターリのシャコンヌ」として、ヴァイオリン学習者やヴァイオリニスト達に長く愛されています。
〈アレトゥーザの泉〉は、1915年にシマノフスキが発表した《神話》というヴァイオリンとピアノのための組曲の第1曲目に当たる作品です。この頃のシマノフスキは、フランスのクロード・ドビュッシーの音楽への傾倒を強めながら、古代ギリシャやイスラムなどの文化の研究も行っており、当時のフランス音楽の潮流とオリエント文化のブレンドに心を砕いていました。ギリシャ神話を題材にとった本作品にも、そうした態度を垣間見ることが出来るでしょう。アレトゥーザは、川の神に追いかけられて、泉に姿を変えてしまったアルテミス配下の妖精として知られます。シマノフスキは、そのギリシャ神話の顛末を音楽で表現しようとしたのではなく、あくまでその神話から着想される印象を掬い取って音楽化しました。
伴奏のヤノポウロは、エジプト出身のピアニストで、ティボーや歌手のニノン・ヴァランなど、フランスの音楽家から信望の厚かった名手です。
ヴィターリのシャコンヌでは、自由気ままなティボーの弾きっぷりに、ヤノポウロが少々手を焼いている風ですが、作品の様式が瓦解せずに済んでいるのは、ヤノポウロの功績でしょう。こうしたヤノポウロの地盤の上で弾かれるティボーのヴァイオリンは、煽情的な表情を持ち、作品から狂おしい妖艶さを引き出しているように聴こえます。
シマノフスキの作品は、ティボーの芸風が音楽とマッチしており、作品の放つ妖しげな香気をしっかりとかぎ取ることが出来ます。ヤノポウロの伴奏も、ティボーの変幻自在な芸に敏感に反応し、かゆい所に手の届くような見事な伴奏で、ティボーの伴奏を引き立てています。
ガブリエル・フォーレ(Gabriel Fauré, 1845-1924)のヴァイオリン・ソナタ第1番(1876年作)は、アルフレッド・コルトー(Alfred Cortot, 1877-1962)との共演。
フォーレのこの作品は、歌曲とピアノ曲を作り続けてきた彼が、初めて弦楽器を使ったでした。作品は、ポール・ヴィアルドーに捧げられていますが、ヴィアルドーの姉マリアンヌがフォーレと恋仲だったこともあり、そうした恋の結実として作品を位置づける見方もできます。
本作品を演奏するティボーとコルトーは、パブロ・カザルスを交えてトリオを組み、お互いの芸風を知り尽くした仲でした。コケティッシュなティボーのヴァイオリンと、ティボーのヴァイオリンに翻弄されまいとするコルトーの駆け引きが、作品の印象を濃密なものにしています。フォーレの作品の底に流れるエロティシズムを感じさせる名演奏といえます。
ティボーは、パリ音楽院でマルタン=ピエール・マルシックのクラスで学び、1896年にプルミエ・プリを取得して卒業しています。カフェのヴァイオリン弾きのアルバイトを経てコンセール・コロンヌに就職し、そこで急病のコンサート・マスターの代理でカミーユ・サン=サーンス(Camille Saint-Saëns, 1835-1921)の《ノアの洪水》の前奏曲のヴァイオリン・ソロを弾いてソリストとしての道を開きました。
彼のヴァイオリン演奏の特徴は、絶妙なポルタメントと、語りかけてくるようなアーティキュレーションにあります。また、音程の取り方も独特で、音を高めにとったり低めにとったりを当意即妙にやってのける名人でした。
テンポの伸縮も気ままで、縦の線を整えることに頓着しない芸風は、わがままともいえますが、どこか憎めない人懐っこさがあります。
本CDには、まず、オーケストラの伴奏で、サン=サーンスのヴァイオリン協奏曲第1番と《序奏とロンド・カプリチオーソ》が収録されています。
ヴァイオリン協奏曲の第1番は、第2番のヴァイオリン協奏曲のほぼ一年後にあたる1859年に作曲されました。第2番のヴァイオリン協奏曲は、アキーレ・ディーンというアマチュアのヴァイオリニスト(本職は画家)に献呈された作品だったため、本職のヴァイオリニストであるパブロ・デ・サラサーテに作曲した第1番のほうが先に出版されてしまいました。
この第1番の協奏曲は、作曲者本人がコンチェルトシュテュックと扱おうとしたように、単一楽章の作品です。
