1928年の日本ハナゲ學会第3分科會において瓢箪屋蓑吉氏が発表した「傳説の白ハナゲと黑ハナゲの脱色化の判別に關する文化論的一考察 ―ルウブル美術館をくまなく回ろうとして挫折したフレデリツク勅使河原氏の手記を中心に―」を再読したり、検証したりするBLOGではないことは確かなことです。ええ!確かなことですとも!
◈Jules Massenet: Werther
Georges Thill (T: Werther)
Ninon Vallin (Ms: Charlotte)
Germaine Feraldy (S: Sophie)
Marcel Roque (Br: Albert)
Arnand Narçon (Bs-Br: The Bailiff)
Louis Guenot (Bs-Br: Johann)
Henri Niel (T: Schmidt)
Ninon Vallin (Ms: Charlotte)
Germaine Feraldy (S: Sophie)
Marcel Roque (Br: Albert)
Arnand Narçon (Bs-Br: The Bailiff)
Louis Guenot (Bs-Br: Johann)
Henri Niel (T: Schmidt)
Children's Chorus of Cantoria
Chorus of Théâtre National de l'Opéra-Comique
Orchestra of Théâtre National de l'Opéra-Comique / Élie Cohen
Chorus of Théâtre National de l'Opéra-Comique
Orchestra of Théâtre National de l'Opéra-Comique / Élie Cohen
(Rec. 1931)
フランス人作曲家、ジュール・マスネ(Jules Massenet, 1842-1912)の《ウェルテル》は、エドゥアール・ブロー(Édouard Blau, 1836-1906)、ポール・ミレ(Paul Milliet, 1848-1924)、ジョルジュ・アルトマン(Georges Hartmann, 1843-1900)の共作による台本で作曲されたオペラです。このオペラの作曲を勧めたのは、マスネ自身の話によればアルトマンらしく、マスネが1886年にバイロイトにリヒャルト・ヴァーグナーの楽劇鑑賞に出かけた時、帰路でアルトマンからヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテの本を借り、オペラにすれば大当たりを取れると確信したとのこと。但し、オペラ化の準備は1885年から行われており、1887年に完成しています。
このオペラは、1892年2月16日にウィーン宮廷歌劇場で初演され、ドイツ・オーストリアの歌劇場の人気演目になりました。しかし、何故初演地がパリでなかったのでしょうか?
マスネは、出来上がった作品をパリのオペラ=コミック座に持って行き、初演する予定でいました。しかし、このオペラの原作となったゲーテの『若きウェルテルの悩み』(1774年作)は、その小説の発表当時、若者が主人公ウェルテルを真似て拳銃自殺をするという流行を引き起こした問題作です。そういうこともあってか、オペラ=コミック座の支配人のレオン・カルヴァロは、台本の陰鬱さを理由に上演に難色を示していました。さらに悪いことに、1887年の5月25日にオペラ=コミック座が火災を起こして従業員を含む84人が亡くなるという大惨事になってしまい、支配人が一時投獄されたことでオペラの上演どころではなくなりました。上演機会を失った《ウェルテル》は、ウィーンで初演されるまで、お蔵入りの状態になってしまっていたわけです。
ウィーンでの上演が成功したことで、ドイツ・オーストリア圏の歌劇場がこぞってこの作品を取り上げるようになり、1893年1月16日には再建されたパリのテアトル・リリックで上演されています。ただこの時の上演は散々な失敗に終わり、フランス本国で評価を確立するのは1903年の再演時まで持ち越されることになりました。
