1928年の日本ハナゲ學会第3分科會において瓢箪屋蓑吉氏が発表した「傳説の白ハナゲと黑ハナゲの脱色化の判別に關する文化論的一考察 ―ルウブル美術館をくまなく回ろうとして挫折したフレデリツク勅使河原氏の手記を中心に―」を再読したり、検証したりするBLOGではないことは確かなことです。ええ!確かなことですとも!
◈Pyotr Iljic Tchaikovsky: Symphony No.6 in B minor, op.74
Paris Conservatoire Orchestra / Charles Munch
(Rec. 24 & 27 May 1948, Paris)
◈Pyotr Iljic Tchaikovsky: Piano Concerto No.1 in B flat minor, op.23Kostia Konstantinov (Pf)
Paris Conservatoire Orchestra / Charles Munch
(Rec. 17 & 21 April 1941, Paris)
ロシアはキリル文字を使ったロシア語なので、ロシア人の人名もキリル文字で表記されます。キリル文字よりもアルファベットになじんでいる欧米の人たちは、その発音に即して、人名をアルファベットに転写します。ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー(Pyotr Ilyich Tchaikovsky, 1840-1893)も、キリル文字でその名前を綴ると、"Пётр Ильич Чайкoвский"となりますが、このロシア語の発音に即して、"Piotr Ilich Chaikovski"(スペイン語)とか、"Piotr Iljicz Czajkowski"(ポーランド語)とか、その地域の発音の法則に即して、様々に綴りを変えます。英語圏では、しばしば"Pyotr"を、よりなじみの深い"Peter"に綴り直して表記することもあります。
本CDでは、"Ильич"を"Iljic"と表記しているところがユニークです。
閑話休題。本CDは、チャイコフスキーの交響曲第6番《悲愴》と、ピアノ協奏曲第1番をカップリングしています。
《悲愴》交響曲は、チャイコフスキーが亡くなる年に書き上げた、最後の交響曲です。題名の「悲愴」については、チャイコフスキーの弟であるモデストが、初演の翌日に、二人で相談して決めたことを報告していますが、実際は、初演前に、既に作曲者の方で表題の案を考えていたことが、この曲を出版したユルゲンソン出版社との書簡のやりとりの中で明らかにされています。チャイコフスキー自身は、痛切なアダージョで終わるこの曲の構成面での独創性に誇りを持っていて、この曲を自分の最高傑作と位置付けていました。
ピアノ協奏曲の第1番は、1874年の11月あたりから翌年の2月ごろまでに書きあげられた作品。この曲を親友のニコライ・ルビンシテインに献呈しようとしたところ、曲の概要をきいたルビンシテインが「演奏不可能」の烙印を押してしまったとい経緯があります。
チャイコフスキーは、ルビンシテインへの献呈を取り下げ、ドイツ人ピアニストで指揮者でもあったハンス・フォン・ビューローに作品を手渡し、ビューローはアメリカのボストンへの演奏旅行に作品を持って行って初演し、大成功を収めました。
献呈されそこなったルビンシテインは、チャイコフスキーに自分の非を詫び、自ら演奏レパートリーに入れて和解しましたが、チャイコフスキーは、ルビンシテインの死後に改訂を施しています。この改訂版が、今日一般的に演奏されるバージョンになります。
本CDでは、シャルル・ミュンシュ(Charles Munch, 1891-1968)の指揮するパリ音楽院管弦楽団です。ミュンシュは、1938年に、フィリップ・ゴーベールからこのオーケストラの首席指揮者の座を引き継ぎ、1946年まで、このポストを務めました。チャイコフスキーの交響曲の録音時には、既にアンドレ・クリュイタンスにポストを譲っていましたが、このオーケストラとの関係は保ち続け、1967年に、このオーケストラがパリ管弦楽団に改組した時には、初代首席指揮者として返り咲いています。
