1928年の日本ハナゲ學会第3分科會において瓢箪屋蓑吉氏が発表した「傳説の白ハナゲと黑ハナゲの脱色化の判別に關する文化論的一考察 ―ルウブル美術館をくまなく回ろうとして挫折したフレデリツク勅使河原氏の手記を中心に―」を再読したり、検証したりするBLOGではないことは確かなことです。ええ!確かなことですとも!
◈Jules Massenet: La Navarraise
Marilyn Horne (Ms: Anita)
Plácido Domingo (T: Araquil)
Sherrill Milnes (Br: Garrido)
Nicola Zaccaria (Bs: Remigio)
Gabriel Bacquier (Br: Bustamente)
Ryland Davies (T: Ramon)
Leslie Fyson (Bs-Br: A Soldier)
Plácido Domingo (T: Araquil)
Sherrill Milnes (Br: Garrido)
Nicola Zaccaria (Bs: Remigio)
Gabriel Bacquier (Br: Bustamente)
Ryland Davies (T: Ramon)
Leslie Fyson (Bs-Br: A Soldier)
Ambrosian Opera Chorus (Chorus master: John McCarthy)
London Symphony Orchestra / Henry Lewis
London Symphony Orchestra / Henry Lewis
(Rec. 4-9 July 1975, Walthamstow Town Hall, London)
ジュール・マスネ(Jules Massenet, 1842-1912)の歌劇《ナバラの女》(1894年作)です。このオペラは、ジュール・クラルティの『煙草』という戯曲を下敷に、アンリ・カイン(Henri Caïn, 1857-1937)が台本を作成しています。
あらすじは以下の通りです。
場所は1870年ごろ、内戦真っただ中のバスク地方のビルバオ
【第1幕】
政府軍は、謀反を起こしたカルロス派を前に苦戦を強いられている。政府軍の兵士であるアラキールは、バスク出身のアニタと恋仲であった。政府軍参謀のガリードが苦戦を嘆いているところに、アラキールたちが命からがら帰還してきた。アラキールを追いかけてやってきたアニタは、アラキールと愛を確かめようとしたが、そこにアラキールの父レミージオがやってきて、息子の帰還を喜ぶ。アニタの存在に気付いたレミージオは、余所者のアニタを嫌って追い払おうとし、「息子と結婚したくば2000ドゥロス用意しろ!」と言い放つ。孤児のアニータには、そんな金を工面できる余裕はない。一方でアラキールは軍功で中尉に昇格していた。
ガリードは、カルロス派攻略に悩み、「カルロス派司令官のツッカラーガを暗殺したものには報奨金を出す」と言い出した。アニタは、結婚を承諾してもらうお金のためにガリードの提案に名乗りを上げ、秘密裏に作戦を実行する契約を交わした。アニタが敵地に赴いた後、アラキールがアニタを探すが、同僚のラモンからアニタがツッカラーガのところに行ったらしいという話を聞き、アニタがスパイだったのではないかという疑念を抱くようになる。兵士たちは、そんなアラキールをよそに酒盛りをしているのだった。
【第2幕】
ツッカラーガの暗殺に成功したアニタが戻ってきて、ガリードに事の次第を報告している。ガリードは報奨金を支払い、アニタは晴れてアラキールと一緒になれると喜ぶ。しかし、そこに、瀕死のアラキールが運ばれてくる。
アラキールは、アニタを追いかけて敵陣に行き、そこで瀕死の重傷を負ったのだった。
大金を持っているアニタを見たアラキールは、アニタがツッカラーガに身を売ったに違いないと罵り、アニタは必死で弁明するのだった。そこに敵陣からツッカラーガを弔う鐘の音が響き、アラキールはアニタの血の付いた手を見て、「お前は、恐ろしいやつだ」とつぶやいてこと切れるのだった。アラキールの死体にすがりつくアニタを、兵士たちは罵倒し、アニタの嗚咽は発狂の高笑いへと変わってしまった。
