1928年の日本ハナゲ學会第3分科會において瓢箪屋蓑吉氏が発表した「傳説の白ハナゲと黑ハナゲの脱色化の判別に關する文化論的一考察 ―ルウブル美術館をくまなく回ろうとして挫折したフレデリツク勅使河原氏の手記を中心に―」を再読したり、検証したりするBLOGではないことは確かなことです。ええ!確かなことですとも!
◈Alban Berg: Concerto for Violin and Orchestra
◈Leoš Janáček: Violin Concerto "Putování dušičky"
Tomas Zehetmair (Vn)
Philharmonia Orchestra / Heinz Holliger
(Rec. July 1991, Smape Maltings Concert Hall, Suffolk)
◈Karl Amadeus Hartmann: Concert funebre for Violin Solo and String OrchestraThomas Zehetmair (Vn)
Deutche Kammerphilharmonie / Thomas Zehetmair
(Rec. March 1990, Saal der Deutschen Bank, Frankfurt)
20世紀前半のオーストリアとその周辺のヴァイオリン協奏曲を組み合わせたCD。
オーストリアの作曲家であるアルバン・ベルク(Alban Berg, 1885-1935)のヴァイオリン協奏曲と、チェコの作曲家であるレオシュ・ヤナーチェク(Leoš Janáček, 1854-1928)のヴァイオリン協奏曲《魂のさすらい》と、ドイツの作曲家であるカール・アマデウス・ハルトマン(Karl Amadeus Hartmann, 1905-1963)の葬送協奏曲をカップリングしております。
ベルクを扇の要に据えて、隣国のヤナーチェクの音楽を眺めた後、オーストリアとつながりの深いドイツのハルトマンの音楽で締めるという趣向ですが、そうした趣向と呼応するように、ベルクと同国人のトーマス・ツェートマイアー(Thomas Zehetmair, 1961-)がヴァイオリンの独奏に起用されています。
共演のオーケストラにも捻りが加えられていて、ベルクとヤナーチェクの作品ではイギリスのフィルハーモニア管弦楽団が起用されています。ヤナーチェクの《魂のさすらい》は、1926年にイギリス訪問時に着想された作品ということで、この作品とイギリスには縁があります。
ベルクの協奏曲は、1936年4月19日にバルセロナで、ルイス・クラスナーの独奏とヘルマン・シェルヘンの指揮でバルセロナのカタルーニャ音楽堂で初演されましたが、当初、初演の指揮者にアントン・ウェーベルンが決まっていたことは、初演者クラスナーの伝える話としてよく知られています。しかし、ウェーベルンは、盟友ベルクの急逝のショックからか、オーケストラとのリハーサルがうまく運べず、シェルヘンが代役として初演を取り仕切ることになりました。この初演後、ウェーベルンは5月1日にクラスナーを独奏者に迎えて、イギリスのBBC交響楽団を指揮して、英国初演を果たし、バルセロナの雪辱を晴らしています。さらに12月には、ヘンリー・ウッドの指揮するBBC交響楽団をバックにクラスナーが、イギリスで公開初演を果たし、この曲の演奏史におけるイギリスの存在は小さなものではなくなりました。
ベルクの協奏曲で作曲家だったウェーベルンが初演指揮者として企図されていたという点と符合させるように、ヤナーチェクの協奏曲ともども、フィルハーモニア管弦楽団の指揮をハインツ・ホリガー(Heinz Holliger, 1939-)が受け持っています。
