1928年の日本ハナゲ學会第3分科會において瓢箪屋蓑吉氏が発表した「傳説の白ハナゲと黑ハナゲの脱色化の判別に關する文化論的一考察 ―ルウブル美術館をくまなく回ろうとして挫折したフレデリツク勅使河原氏の手記を中心に―」を再読したり、検証したりするBLOGではないことは確かなことです。ええ!確かなことですとも!
◈Hans Pfitzner: Piano Concerto in E flat major, op.31
Walter Gieseking (Pf)
Hamburg Philharmonic Orchestra / Albert Bittner
(Rec. 6 December 1943)
◈Edvard Grieg: Piano Concerto in A minor, op.16Walter Gieseking (Pf)
Berlin Philharmonic Orchestra / Robert Heger
(Rec. September 1944)
第二次世界大戦中のヴァルター・ギーゼキング(Walter Gieseking, 1895-1956)が、地元ドイツで残した放送録音から、ハンス・プフィッツナー(Hans Pfitzner, 1869-1949)とエドヴァルド・グリーグ(Edvard Grieg, 1843-1907)のピアノ協奏曲をカップリングしたアルバム。
プフィッツナーのピアノ協奏曲は、1922年の作。1923年の3月16日にドレスデンでフリッツ・ブッシュの指揮で行われた初演でピアノを弾いたのは、本CDで演奏しているギーゼキングです。いわば、この曲はギーゼキングの専売特許ともいえる作品でした。
ヨハネス・ブラームスを彷彿とさせる4楽章構成の作品で、ピアニストにとって、ブラームスのそれと肩を並べるほどの厄介さがあり、特に第2楽章は和音連打の敏捷性がピアニストに要求されます。ピアニストに超絶技巧を要求する割に演奏効果が渋いという点でも、ブラームスとの類似性を指摘できると思いますが、ブラームスほどにダンディズムを見せる色気がなく、ブラームス以上に内省的な作品に仕上がっています。
本録音は、アルベルト・ビットナー(Albert Bittner, 1900-1980)の指揮するハンブルク・フィルハーモニー管弦楽団との共演です。ビットナーは、クロール・オーパーで、オットー・クレンペラーの助手としてキャリアを始めたドイツの指揮者です。グラーツ、オルデンブルグやエッセンなどの歌劇場の指揮者を務めて名を上げ、本録音時には、ハンブルク国立歌劇場の楽長に就いていました。ハンブルク・フィルハーモニー管弦楽団は、ハンブルク国立歌劇場のオーケストラがオペラ等舞台音楽のレパートリー以外を演奏する時に使う名義で、2005年まで、正式にはハンブルク国立フィルハーモニー管弦楽団(Philharmonisches Staatsorchester Hamburg)を名乗っていました。
演奏は、聴衆と思しき咳の音やざわつきがわずかに入っていて、第3楽章のような静謐な音楽では、特にそれが目立ちます。おそらくライヴの一発録りではないかと思われますが、曲の終了後の拍手もなく、本CDのインフォメーションにもライヴ録音だとは明記されていません。
ピアノ独奏が初演者であるギーゼキングの演奏ということで、自家薬籠中の演奏の筈ですが、ミスタッチも散見され、必ずしもギーゼキングとしては万全と言い難いようです。しかし、ビットナーの指揮するハンブルクのオーケストラは、怪しげなアンサンブルながら、プフィッツナーの渋さに深く共感した気合たっぷりの伴奏をつけています。
グリーグのピアノ協奏曲は、1868年に作曲された作品です。この曲を作曲する10年前にはライプツィヒで、クララ・シューマンの弾くロベルト・シューマンのピアノ協奏曲を聴き、シューマンのようなピアノ協奏曲を書くことを夢見るようになりましたが、この作品で、その夢はかなえられたことになります。初演は、完成した年の4月3日にデンマークのコペンハーゲンで、ノルウェー人ピアニストのエドムント・ノイペルトと、デンマーク人指揮者のホルガー・シモン・パウリの指揮するデンマーク王立管弦楽団の手で初演されましたが、初演時、グリーグはクリスチャニア(現:オスロ)でコンサートを開くことになっており、初演に立ち会うことは出来なかったそうです。初演後も、グリーグは何度となく作品を改訂し、決定稿が出来上がったのは、彼が亡くなる数週間前でした。