歯切れの良いオーケストラを従えて、ヴァイオリンがひたすら難技巧を繰り出していく、難技を凝らした音楽に仕上がっています。演奏時間が半端なため、単独ではコンサートで取り上げられることがさほどありませんが、メリハリのついた音楽の展開は、聴き手を飽きさせないツボをよく心得ているといえるでしょう。
このヴァイオリン協奏曲の作曲からほぼ4年後にサラサーテに献呈された作品が、《序奏とロンド・カプリチオーソ》です。この作品も、第1番のヴァイオリン協奏曲を想起させますが、ヴァイオリンの技巧的な見せ場と、下支えとしてのオーケストラの書法により一層磨きがかかっています。ロンド・カプリチオーソの部分では、サラサーテが好みそうなスペイン風のノリも感じられ、献呈者へのサービス精神も、第1番のヴァイオリン協奏曲以上に感じられます。
この2曲の伴奏は、アルチェオ・ガリエラ(Alceo Galliera, 1910-1996)の指揮するヘッセン放送交響楽団が務めています。
ガリエラはイタリアの指揮者ですが、元々はオルガニスト兼作曲家としてのキャリアを歩んでいました。
彼の父親はパルマ音楽院の教授を務めるオルガニスト兼作曲家で、この父親の薫陶を受けて音楽の道に進みました。ミラノのヴェルディ音楽院に進学してオルガンと作曲を専攻したガリエラは、1932年に母校の講師として活動を始めましたが、1941年にアウグステオ管弦楽団(現:ローマ聖チェチーリア音楽院管弦楽団)を指揮して、指揮者としての第一歩を踏み出しました。しかし、折しも第二次世界大戦の真っただ中だったため、ほどなくして、ガリエラは、スイスのルツェルンに亡命し、この地で指揮者としての活動を本格化させることになりました。
1945年にルツェルンで指揮者として改めてデビューしたガリエラは、ミラノ・スカラ座の指揮者陣に加わったり、欧米各地のオーケストラに客演を重ねたりしてキャリアを築き、1957年からフェニーチェ座の首席指揮者、1964年から1972年までストラスブール市立管弦楽団の首席指揮者を歴任しています。
本録音は、ガリエラにとって、まだミラノ・スカラ座を拠点にヨーロッパ各地のオーケストラに客演して武者修行を重ねていた時期に当たる録音です。
ガリエラは、客演先のヘッセンのオーケストラからメリハリの利いた音を引き出し、自由気ままに弾くティボーのヴァイオリンの脇をガッチリ固めようとしています。
協奏曲のほうでは、ガリエラの縦の線をピシっと合わせた伴奏が曲想に見合っていて、ティボーの独奏も多少の伸縮が認められるものの、ガリエラに協調的な演奏で対応しています。
しかし、《序奏とロンド・カプリチオーソ》では、ティボーが自由奔放に動き回り、ガリエラの伴奏とタイミングが合わない個所が散見されます。ティボーの予測のつかない独奏を、ガリエラが追いかけ回すスリルを楽しむ演奏であり、ハナから演奏の完成度を度外視していたのかもしれません。
サン=サーンスの《ハバネラ》とヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart, 1756-1791)のロンドは、ティボーのヴァイオリン独奏と、マリヌス・フリプセ(Marinus Flipse, 1908-1997)のピアノ伴奏で録音されています。フリプセの父コルネリウスは作曲家兼音楽教師で、兄エドゥアルトは指揮者として活躍しており、彼は、この父と兄から音楽の手ほどきを受け、ローザンヌやブダペスト、ウィーンやパリの音楽院でピアニストとしての修業を積みました。
アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団(現:ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団)のピアニストとして活動していたため、ヘルマン・クレバースやテオ・オロフといった、コンサート・マスターとの室内楽に興じることが多く、伴奏者として抜群の勘を持っていたようです。
サン=サーンスの《ハバネラ》に於いて、ティボーの演奏に合わせるだけでなく、積極的にティボーに挑もうとするフリプセの芸が、ティボーを良い意味で刺激し、生き生きとしたやり取りになっています。