このオペラの粗筋は以下の通り。
1780年頃の7月からクリスマスにかけてのフランクフルト郊外の町での話。
【第1幕】
大法官の娘シャルロットは、母親を亡くし、自分が母親代わりとなって兄弟の面倒を見ている。7月のある日、シャルロットの許嫁のアルベールが出張で一時いなくなり、若い詩人のウェルテルがシャルロットの随伴として舞踏会に出席することになった。ウェルテルはシャルロットに一目ぼれしてしまい、舞踏会からの帰り道に、月明かりの前でシャルロットに愛の告白をする。
しかしシャルロットは、婚約者がいることをウェルテルに告げるのだった。
【第2幕】
町の牧師の金婚式のお祝いの日。ウェルテルはシャルロットを見かけるが、その傍らには許嫁のアルベールがいた。シャルロットの妹のマリーがウェルテルをダンスに誘うが、ウェルテルのほうは、最早気が気ではない。ウェルテルは、シャルロットと二人きりになれる機会をうかがい、二人きりになった時にシャルロットに再度愛の告白をした。しかしシャルロットは取り合わず、ウェルテルに一時町を出るように進言した。
【第3幕】
クリスマス・イヴ。
アルベールがいないのを見計らって、ウェルテルはシャルロットの家に訪問し、「オシアンの詩」を使って婉曲的にシャルロットに愛を告白する。ウェルテルに抱き寄せられたシャルロットは、ウェルテルの腕を振り払い、別室へと逃げて行ってしまった。ウェルテルは絶望してしまう。
【第4幕】
その日の夜、不吉な予感を感じたシャルロットは、ウェルテルの家を訪問する。そこでシャルロットが見たものは、ピストル自殺を図って瀕死状態のウェルテルだった。ウェルテルは、助けを呼ぼうとするシャルロットを止め、シャルロットと抱き合う。そしてシャルロットの腕の中でウェルテルは静かに息を引き取った。
本CDのキャストは以下の通り。
ジョルジュ・ティル (ウェルテル)
ニノン・ヴァラン (シャルロット)
ゲルメーヌ・フェラルディ (ソフィー)
マルセル・ローク (アルベール)
アルナルド・ナルソン (大法官)
ルイ・グエノー (ヨハン)
アンリ・ニール (シュミット)
少年聖歌隊
パリ・オペラ=コミック座合唱団
パリ・オペラ=コミック座管弦楽団/エリー・コーエン
ウェルテル役を歌うティル(Georges Thill, 1897-1984)は、パリのオペラ座とオペラ=コミック座の花形として、1950年代まで活躍したテノール歌手です。彼は元々オペラ歌手としての専門教育を受けておらず、証券取引所のブローカーとして働いていました。彼の最初の声楽教師は、ジューク・ボックスに入っていたエンリコ・カルーソーのレコードでした。第一次世界大戦で徴兵され、1918年に帰還したのを機に、パリ音楽院でバス歌手のアンドレ・グレスに師事しましたが、1921年にはナポリのテノール歌手のフェルナンド・デ・ルチアのところに弟子入りし、1924年まで教えを受けています。
イタリアのベルカント唱法を会得したティルは、フランスの歌劇場のみならず、ミラノ・スカラ座やニューヨークのメトロポリタン歌劇場など、世界の主要歌劇場からお呼びのかかる名歌手になり、ジャコモ・プッチーニやウンベルト・ジョルダーノといったイタリア人作曲家のオペラのスペシャリストとして数多くの上演に参加しましたが、彼の本領は、本録音のようなフランス・オペラにあり、このウェルテル役はティルの代表的なはまり役として評価の高かったものです。
シャルロット役として共演しているヴァラン(Ninon Vallin, 1886-1961)もまた、フランス随一の歌姫として広く知られた人です。リヨン音楽院出身の彼女は、クロード・ドビュッシーに見初められ、《聖セバスチャンの殉教》の初演に参加して脚光を浴びました。フランス音楽界のミューズとして、レイナルド・アーンやアルベール・ルーセル等の寵愛も受けています。オペラ=コミック座には1912年から出演しており、彼女が出るだけで満員御礼になる程の人気を博していました。
脇を固める歌手たちもオペラ=コミック座を支えた実力派ぞろいで、フェラルディ(Germaine Feraldy, 1894-1949)やグエノ(Louis Guenot, 1891-1968)といった人たちは、主役級の人気を誇り、自分のソロ・レコーディングまでできた人でした。
