1928年の日本ハナゲ學会第3分科會において瓢箪屋蓑吉氏が発表した「傳説の白ハナゲと黑ハナゲの脱色化の判別に關する文化論的一考察 ―ルウブル美術館をくまなく回ろうとして挫折したフレデリツク勅使河原氏の手記を中心に―」を再読したり、検証したりするBLOGではないことは確かなことです。ええ!確かなことですとも!
◈Bohuslav Martinů: Sinfonietta Giocosa, H.282
Claire Désert (Pf)
Orchestre de Picardie / Pascal Verrot
(Rec. 1-3 December 2008, Théâtre Impérial de Compiègne)
◈Bohuslav Martinů: Toccata e due canzoni, H.311◈Bohuslav Martinů: Jazz Suite, H.172
Orchestre de Picardie / Pascal Verrot
Lidija Bizjak (Pf)
Lidija Bizjak (Pf)
(Rec. 1-3 December 2008, Théâtre Impérial de Compiègne)
ボフスラフ・マルティヌー(Bohuslav Martinů, 1890-1959)はチェコ出身の作曲家です。その作品は多岐にわたり、ベルギーの音楽学者のハリー・ハルプライヒが作曲年順に作品を整理し、384番までの番号(ハルプライヒ番号)を割り振っております。ハルプライヒ以後も、マルティヌーの作品は見つかっており、実際は400を超える作品があるのかもしれません。
本CDは、そんなマルティヌーの膨大な作品の中から、以下の三曲を収録しています。
▤ シンフォニア・ジョコーザ(H.282)
▤ トッカータと2つのカンツォーネ(H.311)
▤ ジャズ組曲(H.172)
まずは、これらの作品について、ハルプライヒ番号の若い順に、マルティヌーの人生行路を重ねながら概観してみたいと思います。
チェコのポリチカという町で生まれたマルティヌーは、近所の音楽愛好家からヴァイオリンの手ほどきを受けて音楽の才能をあらわし、地元の人たちの支援を受け、14歳でプラハ音楽院に入学しました。
しかし、音楽院での授業をそっちのけにして、地元のオーケストラで実践的に音楽を学んでいたため、音楽院側から不良生徒のレッテルを貼られ、ついには放校処分を受ける羽目になってしまいました。
放校処分後、独学で作曲の勉強を続け、ヨゼフ・スークの門下になりましたが、独学中に知ったフランス音楽への憧れを膨らませ、1923年に奨学金を得てアルベール・ルーセルのところに弟子入りしています。
1928年作のジャズ組曲(H.172)は、そんなマルティヌーが当時パリでも流行していたジャズの和声に触発されて書いた、ピアノを含む室内管弦楽作品です。曲は〈前奏曲〉〈ブルース〉〈ボストン〉〈フィナーレ〉の4曲からなりますが、本家のジャズとは趣が違い、クルト・ヴァイルの《三文オペラ》に近い雰囲気を持っています。作品はバーデン=バーデンで初演され、新進作曲家としてのマルティヌーの声望を高めました。
フランスではイーゴリ・ストラヴィンスキーの音楽に刺激されたり、フランシス・プーランクら「フランス六人組」の面々と親交を結ぶなかでフランスに流れ着いた作曲家たちと「エコール・ド・パリ」を結成したりと、充実した音楽生活を送っていたマルティヌーでしたが、第二次世界大戦の勃発で運命が変わり、スイス経由でアメリカに亡命しなければならなくなりました。シンフォニエッタ・ジョコーザ(1940年作)は、亡命先のアメリカへの手土産として作曲された作品です。4楽章からなるものの、ピアノ協奏曲に近い作品で、モーリス・ラヴェルのピアノ協奏曲を想起させる響きが混じっており、1930年代までのパリの雰囲気がしっかりと封入されています。一方で、ヨハン・ゼバスティアン・バッハのブランデンブルク協奏曲のパロディとしても鑑賞することが出来、まさに題名の通り、おどけたシンフォニエッタとしての味わいに事欠きません。
