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1928年の日本ハナゲ學会第3分科會において瓢箪屋蓑吉氏が発表した「傳説の白ハナゲと黑ハナゲの脱色化の判別に關する文化論的一考察 ―ルウブル美術館をくまなく回ろうとして挫折したフレデリツク勅使河原氏の手記を中心に―」を再読したり、検証したりするBLOGではないことは確かなことです。ええ!確かなことですとも!
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◈Wolfgang Amadeus Mozart: Clarinet Concerto in A major, K622
Benny Goodman (Cl)
Boston Symphony Orchestra / Charles Munch
(Rec. 9 July 1956, Birksher Festival Hall, Tanglewood)
◈Wolfgang Amadeus Mozart: Clarinet Quintet in A major, K581
Benny Goodman (Cl)
Boston Symphony String Quartet
{Richard Burgin (1st Violin), Alfred Krips (2nd Vn),
Joseph de Pasquale (Vla), Samuel Mayes (Vc)}
(Rec. 9 July 1956, Birksher Festival Hall, Tanglewood)



ベニー・グッドマン(Benny Goodman, 1909-1986)は、ポーランド系移民の父親とロシア系移民の母親の間にシカゴで生まれたジャズ・クラリネット奏者です。家が貧しかったために、慈善学校で教育を受けましたが、10歳の時、そこの少年バンドに参加したのがきっかけで、バンド指導者のジェームズ・シルヴェスターの目にとまり、シカゴ大学でクラリネットを教えていたフランツ・シェップの下でクラリネットを学ぶことになりました。
14歳でジャズ・クラリネット奏者としてデビューし、1932年には自分でバンドを結成し、1938年にはカーネギー・ホールでジャズ・コンサートを開いて大成功を収めました。

グッドマンが活躍していたころ、クラシック音楽が「正規の音楽」(legitimate music)と呼ばれて高尚なものと見做されていたのに対し、ジャズは「大衆音楽」(popular music)だとか「軽い音楽」(light music)だとかと言われ、低俗なものと見做されていました。こうしたジャズに対する劣等意識は人種差別問題も絡んだコンプレックスとなっていましたが、グッドマンの成功によって、幾許か社会的・興行的な地位を向上させることになりました。

グッドマンが得意としたのは、スウィング・ジャズというスタイルです。
このスタイルは、大人数のバンドで演奏する形態をとり、奏者個々人のスタンド・プレイに頼らず、団員達と綿密な打ち合わせをしてアンサンブルを組み上げます。したがって、アレンジャーがあらかじめ楽譜を作り、その楽譜に従って演奏するという点では、クラシック音楽のオーケストラと似通った特徴を持っています。
また、アレンジャーの作る楽譜も手が込んだものになるに従い、クラシック音楽の和声法の影響をうけるようになりました。

グッドマン自身も、クラシック音楽には少なからぬ興味を持っていて、1930年代半ばから、クラシック音楽のレパートリーも折を見て演奏するようになりました。
元々、少年時代にシェップの下で学んでいたのはクラシック音楽のレパートリーだったようですが、1948年にイギリスからレジナルド・ケルがアメリカにやってくると、グッドマンはケルのところに通い、1952年から彼の弟子として研鑽を積んでいます。
ただ、グッドマンのクラシック音楽への進出は、ジャズの業界からもクラシック音楽の業界からもキワモノ扱いされ、あまり歓迎されませんでしたが、そうした珍奇の目にひるまず、ベーラ・バルトークやアーロン・コープランドといった作曲家たちから作品を献呈されるまでになりました。
今日では、クラシック音楽とジャズの境界の往来はかなり自由化されてきており、二足のわらじで活躍する名手もありふれたものになりつつありますが、グッドマンの挑戦は、こうした現状に対する礎になりました。

本CDの演目は、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart, 1756-1791)のクラリネット協奏曲とクラリネット五重奏曲です。両曲とも、クラシック音楽のクラリネット奏者であれば、一度は演奏しておきたい、必須のレパートリーです。グッドマンは、1930年代半ばにクラシック音楽を余興で演奏した時、その演目にしたのが、このモーツァルトの五重奏曲でした。
クラリネット五重奏曲は、アントン・シュタードラーというクラリネット奏者のために1989年に書かれた作品です。
シュタードラーは、弟のヨハンと一緒にシュタードラー兄弟としてウィーンの宮廷のオーケストラに在籍していた名手で、兄のアントンのほうは、バセット・ホルンを好んで演奏し、バセット・ホルンに音域を合わせた独自のクラリネット(20世紀になってバセット・クラリネットと命名される)を開発したことでも知られています。
このシュタードラーの開発したクラリネットの魅力を発揮させるために書いたのが、この五重奏曲であり、クラリネットの低音が、作品に独特の陰影を齎しています。