ホリガーは、スイス出身で、オーボエ奏者として広く知られている人ですが、シャンドール・ヴェレシュやピエール・ブーレーズに師事した作曲家でもあり、指揮法もマスターして世界各地のオーケストラを振っています。本録音には、作曲家としてのホリガーのこだわりも示されていて、ベルクの作品では、ベルク研究家のダグラス・ジャーマンの研究成果に基づいて録音しています。ジャーマンは、この研究成果をもとに批判校訂した楽譜を1996年に公表しましたが、この録音は、その出版に先立って行われたものです。
ヤナーチェクの作品も、ヤナーチェクが多忙得御理由に未完成のまま放置した作品でしたが、1988年にミロシュ・シュテドロニュ(Miloš Štědroň, 1942-)とレオシュ・ファルトゥス(Leoš Faltus, 1937-)という二人のチェコの作曲家が、放置されたスケッチや草稿を元に、演奏できる形に再構成したものを用いています。
まだ、公表されて間もない作品をこうして取り上げて真価を問おうとするツェートマイアーとホリガーの慧眼には頭が下がるばかりです。
最後に収録されたハルトマンの葬送協奏曲の演奏については、ホリガーは関与していません。しかし、作品については、ベルクのヴァイオリン協奏曲と類似性を持っています。
この曲が作られたのは、1939年であり、ベルクの協奏曲ともさほど年代的な隔たりはありません。しかし、ハルトマンを取り巻く環境は、決して恵まれたものではありませんでした。ドイツはナチスが台頭し、第二次世界大戦への道をまっしぐらに進んでいた時期にあたります。ナチスは、国威発揚のために音楽を利用し、ユダヤ人の音楽や政権側が難解と見做した自国の音楽に「頽廃音楽」のレッテルを張って締めだそうとしていました。そして、音楽家たちには、「優秀なるアーリア人」としてのドイツ人の意識を高揚する音楽を求めました。
ハルトマンは、こうしたドイツの在り様に強い違和感を持ち、ナチスの要求する音楽に暗澹たる音楽で応えて抗議を示し、ナチス政権下の楽壇から社会的に抹殺されてしまいました。
それでもハルトマンは作曲の筆を休めず、この葬送協奏曲を書いて、ドイツの行く末を憂い、ナチスの政策への抗議のメッセージとしたのでした。
ベルクのヴァイオリン協奏曲が、急逝したアルマ・マーラーの娘マノンのレクイエムとして作られた作品であった点を敷衍し、ハルトマンは、滅びへの道へと突き進むドイツへのレクイエムとしてこの曲を書き上げています。ベルクの協奏曲ではヨハン・ゼバスティアン・バッハのカンタータのコラールを引用しましたが、ハルトマンは、チェコのフス教徒の用いたコラールのメロディをあしらって、ドイツへの抗議を鮮明に打ち出しています。
また、オーケストレーションには、敢えて管楽器を一切用いず、弦楽合奏とヴァイオリンの協奏曲としたことで、華やかな響きを拒絶しています。
なお、1939年に作曲した当時は「反ファシズム」という副題を掲げていましたが、1959年に改訂して決定稿を作った時には、この副題は使われなくなってしまったようです。
ハルトマンの用いたフス教徒のコラールから、ベルクの音楽との関係だけでなく、チェコの音楽との関わりも生まれ、ベルクとヤナーチェクの音楽の切り結びとしてハルトマンの葬送協奏曲がカップリングに選ばれたのは、偶然の一致ではないと思われます。また、こうした音楽の関連付けを通して、20世紀前半の音楽の暗部を味わうこともできます。
ツェートマイアーの演奏は、力で音楽を引っ張っていくタイプではなく、むしろ共演者の動きに絡みつくことで効果を発揮するような、ウェットな魅力があります。
こうしたツェートマイアーの魅力は、ベルクのヴァイオリン協奏曲で如何なく発揮されていて、ホリガーの指揮するフィルハーモニア管弦楽団の緻密なアンサンブルに、血液が巡るような生々しい感触を与えています。
ヤナーチェクの協奏曲は、ツェートマイアーもホリガーも他流試合を強いられた感がありますが、それでもこの録音が発売された当初は、知られざるチェコの音楽への果敢なる挑戦として、やや話題になったものです。