アメリカに亡命したマルティヌーは、1946年にバークシャー音楽センターの講師として招聘されましたが、宿舎のバルコニーから誤って転落し、一命は取り留めたものの、脳脊髄液減少症と思しき後遺症に悩まされることになりました。《トッカータと二つのカンツォーネ》(H.311)は、丁度その頃に作曲された作品です。この作品は、フランスからの亡命時にお世話になったパウル・ザッヒャーと、ザッヒャーの率いるバーゼル室内管弦楽団のために作曲したもので、この作品でもピアノが重要な役割を果たします。ザッヒャーは、当時の現代音楽の擁護者でしたが、同時に18世紀以前の作品にも興味を持っていた人で、マルティヌーは、ザッヒャーの趣味に合わせて、18世紀までに作曲されていた合奏協奏曲の様式を、この曲の中に反映させようとしたようです。作品は1947年にバーゼル室内管弦楽団の創立20周年記念演奏会で取り上げられ、好評を博しました。
戦争が終わると、マルティヌーはアメリカ市民権を残したままヨーロッパに戻り、チェコへの帰国のタイミングを計っていましたが、社会主義国家化したチェコへの復帰は叶わず、スイスの病院で亡くなっています。
本CDは、パスカル・ヴェロ(Pascal Verrot, 1959-)の指揮するピカルディ管弦楽団が担当しています。共演者としては、シンフォニエッタ・ジョコーザはクレール・デゼール(Claire Désert, 1967-)、他の2曲はリディア・ビジャーク(Lidija Bizjak, 1976-)がピアニストとしてクレジットされています。
ヴェロは、パリ音楽院でジャン=セバスティアン・ベローに指揮法を師事したフランスの指揮者で、1999年から2001年まで新星日本交響楽団の首席指揮者を務めていました。2006年からは仙台フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者にも就任しており、日本とかかわりの深い指揮者です。ピカルディ管弦楽団は、1985年創設の比較的新しいオーケストラで、現在ヴェロが音楽監督を務めています。
デゼールもフランスの人で、パリ音楽院にてジャン・ユボーとヴァンシスラフ・ヤンコフに師事し、ピアニストとして活動しています。ロシアにも留学して、エフゲニー・マリーニンにも学んでおり、独奏だけでなく、室内楽にも長けた名人として売り出し中の人でもあります。
ビジャークは、スロヴェニア領ベオグラードで生まれ、パリ音楽院でジャック・ルヴィエに師事したピアニストです。10歳ほど年下の妹サーニャとのデュオをはじめとした室内楽で活躍しています。
デゼールの共演するシンフォニエッタ・ジョコーザの演奏は、ピカルディ管弦楽団のシャキッとした奏楽にデゼールが自由自在に絡んでおり、なかなかスリリングな演奏を楽しめます。ほぼ全編諧謔的な音楽になっており、第3楽章など、ピアノとオーケストラの絶妙な掛け合いに指揮者のヴェロのリズム感の良さと、オーケストラの各セクションの能力の高さを感じ取ることが出来ると思います。
《トッカータと2つのカンツォーネ》では、トッカータにおけるビジャークとの絡みが生き生きとしていて、後半の2つのカンツォーネ部の落ち着いた風情とのコントラストが効いています。
ジャズ組曲は、それぞれのパートが自発的に豊かな表情を作り出しており、室内楽的なやり取りの醍醐味を感じさせる演奏に仕上がっています。ビジャークのピアノの混ざり具合も趣味がよく、気ままなおしゃべりに興じているような楽しさがあります。
本CDは、そんなマルティヌーの膨大な作品の中から、以下の三曲を収録しています。
▤ シンフォニア・ジョコーザ(H.282)
▤ トッカータと2つのカンツォーネ(H.311)
▤ ジャズ組曲(H.172)
まずは、これらの作品について、ハルプライヒ番号の若い順に、マルティヌーの人生行路を重ねながら概観してみたいと思います。
チェコのポリチカという町で生まれたマルティヌーは、近所の音楽愛好家からヴァイオリンの手ほどきを受けて音楽の才能をあらわし、地元の人たちの支援を受け、14歳でプラハ音楽院に入学しました。
しかし、音楽院での授業をそっちのけにして、地元のオーケストラで実践的に音楽を学んでいたため、音楽院側から不良生徒のレッテルを貼られ、ついには放校処分を受ける羽目になってしまいました。
放校処分後、独学で作曲の勉強を続け、ヨゼフ・スークの門下になりましたが、独学中に知ったフランス音楽への憧れを膨らませ、1923年に奨学金を得てアルベール・ルーセルのところに弟子入りしています。
1928年作のジャズ組曲(H.172)は、そんなマルティヌーが当時パリでも流行していたジャズの和声に触発されて書いた、ピアノを含む室内管弦楽作品です。曲は〈前奏曲〉〈ブルース〉〈ボストン〉〈フィナーレ〉の4曲からなりますが、本家のジャズとは趣が違い、クルト・ヴァイルの《三文オペラ》に近い雰囲気を持っています。作品はバーデン=バーデンで初演され、新進作曲家としてのマルティヌーの声望を高めました。
