1928年の日本ハナゲ學会第3分科會において瓢箪屋蓑吉氏が発表した「傳説の白ハナゲと黑ハナゲの脱色化の判別に關する文化論的一考察 ―ルウブル美術館をくまなく回ろうとして挫折したフレデリツク勅使河原氏の手記を中心に―」を再読したり、検証したりするBLOGではないことは確かなことです。ええ!確かなことですとも!
◈Dmitri Shostakovich: Symphony No.5 in D minor, op.47
◈Serge Prokofiev: "Romeo and Juliet" Suite No.2, op.64b - The Montagues and the Capulets
◈Serge Prokofiev: "Romeo and Juliet" Suite No.2, op.64b - The young Juliet
◈Serge Prokofiev: "Romeo and Juliet" Suite No.1, op.64a - Romeo and Juliet
◈Serge Prokofiev: "Romeo and Juliet" Suite No.1, op.64a - Death of Tybalt
◈Serge Prokofiev: "Romeo and Juliet" Suite No.2, op.64b - Romeo at Juliet's grave
National Orchestra of Washington D.C. / Mstislav Rostropovich
(Rec. July 1982, John F. Kennedy Center, Washington)
社会主義リアリズムとは、社会主義国家の現実を賛美的に描き、人民に共産主義を教導するという、旧ソ連の文化方針です。ヨシフ・スターリンの片腕として知られた文化政策の責任者のアンドレイ・ジダーノフが1934年に作家同盟大会を開き、この社会主義リアリズムを国是にしました。芸術を社会主義のプロパガンダと捉えている点で、現実の正確な描写に徹するリアリズムとは趣旨が異なります。また、ソ連当局の官僚たちによって、社会主義リアリズムの路線に沿っているかどうかが判定されることもあり、官僚の胸先三寸で批判の俎上に載せられたり、粛清の対象にされたりということも珍しくありませんでした。
ジダーノフが社会主義リアリズムをぶち上げたその年に発表されたドミトリー・ショスタコーヴィチ(Dmitri Shostakovich, 1906-1975)のオペラ《ムツェンスク郡のマクベス夫人》がソ連当局の機関紙『プラウダ』で批判されました。作曲家生命を断たれそうになったショスタコーヴィチは、初演を予定していた交響曲第4番を撤回し、1937年に、本CDに収録されている交響曲第5番を発表しました。11月21日にエフゲニー・ムラヴィンスキーの指揮するレニングラード・フィルハーモニー管弦楽団で行われた初演は大成功を収め、それまでに展開されていた非難批判を吹き飛ばすことに成功しています。
旧ソ連では「勝利への行進」と解釈され、大いに歓迎されたこの曲ですが、1979年に、アメリカに亡命した音楽学者のソロモン・ヴォルコフが『ショスタコーヴィチの証言』を発表すると、その本に書かれた内容に基づいて、「強制された歓喜」という解釈のされ方がなされるようにもなりました。
ヴォルコフの本によって、ショスタコーヴィチの人間像も、従来のソ連の御用作曲家から、体制批判の視点を持ったリアリストへと転換されるようになりました。しかし、ヴォルコフが本を書くにあたって用いた資料の真偽や、その解釈を巡って議論が紛糾し、今日では信憑性を疑われるようになっています。
ショスタコーヴィチの先輩に当たるセルゲイ・プロコフィエフ(Dmitri Shostakovich, 1891-1953)も、社会主義リアリズムと自らの作風の狭間で苦労を強いられた作曲家でした。
