1928年の日本ハナゲ學会第3分科會において瓢箪屋蓑吉氏が発表した「傳説の白ハナゲと黑ハナゲの脱色化の判別に關する文化論的一考察 ―ルウブル美術館をくまなく回ろうとして挫折したフレデリツク勅使河原氏の手記を中心に―」を再読したり、検証したりするBLOGではないことは確かなことです。ええ!確かなことですとも!
◈Feruccio Busoni: Lustspiel-Ouvertüre, op.38
◈Feruccio Busoni: Tanzwalzer, op.53
◈Feruccio Busoni: Rondo Arlecchinesco, op.46
◈Feruccio Busoni: Nocturne Symphonique, op.43
◈Feruccio Busoni: Berceuse élégiaque op.42
◈Feruccio Busoni: Gesang vom Reigen der Geister, op.47
NDR-Sinfonieorchester / Werner Andreas Albert
(Rec. June 1992)
フェルッチョ・ブゾーニ(Feruccio Busoni, 1866-1924)は、イタリア人とドイツ人の混血の作曲家で、ドイツを中心に活躍しました。音楽理論家としても、アルノルト・シェーンベルクよりいち早く調性音楽の終焉を予告したり、電子音楽の可能性を論じたりした進取の人でもありました。ただし、作曲家としての彼は、シェーンベルクのように無調音楽を徹底して煎じつめていたわけではありません。
このCDは、そんなブゾーニの管弦楽曲を集めています。
演目は以下の通り。
▤ 喜劇序曲 op.38
▤ ワルツ舞曲 op.53
▤ アルレッキーノのロンド op.46
▤ 交響的夜想曲 op.43
▤ 悲歌的子守歌 op.42
▤ 踊る精霊の歌 op.47
喜劇序曲(1897年作、1904年改訂)は、18世紀のオペラ・ブッファの精神を溶かしこんだ作品で、何か劇作品の序曲として書いたものではありません。フェリックス・メンデルスゾーンを思わせる軽妙さも備わっており、過去の作曲家たちへのブゾーニ流のオマージュなのかもしれません。
ワルツ舞曲(1920年作)は、ウィンナ・ワルツへのオマージュとなる作品です。エイプリル・フールに生まれたブゾーニは、自分に喜劇的な性質が備わっていると信じていて、ヨハン・シュトラウス2世やヨーゼフ・ランナーといったウィンナ・ワルツの作曲者の様式を取り入れながら、諧謔的な作風を示すことで、自らの性質を証明しようと試みたのかもしれません。
アルレッキーノのロンド(1915年作)は、オペラ《アルレッキーノ》の制作のための試作品として作られたものです。アルレッキーノとは、イタリア起源の即興コメディでペテン師の役割を担う人を指し、フランスではアルルカンと言い、英語圏ではハーレクインといいます。つかみどころのないメロディは、無調音楽への接近でもあり、曲の終盤では、舞台裏でテノール歌手がラララと歌います。
交響的夜想曲(1912年作)も、調性音楽にこだわらない作風を企図した作品です。夜想曲は、ラテン語の「夜」(nox)を語源とし、夜の静けさを抒情的にゆったりと表現することを期しますが、ブゾーニの作品は、夜の闇にまぎれて生きる暗黒生命体の蠢きのようなものを感じさせます。
悲歌的子守歌(1909年作)は、ブゾーニの母の死を受けて作曲された作品です。かのシェーンベルクは、この作品を大層気に入り、室内楽でも演奏できるように編曲を施し、作品の紹介に努めました。また、晩年のグスタフ・マーラーもこの作品に注目し、ニューヨークに演奏旅行に出かけた時には、この作品を演奏しています。なるほど確かに、マーラーの交響曲第5番のアダージェットに通じる美しさを見出すことが出来るでしょう。