ティボーにとって、モーツァルトは友達のような作曲家だったことは、彼の自伝からよく知られていることです。ティボーは、彼の音楽に対して無礼と紙一重の弾き崩しの出来る人でした。フリプセと共演したこの録音で弾いているロンドは、ハフナー・セレナーデの一部を、フリッツ・クライスラー(Fritz Kreisler, 1875-1962)がピアノとヴァイオリン用に編曲したもので、クライスラーはティボーの親友でした。
非常にリラックスした雰囲気で、まるで即興を楽しんでいるかのような趣で弾かれており、ティボーの天衣無縫ともいえるい至芸を堪能することが出来ます。
トマゾ・ヴィターリ(Tomaso Vitali, 1663-1745)のシャコンヌとカロル・シマノフスキ(Karol Szymanowski, 1882-1937)の〈アレトゥーザの泉〉は、タッソ・ヤノポウロ(Tasso Janopoulo, 1897-1970)の伴奏による録音です。
ヴィターリのシャコンヌは、ドイツ人ヴァイオリニストのフェルディナント・ダヴィットが、ヴァイオリンの練習曲として作品を紹介しましたが、フランス人ヴァイオリニストのレオポール・シャルリエ(Léopold Charlier, 1867-1936)がコンサート用に手を加えて、演奏会用の作品として普及させました。近年では、この作品がヴィターリノ作品かどうかに疑念が持たれていますが、「ヴィターリのシャコンヌ」として、ヴァイオリン学習者やヴァイオリニスト達に長く愛されています。
〈アレトゥーザの泉〉は、1915年にシマノフスキが発表した《神話》というヴァイオリンとピアノのための組曲の第1曲目に当たる作品です。この頃のシマノフスキは、フランスのクロード・ドビュッシーの音楽への傾倒を強めながら、古代ギリシャやイスラムなどの文化の研究も行っており、当時のフランス音楽の潮流とオリエント文化のブレンドに心を砕いていました。ギリシャ神話を題材にとった本作品にも、そうした態度を垣間見ることが出来るでしょう。アレトゥーザは、川の神に追いかけられて、泉に姿を変えてしまったアルテミス配下の妖精として知られます。シマノフスキは、そのギリシャ神話の顛末を音楽で表現しようとしたのではなく、あくまでその神話から着想される印象を掬い取って音楽化しました。
伴奏のヤノポウロは、エジプト出身のピアニストで、ティボーや歌手のニノン・ヴァランなど、フランスの音楽家から信望の厚かった名手です。
ヴィターリのシャコンヌでは、自由気ままなティボーの弾きっぷりに、ヤノポウロが少々手を焼いている風ですが、作品の様式が瓦解せずに済んでいるのは、ヤノポウロの功績でしょう。こうしたヤノポウロの地盤の上で弾かれるティボーのヴァイオリンは、煽情的な表情を持ち、作品から狂おしい妖艶さを引き出しているように聴こえます。
シマノフスキの作品は、ティボーの芸風が音楽とマッチしており、作品の放つ妖しげな香気をしっかりとかぎ取ることが出来ます。ヤノポウロの伴奏も、ティボーの変幻自在な芸に敏感に反応し、かゆい所に手の届くような見事な伴奏で、ティボーの伴奏を引き立てています。
ガブリエル・フォーレ(Gabriel Fauré, 1845-1924)のヴァイオリン・ソナタ第1番(1876年作)は、アルフレッド・コルトー(Alfred Cortot, 1877-1962)との共演。
フォーレのこの作品は、歌曲とピアノ曲を作り続けてきた彼が、初めて弦楽器を使ったでした。作品は、ポール・ヴィアルドーに捧げられていますが、ヴィアルドーの姉マリアンヌがフォーレと恋仲だったこともあり、そうした恋の結実として作品を位置づける見方もできます。
本作品を演奏するティボーとコルトーは、パブロ・カザルスを交えてトリオを組み、お互いの芸風を知り尽くした仲でした。コケティッシュなティボーのヴァイオリンと、ティボーのヴァイオリンに翻弄されまいとするコルトーの駆け引きが、作品の印象を濃密なものにしています。フォーレの作品の底に流れるエロティシズムを感じさせる名演奏といえます。
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