本CDに収録されている音源は、かつて、ヴィルヘルム・フルトヴェングラーの指揮するベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の伴奏による録音だとされてきました。これは、ナチス・ドイツ時代の放送用音源を接収したソ連が、メロディア・レーベルを通じて販売した時に広めた情報です。しかし、1944年の9月当時、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団はハンス・クナッパーツブッシュとロベルト・ヘーガー(Robert Heger, 1886-1978)を伴ってバーデン=バーデンに演奏旅行に出かけ、近隣の町でコンサートを開きながら録音活動をしていたことが、後の調査で明らかになっているとのこと。また、伴奏のスタイルが、フルトヴェングラーやクナッパーツブッシュの指揮にしては穏当すぎるということで、伴奏指揮は、当時客演指揮者としてベルリン・フィルハーモニー管弦楽団に帯同していたヘーガーが行っていたというのが、ほぼ確実視されています。
ヘーガーは、ドイツ領シュトラスブルグの生まれで、地元の音楽院でフランツ・シュトックハウゼンに師事し、さらにチューリヒで作曲家のローター・ケンプターの薫陶を受け、ミュンヘンのマックス・フォン・シリングスの下で修業を終えた人です。シリングスの門下という点では、フルトヴェングラーと同門だといえます。1908年にウルムの歌劇場の指揮者になったのを皮切りに、バルメンやウィーン・フォルクスオーパーなどの歌劇場の指揮者陣に加わるようになり、1920年代にハンス・クナッパーツブッシュが音楽監督を務めるミュンヘンのバイエルン国立歌劇場の首席指揮者に抜擢されてから、指揮者としての名声を確実なものにしました。オペラを得意とした人だけあって、ソリストに拮抗するのではなく、ソリストに添うようなスタイルで演奏しています。第1楽章の序盤こそ、快速調で飛ばすギーゼキングのピアノに振り落とされそうになっていますが、次第に持ち直し、メリハリの効いたオーケストラ・コントロールで、ツボを押さえた演奏を展開しています。過剰なデフォルメがない分、この曲の流麗さと劇性を素直に味わえる演奏と言えるでしょう。
なお、本CDは背表紙に、ギーゼキングの名前のスペル・ミスがあり、本記事のタイトルは、そのミス・スペルのままを書き込んでみました。
プフィッツナーのピアノ協奏曲は、1922年の作。1923年の3月16日にドレスデンでフリッツ・ブッシュの指揮で行われた初演でピアノを弾いたのは、本CDで演奏しているギーゼキングです。いわば、この曲はギーゼキングの専売特許ともいえる作品でした。
ヨハネス・ブラームスを彷彿とさせる4楽章構成の作品で、ピアニストにとって、ブラームスのそれと肩を並べるほどの厄介さがあり、特に第2楽章は和音連打の敏捷性がピアニストに要求されます。ピアニストに超絶技巧を要求する割に演奏効果が渋いという点でも、ブラームスとの類似性を指摘できると思いますが、ブラームスほどにダンディズムを見せる色気がなく、ブラームス以上に内省的な作品に仕上がっています。
本録音は、アルベルト・ビットナー(Albert Bittner, 1900-1980)の指揮するハンブルク・フィルハーモニー管弦楽団との共演です。ビットナーは、クロール・オーパーで、オットー・クレンペラーの助手としてキャリアを始めたドイツの指揮者です。グラーツ、オルデンブルグやエッセンなどの歌劇場の指揮者を務めて名を上げ、本録音時には、ハンブルク国立歌劇場の楽長に就いていました。ハンブルク・フィルハーモニー管弦楽団は、ハンブルク国立歌劇場のオーケストラがオペラ等舞台音楽のレパートリー以外を演奏する時に使う名義で、2005年まで、正式にはハンブルク国立フィルハーモニー管弦楽団(Philharmonisches Staatsorchester Hamburg)を名乗っていました。