本CDのプロダクションを仕切るコーエン(Élie Cohen)は、生没年不詳。1922年8月7日にレオ・ドリーブの《ラクメ》の上演を指揮してから、1930年代末までオペラ=コミックの指揮者として数々の上演をこなしています。歌手の伴奏の録音が多く、その中にはピアノ伴奏をした録音もあります。
本録音の成功は、まずティルの独唱の高潔さにあります。ベルカント唱法由来の朗々たる声も、あけっぴろげにはならず、確固たる品位を感じさせます。このウェルテル役は流石当たり役と言われただけあって迫真のもので、惚れっぽい男が勝手に人妻に玉砕しただけではないかという、身も蓋もないツッコミを封印させるに足る立派なものです。第3幕でシャルロットに歌う〈オシアンの歌〉など今聴いても胸を打つものがあります。ヴァランも、人を惚れさせる色気のようなものを持っていて、作品のドラマに移入しやすい歌唱を聴かせます。そして、そういったドラマを隅々まで理解してオーケストラを巧みに操っていくコーエンの伴奏の妙技も、この録音に不滅の魂を吹き込む重要な要素と言えるでしょう。オーケストラや合唱団も、終幕の不気味な幕切れなど、まるで地獄の淵をのぞきこむようなカルトな味があり、あまり巧すぎないことが却ってリアリティを生んでいるような気がします。
このオペラは、1892年2月16日にウィーン宮廷歌劇場で初演され、ドイツ・オーストリアの歌劇場の人気演目になりました。しかし、何故初演地がパリでなかったのでしょうか?
マスネは、出来上がった作品をパリのオペラ=コミック座に持って行き、初演する予定でいました。しかし、このオペラの原作となったゲーテの『若きウェルテルの悩み』(1774年作)は、その小説の発表当時、若者が主人公ウェルテルを真似て拳銃自殺をするという流行を引き起こした問題作です。そういうこともあってか、オペラ=コミック座の支配人のレオン・カルヴァロは、台本の陰鬱さを理由に上演に難色を示していました。さらに悪いことに、1887年の5月25日にオペラ=コミック座が火災を起こして従業員を含む84人が亡くなるという大惨事になってしまい、支配人が一時投獄されたことでオペラの上演どころではなくなりました。上演機会を失った《ウェルテル》は、ウィーンで初演されるまで、お蔵入りの状態になってしまっていたわけです。
ウィーンでの上演が成功したことで、ドイツ・オーストリア圏の歌劇場がこぞってこの作品を取り上げるようになり、1893年1月16日には再建されたパリのテアトル・リリックで上演されています。ただこの時の上演は散々な失敗に終わり、フランス本国で評価を確立するのは1903年の再演時まで持ち越されることになりました。
このオペラの粗筋は以下の通り。
1780年頃の7月からクリスマスにかけてのフランクフルト郊外の町での話。
【第1幕】
大法官の娘シャルロットは、母親を亡くし、自分が母親代わりとなって兄弟の面倒を見ている。7月のある日、シャルロットの許嫁のアルベールが出張で一時いなくなり、若い詩人のウェルテルがシャルロットの随伴として舞踏会に出席することになった。ウェルテルはシャルロットに一目ぼれしてしまい、舞踏会からの帰り道に、月明かりの前でシャルロットに愛の告白をする。
しかしシャルロットは、婚約者がいることをウェルテルに告げるのだった。
【第2幕】
町の牧師の金婚式のお祝いの日。ウェルテルはシャルロットを見かけるが、その傍らには許嫁のアルベールがいた。シャルロットの妹のマリーがウェルテルをダンスに誘うが、ウェルテルのほうは、最早気が気ではない。ウェルテルは、シャルロットと二人きりになれる機会をうかがい、二人きりになった時にシャルロットに再度愛の告白をした。しかしシャルロットは取り合わず、ウェルテルに一時町を出るように進言した。
【第3幕】
クリスマス・イヴ。
アルベールがいないのを見計らって、ウェルテルはシャルロットの家に訪問し、「オシアンの詩」を使って婉曲的にシャルロットに愛を告白する。ウェルテルに抱き寄せられたシャルロットは、ウェルテルの腕を振り払い、別室へと逃げて行ってしまった。ウェルテルは絶望してしまう。
【第4幕】