さて、交響曲の演奏は、弦楽セクションを強調したスタイルで、金管セクションは弦楽器に溶け込むサウンド・バランスで演奏されています。弦楽合奏で聴き手に圧力を感じさせることが出来るようなオーケストラであれば、なかなかの演奏効果を齎しますが、パリ音楽院管弦楽団の弦楽セクションのキャラクターは、そういうゴリ押しのものではありません。第2楽章の五拍子による偽ワルツでは、弦楽合奏と木管セクションのやり取りの上品な色気に聴くべきところがありますが、第3楽章がパンチ不足で、最終局面で聴かせるミュンシュお得意の無茶振りも不発に終わっています。悲歌的な第4楽章も、むせび泣かせようとするミュンシュとむせび泣くことに照れを感じるオーケストラの間に溝を感じます。
全体的に、交響曲というよりは、オーケストラで聴くグランド・オペラの名場面集といった趣の演奏でした。
チャイコフスキーの協奏曲では、ミュンシュとパリ音楽院管弦楽団のコンビに、コスティア・コンスタンティノフ(Kostia Konstantinov, 1903-1947)がピアノ独奏として加わります。コンスタンティノフは、ロシア出身の人で、トルコを経由してパリ音楽院に留学し、ピアニスト兼作曲家として将来を嘱望された人でした。指揮もこなす才人として世界中を飛び回り、八面六臂の活躍をしていましたが、作曲家として南アメリカに作品を売り込みに行った帰途に飛行機事故に遭遇し、帰らぬ人となりました。本録音は、そんなコンスタンティノフの貴重な録音です。
ミュンシュ率いるパリ音楽院管弦楽団の伴奏は、交響曲の時と比べて、オーケストラの鳴りっぷりは整然としているものの、同年代に録音していたヴラディミール・ホロヴィッツとアルトゥーロ・トスカニーニのコンビによる演奏と比べると、作品への共感土が薄いように思われます。弦楽セクションのコンディションも万全ではなく、ピアノと相互に盛り上げていく個所では、浮足立ってしまうところもあります。オーケストラが大活躍する場面では元気一杯に鳴りますが、ピアノが主導権を持っている時には表情付けが大雑把になり、第1楽章では、全体的になおざりな印象が残ります。コンスタンティノフのピアノは、長い前奏後の第1主題提示のシンコペーションを崩して演奏し、彼なりの個性を主張しています。しかし、オーケストラとは、どうも息が合わず、曲のスケールを十分に膨らませられないままとなっています。
第2楽章は、録音上の制約があったのか、急かされたようなテンポの演奏になっています。中間部では、ミスタッチをものともせずに進み行くコンスタンティノフのピアノに爽快感があります。
第3楽章は、オーケストラもピアノもロー・ギア発進ですが、ピアノが奮闘してクライマックスを作り上げています。オーケストラも鳴りはいいものの、コンスタンティノフの演奏に対しては腰が軽く、コンスタンティノフの奮闘に必ずしも貢献しているわけではないようです。
作品の要求する雄渾さとはまた別の世界を築き上げているという点では、このコンスタンティノフとミュンシュのコンビは面白い演奏ですが、この曲の演奏の成功例とするには、少々心もとない感じがします。
本CDでは、"Ильич"を"Iljic"と表記しているところがユニークです。
閑話休題。本CDは、チャイコフスキーの交響曲第6番《悲愴》と、ピアノ協奏曲第1番をカップリングしています。
《悲愴》交響曲は、チャイコフスキーが亡くなる年に書き上げた、最後の交響曲です。題名の「悲愴」については、チャイコフスキーの弟であるモデストが、初演の翌日に、二人で相談して決めたことを報告していますが、実際は、初演前に、既に作曲者の方で表題の案を考えていたことが、この曲を出版したユルゲンソン出版社との書簡のやりとりの中で明らかにされています。チャイコフスキー自身は、痛切なアダージョで終わるこの曲の構成面での独創性に誇りを持っていて、この曲を自分の最高傑作と位置付けていました。
ピアノ協奏曲の第1番は、1874年の11月あたりから翌年の2月ごろまでに書きあげられた作品。この曲を親友のニコライ・ルビンシテインに献呈しようとしたところ、曲の概要をきいたルビンシテインが「演奏不可能」の烙印を押してしまったとい経緯があります。