ロシア革命を嫌って欧米で活躍したものの、1930年代にはソ連になったロシアに戻って活動をするようになり、社会主義リアリズムの路線に乗った、聴感上平易な作風へと転換していきました。
それでもプロコフィエフの作曲家人生は常に順風満帆だったわけではなく、バレエ音楽《ロミオとジュリエット》(1935-1936年作)は、作曲を依頼してきたキーロフ劇場から上演を拒絶されています。そこで、プロコフィエフは、バレエ音楽から2つのオーケストラ用組曲をつくり、それを順次レニングラードで演奏して聴衆の感触を確かめました。聴衆の評判がよかったのを受けて、本体のバレエ音楽をチェコのブルノで初演してもらい、好評を博しています。
本CDに収録されているのは、その2つのバレエ組曲からのセレクションです。第1曲目の〈モンタギュー家とキャピュレット家〉と第2曲目の〈少女ジュリエット〉は、第2組曲のそれぞれ1曲目と2曲目、さらに続く〈ロメオとジュリエット〉と〈タイボルトの死〉は、それぞれ第1組曲の6曲目と7曲目です。そして最後に第2組曲から5曲目の〈ジュリエットの墓の前のロメオ〉が配置されています。
このCDの演奏は、ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ(Mstislav Rostropovich, 1927-2007)の指揮するワシントン・ナショナル交響楽団です。ロストロポーヴィチは、ソ連を代表する世界的チェリストとして、ショスタコーヴィチともプロコフィエフとも交友関係を持っていました。特にショスタコーヴィチとは作曲を学んだり、彼の伴奏でリサイタルを開いたりしていたそうです。
レフ・ギンスブルクに指揮法を個人的に習い、1961年に指揮者としても活動を始めるようになったロストロポーヴィチですが、1970年に反体制の小説家だったアレクサンドル・ソルジェニーツィンを匿ったことでソ連での立場を悪くし、1975年にアメリカに亡命しています。1977年にはワシントン・ナショナル交響楽団の首席指揮者に就任して指揮者としての名声も固め、1992年まで在任しました。
アメリカに亡命してからのロストロポーヴィチは、ソ連の体制の積極的な批判者となり、ヴォルコフの本も支持していました。したがって、録音に当たっては、ヴォルコフの本に書かれてある作品解説の解釈が反映されています。
全体的にゆっくり目のテンポを取るのは、ロストロポーヴィチのバトン・テクニックの拙さの表れではなく、ロストロポーヴィチが知り得るショスタコーヴィチを取り巻く環境の鬱積を忖度した結果と考えられます。紆余曲折を経て歓喜的なフィナーレを迎えるという楽天的な音楽ではなく、そういった筋書きを強制される苦悩をえぐり出そうとするような、ずっしりと重い響きで満たされています。どの楽章も、音楽の流れは淀みがちですが、敢えて淀ませているのでしょう。
プロコフィエフの方は、作品がはらむ政治性があまり前面に出ない、抒情的な音楽ですが、ロストロポーヴィチは隈取りを濃く、意味深長に演奏させています。ただ、ワシントン・ナショナル交響楽団の演奏の粗がそこかしこに聴き取れます。表現意欲は高いものの、技術がおいつかないもどかしさを感じさせるでしょう。
ジダーノフが社会主義リアリズムをぶち上げたその年に発表されたドミトリー・ショスタコーヴィチ(Dmitri Shostakovich, 1906-1975)のオペラ《ムツェンスク郡のマクベス夫人》がソ連当局の機関紙『プラウダ』で批判されました。作曲家生命を断たれそうになったショスタコーヴィチは、初演を予定していた交響曲第4番を撤回し、1937年に、本CDに収録されている交響曲第5番を発表しました。11月21日にエフゲニー・ムラヴィンスキーの指揮するレニングラード・フィルハーモニー管弦楽団で行われた初演は大成功を収め、それまでに展開されていた非難批判を吹き飛ばすことに成功しています。
旧ソ連では「勝利への行進」と解釈され、大いに歓迎されたこの曲ですが、1979年に、アメリカに亡命した音楽学者のソロモン・ヴォルコフが『ショスタコーヴィチの証言』を発表すると、その本に書かれた内容に基づいて、「強制された歓喜」という解釈のされ方がなされるようにもなりました。