その日の夜、不吉な予感を感じたシャルロットは、ウェルテルの家を訪問する。そこでシャルロットが見たものは、ピストル自殺を図って瀕死状態のウェルテルだった。ウェルテルは、助けを呼ぼうとするシャルロットを止め、シャルロットと抱き合う。そしてシャルロットの腕の中でウェルテルは静かに息を引き取った。
本CDのキャストは以下の通り。
ジョルジュ・ティル (ウェルテル)
ニノン・ヴァラン (シャルロット)
ゲルメーヌ・フェラルディ (ソフィー)
マルセル・ローク (アルベール)
アルナルド・ナルソン (大法官)
ルイ・グエノー (ヨハン)
アンリ・ニール (シュミット)
少年聖歌隊
パリ・オペラ=コミック座合唱団
パリ・オペラ=コミック座管弦楽団/エリー・コーエン
ウェルテル役を歌うティル(Georges Thill, 1897-1984)は、パリのオペラ座とオペラ=コミック座の花形として、1950年代まで活躍したテノール歌手です。彼は元々オペラ歌手としての専門教育を受けておらず、証券取引所のブローカーとして働いていました。彼の最初の声楽教師は、ジューク・ボックスに入っていたエンリコ・カルーソーのレコードでした。第一次世界大戦で徴兵され、1918年に帰還したのを機に、パリ音楽院でバス歌手のアンドレ・グレスに師事しましたが、1921年にはナポリのテノール歌手のフェルナンド・デ・ルチアのところに弟子入りし、1924年まで教えを受けています。
イタリアのベルカント唱法を会得したティルは、フランスの歌劇場のみならず、ミラノ・スカラ座やニューヨークのメトロポリタン歌劇場など、世界の主要歌劇場からお呼びのかかる名歌手になり、ジャコモ・プッチーニやウンベルト・ジョルダーノといったイタリア人作曲家のオペラのスペシャリストとして数多くの上演に参加しましたが、彼の本領は、本録音のようなフランス・オペラにあり、このウェルテル役はティルの代表的なはまり役として評価の高かったものです。
シャルロット役として共演しているヴァラン(Ninon Vallin, 1886-1961)もまた、フランス随一の歌姫として広く知られた人です。リヨン音楽院出身の彼女は、クロード・ドビュッシーに見初められ、《聖セバスチャンの殉教》の初演に参加して脚光を浴びました。フランス音楽界のミューズとして、レイナルド・アーンやアルベール・ルーセル等の寵愛も受けています。オペラ=コミック座には1912年から出演しており、彼女が出るだけで満員御礼になる程の人気を博していました。
脇を固める歌手たちもオペラ=コミック座を支えた実力派ぞろいで、フェラルディ(Germaine Feraldy, 1894-1949)やグエノ(Louis Guenot, 1891-1968)といった人たちは、主役級の人気を誇り、自分のソロ・レコーディングまでできた人でした。
本CDのプロダクションを仕切るコーエン(Élie Cohen)は、生没年不詳。1922年8月7日にレオ・ドリーブの《ラクメ》の上演を指揮してから、1930年代末までオペラ=コミックの指揮者として数々の上演をこなしています。歌手の伴奏の録音が多く、その中にはピアノ伴奏をした録音もあります。
本録音の成功は、まずティルの独唱の高潔さにあります。ベルカント唱法由来の朗々たる声も、あけっぴろげにはならず、確固たる品位を感じさせます。このウェルテル役は流石当たり役と言われただけあって迫真のもので、惚れっぽい男が勝手に人妻に玉砕しただけではないかという、身も蓋もないツッコミを封印させるに足る立派なものです。第3幕でシャルロットに歌う〈オシアンの歌〉など今聴いても胸を打つものがあります。ヴァランも、人を惚れさせる色気のようなものを持っていて、作品のドラマに移入しやすい歌唱を聴かせます。そして、そういったドラマを隅々まで理解してオーケストラを巧みに操っていくコーエンの伴奏の妙技も、この録音に不滅の魂を吹き込む重要な要素と言えるでしょう。オーケストラや合唱団も、終幕の不気味な幕切れなど、まるで地獄の淵をのぞきこむようなカルトな味があり、あまり巧すぎないことが却ってリアリティを生んでいるような気がします。
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