フランスではイーゴリ・ストラヴィンスキーの音楽に刺激されたり、フランシス・プーランクら「フランス六人組」の面々と親交を結ぶなかでフランスに流れ着いた作曲家たちと「エコール・ド・パリ」を結成したりと、充実した音楽生活を送っていたマルティヌーでしたが、第二次世界大戦の勃発で運命が変わり、スイス経由でアメリカに亡命しなければならなくなりました。シンフォニエッタ・ジョコーザ(1940年作)は、亡命先のアメリカへの手土産として作曲された作品です。4楽章からなるものの、ピアノ協奏曲に近い作品で、モーリス・ラヴェルのピアノ協奏曲を想起させる響きが混じっており、1930年代までのパリの雰囲気がしっかりと封入されています。一方で、ヨハン・ゼバスティアン・バッハのブランデンブルク協奏曲のパロディとしても鑑賞することが出来、まさに題名の通り、おどけたシンフォニエッタとしての味わいに事欠きません。
アメリカに亡命したマルティヌーは、1946年にバークシャー音楽センターの講師として招聘されましたが、宿舎のバルコニーから誤って転落し、一命は取り留めたものの、脳脊髄液減少症と思しき後遺症に悩まされることになりました。《トッカータと二つのカンツォーネ》(H.311)は、丁度その頃に作曲された作品です。この作品は、フランスからの亡命時にお世話になったパウル・ザッヒャーと、ザッヒャーの率いるバーゼル室内管弦楽団のために作曲したもので、この作品でもピアノが重要な役割を果たします。ザッヒャーは、当時の現代音楽の擁護者でしたが、同時に18世紀以前の作品にも興味を持っていた人で、マルティヌーは、ザッヒャーの趣味に合わせて、18世紀までに作曲されていた合奏協奏曲の様式を、この曲の中に反映させようとしたようです。作品は1947年にバーゼル室内管弦楽団の創立20周年記念演奏会で取り上げられ、好評を博しました。
戦争が終わると、マルティヌーはアメリカ市民権を残したままヨーロッパに戻り、チェコへの帰国のタイミングを計っていましたが、社会主義国家化したチェコへの復帰は叶わず、スイスの病院で亡くなっています。
本CDは、パスカル・ヴェロ(Pascal Verrot, 1959-)の指揮するピカルディ管弦楽団が担当しています。共演者としては、シンフォニエッタ・ジョコーザはクレール・デゼール(Claire Désert, 1967-)、他の2曲はリディア・ビジャーク(Lidija Bizjak, 1976-)がピアニストとしてクレジットされています。
ヴェロは、パリ音楽院でジャン=セバスティアン・ベローに指揮法を師事したフランスの指揮者で、1999年から2001年まで新星日本交響楽団の首席指揮者を務めていました。2006年からは仙台フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者にも就任しており、日本とかかわりの深い指揮者です。ピカルディ管弦楽団は、1985年創設の比較的新しいオーケストラで、現在ヴェロが音楽監督を務めています。
デゼールもフランスの人で、パリ音楽院にてジャン・ユボーとヴァンシスラフ・ヤンコフに師事し、ピアニストとして活動しています。ロシアにも留学して、エフゲニー・マリーニンにも学んでおり、独奏だけでなく、室内楽にも長けた名人として売り出し中の人でもあります。
ビジャークは、スロヴェニア領ベオグラードで生まれ、パリ音楽院でジャック・ルヴィエに師事したピアニストです。10歳ほど年下の妹サーニャとのデュオをはじめとした室内楽で活躍しています。
デゼールの共演するシンフォニエッタ・ジョコーザの演奏は、ピカルディ管弦楽団のシャキッとした奏楽にデゼールが自由自在に絡んでおり、なかなかスリリングな演奏を楽しめます。ほぼ全編諧謔的な音楽になっており、第3楽章など、ピアノとオーケストラの絶妙な掛け合いに指揮者のヴェロのリズム感の良さと、オーケストラの各セクションの能力の高さを感じ取ることが出来ると思います。
《トッカータと2つのカンツォーネ》では、トッカータにおけるビジャークとの絡みが生き生きとしていて、後半の2つのカンツォーネ部の落ち着いた風情とのコントラストが効いています。
ジャズ組曲は、それぞれのパートが自発的に豊かな表情を作り出しており、室内楽的なやり取りの醍醐味を感じさせる演奏に仕上がっています。ビジャークのピアノの混ざり具合も趣味がよく、気ままなおしゃべりに興じているような楽しさがあります。
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