ホリガーの伴奏も、単なる伴奏に終わらず、ベルクの音楽では、作品の祈りのような側面を、木管セクションに抑制された表情付けを施すことによって浮き彫りにすることに成功しています。華奢ともいえるツェートマイアーの独奏を繊細に支えることによって、ドロドロしたロマンティシズムの肥大を濾し取り、スマートな奏楽を実現しています。
ハルトマンの協奏曲は、ツェートマイアーの絹糸を紡ぎあげるような繊細さが、弦楽オーケストラにも浸透し、作品の暗欝さだけでなく、清澄な響きも掘り起こすことに成功しているようです。こうした暗欝さと清澄さの混ざり合いは、ホリガーと演奏したベルクの協奏曲から引き起こされる静謐さに通じることでしょう。
オーストリアの作曲家であるアルバン・ベルク(Alban Berg, 1885-1935)のヴァイオリン協奏曲と、チェコの作曲家であるレオシュ・ヤナーチェク(Leoš Janáček, 1854-1928)のヴァイオリン協奏曲《魂のさすらい》と、ドイツの作曲家であるカール・アマデウス・ハルトマン(Karl Amadeus Hartmann, 1905-1963)の葬送協奏曲をカップリングしております。
ベルクを扇の要に据えて、隣国のヤナーチェクの音楽を眺めた後、オーストリアとつながりの深いドイツのハルトマンの音楽で締めるという趣向ですが、そうした趣向と呼応するように、ベルクと同国人のトーマス・ツェートマイアー(Thomas Zehetmair, 1961-)がヴァイオリンの独奏に起用されています。
共演のオーケストラにも捻りが加えられていて、ベルクとヤナーチェクの作品ではイギリスのフィルハーモニア管弦楽団が起用されています。ヤナーチェクの《魂のさすらい》は、1926年にイギリス訪問時に着想された作品ということで、この作品とイギリスには縁があります。
ベルクの協奏曲は、1936年4月19日にバルセロナで、ルイス・クラスナーの独奏とヘルマン・シェルヘンの指揮でバルセロナのカタルーニャ音楽堂で初演されましたが、当初、初演の指揮者にアントン・ウェーベルンが決まっていたことは、初演者クラスナーの伝える話としてよく知られています。しかし、ウェーベルンは、盟友ベルクの急逝のショックからか、オーケストラとのリハーサルがうまく運べず、シェルヘンが代役として初演を取り仕切ることになりました。この初演後、ウェーベルンは5月1日にクラスナーを独奏者に迎えて、イギリスのBBC交響楽団を指揮して、英国初演を果たし、バルセロナの雪辱を晴らしています。さらに12月には、ヘンリー・ウッドの指揮するBBC交響楽団をバックにクラスナーが、イギリスで公開初演を果たし、この曲の演奏史におけるイギリスの存在は小さなものではなくなりました。
ベルクの協奏曲で作曲家だったウェーベルンが初演指揮者として企図されていたという点と符合させるように、ヤナーチェクの協奏曲ともども、フィルハーモニア管弦楽団の指揮をハインツ・ホリガー(Heinz Holliger, 1939-)が受け持っています。
ホリガーは、スイス出身で、オーボエ奏者として広く知られている人ですが、シャンドール・ヴェレシュやピエール・ブーレーズに師事した作曲家でもあり、指揮法もマスターして世界各地のオーケストラを振っています。本録音には、作曲家としてのホリガーのこだわりも示されていて、ベルクの作品では、ベルク研究家のダグラス・ジャーマンの研究成果に基づいて録音しています。ジャーマンは、この研究成果をもとに批判校訂した楽譜を1996年に公表しましたが、この録音は、その出版に先立って行われたものです。
ヤナーチェクの作品も、ヤナーチェクが多忙得御理由に未完成のまま放置した作品でしたが、1988年にミロシュ・シュテドロニュ(Miloš Štědroň, 1942-)とレオシュ・ファルトゥス(Leoš Faltus, 1937-)という二人のチェコの作曲家が、放置されたスケッチや草稿を元に、演奏できる形に再構成したものを用いています。
