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1928年の日本ハナゲ學会第3分科會において瓢箪屋蓑吉氏が発表した「傳説の白ハナゲと黑ハナゲの脱色化の判別に關する文化論的一考察 ―ルウブル美術館をくまなく回ろうとして挫折したフレデリツク勅使河原氏の手記を中心に―」を再読したり、検証したりするBLOGではないことは確かなことです。ええ!確かなことですとも!
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◈Sergei Rachmaninoff: Trio Élégiaque No.2 in D minor, op.9
Pavel Serebryakov (Pf)
Mikhail Vaiman (Vn)
Mstislav Rostropovich (Vc)
(Rec. 1976?)



セルゲイ・ラフマニノフ(Sergei Rachmaninoff, 1873-1943)の悲しみの三重奏曲第2番です。この作品は、ピョートル・イリイチ・チャイコフスキーの訃報を受けて作曲され、その年の12月半ばに脱稿しています。初演は、その翌年の1894年の1月に、作曲者自身のピアノ、ユリウス・コニュスのヴァイオリンとアナトリー・ブランドゥコーフのチェロで行われました。
作品は、チャイコフスキーのピアノ三重奏曲の例にならって「ある偉大な芸術家のために」という副題が添えられました。全部で3つの楽章からなり、曲の冒頭と第三楽章の終結に追悼の鐘としてのピアノの和音を配置しているあたりに、チャイコフスキーへの追悼の意を象徴的に込めています。また、第2楽章は変奏曲形式にし、その主題を、自作の幻想曲《岩》から借用しています。生前、チャイコフスキーは、この幻想曲を気に入っていたとのことで、ラフマニノフとは、その曲を指揮する約束までしていたそうです。チャイコフスキーが特に気に入ったメロディを選ぶことで、ラフマニノフはチャイコフスキーを偲ぶことにしました。
ラフマニノフは、1891年にも、単一楽章によるピアノ三重奏曲を作曲していましたが、この第2番の作曲時に封印し、この第2番のみを出版していました。

本CDは、パヴェル・セレブリャーコフ(Pavel Serebryakov, 1909-1977)のピアノ、ミハイル・ワイマン(Mikhail Vaiman, 1926-1977)のヴァイオリンと、ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ(Mstislav Rostropovich, 1927-2007)のチェロによる演奏が収められています。
セレブリャーコフは、レオニード・ニコライエフに学んだピアニストで、1933年の全ソ連音楽コンクールでピアノ部門の第2位を獲得してピアニストとしての名声を獲得しました。1938年から1951年および1961年から没年まで、レニングラード音楽院の院長を歴任していました。
ワイマンは、ピョートル・ストリャルスキーに学んだ後、レニングラード音楽院でユリアン・エイドリンに学んだヴァイオリニストです。1950年にライプツィヒで行われたバッハ国際ヴァイオリン・コンクールで第二位を獲得し、さらに1951年にブリュッセルで開かれたエリザベート王妃国際音楽コンクールのヴァイオリン部門で、レオニード・コーガンに次いで第二位に入賞しました。コーガン程に華々しい演奏活動こそしませんでしたが、レニングラード音楽院の教授として、セルゲイ・スタドレル等の門下生を育てていました。
ロストロポーヴィチは、旧ソ連出身の世界的なチェロ奏者だった人です。チェリストだった父レオポルトからチェロの手ほどきを受けた後、モスクワ音楽院でセミョーン・コゾルーポフにチェロを学び、1945年の全ソ連音楽コンクールのチェロ部門で優勝しています。さらに1947年のプラハの世界友好祭コンクール、1949年のブダペスト国際青年コンクール、1950年のプラハの春国際コンクールのチェロ部門で悉く優勝して旧ソ連を代表するチェリストの一人として知られるようになりました。1956年にはモスクワ音楽院の教授となりましたが、作家のアレクサンドル・ソルジェニーツィンを擁護したことで、1970年代から政府からにらまれるようになり、1974年に出国ビザを取得したことを受けて家族で出国し、そのままアメリカに亡命しました。本録音は、1976年の録音ということになっていますが、その頃にはロストロポーヴィチは出国しており、ワイマンやセレブリャーコフとの共演は難しかったと思われます。

なにはともあれ、作曲家のラフマニノフが卓越したピアニストだったこともあり、ピアノの比重が高い作品に仕上がっていますが、ヴァイオリンとチェロも、単なる添え物ではなく、ピアノに拮抗出来るだけの存在感があります。ソ連におけるピアノ演奏の一大権威だったセレブリャーコフのピアノは、年齢的な衰えを感じさせない矍鑠とした弾きっぷりを披露しています。ワイマンも、幾分細身ながら、ロストロポーヴィチと組んでセレブリャーコフのピアノに拮抗しています。チャイコフスキーを悼む意味は、この演奏に於いて霞んでしまっていますが、聴きごたえのある仕上がりにはなっています。

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