この作品のバックボーンとなる歴史的事実は、スペイン国王フェルナンド7世没後の内紛です。晩年のフェルナンド7世は、王妃マリア・クリスティーナの言いなりになり、王位継承権を弟のドン・カルロスから娘のイザベラに変更する手続きを取りました。このため、ドン・カルロスは失脚し、国王の没後はイザベラが女王イザベル2世となり、絶対王政から立憲君主制の国家を目指すことになりました。しかし、ポルトガルに亡命していたドン・カルロスが、前王の王位継承権の変更の無効と、それにともなうスペイン国王への即位を宣言し、従来通りの絶対王政による統治を主張しはじめました。その結果、立憲君主制を進めるイザベル派と絶対王政の復古を唱えるカルロス派で国家が二分される状態になりました。7年越しでイザベル派が勝利を収めたものの、遺恨を残し、スペインでは度々正統な王位継承権を巡って、各地で内紛が勃発することになりました。
このオペラの舞台になった年代が1870年代であることを加味すると、ドン・カルロスの孫がカルロス7世を名乗り、立憲王政に牙をむいていた時期に当たります。立憲王政側は、度重なるクーデターでイザベル2世が退位し、すったもんだの末にアマデオ一世が国王として即位したものの、わずか3年でアルフォンソ12世に代がかわるなど、政治的に不安定だったようです。
スペイン事情の不安定さは、スペインの王位継承権請求者たちがフランスやイタリアに居を構えて気を吐いていたことから、フランスにとっては、かなり身近な興味の種だったようです。こうしてスペインの文化が内紛に乗じて流入するようになり、フランスではそうした文化が歓迎されたことから、マスネは、そうした流行を睨んで、このオペラを書き上げたものと思われます。
このオペラの題材は、フランスにとって生々しい興味の種をベースにしていますが、もう一方で、隣国イタリアのオペラ事情が関係しています。ピエトロ・マスカーニの《カヴァレリア・ルスティカーナ》が1890年に初演されて空前の大ヒットを呼び、さらに1892年にルッジェーロ・レオンカヴァッロが《道化師》で大成功を収めて、現実的な生々しさを追求したヴェリズモ・オペラの運動が気勢を上げるようになっていました。
おそらくはマスネも、このヴェリズモ・オペラの動きを監視していて、その作法を援用して、この《ナバラの女》を作り上げたのではないかと考えられます。愛する人にも、その周囲にも、自分の相手にささげる愛を理解してもらえないという悲劇自体がありがちなものだとしても、そのラスト・シーンを狂乱の高笑いで締めくくる後味の悪さは、マスカーニやレオンカヴァッロの出世作に劣らぬインパクトを持っています。
本CDのキャストは以下の通りです。
マリリン・ホーン(アニタ)
プラシド・ドミンゴ(アラキール)
シェリル・ミルンズ(ガリード)
ニコラ・ザッカリア(レミージオ)
ガブリエル・バキエ(バスタメンテ)
ライランド・デイヴィス(ラモン)
レスリー・ファイソン(一兵卒)
アンブロシアン・オペラ合唱団(合唱指揮:ジョン・マッカーシー)
ロンドン交響楽団/ヘンリー・ルイス
ホーン(Marilyn Horne, 1934-)はアメリカのメゾ・ソプラノ歌手で、コロラトゥーラ的なパッセージをも、寸分違わずドラマティックに歌いきる実力を持った名人でした。本録音時には、この録音で指揮をとるルイス(Henry Lewis, 1932-1996)と結婚していました。(1979年に離婚)
本CDの売りどころは、ホーンとルイスの夫婦共演のみならず、録音当時売り出し中の若手だったドミンゴ(Plácido Domingo, 1941-)を相手役に起用し、アメリカ人名バリトン歌手のミルンズ(Sherrill Milnes, 1935-)、ギリシャ出身のザッカリア(Nicola Zaccaria, 1923-2007)といったベテランたちでしっかりと脇を固めている点にあります。イギリス・オペラ界の雄であるデイヴィス(Ryland Davies, 1943-)や、フランスの名バリトン歌手であるバキエ(Gabriel Bacquier, 1924-)などを端役で友情出演させている点も心憎く、プロデュース側の力の入れようが伝わってきます。
