1928年の日本ハナゲ學会第3分科會において瓢箪屋蓑吉氏が発表した「傳説の白ハナゲと黑ハナゲの脱色化の判別に關する文化論的一考察 ―ルウブル美術館をくまなく回ろうとして挫折したフレデリツク勅使河原氏の手記を中心に―」を再読したり、検証したりするBLOGではないことは確かなことです。ええ!確かなことですとも!
◈Maurice Ravel: Concerto for piano and Orchestra
◈Maurice Ravel: Concerto for the left hand for piano and orchestra in D major
Monique Haas (Pf)
Orchestre National de la RTF / Paul Paray
(Rec. April 1965, Maison de la Radio, Paris)
◈Maurice Ravel: Sonatine◈Maurice Ravel: Valses nobles et sentimentales
Monique Haas (Pf)
(Rec. November 1956, Beethovensaal, Hanover)
フランス人ピアニストのモニク・アース(Monique Haas, 1909-1987)を迎えて、フランスの作曲家、モーリス・ラヴェル(Maurice Ravel, 1875-1937)のピアノ協奏曲二題、ソナチネと《高雅にして感傷的なワルツ》を収録したアルバム。2曲のピアノ協奏曲の伴奏は、ポール・パレー(Paul Paray, 1886-1979)の指揮する、フランス国立放送管弦楽団です。
アースは、ラザール・レヴィ門下のピアニストで、ロベール・カサドシュやルドルフ・ゼルキン等の教えも受けています。
パレーは作曲家としても活動していたフランスの指揮者です。カジノ・デ・コートレーのオーケストラの指揮者の仕事を皮切りに、コンセール・ラムルーやモンテ・カルロ国立歌劇場、コンセール・コロンヌの指揮者を務めてキャリアを伸ばし、第二次世界停戦後にイスラエル・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督を経てアメリカのデトロイト交響楽団の首席指揮者になり、デトロイト交響楽団の黄金時代を築きました。本録音は、パレーにとって、デトロイト交響楽団の任期を全うし、悠々自適のフリーランス指揮者として活動していた時期の録音に当たります。
ラヴェルは、通常通りの両手用のピアノ協奏曲と、左手用のピアノ協奏曲を作曲していますが、これらの作品は、ほぼ同時期に作曲されたものでした。
両手のピアノ協奏曲は、1929年に着手され、1931年に完成した作品です。この作品は、アメリカ旅行の手土産として、自分で演奏するために作曲されましたが、完成時にラヴェル自身の体調が崩れ、アメリカ旅行と自身のピアノ演奏での初演を断念し、マルグリット・ロンに初演の独奏を依頼することになりました。結果、1932年の1月14日にパリのサル・プレイエルに於いてラヴェル自身のタクトとロンの独奏で初演されています。ラヴェルは、ロンと一緒に、ヨーロッパ各地を回ってこの作品を演奏し、ヨーロッパ中の人々に、この作品を名作として認知させるのに成功しました。
作品は伝統的な急-緩-急の3楽章形式で書かれており、第1楽章の冒頭と、第3楽章の前半で鞭(といっても、実際は二枚の板を打ち合わせて「鞭」の音を出します)を使うのが名所として知られています。また第2楽章も、甘美なメロディでまったりとした雰囲気を漂わせながら、4分の3拍子と8分の6拍子を混在させるカラクリを施しています。
左手用のピアノ協奏曲は、両手用のピアノ協奏曲にとりかかった年の冬に依頼を受けた作品です。依頼主は、オーストリアの隻腕ピアニストであるパウル・ウィトゲンシュタインです。ウィトゲンシュタインは、テオドール・レシェティツキ門下のピアニストでしたが、第一次世界大戦への従軍で右腕を失い、左手のみで演奏活動を展開した人でした。実業家だった父カールの遺産を相続したウィトゲンシュタインは、そのお金を駆使して、ヨーロッパ中の作曲家たちに左手用のピアノ作品の作曲を依頼し、その中にラヴェルも含まれていました。