演奏は、聴衆と思しき咳の音やざわつきがわずかに入っていて、第3楽章のような静謐な音楽では、特にそれが目立ちます。おそらくライヴの一発録りではないかと思われますが、曲の終了後の拍手もなく、本CDのインフォメーションにもライヴ録音だとは明記されていません。
ピアノ独奏が初演者であるギーゼキングの演奏ということで、自家薬籠中の演奏の筈ですが、ミスタッチも散見され、必ずしもギーゼキングとしては万全と言い難いようです。しかし、ビットナーの指揮するハンブルクのオーケストラは、怪しげなアンサンブルながら、プフィッツナーの渋さに深く共感した気合たっぷりの伴奏をつけています。
グリーグのピアノ協奏曲は、1868年に作曲された作品です。この曲を作曲する10年前にはライプツィヒで、クララ・シューマンの弾くロベルト・シューマンのピアノ協奏曲を聴き、シューマンのようなピアノ協奏曲を書くことを夢見るようになりましたが、この作品で、その夢はかなえられたことになります。初演は、完成した年の4月3日にデンマークのコペンハーゲンで、ノルウェー人ピアニストのエドムント・ノイペルトと、デンマーク人指揮者のホルガー・シモン・パウリの指揮するデンマーク王立管弦楽団の手で初演されましたが、初演時、グリーグはクリスチャニア(現:オスロ)でコンサートを開くことになっており、初演に立ち会うことは出来なかったそうです。初演後も、グリーグは何度となく作品を改訂し、決定稿が出来上がったのは、彼が亡くなる数週間前でした。
本CDに収録されている音源は、かつて、ヴィルヘルム・フルトヴェングラーの指揮するベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の伴奏による録音だとされてきました。これは、ナチス・ドイツ時代の放送用音源を接収したソ連が、メロディア・レーベルを通じて販売した時に広めた情報です。しかし、1944年の9月当時、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団はハンス・クナッパーツブッシュとロベルト・ヘーガー(Robert Heger, 1886-1978)を伴ってバーデン=バーデンに演奏旅行に出かけ、近隣の町でコンサートを開きながら録音活動をしていたことが、後の調査で明らかになっているとのこと。また、伴奏のスタイルが、フルトヴェングラーやクナッパーツブッシュの指揮にしては穏当すぎるということで、伴奏指揮は、当時客演指揮者としてベルリン・フィルハーモニー管弦楽団に帯同していたヘーガーが行っていたというのが、ほぼ確実視されています。
ヘーガーは、ドイツ領シュトラスブルグの生まれで、地元の音楽院でフランツ・シュトックハウゼンに師事し、さらにチューリヒで作曲家のローター・ケンプターの薫陶を受け、ミュンヘンのマックス・フォン・シリングスの下で修業を終えた人です。シリングスの門下という点では、フルトヴェングラーと同門だといえます。1908年にウルムの歌劇場の指揮者になったのを皮切りに、バルメンやウィーン・フォルクスオーパーなどの歌劇場の指揮者陣に加わるようになり、1920年代にハンス・クナッパーツブッシュが音楽監督を務めるミュンヘンのバイエルン国立歌劇場の首席指揮者に抜擢されてから、指揮者としての名声を確実なものにしました。オペラを得意とした人だけあって、ソリストに拮抗するのではなく、ソリストに添うようなスタイルで演奏しています。第1楽章の序盤こそ、快速調で飛ばすギーゼキングのピアノに振り落とされそうになっていますが、次第に持ち直し、メリハリの効いたオーケストラ・コントロールで、ツボを押さえた演奏を展開しています。過剰なデフォルメがない分、この曲の流麗さと劇性を素直に味わえる演奏と言えるでしょう。
なお、本CDは背表紙に、ギーゼキングの名前のスペル・ミスがあり、本記事のタイトルは、そのミス・スペルのままを書き込んでみました。
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