ちなみに、指揮をしているルイスは、1948年にロスアンジェルス・フィルハーモニー管弦楽団にコントラバス奏者として入団し、当時、黒人初のメジャー・オーケストラの団員として話題になったそうです。1954年に陸軍に入隊してシュトゥットガルトの軍楽隊に配属になり、そこでエドゥアルト・ファン・ベイヌムの知己を得て指揮法を習得しています。1957年に除隊後は、ベイヌムの力添えで古巣のロスアンジェルスのオーケストラに、ズビン・メータの助手として復帰し、1968年から1976年までニュージャージー交響楽団の音楽監督として、オーケストラの再建に尽力しています。彼はまた、メトロポリタン歌劇場の指揮台にはじめて登った黒人指揮者としても記憶され、アメリカにおけるオペラの専門家として、アメリカ各地の歌劇場に客演を重ねていたようです。
本録音では、ルイスのタクトは、オペラ録音に必ずしも長じているとは思えないロンドン交響楽団を自在に操り、作品の熱狂性を充分に引き出しています。リズム感も非常によく、第1幕から第2幕に移るあたりのバスタメンテの浮かれ踊りの場面など、実に生き生きとしています。主役のホーンも入魂の名唱で、発狂して笑いだす幕切れは、ルイスの絶妙なオーケストラ・コントロールと相俟って、まるで地獄に叩き落されるような凄味があります。
あらすじは以下の通りです。
場所は1870年ごろ、内戦真っただ中のバスク地方のビルバオ
【第1幕】
政府軍は、謀反を起こしたカルロス派を前に苦戦を強いられている。政府軍の兵士であるアラキールは、バスク出身のアニタと恋仲であった。政府軍参謀のガリードが苦戦を嘆いているところに、アラキールたちが命からがら帰還してきた。アラキールを追いかけてやってきたアニタは、アラキールと愛を確かめようとしたが、そこにアラキールの父レミージオがやってきて、息子の帰還を喜ぶ。アニタの存在に気付いたレミージオは、余所者のアニタを嫌って追い払おうとし、「息子と結婚したくば2000ドゥロス用意しろ!」と言い放つ。孤児のアニータには、そんな金を工面できる余裕はない。一方でアラキールは軍功で中尉に昇格していた。
ガリードは、カルロス派攻略に悩み、「カルロス派司令官のツッカラーガを暗殺したものには報奨金を出す」と言い出した。アニタは、結婚を承諾してもらうお金のためにガリードの提案に名乗りを上げ、秘密裏に作戦を実行する契約を交わした。アニタが敵地に赴いた後、アラキールがアニタを探すが、同僚のラモンからアニタがツッカラーガのところに行ったらしいという話を聞き、アニタがスパイだったのではないかという疑念を抱くようになる。兵士たちは、そんなアラキールをよそに酒盛りをしているのだった。
【第2幕】
ツッカラーガの暗殺に成功したアニタが戻ってきて、ガリードに事の次第を報告している。ガリードは報奨金を支払い、アニタは晴れてアラキールと一緒になれると喜ぶ。しかし、そこに、瀕死のアラキールが運ばれてくる。
アラキールは、アニタを追いかけて敵陣に行き、そこで瀕死の重傷を負ったのだった。
大金を持っているアニタを見たアラキールは、アニタがツッカラーガに身を売ったに違いないと罵り、アニタは必死で弁明するのだった。そこに敵陣からツッカラーガを弔う鐘の音が響き、アラキールはアニタの血の付いた手を見て、「お前は、恐ろしいやつだ」とつぶやいてこと切れるのだった。アラキールの死体にすがりつくアニタを、兵士たちは罵倒し、アニタの嗚咽は発狂の高笑いへと変わってしまった。
この作品のバックボーンとなる歴史的事実は、スペイン国王フェルナンド7世没後の内紛です。晩年のフェルナンド7世は、王妃マリア・クリスティーナの言いなりになり、王位継承権を弟のドン・カルロスから娘のイザベラに変更する手続きを取りました。このため、ドン・カルロスは失脚し、国王の没後はイザベラが女王イザベル2世となり、絶対王政から立憲君主制の国家を目指すことになりました。しかし、ポルトガルに亡命していたドン・カルロスが、前王の王位継承権の変更の無効と、それにともなうスペイン国王への即位を宣言し、従来通りの絶対王政による統治を主張しはじめました。その結果、立憲君主制を進めるイザベル派と絶対王政の復古を唱えるカルロス派で国家が二分される状態になりました。7年越しでイザベル派が勝利を収めたものの、遺恨を残し、スペインでは度々正統な王位継承権を巡って、各地で内紛が勃発することになりました。
このオペラの舞台になった年代が1870年代であることを加味すると、ドン・カルロスの孫がカルロス7世を名乗り、立憲王政に牙をむいていた時期に当たります。立憲王政側は、度重なるクーデターでイザベル2世が退位し、すったもんだの末にアマデオ一世が国王として即位したものの、わずか3年でアルフォンソ12世に代がかわるなど、政治的に不安定だったようです。