まだ、公表されて間もない作品をこうして取り上げて真価を問おうとするツェートマイアーとホリガーの慧眼には頭が下がるばかりです。
最後に収録されたハルトマンの葬送協奏曲の演奏については、ホリガーは関与していません。しかし、作品については、ベルクのヴァイオリン協奏曲と類似性を持っています。
この曲が作られたのは、1939年であり、ベルクの協奏曲ともさほど年代的な隔たりはありません。しかし、ハルトマンを取り巻く環境は、決して恵まれたものではありませんでした。ドイツはナチスが台頭し、第二次世界大戦への道をまっしぐらに進んでいた時期にあたります。ナチスは、国威発揚のために音楽を利用し、ユダヤ人の音楽や政権側が難解と見做した自国の音楽に「頽廃音楽」のレッテルを張って締めだそうとしていました。そして、音楽家たちには、「優秀なるアーリア人」としてのドイツ人の意識を高揚する音楽を求めました。
ハルトマンは、こうしたドイツの在り様に強い違和感を持ち、ナチスの要求する音楽に暗澹たる音楽で応えて抗議を示し、ナチス政権下の楽壇から社会的に抹殺されてしまいました。
それでもハルトマンは作曲の筆を休めず、この葬送協奏曲を書いて、ドイツの行く末を憂い、ナチスの政策への抗議のメッセージとしたのでした。
ベルクのヴァイオリン協奏曲が、急逝したアルマ・マーラーの娘マノンのレクイエムとして作られた作品であった点を敷衍し、ハルトマンは、滅びへの道へと突き進むドイツへのレクイエムとしてこの曲を書き上げています。ベルクの協奏曲ではヨハン・ゼバスティアン・バッハのカンタータのコラールを引用しましたが、ハルトマンは、チェコのフス教徒の用いたコラールのメロディをあしらって、ドイツへの抗議を鮮明に打ち出しています。
また、オーケストレーションには、敢えて管楽器を一切用いず、弦楽合奏とヴァイオリンの協奏曲としたことで、華やかな響きを拒絶しています。
なお、1939年に作曲した当時は「反ファシズム」という副題を掲げていましたが、1959年に改訂して決定稿を作った時には、この副題は使われなくなってしまったようです。
ハルトマンの用いたフス教徒のコラールから、ベルクの音楽との関係だけでなく、チェコの音楽との関わりも生まれ、ベルクとヤナーチェクの音楽の切り結びとしてハルトマンの葬送協奏曲がカップリングに選ばれたのは、偶然の一致ではないと思われます。また、こうした音楽の関連付けを通して、20世紀前半の音楽の暗部を味わうこともできます。
ツェートマイアーの演奏は、力で音楽を引っ張っていくタイプではなく、むしろ共演者の動きに絡みつくことで効果を発揮するような、ウェットな魅力があります。
こうしたツェートマイアーの魅力は、ベルクのヴァイオリン協奏曲で如何なく発揮されていて、ホリガーの指揮するフィルハーモニア管弦楽団の緻密なアンサンブルに、血液が巡るような生々しい感触を与えています。
ヤナーチェクの協奏曲は、ツェートマイアーもホリガーも他流試合を強いられた感がありますが、それでもこの録音が発売された当初は、知られざるチェコの音楽への果敢なる挑戦として、やや話題になったものです。
ホリガーの伴奏も、単なる伴奏に終わらず、ベルクの音楽では、作品の祈りのような側面を、木管セクションに抑制された表情付けを施すことによって浮き彫りにすることに成功しています。華奢ともいえるツェートマイアーの独奏を繊細に支えることによって、ドロドロしたロマンティシズムの肥大を濾し取り、スマートな奏楽を実現しています。
ハルトマンの協奏曲は、ツェートマイアーの絹糸を紡ぎあげるような繊細さが、弦楽オーケストラにも浸透し、作品の暗欝さだけでなく、清澄な響きも掘り起こすことに成功しているようです。こうした暗欝さと清澄さの混ざり合いは、ホリガーと演奏したベルクの協奏曲から引き起こされる静謐さに通じることでしょう。
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