踊る精霊の歌(1915年作)は、アルレッキーノのロンドと同じ頃に書かれた作品。ブゾーニは、リヒャルト・ヴァーグナーの頃から始まり、フランツ・リストも模索していた調性音楽や形式美からの脱却を図るような美学と、18世紀の形式美を融合させ、新しい美学を打ち立てようと腐心していました。そこで、アメリカン・インディアンの音楽に触れて、インディアンの音楽にも興味を持つようになり、1913年にはピアノとオーケストラのためのインディアン幻想曲を作っています。この作品でも、インディアンの音楽を下敷きにしながら、無調音楽の一歩手前にまで、調性を曖昧にさせた音楽を書いています。実体をもたない精霊ということで、作品は終始緩やかで、もやもやとした響きに包まれています。
本CDの演奏は、(Werner Andreas Albert, 1935-)の指揮するハンブルクの北ドイツ放送交響楽団が行っています。アルベルトは、ヘルベルト・フォン・カラヤンとハンス・ロスバウトの薫陶を受けた指揮者で、1961年にハイデルベルク室内管弦楽団を指揮してデビューを飾り、北西ドイツ・フィルハーモニー管弦楽団やリスボン・グルベンキアン管弦楽団、ニュルンベルク交響楽団やオーストラリアのクィーンズランド交響楽団の首席指揮者を歴任しました。一方で、バイエルンのユース・オーケストラの指導者を務めたり、、ニュルンベルクのマイスタージンガー音楽院の教授として後進の指導にも熱心に取り組んだりしており、ドイツでは名教師として誉れの高い人です。
北ドイツ放送交響楽団の落ち着いた音色は、特に交響的夜想曲以下の3曲で魅力的に響きます。主和音へと回帰するような和声的方向性を曖昧にし、終始緩やかなテンポで進められる音楽は、ともすると、何が何だかわからないものになりがちですが、このオーケストラの重厚な音色が、意味の深い黙想の時間を形作ってくれます。特に、悲歌的子守歌の演奏は、マーラーの交響曲第5番のアダージェットを思わせるような恍惚感を引き出しています。
喜劇序曲と舞踏ワルツに関しては、特に喜劇序曲では歯切れの良い演奏で好感が持てますが、舞踏ワルツのほうは、生真面目すぎ、作品の諧謔性がかなり抑えられた演奏になっています。
アルレッキーノのロンドについては、交響的夜想曲に通じる和声的なあいまいさと諧謔性がないまぜになった曲ですが、オーケストラの機動力のおかげで、さほど深刻になり過ぎない程度に、作品の渋さをうまく掬い上げています。
最後に少し出てくるテノール独唱(本CDでは名前を表記されず)は、さほど美声ではないものの、それが逆に、この曲の和声的な曖昧さの醸し出す雰囲気に合っており、そこが面白いところです。
このCDは、そんなブゾーニの管弦楽曲を集めています。
演目は以下の通り。
▤ 喜劇序曲 op.38
▤ ワルツ舞曲 op.53
▤ アルレッキーノのロンド op.46
▤ 交響的夜想曲 op.43
▤ 悲歌的子守歌 op.42
▤ 踊る精霊の歌 op.47
喜劇序曲(1897年作、1904年改訂)は、18世紀のオペラ・ブッファの精神を溶かしこんだ作品で、何か劇作品の序曲として書いたものではありません。フェリックス・メンデルスゾーンを思わせる軽妙さも備わっており、過去の作曲家たちへのブゾーニ流のオマージュなのかもしれません。
ワルツ舞曲(1920年作)は、ウィンナ・ワルツへのオマージュとなる作品です。エイプリル・フールに生まれたブゾーニは、自分に喜劇的な性質が備わっていると信じていて、ヨハン・シュトラウス2世やヨーゼフ・ランナーといったウィンナ・ワルツの作曲者の様式を取り入れながら、諧謔的な作風を示すことで、自らの性質を証明しようと試みたのかもしれません。