チャイコフスキーは、ルビンシテインへの献呈を取り下げ、ドイツ人ピアニストで指揮者でもあったハンス・フォン・ビューローに作品を手渡し、ビューローはアメリカのボストンへの演奏旅行に作品を持って行って初演し、大成功を収めました。
献呈されそこなったルビンシテインは、チャイコフスキーに自分の非を詫び、自ら演奏レパートリーに入れて和解しましたが、チャイコフスキーは、ルビンシテインの死後に改訂を施しています。この改訂版が、今日一般的に演奏されるバージョンになります。
本CDでは、シャルル・ミュンシュ(Charles Munch, 1891-1968)の指揮するパリ音楽院管弦楽団です。ミュンシュは、1938年に、フィリップ・ゴーベールからこのオーケストラの首席指揮者の座を引き継ぎ、1946年まで、このポストを務めました。チャイコフスキーの交響曲の録音時には、既にアンドレ・クリュイタンスにポストを譲っていましたが、このオーケストラとの関係は保ち続け、1967年に、このオーケストラがパリ管弦楽団に改組した時には、初代首席指揮者として返り咲いています。
さて、交響曲の演奏は、弦楽セクションを強調したスタイルで、金管セクションは弦楽器に溶け込むサウンド・バランスで演奏されています。弦楽合奏で聴き手に圧力を感じさせることが出来るようなオーケストラであれば、なかなかの演奏効果を齎しますが、パリ音楽院管弦楽団の弦楽セクションのキャラクターは、そういうゴリ押しのものではありません。第2楽章の五拍子による偽ワルツでは、弦楽合奏と木管セクションのやり取りの上品な色気に聴くべきところがありますが、第3楽章がパンチ不足で、最終局面で聴かせるミュンシュお得意の無茶振りも不発に終わっています。悲歌的な第4楽章も、むせび泣かせようとするミュンシュとむせび泣くことに照れを感じるオーケストラの間に溝を感じます。
全体的に、交響曲というよりは、オーケストラで聴くグランド・オペラの名場面集といった趣の演奏でした。
チャイコフスキーの協奏曲では、ミュンシュとパリ音楽院管弦楽団のコンビに、コスティア・コンスタンティノフ(Kostia Konstantinov, 1903-1947)がピアノ独奏として加わります。コンスタンティノフは、ロシア出身の人で、トルコを経由してパリ音楽院に留学し、ピアニスト兼作曲家として将来を嘱望された人でした。指揮もこなす才人として世界中を飛び回り、八面六臂の活躍をしていましたが、作曲家として南アメリカに作品を売り込みに行った帰途に飛行機事故に遭遇し、帰らぬ人となりました。本録音は、そんなコンスタンティノフの貴重な録音です。
ミュンシュ率いるパリ音楽院管弦楽団の伴奏は、交響曲の時と比べて、オーケストラの鳴りっぷりは整然としているものの、同年代に録音していたヴラディミール・ホロヴィッツとアルトゥーロ・トスカニーニのコンビによる演奏と比べると、作品への共感土が薄いように思われます。弦楽セクションのコンディションも万全ではなく、ピアノと相互に盛り上げていく個所では、浮足立ってしまうところもあります。オーケストラが大活躍する場面では元気一杯に鳴りますが、ピアノが主導権を持っている時には表情付けが大雑把になり、第1楽章では、全体的になおざりな印象が残ります。コンスタンティノフのピアノは、長い前奏後の第1主題提示のシンコペーションを崩して演奏し、彼なりの個性を主張しています。しかし、オーケストラとは、どうも息が合わず、曲のスケールを十分に膨らませられないままとなっています。
第2楽章は、録音上の制約があったのか、急かされたようなテンポの演奏になっています。中間部では、ミスタッチをものともせずに進み行くコンスタンティノフのピアノに爽快感があります。
第3楽章は、オーケストラもピアノもロー・ギア発進ですが、ピアノが奮闘してクライマックスを作り上げています。オーケストラも鳴りはいいものの、コンスタンティノフの演奏に対しては腰が軽く、コンスタンティノフの奮闘に必ずしも貢献しているわけではないようです。
作品の要求する雄渾さとはまた別の世界を築き上げているという点では、このコンスタンティノフとミュンシュのコンビは面白い演奏ですが、この曲の演奏の成功例とするには、少々心もとない感じがします。
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