ヴォルコフの本によって、ショスタコーヴィチの人間像も、従来のソ連の御用作曲家から、体制批判の視点を持ったリアリストへと転換されるようになりました。しかし、ヴォルコフが本を書くにあたって用いた資料の真偽や、その解釈を巡って議論が紛糾し、今日では信憑性を疑われるようになっています。
ショスタコーヴィチの先輩に当たるセルゲイ・プロコフィエフ(Dmitri Shostakovich, 1891-1953)も、社会主義リアリズムと自らの作風の狭間で苦労を強いられた作曲家でした。
ロシア革命を嫌って欧米で活躍したものの、1930年代にはソ連になったロシアに戻って活動をするようになり、社会主義リアリズムの路線に乗った、聴感上平易な作風へと転換していきました。
それでもプロコフィエフの作曲家人生は常に順風満帆だったわけではなく、バレエ音楽《ロミオとジュリエット》(1935-1936年作)は、作曲を依頼してきたキーロフ劇場から上演を拒絶されています。そこで、プロコフィエフは、バレエ音楽から2つのオーケストラ用組曲をつくり、それを順次レニングラードで演奏して聴衆の感触を確かめました。聴衆の評判がよかったのを受けて、本体のバレエ音楽をチェコのブルノで初演してもらい、好評を博しています。
本CDに収録されているのは、その2つのバレエ組曲からのセレクションです。第1曲目の〈モンタギュー家とキャピュレット家〉と第2曲目の〈少女ジュリエット〉は、第2組曲のそれぞれ1曲目と2曲目、さらに続く〈ロメオとジュリエット〉と〈タイボルトの死〉は、それぞれ第1組曲の6曲目と7曲目です。そして最後に第2組曲から5曲目の〈ジュリエットの墓の前のロメオ〉が配置されています。
このCDの演奏は、ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ(Mstislav Rostropovich, 1927-2007)の指揮するワシントン・ナショナル交響楽団です。ロストロポーヴィチは、ソ連を代表する世界的チェリストとして、ショスタコーヴィチともプロコフィエフとも交友関係を持っていました。特にショスタコーヴィチとは作曲を学んだり、彼の伴奏でリサイタルを開いたりしていたそうです。
レフ・ギンスブルクに指揮法を個人的に習い、1961年に指揮者としても活動を始めるようになったロストロポーヴィチですが、1970年に反体制の小説家だったアレクサンドル・ソルジェニーツィンを匿ったことでソ連での立場を悪くし、1975年にアメリカに亡命しています。1977年にはワシントン・ナショナル交響楽団の首席指揮者に就任して指揮者としての名声も固め、1992年まで在任しました。
アメリカに亡命してからのロストロポーヴィチは、ソ連の体制の積極的な批判者となり、ヴォルコフの本も支持していました。したがって、録音に当たっては、ヴォルコフの本に書かれてある作品解説の解釈が反映されています。
全体的にゆっくり目のテンポを取るのは、ロストロポーヴィチのバトン・テクニックの拙さの表れではなく、ロストロポーヴィチが知り得るショスタコーヴィチを取り巻く環境の鬱積を忖度した結果と考えられます。紆余曲折を経て歓喜的なフィナーレを迎えるという楽天的な音楽ではなく、そういった筋書きを強制される苦悩をえぐり出そうとするような、ずっしりと重い響きで満たされています。どの楽章も、音楽の流れは淀みがちですが、敢えて淀ませているのでしょう。
プロコフィエフの方は、作品がはらむ政治性があまり前面に出ない、抒情的な音楽ですが、ロストロポーヴィチは隈取りを濃く、意味深長に演奏させています。ただ、ワシントン・ナショナル交響楽団の演奏の粗がそこかしこに聴き取れます。表現意欲は高いものの、技術がおいつかないもどかしさを感じさせるでしょう。
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