依頼を受けたラヴェルは、カール・ツェルニー、カミーユ・サン=サーンス、アレクサンドル・スクリャービン、シャルル=ヴァランタン・アルカンといった作曲家たちの左手のための作品をつぶさに研究し、高度な技術を発揮できるような独奏パートを作って作品を完成させました。1932年1月5日にウィーンのムジークフェラインザールでウィトゲンシュタインのピアノとロベルト・ヘーガーの指揮するウィーン交響楽団によって初演されましたが、独奏パートがウィトゲンシュタインの手に余り、ウィトゲンシュタインが独自に改造してしまったため、ラヴェルと口論になってしまったという経緯があります。ラヴェルは、フランスでこの曲を初上演する際には、ウィトゲンシュタインを起用せず、ロン門下のジャック・フェヴリエに独奏を任せ、楽譜通りの演奏を行いました。
作品は、単一楽章で、両手用のピアノ協奏曲よりも自由な筆致を示しています。超絶技巧が開陳できるように、カデンツァ的な箇所をそこかしこに仕掛けている辺り、依頼者への配慮も感じられます。大太鼓や小太鼓、鞭やウッドブロックといったパーカッションも充実させており、左手のみのハンディキャップを感じさせないような、華麗な作品に仕上げているあたり、オーケストレーションの大家としてのラヴェルの面目躍如といえるでしょう。
ソナチネは、ラヴェルの出世作となった作品です。イギリスとフランスの会社が合同で出版した芸術専門誌「ウィークリー・クリティーク・マガジン」の開催した作曲コンクールに応募するために1903年に手掛けられました。この作品は、この音楽コンクール唯一の入選作になりましたが、ほどなく、この雑誌が廃刊になってしまったため、出版の目処がつかなくなり、1905年に、ようやくデュラン社から出版されるようになりました。作品は、その表題のとおり、コンパクトな3楽章形式にまとめられ、古風な様式の中に洗練された和声を盛り込んだ逸品に仕上がっています。
《高雅にして感傷的なワルツ》は、1911年に作られました。この作品を作る二年前に、ラヴェルは、恩師のガブリエル・フォーレや、同僚のシャルル・ケクラン、フローラン・シュミットといった人たちと、独立音楽協会を立ち上げて気を吐いていました。その音楽協会のコンサートの出し物として作曲されたのが、このワルツです。オーストリアのフランツ・シューベルトへのオマージュとして作られたこの作品は、作曲者の名前を伏せる形で、1911年5月9日にパリのサル・ガヴォーで初演されました。ラヴェルの作品だと知らないラヴェル作品の愛好家の中には、この作品を気に入らないと公言する人もいましたが、ラヴェルの作品だということが分かると、態度を変えて褒め出したそうです。
ラヴェルは、1914年にバレエ用にオーケストレーションを施し、管弦楽曲として売り出しましたが、ピアノ版も、多くのピアニストに支持され、リサイタルのレパートリーに組み込まれています。
作品は7つの様々なワルツと、その回想的な終曲に分けられ、ジャズの要素を混入させた、当時としてはモダンな作品に仕上がっています。
閑話休題、本CDの演奏について、協奏曲の演奏は、伴奏のパレーの芸風が色濃く影響しています。デトロイト交響楽団を短期間で立て直して黄金時代を築いた人だけあって、とにかく精悍です。両手用のピアノ協奏曲であれ、左手用のピアノ協奏曲であれ、戯れるような雰囲気を一切排して、まるで分厚い岩盤を殴りつけるような剛直なサウンドを構築します。管楽器群のソリスティックな絡みも、カッチリとした拍の刻みから逸脱せず、楽譜に書かれた通りに演奏しているという割り切りっぷりが清々しいです。
パレーの資質がより発揮されているのは、左手用のピアノ協奏曲で、オーケストラの高揚の容赦ないオーケストラの鳴りっぷりは言うに及ばず、行進曲風のシーンなど、まるで軍靴の音が聞こえてくるようなリアリティがあります。
協奏曲におけるアースの独奏は、パレーの芸風の緩和剤ではなく、強壮剤として作用しています。ピアノの音の煌びやかさを強調して聴き手を幻惑の世界に誘うわけでもなく、オーケストラからわざと歩調をずらして自己主張をするわけでもなく、ひたすらテキパキと楽譜に書かれた音を書かれた通りに実音化しているような演奏なのですが、それがパレーの豪快なサウンドとしっかり重なり合うことによって、過不足のない音楽になっています。必要最小限の表情付けで、どのようなパッセージも何程の事もなく弾き切ってしまうアースの技術的安定感は、それだけで十分価値のあるものです。パレーもアースも、お互いに型崩れしない芸風でがっぷり四つに組むことで、強靭な音楽を作り上げることに成功しています。