アルレッキーノのロンド(1915年作)は、オペラ《アルレッキーノ》の制作のための試作品として作られたものです。アルレッキーノとは、イタリア起源の即興コメディでペテン師の役割を担う人を指し、フランスではアルルカンと言い、英語圏ではハーレクインといいます。つかみどころのないメロディは、無調音楽への接近でもあり、曲の終盤では、舞台裏でテノール歌手がラララと歌います。
交響的夜想曲(1912年作)も、調性音楽にこだわらない作風を企図した作品です。夜想曲は、ラテン語の「夜」(nox)を語源とし、夜の静けさを抒情的にゆったりと表現することを期しますが、ブゾーニの作品は、夜の闇にまぎれて生きる暗黒生命体の蠢きのようなものを感じさせます。
悲歌的子守歌(1909年作)は、ブゾーニの母の死を受けて作曲された作品です。かのシェーンベルクは、この作品を大層気に入り、室内楽でも演奏できるように編曲を施し、作品の紹介に努めました。また、晩年のグスタフ・マーラーもこの作品に注目し、ニューヨークに演奏旅行に出かけた時には、この作品を演奏しています。なるほど確かに、マーラーの交響曲第5番のアダージェットに通じる美しさを見出すことが出来るでしょう。
踊る精霊の歌(1915年作)は、アルレッキーノのロンドと同じ頃に書かれた作品。ブゾーニは、リヒャルト・ヴァーグナーの頃から始まり、フランツ・リストも模索していた調性音楽や形式美からの脱却を図るような美学と、18世紀の形式美を融合させ、新しい美学を打ち立てようと腐心していました。そこで、アメリカン・インディアンの音楽に触れて、インディアンの音楽にも興味を持つようになり、1913年にはピアノとオーケストラのためのインディアン幻想曲を作っています。この作品でも、インディアンの音楽を下敷きにしながら、無調音楽の一歩手前にまで、調性を曖昧にさせた音楽を書いています。実体をもたない精霊ということで、作品は終始緩やかで、もやもやとした響きに包まれています。
本CDの演奏は、(Werner Andreas Albert, 1935-)の指揮するハンブルクの北ドイツ放送交響楽団が行っています。アルベルトは、ヘルベルト・フォン・カラヤンとハンス・ロスバウトの薫陶を受けた指揮者で、1961年にハイデルベルク室内管弦楽団を指揮してデビューを飾り、北西ドイツ・フィルハーモニー管弦楽団やリスボン・グルベンキアン管弦楽団、ニュルンベルク交響楽団やオーストラリアのクィーンズランド交響楽団の首席指揮者を歴任しました。一方で、バイエルンのユース・オーケストラの指導者を務めたり、、ニュルンベルクのマイスタージンガー音楽院の教授として後進の指導にも熱心に取り組んだりしており、ドイツでは名教師として誉れの高い人です。
北ドイツ放送交響楽団の落ち着いた音色は、特に交響的夜想曲以下の3曲で魅力的に響きます。主和音へと回帰するような和声的方向性を曖昧にし、終始緩やかなテンポで進められる音楽は、ともすると、何が何だかわからないものになりがちですが、このオーケストラの重厚な音色が、意味の深い黙想の時間を形作ってくれます。特に、悲歌的子守歌の演奏は、マーラーの交響曲第5番のアダージェットを思わせるような恍惚感を引き出しています。
喜劇序曲と舞踏ワルツに関しては、特に喜劇序曲では歯切れの良い演奏で好感が持てますが、舞踏ワルツのほうは、生真面目すぎ、作品の諧謔性がかなり抑えられた演奏になっています。
アルレッキーノのロンドについては、交響的夜想曲に通じる和声的なあいまいさと諧謔性がないまぜになった曲ですが、オーケストラの機動力のおかげで、さほど深刻になり過ぎない程度に、作品の渋さをうまく掬い上げています。
最後に少し出てくるテノール独唱(本CDでは名前を表記されず)は、さほど美声ではないものの、それが逆に、この曲の和声的な曖昧さの醸し出す雰囲気に合っており、そこが面白いところです。
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