モーツァルトが亡くなる三ヶ月ほど前に仕上げたクラリネット協奏曲も、おそらくシュタードラーの開発したバセット・クラリネットのために書かれたものと推測されます。
この曲の第1楽章は、1787年にバセット・ホルンの協奏曲としてスケッチしたものを再利用したものだと言われています。バセット・ホルンは、シュタードラーが好んで演奏していた楽器で、そのシュタードラーの吹くバセット・ホルンの音色に魅せられて、モーツァルトが筆をとったのかもしれません。しかし、このバセット・ホルン協奏曲は完成に至らず、クラリネット協奏曲として再利用される形で完成されることになりました。
第2楽章以降は、クラリネット協奏曲として新たに作曲した、モーツァルトの最晩年のオリジナルの音楽です。
シュタードラーに献呈するに当たっては、シュタードラーの開発したバセット・クラリネットを想定して独奏パートを仕上げていたようですが、シュタードラーの開発した楽器の普及率が低いため、出版に当たっては、常用されるクラリネット用に独奏パートをモーツァルト自身が改訂したようです。ただし、今日では自筆譜が紛失しているため、どのような改訂が施されたのか確認することが出来ません。

グッドマンは、このクラリネット協奏曲を録音するに当たって、シャルル・ミュンシュ(Charles Munch, 1891-1968)の指揮するボストン交響楽団と共演しています。
ミュンシュは、カール・ミュンヒ(Karl Münch)として、ドイツ領シュトラスブルグ(現:フランス領ストラスブール)に生まれた指揮者です。元々ヴァイオリニスト志望で、カール・フレッシュやリュシアン・カペーに学んだ後、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のコンサートマスターになり、実地で指揮法を会得しました。1931年にはパリで指揮者デビューを果たし、翌年には指揮者に転向しています。ナチスが台頭してくると、ドイツ国籍を捨ててフランスに帰化し、正式にシャルル・ミュンシュを名乗るようになりました。1948年にはボストン交響楽団を指揮してアメリカ・デビューを飾りましたが、この時の縁でセルゲイ・クーセヴィツキーの後任として1949年から1963年まで、このオーケストラの首席指揮者を務めることになりました。

ミュンシュは、クーセヴィツキーのように、オーケストラ団員を煽って燃え立つような演奏を得意としましたが、クーセヴィツキーよりも開放的で華やかなサウンドを好んだことが、彼の遺した録音からうかがい知ることができます。あまり小難しいことを好まなかったミュンシュは、特にライヴ録音では即興的な指示で団員を挑発し、今生まれ出ずる音楽のような鮮度を保つことに腐心していたようでもあります。
しかし、ここでのミュンシュは、そういったやんちゃな芸風は見せず、彼としては至極真っ当な解釈でグッドマンの独奏を支えています。

晩年期のモーツァルトの作品について、アルフレート・アインシュタインみたいに宗教性やら諦観やらと結び付けて印象付けをするのがオーソドックスだったようですが、グッドマンの演奏は、そうした死を悟ったような心境とは関係がありません。ミュンシュがゆったりとしたテンポとしっとりとした音色をオーケストラから引き出そうとしているのに、グッドマンは華やかな音色でオーケストラを出し抜こうとしているようです。
グッドマンとしては、ジャズっぽい音形の崩しを一切封印し、クラシック音楽のスタイルを彼なりに意識しているようですが、日常的にやらないことを、さも日常的にやっているかのように見せかけようとするこざかしさが、演奏の違和感につながっているようにも感じます。

クラリネット五重奏曲は、ボストン・シンフォニー四重奏団との共演です。
第1ヴァイオリンのリチャード・バージン(Richard Burgin, 1892-1981)、第2ヴァイオリンのアルフレッド・クリップス(Alfred Krips)、ヴィオラのジョセフ・ド・パスクァーレ(Joseph de Pasquale, 1919-)、チェロのサミュエル・メイズ(Samuel Mayes, 1917-1990)は、いずれもボストン交響楽団の首席奏者を務めていた人たちです。
グッドマンは、1938年ごろにブダペスト弦楽四重奏団とこの曲を録音したことがありますが、ボストン・シンフォニー四重奏団の面々は、その録音を意識してか、音の長さをたっぷり取ってネットリした感じを出しています。
グッドマンのパリッとしたクラリネットの奏楽とは対照的なのですが、外側はサクサクで中はもっちりしているような食感を想起させ、全体的にはバランスのとれたサウンドになっています。第3楽章のメヌエットは、クラリネットが休む中間部が、少々泣き節みたいになっており、好みが分かれるかもしれません。

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