ソナチネの演奏は、作品の擬古典的な佇まいに、アースが巧く合わせており、慎ましやかな芳しさを醸し出しています。特に、第2楽章は、硬質なピアノの響きが、程よい清潔感を生み出しています。
《高雅にして感傷的なワルツ》に関しては、アースが思い切りよくピアノを鳴らしており、作品のダイナミックな質感をうまく引き出しています。
これら2曲はモノラル録音になりますが、モノラル録音であることが却って、演奏に仄かな温かみを持たせています。
アースは、ラザール・レヴィ門下のピアニストで、ロベール・カサドシュやルドルフ・ゼルキン等の教えも受けています。
パレーは作曲家としても活動していたフランスの指揮者です。カジノ・デ・コートレーのオーケストラの指揮者の仕事を皮切りに、コンセール・ラムルーやモンテ・カルロ国立歌劇場、コンセール・コロンヌの指揮者を務めてキャリアを伸ばし、第二次世界停戦後にイスラエル・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督を経てアメリカのデトロイト交響楽団の首席指揮者になり、デトロイト交響楽団の黄金時代を築きました。本録音は、パレーにとって、デトロイト交響楽団の任期を全うし、悠々自適のフリーランス指揮者として活動していた時期の録音に当たります。
ラヴェルは、通常通りの両手用のピアノ協奏曲と、左手用のピアノ協奏曲を作曲していますが、これらの作品は、ほぼ同時期に作曲されたものでした。
両手のピアノ協奏曲は、1929年に着手され、1931年に完成した作品です。この作品は、アメリカ旅行の手土産として、自分で演奏するために作曲されましたが、完成時にラヴェル自身の体調が崩れ、アメリカ旅行と自身のピアノ演奏での初演を断念し、マルグリット・ロンに初演の独奏を依頼することになりました。結果、1932年の1月14日にパリのサル・プレイエルに於いてラヴェル自身のタクトとロンの独奏で初演されています。ラヴェルは、ロンと一緒に、ヨーロッパ各地を回ってこの作品を演奏し、ヨーロッパ中の人々に、この作品を名作として認知させるのに成功しました。
作品は伝統的な急-緩-急の3楽章形式で書かれており、第1楽章の冒頭と、第3楽章の前半で鞭(といっても、実際は二枚の板を打ち合わせて「鞭」の音を出します)を使うのが名所として知られています。また第2楽章も、甘美なメロディでまったりとした雰囲気を漂わせながら、4分の3拍子と8分の6拍子を混在させるカラクリを施しています。
左手用のピアノ協奏曲は、両手用のピアノ協奏曲にとりかかった年の冬に依頼を受けた作品です。依頼主は、オーストリアの隻腕ピアニストであるパウル・ウィトゲンシュタインです。ウィトゲンシュタインは、テオドール・レシェティツキ門下のピアニストでしたが、第一次世界大戦への従軍で右腕を失い、左手のみで演奏活動を展開した人でした。実業家だった父カールの遺産を相続したウィトゲンシュタインは、そのお金を駆使して、ヨーロッパ中の作曲家たちに左手用のピアノ作品の作曲を依頼し、その中にラヴェルも含まれていました。
依頼を受けたラヴェルは、カール・ツェルニー、カミーユ・サン=サーンス、アレクサンドル・スクリャービン、シャルル=ヴァランタン・アルカンといった作曲家たちの左手のための作品をつぶさに研究し、高度な技術を発揮できるような独奏パートを作って作品を完成させました。1932年1月5日にウィーンのムジークフェラインザールでウィトゲンシュタインのピアノとロベルト・ヘーガーの指揮するウィーン交響楽団によって初演されましたが、独奏パートがウィトゲンシュタインの手に余り、ウィトゲンシュタインが独自に改造してしまったため、ラヴェルと口論になってしまったという経緯があります。ラヴェルは、フランスでこの曲を初上演する際には、ウィトゲンシュタインを起用せず、ロン門下のジャック・フェヴリエに独奏を任せ、楽譜通りの演奏を行いました。