スペイン事情の不安定さは、スペインの王位継承権請求者たちがフランスやイタリアに居を構えて気を吐いていたことから、フランスにとっては、かなり身近な興味の種だったようです。こうしてスペインの文化が内紛に乗じて流入するようになり、フランスではそうした文化が歓迎されたことから、マスネは、そうした流行を睨んで、このオペラを書き上げたものと思われます。
このオペラの題材は、フランスにとって生々しい興味の種をベースにしていますが、もう一方で、隣国イタリアのオペラ事情が関係しています。ピエトロ・マスカーニの《カヴァレリア・ルスティカーナ》が1890年に初演されて空前の大ヒットを呼び、さらに1892年にルッジェーロ・レオンカヴァッロが《道化師》で大成功を収めて、現実的な生々しさを追求したヴェリズモ・オペラの運動が気勢を上げるようになっていました。
おそらくはマスネも、このヴェリズモ・オペラの動きを監視していて、その作法を援用して、この《ナバラの女》を作り上げたのではないかと考えられます。愛する人にも、その周囲にも、自分の相手にささげる愛を理解してもらえないという悲劇自体がありがちなものだとしても、そのラスト・シーンを狂乱の高笑いで締めくくる後味の悪さは、マスカーニやレオンカヴァッロの出世作に劣らぬインパクトを持っています。
本CDのキャストは以下の通りです。
マリリン・ホーン(アニタ)
プラシド・ドミンゴ(アラキール)
シェリル・ミルンズ(ガリード)
ニコラ・ザッカリア(レミージオ)
ガブリエル・バキエ(バスタメンテ)
ライランド・デイヴィス(ラモン)
レスリー・ファイソン(一兵卒)
アンブロシアン・オペラ合唱団(合唱指揮:ジョン・マッカーシー)
ロンドン交響楽団/ヘンリー・ルイス
ホーン(Marilyn Horne, 1934-)はアメリカのメゾ・ソプラノ歌手で、コロラトゥーラ的なパッセージをも、寸分違わずドラマティックに歌いきる実力を持った名人でした。本録音時には、この録音で指揮をとるルイス(Henry Lewis, 1932-1996)と結婚していました。(1979年に離婚)
本CDの売りどころは、ホーンとルイスの夫婦共演のみならず、録音当時売り出し中の若手だったドミンゴ(Plácido Domingo, 1941-)を相手役に起用し、アメリカ人名バリトン歌手のミルンズ(Sherrill Milnes, 1935-)、ギリシャ出身のザッカリア(Nicola Zaccaria, 1923-2007)といったベテランたちでしっかりと脇を固めている点にあります。イギリス・オペラ界の雄であるデイヴィス(Ryland Davies, 1943-)や、フランスの名バリトン歌手であるバキエ(Gabriel Bacquier, 1924-)などを端役で友情出演させている点も心憎く、プロデュース側の力の入れようが伝わってきます。
ちなみに、指揮をしているルイスは、1948年にロスアンジェルス・フィルハーモニー管弦楽団にコントラバス奏者として入団し、当時、黒人初のメジャー・オーケストラの団員として話題になったそうです。1954年に陸軍に入隊してシュトゥットガルトの軍楽隊に配属になり、そこでエドゥアルト・ファン・ベイヌムの知己を得て指揮法を習得しています。1957年に除隊後は、ベイヌムの力添えで古巣のロスアンジェルスのオーケストラに、ズビン・メータの助手として復帰し、1968年から1976年までニュージャージー交響楽団の音楽監督として、オーケストラの再建に尽力しています。彼はまた、メトロポリタン歌劇場の指揮台にはじめて登った黒人指揮者としても記憶され、アメリカにおけるオペラの専門家として、アメリカ各地の歌劇場に客演を重ねていたようです。
本録音では、ルイスのタクトは、オペラ録音に必ずしも長じているとは思えないロンドン交響楽団を自在に操り、作品の熱狂性を充分に引き出しています。リズム感も非常によく、第1幕から第2幕に移るあたりのバスタメンテの浮かれ踊りの場面など、実に生き生きとしています。主役のホーンも入魂の名唱で、発狂して笑いだす幕切れは、ルイスの絶妙なオーケストラ・コントロールと相俟って、まるで地獄に叩き落されるような凄味があります。
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