作品は、単一楽章で、両手用のピアノ協奏曲よりも自由な筆致を示しています。超絶技巧が開陳できるように、カデンツァ的な箇所をそこかしこに仕掛けている辺り、依頼者への配慮も感じられます。大太鼓や小太鼓、鞭やウッドブロックといったパーカッションも充実させており、左手のみのハンディキャップを感じさせないような、華麗な作品に仕上げているあたり、オーケストレーションの大家としてのラヴェルの面目躍如といえるでしょう。
ソナチネは、ラヴェルの出世作となった作品です。イギリスとフランスの会社が合同で出版した芸術専門誌「ウィークリー・クリティーク・マガジン」の開催した作曲コンクールに応募するために1903年に手掛けられました。この作品は、この音楽コンクール唯一の入選作になりましたが、ほどなく、この雑誌が廃刊になってしまったため、出版の目処がつかなくなり、1905年に、ようやくデュラン社から出版されるようになりました。作品は、その表題のとおり、コンパクトな3楽章形式にまとめられ、古風な様式の中に洗練された和声を盛り込んだ逸品に仕上がっています。
《高雅にして感傷的なワルツ》は、1911年に作られました。この作品を作る二年前に、ラヴェルは、恩師のガブリエル・フォーレや、同僚のシャルル・ケクラン、フローラン・シュミットといった人たちと、独立音楽協会を立ち上げて気を吐いていました。その音楽協会のコンサートの出し物として作曲されたのが、このワルツです。オーストリアのフランツ・シューベルトへのオマージュとして作られたこの作品は、作曲者の名前を伏せる形で、1911年5月9日にパリのサル・ガヴォーで初演されました。ラヴェルの作品だと知らないラヴェル作品の愛好家の中には、この作品を気に入らないと公言する人もいましたが、ラヴェルの作品だということが分かると、態度を変えて褒め出したそうです。
ラヴェルは、1914年にバレエ用にオーケストレーションを施し、管弦楽曲として売り出しましたが、ピアノ版も、多くのピアニストに支持され、リサイタルのレパートリーに組み込まれています。
作品は7つの様々なワルツと、その回想的な終曲に分けられ、ジャズの要素を混入させた、当時としてはモダンな作品に仕上がっています。
閑話休題、本CDの演奏について、協奏曲の演奏は、伴奏のパレーの芸風が色濃く影響しています。デトロイト交響楽団を短期間で立て直して黄金時代を築いた人だけあって、とにかく精悍です。両手用のピアノ協奏曲であれ、左手用のピアノ協奏曲であれ、戯れるような雰囲気を一切排して、まるで分厚い岩盤を殴りつけるような剛直なサウンドを構築します。管楽器群のソリスティックな絡みも、カッチリとした拍の刻みから逸脱せず、楽譜に書かれた通りに演奏しているという割り切りっぷりが清々しいです。
パレーの資質がより発揮されているのは、左手用のピアノ協奏曲で、オーケストラの高揚の容赦ないオーケストラの鳴りっぷりは言うに及ばず、行進曲風のシーンなど、まるで軍靴の音が聞こえてくるようなリアリティがあります。
協奏曲におけるアースの独奏は、パレーの芸風の緩和剤ではなく、強壮剤として作用しています。ピアノの音の煌びやかさを強調して聴き手を幻惑の世界に誘うわけでもなく、オーケストラからわざと歩調をずらして自己主張をするわけでもなく、ひたすらテキパキと楽譜に書かれた音を書かれた通りに実音化しているような演奏なのですが、それがパレーの豪快なサウンドとしっかり重なり合うことによって、過不足のない音楽になっています。必要最小限の表情付けで、どのようなパッセージも何程の事もなく弾き切ってしまうアースの技術的安定感は、それだけで十分価値のあるものです。パレーもアースも、お互いに型崩れしない芸風でがっぷり四つに組むことで、強靭な音楽を作り上げることに成功しています。
ソナチネの演奏は、作品の擬古典的な佇まいに、アースが巧く合わせており、慎ましやかな芳しさを醸し出しています。特に、第2楽章は、硬質なピアノの響きが、程よい清潔感を生み出しています。
《高雅にして感傷的なワルツ》に関しては、アースが思い切りよくピアノを鳴らしており、作品のダイナミックな質感をうまく引き出しています。
これら2曲はモノラル録音になりますが、モノラル録音であることが却って、演奏に仄かな温かみを持たせています。
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